2-2.冷酷な女と蠢く蟲使い

 一方その頃――


 激しい交戦が繰り広げられようとしているスクランブル交差点のすぐ近くに位置する渋谷駅。

 渋谷駅といえば地上三階、地下五階まである非常に入り組んだ造りの都心の駅。多数の路線の集合しているため矢印の示された看板が頻りに設置されてはいるが、一歩足を踏み入れるとたちまち迷子になってしまうほどややこしい。別名『巨大迷路』『リアルダンジョン』。ダンジョン初心者はまず攻略は不可能だろう。予習をしていかないと乗り換えもうまくいかず、約束の時間に遅刻してしまうのは目に見えているのであまりおススメはしない。


 そんな構内の中でもよく音の響く地下で、ガラスの靴の踵を鳴らして彷徨っているのはシンデレラだった。


「もーサイアク! ほんっと嫌! 一向に外に出られないじゃないの!」


 独り言として心の声が外に漏れている。聞いている人も、それに対して反応してくれる人もおらず、ひとりで虚しく歩き続ける滑稽な姿を自ら想像するだけで、口調にだんだん怒気が混ざる。

 上半身にはほとんど布を当てていない状態であるが、熱のこもり易いこの地下で若干の息苦しさと蒸されていくような感覚に嫌気がさしていた。


「だいたい、なんでそもそもあたしがこんな戦いに参加しなきゃいけないのよ。本当に面倒だわ」



 元々はどこかの国の王女でもお姫様でもないシンデレラ。一般の家庭で生まれ育つが、シンデレラが幼い時に母親が病気で亡くなり、父親は別の女性と再婚。それによりシンデレラは継母と二人の義姉とともに生活をするようになった。


 継母は自分の娘よりも何倍も美しいシンデレラが気に入らず、面倒な仕事をすべてシンデレラに押し付けた。粗末な布団で寝かせ、つぎはぎだらけのボロボロの服しか与えなかった。お風呂に入ることも許してもらえず、継母と義姉のために風呂を湧かず毎日。火を起こすことで舞い上がる灰が頭についていたことから“灰かぶり”とも呼ばれるようになった。


「クッ、あいつらのこと思い出すじゃない。だから暑いのは苦手なのよ。さっさと外に出て優雅な場所で一休みしてれば、戦争なんて他の人たちが勝手に終わらせてくれるでしょ」


 さっさとこの迷路から脱出したいシンデレラは、さっきよりも大股で歩き、引き続き出口を探した。




 それからどれくらい歩いただろうか。十五センチもある高いヒールを履いている割に足の疲れを訴えないシンデレラ。足の疲れよりも途中思い出した継母と義姉たちの方がよっぽど精神的に堪えたように見受けられる。


 そして、とある曲がり角を曲がった先にようやく光の差し込む登り階段が見えてきた。

 シンデレラはようやく出口が見えたかとほっと吐息を漏らす。


 ブチュ


 階段に向けて進むシンデレラは何かを踏みつぶしたような音と感覚をつま先に抱いた。それは柔らかく、行き場をなくした空気が破裂したような滅多に味わう機会の少ない不思議なもの。


 シンデレラは、ぶるっと寒気を感じる足元を恐る恐る見降ろした。


 そこには一匹の虫。

 明るい緑色の毛に覆われた蠕虫ぜんちゅう状の生き物。図鑑にこのような虫が乗っているだろうか。初めて見るような外形をしたその虫はシンデレラの靴に踏まれ真っ二つに切断されており、そこから紫色の血が周りに飛び散っている。


「きゃあ! 気持ち悪っ! 何なのこいつ!」


 出口も分からず迷子となり、その道中で過去の心的苦痛を思い出し、ようやく見つけた地上へと繋がる階段。あとちょっとのところで足元の虫を踏みつぶし生理的に不快にさせられたことにより、抑えようのない怒りが噴出し唇を噛みしめた。


