2-8.歌う鳥とりんご少女

 ここはなんて暗く冷たいところなんだろう。

 電気はなく、小窓から差し込む月明かりだけが部屋の一部分を照らしている。

 食事は一日三回、決められた時間にのみ少量与えられる。

 着ているものはいつも同じ。白……、いや。最初は白いワンピースだったのに、今やすっかり汚れ白の面影はない。


 になると首輪に鎖をつけられ、引きずられるようにある場所へと連れて行かれる。

 カーテンを開けると、そこには舞台のようなステージと向かい合うように座っている大勢の人々。


 そこで私は跪き――、精一杯心を込めて歌をうたう。

 騒ついていた大勢の人々は、私の声が響くと一斉に黙った。静かに私の声に耳を傾け、そして心に響いた分だけのお金を払っていく。


 それが一日何十回と繰り返されているというのに、人の出入りは止まらない。観客席に座った客を目の前に、私は時間になるとまるで祈るように歌を振るう。


 そうここは、見世物小屋。

 貴族に捕らえられた私は、逃げられないように首輪を付けられ、鎖で繋がれ、檻の中に入れられた。


 まさに籠の中の鳥。


 逃げようとすれば叩かれた。

 口答えすれば足蹴にされた。

 私が生きていける術は、こいつらの言うことをきくことのみ。


 なんてつまらない人生だろう。

 何度死にたいと思ったことだろう。


 ただ、私はそんな状況でも生きなければいけないと思った。


 私の声で涙してくれる人がいる。

 もう何百回と私の声を求めて来てくれる人がいる。


 そんな姿を見せられたら、私はどんなにつらくても歌うしかないじゃないか。


 私が歌うことで、その人が希望を見つけ、生きる道を選択してくれたら、私はとても嬉しい。


 だから今日も歌う。

 あなたのために――




「――神様」


 ナイチンゲールは閉じていた静かに眼を開く。

 目の前にはこちらに向かって走ってくる少女の姿。少女は「リンゴ」「食べて」と不気味な声を上げている。


「かわいそうに。あなたはで生まれたのね」


 ナイチンゲールは焦る気持ちをいったん抑え、急ぐ足を止めた。


「あなた、かの有名なグリム童話の主人公なのかしら?」

「リンゴ! 美味しいの! リンゴ!」


 もはや疎通をとることすら困難な少女を目の前に、冷静な姿勢を崩さないナイチンゲール。その二人の距離、わずか二メートルにまで迫っている。


「ああ、でも――」


 そして――、天使のような雰囲気を醸し出していたナイチンゲールの表情が一変する。

 それはとても冷たく、まるで氷の国の女王のよう。瞳の色は消え、ただ無表情で少女を見据えた。


「――もう、名乗ってもらう必要はないわ」


 ケタケタと笑いながらポケットから紫色のリンゴを取り出し、ナイチンゲールに差し出そうとする。紫のリンゴはどろりと流れ、ジュウっと音を立て地面を溶かす。


 その距離、わずか数センチ。


 そしてそのリンゴがナイチンゲールの目前まで迫った瞬間――

 まるで時間が止まったように固まっている二人。


 否――、固まっているのは少女だけだった。

 明治通りの至る所に植えられている植物が一斉に蔦を伸ばし、少女をガチガチに拘束している。


「? ? ?」


 さすがに状況が読めずに混乱しているのか、少女は不気味な表情からきょとんとした女の子らしい顔を見せ、首を上下左右に動かす。


 そんな少女を拘束していた蔦は、ぐにゃりと曲がり少女を空高く振り上げ、そのまま勢い良くアスファルトへと叩きつけた。巨大で真っ暗な穴が地面に空き、瓦礫の音の中で少女の体はおかしな方向へと曲がる。勢い良く地面へめり込み、未だ拘束の解かれない少女の体は微かに動く程度で、息をするのもやっとの状態。


 そんな少女を蔦は更に持ち上げ、再度同じ場所へと叩きつけた。まるで子供がおもちゃを床に叩きつけるような光景。何度も、何度も何度も、幾度となく地面に叩きつけられた後、少女の体はようやく解放された。

