2-6.安い・うまい・新鮮!
「よくも……っ、許さない‼︎」
そう大声を上げた女性は、右手には巨大な水の鎌を持ち、それに向かってかざした左手の前に巨大な水の塊を作り出す。
「王子様も愛してくださった海の子供たちに対する何というひどい仕打ち! 海のご加護を受けたこの私があなた方をカケラも残さずに滅ってさしあげます‼︎」
少し感情的になっている女性の名は、人魚姫だった。
人魚姫は、目の前に作り上げた水の塊をまるで大砲かのようにそれに向かって撃ち放つ。
水の大砲は細く美しい女性から放たれたとは思えないほどの勢いでそれ目掛けてまっすぐに走る。あまりの勢いからか、衝撃でアルファルトに裂け目を生み出していく。
そして水の大砲は激しい爆音とともにそれに直撃、大破させた。
ふわりと大破したものの一部が宙を舞う。
日本語で書かれた看板のようなものだった。
そこには――
“安くてうまい新鮮市場”と書かれてあった。
▽
明治通りをウロウロと徘徊していた人魚姫。
店舗や施設がぎゅうぎゅうに羅列された渋谷区で、下着のような格好にヴェールを纏い、ひとり彷徨っていた。高くそびえ立つビルのせいで視界が狭く見渡せない。
『いったいどこへ向かえばいいのかしら……』
とても困った表情で明治通りを徘徊している。艶めかしい唇から漏れるため息。長い睫毛をぱちぱちさせて、垂れた眉毛できょろきょろと首を動かす。
分かりやすく状況を説明すると、人魚姫は迷子になっていた。
先程、大きな地響きとともに渋谷駅のある方角から黒くて巨大な触手が数本確認できた。
『あ、あれは……っ、アヒルくん⁉︎』
アヒルの子の能力を知っていた人魚姫は、すぐに理解した。もうあそこではすでに、戦闘が始まっているのだと。
『待っていてくださいアヒルくん、今向かいます‼︎』
人魚姫は駆け出した。
『こっちから行くと近そうね』
自信満々に渋谷駅とはまったく違う方向へ駆け出した人魚姫。
解説をすると、人魚姫は方向音痴だった。
『あれ、おかしいわね。たしかこっちの方だと……』
人魚姫は真剣に困り果てていた。どの方向に行っても渋谷駅に辿り着けないのだ。
ちょっと角を曲がると『あら、水の香り』と言い、ふらふら〜っと逆方向へ誘われるように歩き出す。
いかんいかん、と自らを奮い立たせ、さぁいざ‼︎ というところで『あら、魚たちの声』とまた違う方向へとふらふらと歩き始めていた。
『ダメだわ、一向にアヒルくんの助けに向かえない。いったいどうなっているのかしら……はっ、もしかするとこれも敵の罠⁉︎』
人魚姫は突然腰を低くし、辺りを警戒し始める。しんとしている通りの真ん中で、結構
すると目の前に一軒の店舗を見つけた。
『あら。何だか海の香りがする』
そう言うと、誘われるように店舗へと近付く。屋台風の暖簾の掛かったそのお店は、木造の壁にガラスでできた丸い小窓がいくつもついたおしゃれな店。海をイメージしたブルーの塗装に、魚たちがまるで生きているように描かれている。
『あら素敵』
人魚姫はアヒルの子のことや、敵が潜んでいるのではという警戒心をすっかり忘れて、うっとりと壁を見つめている。
すると、その店の前の通りに何とも派手な装飾が施された立て看板を発見した。
若い女の子が書いたであろうその看板は、その店の宣伝も兼ねて、商品の紹介がされているものであった。黒色のボードに色とりどりのペンで文字やイラストが描かれている。可愛いもの好きな人魚姫は、『まぁ!』と嬉しそうに近付き、看板を上から読み始めた。
『ん〜……、“安い・うまい・新鮮が自慢の回転寿司”? かいてんずし?』
人魚姫は、空間の力で日本語がすらすらと読めるようになっているようだ。更に下へと目を通す。
『“どれも築地から仕入れた天然もの! ”築地? 天然もの?』
そして――
その更に下へと視線を下ろした人魚姫は、何とも信じがたい文字を目にした。
『“まぐろ 一三〇円”?』
『サ、”サーモン炙り……マヨ 一五〇円”?』
名前の横に貼られている写真に映っているのは、シャリの上に乗っかったぷりっぷりの切り身。その写真にわなわなと動揺の震えが止まらない。
そして“炙り”が衝撃的だったのか、“炙り”と読んだ瞬間、貧血を起こして倒れそうになる。
「あああ……っ」と両手を頬を添え、悲しみの声を上げる人魚姫。
『“いくら”⁉︎ ああ、子供たちが……っ‼︎』