「あ゛ぁもう、ウザいのよ! 何にも出来ない虫けらの分際で邪魔するんじゃないわよ‼︎」


 シンデレラは怒り狂い瞳孔が拡散した目で、何度も何度も足元の虫を踏みつけた。

 すでに息のないそれを容赦なく跡形も残らないほどの踏み散らしていく。

 透き通った輝くばかりのガラスの靴は、小さな命をいとも簡単に奪う凶器となり飛び跳ねる紫の血でまだらに染まっていった。


 緑の塊が細々に粉砕したところで、ようやくシンデレラはその足をどけた。影も形も残っていない虫の痕跡を確認すると、舌打ちをして汚れた靴を見入った。


「あーもう、汚れちゃったじゃない。ムカつく――え?」


 シンデレラは再び外を目指そうと顔を上げた。

 そしてその違和感に一瞬で感づいた。


 あとは目の前の階段を上るだけ。


 それだけなのだが、さすがのシンデレラも前に進むのを思わず躊躇った。


 そこには――階段のみならず壁、天井を埋め尽くすおびたたしい数の虫。さっき踏み殺した虫と同じ緑色で毛に覆われた生き物が蠕動ぜんどうでその場を行ったり来たりしている。

 二重にも三重にも重なり動き続ける虫たちの動きには、思わず吐き気を伴うほど忌まわしい光景であった。


「ちょ、何なのこれ!」


 一歩後退するシンデレラ。

 ガラスの靴の『カツン』という音が響くと、虫たちの動きが一斉に止まった。

 動きを止めた虫たちがほぼ同時のタイミングで、シンデレラの方に頭部を向ける。小さく開閉されている黒っぽい口の上下には、本来昆虫であれば付いていない鋭く長く光る牙が備わっていた。

 すると一匹一匹、小さく「キイィ」「キィィ」と鳴き始める。それはまるで仲間を無残にも殺された虫たちの悲しみの合唱。


 そんな気味の悪い鳴き声を一秒でも聞いている余裕はなかった。

 シンデレラに向けられた頭部は突如、シンデレラに向かって蠕動で前進しながら一斉に動き出した。それらは大きく波を打つように全体的にうねりながら黒い服がよく映える女性に向かって襲い掛かった。


 重ね重ね不快な出来事が続くシンデレラは顔を引きつらせ、唇を強く噛む。


「ほんとムカつく。いい加減にしてよね、まじで」


 シンデレラは両サイドに設置されたいくつもの窓ガラスにすぐさま近寄ると、手を添える。


「あたしに触れようとするなんて百万年早いのよ、気色悪い害虫どもッ!」


 そう叫ぶと、ガラスに触れたネイルの施されている細く長い指をスライドさせ、虫たちに向けて指を流すように向けた。

 するとその場にあったはずのガラス窓が液体のように柔らかく変化し、シンデレラの指に沿ってそのまま飛んでいくと、シンデレラと虫を隔てる一枚の太く丈夫なガラスの壁を作り出した。その壁は天井、床、壁に一寸の隙間なくぴったりとくっつき、勢いよく前進した虫は一匹残らずそのガラスの壁に衝突する。

 高波が壁に当たったかのように大きく跳ね返るとともに、無数の虫がぱらぱらと散らばっていく。勢いあまって数匹の虫は壁に当たった衝撃でそのまま潰れ、紫の血が透明の壁にぺったりと血のりを残す。

 しかしそれでも負けず前進しようとする虫たち。一匹一匹が力を合わせ、何とか壁を壊そうと試みる。


「あははッ、滑稽だわ。なんて愉快なのッ。あたしの作った壁を壊すために命を落とすなんて、本当こいつら馬鹿じゃないの?」


 よほど愉快な光景に見えるのか、笑いの止まらないシンデレラ。


「ほらほら、そんなに死にたいなら殺してあげるわよ」


 シンデレラは涙をふき取りながら軽く指を振った。


 すると虫側のガラスの壁の側面に、細く尖った針のようなものが壁一面から飛び出し、虫たちを串刺しにしていく。およそ一五〇センチほどの細い針に、多数の虫が貫かれ血を流しそのまま息絶える。


「くっく……ッ、あーっはっはっは! 無様ねぇ! 一匹残らず死になさい!」


 シンデレラが再び肘を曲げ、手を顔を前に構えたその時――



「やめなさいよ、あんた。グリム側の人間よね」


 シンデレラの側ではなく虫のいる壁の向こうで小さな女の子の声がした。


「は? 誰よ」


 シンデレラは目を凝らす。

 しかし死んだ虫の死骸と紫色の血のりでうまくその姿を確認できない。


「虫だってみんな生きているのよ。命を弄ぶのはやめてくれない?」


 蝶――

 蝶といっても通常の蝶よりも一回りも二回りも大きく、鱗粉をまき散らしながら羽ばたくアゲハ蝶。本来のアゲハ蝶と違い、一匹一匹顔があり手足を生やし、まるで人間の形をした妖精のよう。

