2-9.豪胆で暖かい小さな姫

「ええっ、ちょっとどういうことよ!」

「うう……っ、こ、こわいよ。怒らないでよ……」


 ここは崩壊した渋谷駅の地下。見事なまでに木っ端みじんとなった、と思われた渋谷駅だったが、なんと地下の一部だけ崩壊を免れた場所があった。そこでキーッと声を上げる小さな姫。そしてその声を浴びながら蹲っているのは、先程赤ずきんと激闘をしたばかりのアヒルの子がいた。




 駅の構内で繰り広げられていた激戦ののち、巨大な触手に襲われたシンデレラと親指姫。シンデレラはガラスを分厚く構築し、自分を守る壁を作るが、親指姫は他の蟲とともにモグラの力を借り下へ下へ、できる限り被害を最低限に抑えられる場所を探して潜っていった。

 そんな時発見したのが、この最も激しく崩落した場所より最も離れた地下の一角。何とかこの場所は多少の地割れ等は生じていても、無事にやり過ごせそうな安全な場所であった。


「ごめん、お前たち。いっぱい死なせてしまった。あたしのせいだ」


 蟲たちは『そんなことない』と言わんばかりに親指姫の元へ集まる。小さな体のお姫様と、そのお姫様よりも大きな体をした蟲。アゲハ蝶、蠕虫型の虫、そしてモグラ――それぞれの蟲は各々通常の生き物とは異なる奇形を成しており、第三者から見ると異様な光景に見えてしまうかもしれないが、親指姫にとって彼等は家族同然の存在だった。




 親指姫が生まれたのは、小さな貧しい家だった。

 なかなか子供ができなかった夫婦が魔法使いに『子供が欲しい』とお願いをしたところ、魔法使いは一粒の種を差し出した。夫婦はその種を鉢に植え、毎日愛情込めて育てた。ある日花は美しく咲き、その中にひとりの少女が眠っていた。夫婦は親指ほどの大きさの女の子を『親指姫』と名付けた。


 親指姫は元気にすくすくと育っていった。お皿のプールで泳ぎ、葉っぱで作った船を漕ぎながら綺麗な歌声で歌った。夜になると半分に割ったクルミの中で、花びらを布団にして眠った。


 そんなある日、ヒキガエルの母親が親指姫を見つけ『かわいい子だケロ。わたしの息子のお嫁さんにしよう』とクルミのベッドごと連れて行ってしまった。親指姫が目を覚ますとそこにはヒキガエルの母親がニコニコしながら親指姫を見つめていた。『おはよう。今日からこの沼があなたの家だケロ。いいところだろう?』と言われ、親指姫は突然知らないところに連れて来られ、動揺して恐怖のあまりビクビクして――はいなかった。


『え? いやよ』

『ケ、ケロ?』


 あまりにハッキリものを言う親指姫に、さすがのヒキガエルは驚いた。


『第一ここはあなたたちにとっては住み心地が最高なところなんだろうけど、私にとっては空気も悪いし、食事も合わないだろうし、すぐに体調を壊してしまいそうな場所だわ。いい? 生き物はすべてあんたたちの価値観に当てはまっていると思わないことね』


 腰に手を当てている親指姫から感じられる威厳は、ヒキガエルにとってとても大きなものに感じた。


『ということであたしは帰るわね。あんたの息子にはあたしなんかよりもずっといい子見つけてあげなさいよ』


 そう言うと親指姫は近くを流れる川に浮いているハスに飛び乗ると、川を泳ぐ魚に声を掛けた。

『ねぇごめんなさい。あたしの村まで帰りたいんだけど、連れて行ってくれない?』

 魚は背中にハスを乗せるような形で進んでくれたが、これ以上進むのが難しくなると、親指姫は魚の頭を撫でてお礼を言い、今度は空を飛んでいる蝶に声を掛けた。

『ねぇごめんなさい。あたしの村まで帰りたいんだけど、引っぱってくれない?』

 蝶に植物の蔓を垂らしてもらい、親指姫がハスに結びつけ川を引っ張って進んでくれた。すると空を飛んでいたコガネムシが『お、珍しい虫だ』と親指姫を掴んでどこかへ連れて行ってしまった。


 親指姫がぽつんと取り残されたのは見渡す限りの花畑。もはやどこに行けばいいのかさっぱり分からない状況。しかししっかり者の親指姫はすぐに適応した。とりあえずやみくもに歩いては余計迷子になってしまうため、いったん生活の基盤をここで作ることにした。草花で作ったベッドで眠り、食事は花の蜜を吸って生活した。服は同じものを着ていると汚れてくるため花びらを使い服を作った。まさにサバイバル生活であったが、親指姫はそれなりに楽しんでいるようだった。

 どれくらい時間が経っただろうか。親指姫は、非常に困った事態に遭遇しようとしていた。寒い寒い冬がやってくるのだ。さすがにこの生活は冬を凌げるほど立派なものではない。親指姫は機転を利かせすぐに移動を開始した。どこかせめて冬だけでも凌げる場所がないか探し歩いた。


