3.激戦

3-1.敗者の姿

 明治通り。渋谷区を通る約33.3キロの道路の総称。

 今ここで交戦を繰り広げているのは二人の仲睦ましい兄妹と、海の壮大さを持ち合わせた美しき女性。


「ヘンゼルゥ、痛いよぉ」

「許さない。よくもグレーテルを――」


 互いを思う兄妹愛。しかし飛び出す異能の力はお菓子をモチーフとする爆弾兵器。笑顔を交わし、敵人の体から真っ赤な血が噴き出すことを大いに喜ぶ常軌じょうきいっした幼き二人の子供。




 そんな二人の兄妹が生まれた家は、貧乏だったが愛の溢れる家庭だった。しかし母親が亡くなってしまい父親が再婚。やってきた継母けいぼはとても意地悪な女だった。ヘンゼルは継母に苛められていた妹を庇い、殴られた上に物置に閉じ込められ食事を抜かれた事もあった。


 そして継母は「子供たちを捨ててしまおう」と目論見、ヘンゼルとグレーテルを森の奥深くにあるお菓子の家の中の檻の中に閉じ込めた。そこには家の領主ジル・ド・レと、魔女ペリーヌ・マルタンが住んでいた。実はその家では、少年少女たちを捕らえて丸々と太らせた子供たちを食べるという恐ろしい計画を立てていた。


 ジルに選ばれた子供はジルが良しと言うまで、女装させられ部屋の隅から隅まで歩かされた。『美しい、なんてお前は美しいんださすが私が選んだだけの事はある。』ジルはそう言うと、後ろからジルは彼をかき抱いた。そしてベッドの上に寝かされ、服を少しずつ脱がされていく。するとジルは、その体を片腕で締め付けナイフを子供の首に深く、何度も何度も突き刺した。


『なんて怖いところなんだ。グレーテル、早く逃げよう』

『そうね、ヘンゼル。みんなも早く逃げましょう』


 その事実を知ったヘンゼルとグレーテルは、閉じ込められた子供たちと念密に計画を立て、ある日檻の中でウトウトしている魔女に少年たちは一斉に襲い掛かった。そして気絶した魔女を柱にくくりつけると少年達は檻から出ることに成功した。

 脱出に成功した子供たちは、街のお偉いさんたちに一部始終を訴えた。その結果ジルは逮捕。当時の警察が城の中を捜索するとたくさんの拷問器具と、ぞっとするような少年少女の死体が発見された。ジルは一四年もの間、計約一四〇人の少年少女を残虐な拷問にかけて殺していた殺人鬼だったのだ。ジルと魔女は国に命ぜられるまま処刑された。


 二人が家に帰ると、父も継母も泣いて喜んだ。

「罪深い継母かあさんを赦しておくれ」

 しかしそんな継母を見るヘンゼルとグレーテルの目は、笑ってはいなかった。


 数日後、二人の家に兵士達がやってきた。この継母が人食い領主に子供達を売った罪で捕らえに来たという。継母は「そんなことしてない!」と泣き叫んだが兵士達は聞く耳持たず。


『いったいどういうことだ。お前たち、何か知っているかい?』


 と父が二人の可愛い子供に尋ねると、ヘンゼルとグレーテルはにやりと笑い、こう言った。


『『さぁ。どうしてだろうね』』


 兄妹は今日も明るく手を繋ぎ、笑い合い、天真爛漫にはしゃいでいた。






 人魚姫を取り囲む無数の飴爆弾。そしてヘンゼルの手にもいくつものクッキー爆弾が握られている。そしてその前で何とか姿勢を保つのは人魚姫。足からは未だ止まらぬ血を流しながら苦痛に顔を歪ませる。


「痛いよぉ。痛いよぉ」


 倒れるグレーテルは腹を抑え、動かぬ体を丸めている。そんな妹を横目に捉え、瞳孔を大きく開いた目で人魚姫をジッと見据えるヘンゼル。

 人魚姫は再び水の鎌を構えると、ぐらつく体制を整えた。


「殺してあげる、お姉ちゃん」

「あら……っ、良い子はもう寝る時間だと思いますよ?」

「いひ、いひひひ。くらえー!」


 ヘンゼルの声とともに、無数の飴爆弾が人魚姫に向かって飛行し向かってくる。人魚姫は襲ってくる飴爆弾に鎌を振り下ろし、確実に破壊していく。人魚姫が大きな鎌を振る姿は、華麗な踊り子のような、そして水のようななめらかさを持ち合わせた動き。それと同時に鎌の先から出現する水の刃で、飴は次から次に壊され、小さく爆ぜると地面へと落ちていき、その機能を失っていく。

 しかしそんな鎌や刃をすり抜け人魚姫の体に張り付いてしまう飴爆弾は、容赦無く人魚姫の肉を抉り取っていく。右腕、左足、右足とどんどん鮮血を吐き出し破壊されていく美しい体。その度に響き渡る苦痛の声。


