2-10.指揮者の気持ち
「これは面白くなってきたな、ヴィルヘルム」
「そうだねヤーコプ兄さん、アンデルセンもなかなかやるね」
それぞれの童話の主人公たちが各一戦ずつ交える様子を映し出すモニターを見ながら、先程まで長細く洒落たアンティークのテーブルと椅子に腰かけていたはずのグリム兄弟は、今度は畳の上に直に座っている。ヴィルヘルムはちゃぶ台に置かれた土瓶の取っ手を持つと、陶器で出来た二つの湯呑にお茶を注ぐ。
「日本人はこんな変な色の飲み物を飲んでいるのか?」
「ジャパニーズティーだよ、兄さん」
畳の上にお手本のような姿勢で正座し両手で湯気の立つ湯呑を持つと、ぐいっと傾け喉を潤すヴィルヘルム。その姿を何とも嫌そうに見つめるヤーコプ。
「苦い……そして渋い。いや、この苦さがまたいいんだよね。ジャパニーズティーは健康にもいいらしいよ。まだ熱いから兄さんは飲めないだろうけど」
「苦い? 苦いなら砂糖を入れて飲んだ方がよりおいしいんじゃないか?」
「何言ってるの、兄さん。これはこのまま飲むものだよ」
そう言って緑茶をもう一口嗜むヴィルヘルム。ヤーコプはゆらゆら揺れている水面とそこから立ち上がる湯気を見つめ、冷や汗を流す。
「しかしあの綺麗な女は何者だ? 白雪姫があんなにあっさり……」
「あ、ヤーコプ兄さん。あの女の人が気になるの?」
「バ……ッ! 相手はアンデルセン側の主人公だぞ!」
「そーだね。でも、アンデルセンはあんなに綺麗な女の人たちを創造して、世の中に送り込んだのか……」
ヴィルヘルムは人魚姫とナイチンゲールの映るモニターを眺めている。
「兄さん、僕たちって――」
「まぁ白雪姫は大丈夫だろ。あの兄妹と水の女もすぐに決着が着きそうだしな。本当の戦いはここからだぞ、ヴィルヘルム。こんなに興奮するのは久しぶりだ。アンデルセンに、俺たちの方がより優れた作家だということを見せつけてやろうじゃないか」
畳の上で
兄弟であるが故、同様の気持ちを持っていたヴィルヘルムであったが、今ヤーコプとは違うひとつの違和感が生まれようとしていた――
▽
フレデリク教会の聖堂の中央で、アンデルセンはこの戦争から一時も目を離さないように見守っていた。
時には祈りを捧げ、時には落ち着きなく聖堂を歩き回り、自分で創り出した主人公たちが気になって仕方がない様子だった。
「皆さん……」
アンデルセンは生の時間を終え、この空間で死後の人生をスタートさせてからというもの、童話の主人公たちを練成させ、お茶会を開くことがあった。
真っ白な空間の中に現れた自然溢れる公園。その中央に置かれた屋根付きのテーブルベンチ。そのテーブルの上には、良い香りを感じさせるクッキーやケーキ、そして紅茶が並べられている。そこにはその場を取り仕切る心強い親指姫、端っこで小さくなりながらもケーキを堪能するアヒルの子、面倒見の良い人魚姫やナイチンゲールに囲まれ、おやつを食べるマッチ売りの少女。
その時間はアンデルセンにとって何にも代えがたい素敵な時間であった。アンデルセンのことを『神様』と呼び、自分たちを創ってくれてありがとうと、忠誠と感謝の意を表する主人公たち。
「今彼らは、僕のために戦ってくれている――」
アンデルセンは感謝していた。亡くなった後に更に強く結ばれていく絆と、自分を慕ってくれる物語の人物たちに。
「しかし、それと同時に生まれ出るこの感情はなんだ……」
アンデルセンは少し動揺していた。しかしこの動揺を表出することは、自分の負けを認め、この戦争を終わらせることに酷似していた。それが故、アンデルセンは躊躇った。正体のわからない謎の感情。
アンデルセンは強く拳を握りしめ、唇を噛みしめた。
▽▽
「あいつらはいったい、なぁーにをしよるんかのう」
ここは真っ白な何もない空間。壁もなく、どこまでも広がる空間に一ヵ所にひとつの大きな椅子が置かれていた。全体的に赤くゴージャスな椅子は、何となく貴族や王様が座るような印象を醸し出している。
その椅子に、誰が見てそれに釣り合わない身長やサイズの子供らしき姿が見える。声は変声期前の高いトーンだが、言葉遣いはどうも年寄りくさい。いろいろと矛盾が見受けられる少年らしき子供は、「よいしょ」と言いながら肘掛けに両手を添え、「いててて」と言い腰を押さえながら椅子から立ち上がる。そして椅子に立て掛けてあった杖を手に取り、三点でその小さな体を支える。
「どれ。ちょっと行こうか、おぬし等」
子供はそう言うと、足腰の弱い年寄りのように歩き始めた。
<2.初戦・了>
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