 そんな時、大きな木についた小さな扉を見つけた。親指姫がノックすると、そこから出て来たのは野ネズミだった。親指姫が事情を説明すると、優しい野ネズミは快く受け入れてくれた。親指姫は寒い冬を暖かい野ネズミの家で楽しく過ごした。するとある日、野ネズミの知り合いだというお金持ちのモグラが遊びに来た。モグラは親指姫にひとめぼれをしてしまい、それから親指姫に会いに毎日顔を出すようになった。ある日モグラは親指姫に『結婚してくれ!』と求婚するが、『いやよ。あんたと結婚したらずっと土の中で暮らさなきゃいけないんでしょ? あたしは太陽を浴びて生活したいわ』ときっぱりと断った。しかし『ごめんね。せっかく想いを告げてくれたのに。ありがとうね』と笑顔でモグラに告げる。誰かに流されることなく、正直に自分の気持ちを述べた上さりげない気遣いが、彼らの心を更に鷲掴みにしていった。


 そんな生活が続いたある日、親指姫は怪我をしているツバメを見つけた。気は強いが心優しい親指姫はツバメの手当を懸命に行った。こうして元気になったツバメはお礼に『南の国に連れて行ってあげる』と親指姫を誘った。親指姫は『あら、楽しそうね』と南の国に行く決意をした。野ネズミとモグラに〝ありがとう〟と〝大好き〟を伝えて、親指姫は南の国に旅立った。


 南の国に到着した親指姫は声を上げた。

 そこは何とも綺麗な花の国。辺り一面を覆う色鮮やかな花に覆われた花の国。

 蝶が舞い、昆虫が飛び跳ね、みんな幸せそうに暮らしている豊かな国。

 そこには蝶の羽をつけた王子様が現れた。


『なんて綺麗な子だ。ぜひ、この僕と結婚してほしい』


 王子さまは出会った瞬間恋に落ちた親指姫にその想いを伝えた。

 顔を赤らめる親指姫。

 そして彼女が出した答えは――


『いやよ』


 王子さまは『へ?』と思わず肩を落とした。


『たしかにあなたは素敵な方だけど、出会ってすぐに結婚は早いわ。もっと時間をかけてお互いのことを知るべきよ』


 王子さまは正論を言われ焦ってしまった。


『もちろんあなたとは友達から始めたいと思っているわ。そこで、そんな友達にちょっとお願いがあるのだけど――』


 親指姫の願い、それは――


『親指姫、ありがとう。すごく素敵なところだケロ』

『親指姫、ありがとう。ここだと寒さに耐えなくてよくなるわね』


 ここにたどり着くまでに出会ったたくさんの虫や動物たち、お世話になったみんなをここに呼んでほしいというものだった。こんな素敵な場所なら、きっとみんな幸せに暮らしていける――そんな親指姫の思いは、虫たちに暖かくも大きな思いやりを広げていった。


 すべての命あるものに幸せを――


 この親指姫の思いは、すべての蟲たちの希望となり、生きる糧となった。






 だからこそシンデレラとの一戦で多大な損害を出してしまった親指姫はひどく心を痛めていた。親指姫を勝たせるために外形を変化させた蟲たち。見た目は違っても、中身は暖かい心を持って懸命に生きる生き物なのだ。そんな命を削ってでも、親指姫のために戦う意思表明をしてくれた蟲たちに、小さな姫は感謝してもし尽せないほどの思いでいっぱいだった。


「この子たちのためにも、神様のためにも、あたしは絶対に勝たなくちゃいけない」


 親指姫がそう呟いたその時、天井に黒い水溜りのようなものが浮き上がった。


「敵!?」


 親指姫を守るように、蟲がその前に立ち塞がり壁を作る。

 黒い水溜りは〝ぼこん〟と波を打つと、その中から見たことのある黒く醜い塊が現れ、地面にべちょっと音を立てて落下した。


「ア、アヒルくん?」

「ひゃあ……っ!」


 親指姫の声に大きくビクつくアヒルの子。サササッと素早く端っこに走っていき、ぶるぶると震えながら蹲った。


「あんた! なんでこんなところにいるのよ。敵は? ていうか、さっきの変な黒い触手あんたでしょ? やっつけたの?」

「あうぅ……、い、いじめないでよぉ……」


 マシンガンのように一方的に質問をぶつける親指姫。それを処理できず、更に大量の蟲にも囲まれ、いじめられていると感じたアヒルの子は余計に震え上がってしまった。


「まぁいいわ。あんたがさっきみたいにここに現れたってことは、あらかた逃げてきたってところだろうしね。あんたでも手に負えない相手が向こうにはいるっていうの? やっかいね」


 親指姫はガリッと親指の爪を噛む。


「ちょっと、せっかく一戦交えてきたなら敵の情報吐きなさいよ。作戦会議するわよ!」


 親指姫は背中の縫い針を取り出して、その先をアヒルの子に向けた。「ひぃ」と小さく悲鳴を上げるアヒルの子。こうして、まるでボスとその子分のような二人の作戦会議が始まった。

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