『“かっぱ巻き”⁉︎ なんてこと⁉︎ 河童さんまで‼︎』
徐々に声量を上げていく人魚姫。
もはやツッコミを入れる者がいないため、どんどんドツボにハマっていく。
そしてついに、見てはいけないものを目の当たりにした――
看板の下には小さなテレビ画面が付いており、何やら同じ映像が繰り返し流されていた。
そこにはなんと――、仕入れたマグロや鮭、貝類などが職人の手によって何とも無惨に鯖されていく様子が映し出されていたのだ。
『きゃああああっ‼︎』
まだ生きている新鮮なマグロの頭を叩き割られ、貝の身を穿り出される映像に、人魚姫はついに悲鳴を上げた。
『グリム、何というひどい仕打ちを……っ!』
そして完全にグリム兄弟の寄越した敵の仕業だと思い込んだ。
人魚姫が空に向かって手をかざす。
するとその手の中に水が集まり出した。その水を操る姿は見惚れてしまうほどに美しく、ひとつのショーを観ているような演出。
集まった水はゆっくりと回転しながら、何やら形を成していく。
『こんな気持ちになるのは久しぶりだわ』
そして人魚姫の手の中に、うすら透明な巨大な水の鎌が形作られた。しっかりと人魚姫の手に握られている鎌は、人魚姫な身長をはるかに超える大きなもの。とても女性に軽々しく扱えそうなサイズではないが、人魚姫はそれを羽のように軽そうに回し、構えた。
『出てきなさい! そこにいるのは分かっているのですよ!』
と、小さな画面の中にいるねじり鉢巻をした職人さんに向かって一声吠える。
しかし録画された映像に叫んでも、もちろん本人が出てくるわけでも、何か反応があるわけでもなく、何とも職人らしい慣れた手つきで魚を捌いていき、再びマグロの頭を叩き割るシーンに戻ってきた。
『やめなさいと……、言っているのに!』
人魚姫は、笑顔で捌いた魚を客に提供する職人に目掛けて鎌を振り下ろした。
すると振り下ろした鎌により画面は砕け粉々に大破する。しかしそれと同時に出現した巨大な衝撃波が地面をえぐりながら店舗に向かって走り、爆風とともに店舗が崩壊する。
しかし人魚姫の怒りはそれだけにとどまらず、左手を崩壊した店舗に向けてかざした。
『よくも……っ、許さない‼︎』
そして今度は巨大な水の塊を生み出した人魚姫は、更に店舗目掛けて砲弾の如く発射させた――
――そして、今に至る。
人魚姫の休みない攻撃により、店舗は跡形も残らず木っ端微塵となった。宙を舞った看板も、その衝撃と爆風で吹き飛び人魚姫の視界から消える。
『これで、仇は討てたかしら……』
人魚姫は瓦礫の山と化した寿司屋を背に、大真面目な表情でそう呟いた。
・
それをモニターで見ていたアンデルセンは、ガックリと肩を落としている。
「な、何をしているんですか人魚姫は。こんなことに力を使って。まさに水の無駄遣いだ」
モニター越しでようやく冷静に人魚姫にツッコミをいれる者が現れた。しかし人魚姫の耳には届かない。
・
そして、ゆっくりと渋谷駅に向かって豊満な胸を揺らしながら歩くもうひとりの美しい女性。
女性が鼻歌を歌いながら歩いた後は、花は生き生きと力強く咲き、雑草は音を立てながら更に上へ上へと勢いよく伸びていく。女性を境として見るその光景は、鼻歌によってまるで全くの別世界にいるような世界を作り出していく。
「人魚姫様。あの方はうまくやれているのかしら」
女性が足裏をつけて歩くと、そこからアスファルトをぶち破り、青々とした植物が姿を現していく。
「本当にあの方はそそっかしいというか。天然というか。わたくしがいないと、ひとりじゃ何にもできないんだから」
女性はクスッと笑うと、何の迷いもなく目的地へと向かっていた。
・
「ヘンゼル、あれ何だろうね」
「たくさんの水が見えるね、グレーテル」
すぐ近くで爆音とともに建物よりも高く水しぶきが上がったのを二人の子供が気付いて、珍しそうに指をさす。
「敵さんかな、ヘンゼル」
「そうかもね、グレーテル」
子供たちはお互いの顔を見合わせると、にやりと笑い、瞳孔を見開く。それは純粋な子供の顔ではなく、まるで悪魔のような不気味な顔で笑い合っていた。
「やっとひとり見つけたね、ヘンゼル」
「本当だね。早く殺しに行こう、グレーテル」
「きゃははは!」という声を響かせながら、子供たちは美しき水の使い手の元へ走り抜けていった。
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