 蔦がなくなり視界の披けた少女の体は、もはやさっきまで人間の体だったとは思えないほど、壊れた人形のようにぐちゃぐちゃになっている。


「ごめんなさいね。私、急いでるの」


 ひゅうっと風が吹く。風はその場で横たわっている少女の青いワンピースを揺らすが、少女の反応はない。


 ナイチンゲールは少女を遠目で見た後、空へ視線を移し、睨み付けるように一点を見つめた。そしてにこりと笑うと、先程進んでいた道を急ぎ消えていった。


 その場に残された無残な少女の姿。

 少女の体は見るに堪えないほどの半壊状態。

 ピクリとも動かないただの塊と化した少女の代わりに、ワンピースだけがその場で揺らいでいた。



 ▽


「わぁ。すごいことになったね」


 明治通りにある建物の屋上部分で二人の戦いを見物しているひとりの人物。それはフードを被りパーカーのポケットに両手を突っ込んで、高みの見物をしている眠り姫だった。


「しかもあの綺麗な人、俺に気付いていたみたいだし」


 ぞくぞくっと体が身震いする。


「俺は彼女と戦うのもパス。あれにはたぶん勝てない。俺負けちゃう。やだ、負けたくない」


 ぶーっと頬を膨らませる眠り姫。何だか駄々をこねる子供のような反応。

 そんな反応を示しながらも、地面に這いつくばるような格好で微動だにしない少女を見下ろす。


「白雪姫」


 少女白雪姫の名前を呼んだ眠り姫は、くすっと笑った。



 すると――

 そこに美しい羽を持つ一匹のアゲハ蝶が現れた。

 眠り姫の近くをパタパタと飛び、何やら観察でもしているかのように眠り姫をじーっと見ている。そのアゲハ蝶は妖精のような体を持っており、手足を動かしまるで人間と同じような動きを見せる。


 するともう一匹、更にもう一匹と蝶は増えていく。


 眠り姫を取り囲むように集まってくるアゲハ蝶。それはだんだん数を増し、数えきれないほどの大群となっていく。


「んー?」


 まるで眠り姫に狙いを定めているかのように、すべてのアゲハ蝶の視線が眠り姫に注がれている。


「えー、俺。モテモテ。なんちって」


 つまらないボケをかましたのが合図かのように、アゲハ蝶たちはみな隠し持っていた棘を槍や剣のように構え、その矛先を眠り姫に向け戦闘態勢をとった。


「わわっ。ごめんってば。そんなに怒らなくても」


 眠り姫は本気で蝶たちが冗談に対して怒っていると思っているのか、特に慌てる様子もなく掌を見せ〝待った〟のポーズをとる。

 そんな眠り姫を何匹いるか分からないアゲハ蝶が、いつでも突撃できるようにじりじりと距離を詰めていく。


 そして、指揮をとっている蝶が手を挙げ「キィィイイ」と声を上げると、アゲハ蝶たちは眠り姫に向かって一斉に飛び掛かった。

 真っ黒な大群がまるで台風のようにひとりの人間に向かって、棘を突き出し、襲い掛かる。


 そんな状況にも関わらず眠り姫は――、にやりと笑った。








 静かな時間が流れる。

 この空間は通常の夜よりも明るく見えているはずなのだが、空に輝く星たちが何とも言えぬ輝きを見せている。


「綺麗な星空」


 建物の屋上で空を見上げ、佇んでいる眠り姫。


「さて。この子たちを差し向けた張本人はどこかなー」


 眠り姫の足元では――


 空を飛んでいたアゲハ蝶たちが、一匹残らず地面に落ちている。


 そして地面に落ちているすべての蝶たちが、自分の持っていた棘で己を貫き死んでいた。


 風で羽がそよそよと動く中、誰一匹として動くものはいない。


「――お仕置きの時間だ」


 そう言った眠り姫の姿は、もうすでにそこにはなかった。

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