2-5.狼との出会い

 渋谷区の象徴、スクランブル交差点。

 しかし今は激しい交戦ののち、跡形もなく崩壊しただの瓦礫の山と化している。天まで伸びた高層ビルはいくつも破壊され、今も黒煙が空を黒く染めている。


 そんな瓦礫の山の影で、狼の世話をしているのは赤いマントに身を包んだ赤ずきん。狼の大きな体をその小さな体で優しく毛並みを整えてあげている。


「大丈夫だったか? 怪我してないか?」

「クゥゥン」


 さっきのアヒルの子の凄まじい襲撃により、思った以上に手こずった様子の赤ずきん。最初の先手で確実に仕留めることができていれば、触手が出現し苦戦を強いられることもなかった。


「すまなかったな。俺のせいで」


 赤ずきんは腰に装着していた小さなポシェットをお尻側から自分の正面に回すように持ってくる。そしてその中から大きなくしを取り出した。それは狼の毛並みをより滑らかに整える狼専用の櫛。赤ずきんはそれを使い、狼の体を労わりながらゆっくりとかし始める。

 気持ち良さそうに赤ずきんにすり寄る狼。赤ずきんはその姿を見るなり、安堵の笑みをこぼす。それは子を見守る母親のような優しい瞳。よほど大切な存在なのだということがひしひしと伝わる。



 ▽


 赤ずきんはお婆さんと二人で森の中で暮らしていた。木の実を拾い、森の動物や小鳥たちと戯れ、おばあちゃんに子守唄を歌ってもらい、貧しいながらも幸せで楽しい毎日を送って生活をしていた。


 ある日森の中に狼の群れが現れた。動物や小鳥たちは怯え、もっと安全な森に棲みかを移していった。森の中は、狼がどんどん自分たちの領域を広げ、大きな町から狼退治のため猟師が出動するようになっていった。


 赤ずきんとお婆さんはなかなか外に出て山菜や果物を収穫することが難しくなっていった。夜になると狼の遠吠えが聴こえ、怯えながら眠る不安な夜を過ごしていた。


 そんなある日、体調不良をよく訴えるようになったお婆さんの代わりに、安全な場所で山菜を採っていた赤ずきん。無事に籠いっぱいの山菜を採り終えた赤ずきんが帰宅すると、が暖炉の前の椅子に座っていた。


『お婆さん?』


 赤ずきんが尋ねる。


『なんだい?』


 低く獣のような声。赤ずきんは違和感も持ちながらも、それお婆さんに近寄る。

 それお婆さんはお婆さんの服をきつそうに着ているが、よく見ると全身毛に覆われている。口の中はぎらりと光る牙が並び、赤ずきんなんて一口で食べられてしまうほど大きい。


『さぁお前、服をお脱ぎ』


 それお婆さんは赤ずきんに言った。

 赤ずきんは、それお婆さんに言われるがまま、一枚一枚服を脱ぐ。


『脱いだスカーフは、どこへ置けばいいの?』

『暖炉の火にくべておしまい。もうお前にはいらないんだから』


『脱いだエプロンは、どこへ置けばいいの?』

『暖炉の火にくべておしまい。もうお前にはいらないんだから』


 こうして何も布を纏わず、生まれた時の姿となった赤ずきんは、大きなそれお婆さんの前でどうしたらいいのか分からずもじもじする。お婆さんと云えど、恥ずかしく大事な場所を小さな手で何とか隠している。


 それお婆さんは、そんな赤ずきんの姿をとても美味しそうに見ている。涎を滝のように零しながら、大きな瞳を光らせる。


 そして――


 がぱぁっと音を立て、


 唾をまき散らしながら、


 それお婆さんは赤ずきんに向かって口を開けた。


『――ッ!』


 赤ずきんは、助けを呼ぶための大声を上げようとしたが、それも叶わず丸呑みされてしまった。

 お婆さんの服を着ていたものの正体は、狼の群れを取り仕切るとても巨大な狼のおさだった。知恵を持ち、人間に近付き、腹を満たす。

 前々から赤ずきんの家を見つけ、ここには二人の人間が住んでいると知っていた狼。赤ずきんが外出後、先にお婆さんを飲み込んでいた狼は、赤ずきんを騙すためにお婆さんの服を無理やり着込み、赤ずきんを待ち伏せしていた。

 そして帰宅した赤ずきんを自分が食べやすいように誘導し、邪魔な衣類を暖炉にくべさせ、丸呑みした狼の長。すべては狼の計画通りだった。


 しかし満腹となった狼が赤ずきんの家を出た瞬間、偶然通りかかった数名の猟師に呆気なく銃殺。お婆さんの服を着て家から出てきたことから、怪しんだ猟師が大きく膨らんだ狼の腹を裂いて見てみると、生きたまま丸呑みされた二人の女性を発見した。


 すぐにお婆さんと共に近くの町の病院へ運ばれた赤ずきん。二人とも一命をとりとめ、やがて森の中の家にお婆さんと一緒に戻っていった。森の狼たちは長を失い、統率が取れず散り散りとなったようで、また昔のような平穏な日常を取り戻した。