「いひひひ」

「……はぁ、はぁ」


 飴爆弾に気を取られ、全くヘンゼルに攻撃することすら叶わない人魚姫。ヘンゼルはそんな人魚姫を大きく開いた瞳と大きく開いた口で、目を離さずにまっすぐに見ている。時には首をカクンッと右に傾け、左に傾けるという奇妙な動きで、爆弾がその体を壊していく様を楽しんでいるかのようだった。


「……申し訳ございません、神様。私……」

「ひゃははは。クククッ。死ぬ? 死ぬ? そろそろ、死ぬ?」


 ヘンゼルは腕を振り子のように動かし、その小さな体を上下にぐにゃぐにゃと楽しそうに揺らしている。

 人魚姫は膝から崩れ落ち、両手を地面へとついた。人魚姫の周りには血の水溜りが出来ており、パシャッと水が跳ねる音がする。


 そして人魚姫は、あることに気付いた。



 ――グレーテルが、いない。



 それに気付いた時はもう遅かった。



「あははハァ」


 人魚姫の背後から聞こえる女の子の声。


 慌てて振り向くと――そこには、輪郭の端から端まで開かれた大きな口で笑うグレーテル。


 そんなグレーテルが両手いっぱいに持っているのは、とてつもない威力を持ったクッキー爆弾。


「さよなら。お姉ちゃん。さよなら。あはははッ」


 人魚姫の時間が止まる。


 ――王子様。






 そして――人魚姫は耳を疑った。


 美しく、懐かしい歌声。

 それは絶望だった心に光を照らしてくれる暖かなサウンド。


 すると、目の前にいたはずのグレーテルの体がくの字になって、どんどん人魚姫との距離が開いていく。


「グレーテル!」


 兄ヘンゼルの声が響く。響いているはずだが、人魚姫にはほとんど聞こえてはいなかった。




 グレーテルの体は何かに捕らえられ、後ろに向かって思い切り引っ張られているのだ。あまりの力強さにグレーテルは「キャー!ヘンゼルゥゥゥッ‼︎」と悲鳴を上げて、半分パニック状態のようになっている。


 その時、人魚姫はようやく状況を理解した。


 ――樹木だ。


 グレーテルの腰に巻きついているのは、長く伸びた木の枝。そしてグレーテルの背後に見えるのは路地を覆い尽くすほどの大量の樹木。それらがすべて意思を持っているかのようにこちらに向かってズルズルと歩き、数多の枝を伸ばし、グレーテルの体を覆い隠していく。


「やだっ、やだやだ! やめてよぉ! 助けて、ヘンゼルッ‼︎」

「やめろ、やめてくれ! グレーテル‼︎」


 そしてグレーテルの体は巻きついた枝で見える部位はほとんどない。唯一見えているのは、涙を流している左目とヘンゼルに向かって伸ばされている小さな右手。


「ヘン、ゼ……ル」


 グレーテルはその言葉を最後に、木の表面が激しく剥がれ落ちると音を立てながら、樹木の間に吸い込まれるように消えていった。

 そしてそのグレーテルを取り囲むように、吸い込まれた先に群がる樹木。時々小さな爆発音と木の一部が吹き飛ぶこともあったが、太く丈夫な樹木が群れとなり、束を作り、爆弾の威力を吸収していく。それと同時に聞こえるのは、耳を塞ぎたくなるほどの悲鳴と、連続して聞こえる鈍い音。


「グレーテル! グレーテル! グレーテル‼︎」


 ヘンゼルは走った。涙で前が見えない中、最後までヘンゼルに助けを求めたグレーテルの手を掴むために――


 しかしそれは、叶うことはなかった。


 微かにも聞こえなくなった少女の声。ずっと一緒にいた兄妹だからこそ分かる、グレーテルが事切れたことの胸のざわつき。


 すると――樹木が群がる中心で小さな星が輝き始めた。それはまるで夜空の星が目の前に現れたかのような不思議な光景。


 星は風に流されるように、ゆっくりと、夜の空へ、天へと登っていく。


 これは、この戦いに負けた者の退を意味するものであった。


「……グレーテル」


 ヘンゼルは愕然と膝をつき、きらきら舞い上がる無数の白い星を見つめた。


 そしてそれは、人魚姫も同じだった。先程まで死闘を繰り返したとは思えないほど見入ってしまう、星となり消えていく煌びやかなグレーテルの姿。




 そして再び――あの歌声が響く。


「この声――」


 人魚姫が視線を移したその先に、何とも艶めかしい女性が立っていた。


「ナイチンゲール様‼︎」


樹木に寄り添うように位置しているのは、人魚姫に向かい両手を広げ、優しい声を聴かせるナイチンゲール。


「人魚姫様。遅くなりました」

「……いえ。お会いできて、本当に嬉しい」


そんな再会を喜び合う二人の女性に対し、憤怒の感情ではらわたが煮えくり返りそうな思いになっているのは、妹を殺されたヘンゼルだった。


「ゆ、許さない。許さなユルゆるさない許。殺すころコロス殺す」


少年の瞳は、復讐と狂気の目に満ちていた。

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