 しかし赤ずきんはあの一件依頼、しばらく食事が喉を通らなくなった。食べてもすぐに戻してしまい、栄養が身体に行き届かなくなってしまった。小さな体はすっかり痩せ、ただでさえ小さな体が余計に小さく感じた。毎日毎晩涙を流し、それをお婆さんがなだめ落ち着かせていた。お婆さんの作ってくれたご飯を食べることもできず、赤ずきんは罪悪感に苛まれ、とてもツラい毎日を過ごした。


 そしてあの事件から、数年が経過したある日のこと、更に追い打ちをかけるような悲しい出来事が赤ずきんを襲った。

 お婆さんが重たい病気にかかり、寝たきりとなってしまったのだ。もうひとりで食事を摂ることも、歩くことも、喋ることもままならなくなっていた。

 

 そんなお婆さんの代わりに炊事、家事など家のことをこなしていく赤ずきん。自分は食事を我慢し、できるだけ栄養のある食事はお婆さんに食べさせていた。赤ずきんはどんどん体力が落ち、外で食べ物を採取することすら困難になっていった。


 今日は外で山菜取り。

 容体の良くないお婆さんのために、動かない体に鞭打って山の中を歩く。

 すると、とある一ヵ所にカラスが集まっているのが見えた。赤ずきんは何だかそれが気になって、カラスの群れへ行ってみることにした。


 数羽のカラスが何かを突いている。

 それを見て、赤ずきんは目を見開いた。


 狼の子供だった。


 もう今はこの森にいないと思っていた狼だが、まだ小さく歩くことすらうまくいかない狼がカラスに突かれ血を流している。


 赤ずきんの心臓は大きく高鳴った。自分とお婆ちゃんを丸呑みし、自分にとてもしんどい精神的な苦痛を残した狼の子供が目の前で死にかけている。


 赤ずきんは近くにあった木の枝を手に取った。その枝は細く折れそうなものではなく、ある程度丈夫でそう簡単には折れそうにないもの。

 呼吸が荒くなる。冷や汗を流し、少しずつ、一歩一歩ゆっくりとカラスの群れに近付いていく。


 許せない。

 自分だけでなく、お婆さんもを襲った狼が許せない。

 殺してやる。殺してやる。


 木の枝を持つ手に自然と力が入る。

「はー、はー」と思わず声に出るほど、呼吸が激しさを増す。

 眼球をむき出しにし、血まみれの狼の子供に詰め寄っていく。


 狼の子供はかなり弱っており、カラスに対抗する力もほとんど残っていないように見えた。

 あと赤ずきんの持っている枝で叩き殺すか、もしくは尖った枝の先で突き殺せば息の根を止めることが容易いだろう。


 徐々にその距離を詰めていく赤ずきん。


 だんだん力尽きていく狼の子供。

 まだ幼い体がカラスの嘴に突かれ、肉を蝕まれていく。


 赤ずきんの足が止まった。


 その姿が――

 お婆さんと重なったのだ。


 病気で苦しみ、寝たきりとなってしまったお婆さん。


 手の、足の、震えが止まらない。

 憎むべき狼の子供が目の前にいるというのに、体が言うことをきかない。


 そして次の瞬間――

 赤ずきんは木の枝を振りかざした。


 ぶんぶんと必死に枝を振り回す赤ずきん。

 それは狼の子供を殺すためにではなく、カラスを追い払うものであった。


 赤ずきんは、どうして自分がこんなことをしているのか分からなかった。


 ただ夢中で、その子を助けたいと思ったのだ。


 カラスを一匹残らず追い払った赤ずきんは、狼の子供を抱きしめ、家に向かって全速力で走っていた。

 お気に入りの服がどんどん血で汚れていく。しかし赤ずきんはそんなことどうでもよかった。


 そして森の中を必死に走った赤ずきんは、ようやく家に到着した。


 家の扉を開け、お婆さんに狼の状態を見てほしいと声を掛けた。


 しかし反応がない。

 おかしい、と子供ながらに嫌な予感がよぎった。


「お婆さん……?」


 赤ずきんはゆっくりとお婆さんの横になっているベッドへと近付く。


 改めて声を掛けるが、やはり返事はない。

 揺すってみても、まったく動かない。


 赤ずきんはお婆さんの手を握った。

 そして、じわぁっと涙が溜まっていき、声をあげて泣いた。


 お婆さんの体は、すっかり冷たくなっていた。



 ▽▽


「クウゥン」


 狼の声で、赤ずきんはハッとする。


「あ、ああワリィ。ちょっと考え事してた」


 赤ずきんは自分よりもはるかに大きな狼を抱きしめる。


「お前は……、お前だけは、俺が守るから」


 狼は赤ずきんの声に応えるように、顔を赤ずきんの小さな体に擦り寄せた。



 次の瞬間――、二人は何かを察知した。


 狼は鼻の上にしわを寄せ小さく唸り、赤ずきんは櫛と引き換えにナイフを引き抜き、息を殺す。


 向こうもこちらに気付いた様子だった。

 赤ずきんは大きなコンクリートの瓦礫の壁に隠れ、好機をうかがう。




 そんな赤ずきんに緊張が走るこの場から、はるか遠くの場所では、巨大なが天に向かってそびえ立っていた。

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