 その蝶が群れを成す真ん中で蝶の背中に立ち、腕を組み立っているのは親指ほどの大きさしかない親指姫。


「何あんた。チビのくせにあたしに命令すんの?」


 シンデレラは顎を上げ、氷のように冷たい表情で親指姫を見下ろした。


「たしかに体は小さいけど、少なくともあんたみたいな馬鹿よりは頭はいいと思っているわ」


 シンデレラが一番腹立つこと。

 それは己に対して批判、軽蔑、罵るような言葉を浴びせられること。


 そう――継母と義姉がしていたかのように。


「ああッ、黙れ! うっとおしいのよ、この能無しがァ‼︎」


 シンデレラは怒りで我を忘れ、手を振りかざす。それを振り下ろそうとした瞬間、地響きが起こり、ガラスの壁にヒビが入る。

 すると足元が大きく崩れ、そこから大量のモグラのような生き物が現れる。畑を耕すくわのような鋭い鉄の柄がついた手袋をはめ、サングラスをかけ何ともガラの悪そうなモグラたち。安定した土台を失ったガラスの壁はそれに耐えきれず粉々に粉砕する。


「かかれお前たち! 神様の与えてくれたこの命にかけて目の前の敵を打ち破り、勝利を持ち帰るよ!」


 シンデレラを守る壁がなくなったことにより、生き残っている虫に加え、アゲハ蝶やモグラたちはシンデレラを目指して一斉に飛び掛かった。

 親指姫は背中の縫い針を引き抜くと、シンデレラに向けてその矛先を向ける。


「自然の動物、虫、鳥、すべての生き物はあたしの味方! あんたのように命を粗末にするような頭の悪い女なんかに負けないんだから!」

「ガキがァ、調子に乗って……ッ!」


 シンデレラは後ろへ後退しながら先程同様、窓ガラスに手をかざしながら駆け回る。

 すると窓ガラスは音を立てて砕け散り、蟲たちに向かって破片がまるで豪雨のように降り注いだ。しかしモグラたちが一斉に地面や壁に穴を掘り、そこに親指姫や蟲たちを誘導し避難させる。何もいない地面にただ音を立てて落ちるだけのガラスの破片。


 シンデレラは今日何度目かとなる舌を鳴らすと、だだっ広い構内へと出た。京王井の頭線へと続く道があるその場は、周囲がガラス張りになっており、渋谷駅が一望できる場所となっている。


 そこでシンデレラは足を止め、追いかけてくる親指姫と蟲の方を振り向いた。


「ああー、ムカつく。殺してやるわ」


 シンデレラは天井まで伸びるガラスの壁に近付くと手のひらを隙間なくガラスに接地させる。すると周囲のガラスは耳を塞ぐほどの大きな音を立てて大破した。親指姫は「きゃあ!」と鼓膜に通じる耳穴を両手で塞ぐと、思わず膝を曲げ体を屈め込む。


 数多のガラスの破片は、先程の豪雨のような破片とは比べ物にならない。高い天井までびっしり埋め尽くされた破片は、月夜に輝き、まるで目の前に降りて来た無数の星たちのよう。

 するとシンデレラの周囲にいくつかの破片が集まり、何やら人間の形が形成されていく。頭、顔、肩と上からパズルのピースをはめていくように出来上がっていくそれは、ひとりではない。一〇、二〇とその数をどんどん増やしていく。


 ――ガラス。それは二酸化ケイ素を主成分とする物質。硬度は鉄と同じ、もしくはそれ以上。温度によって柔らかい素材へ変わり、様々な形へと加工が可能である。

 シンデレラはガラスを自在に操るだけでなく、指先から体温を伝えることによりその形を自由に変えることができるのだ。


 そしてシンデレラを囲み守るように、五〇以上はいるであろうひとつの軍隊が完成した。すべての軍人がガラスで出来ており、まるで意志を持った人間のように剣や槍を構え親指姫たちに向かってその脅威を見せつける。


「な……、なんなのこれは」


 親指姫は蟲の進軍をいったん止め、唖然とした口調で軍隊を見入った。何という光景だろうか。広い構内一面に見えるガラスの兵隊。その中心で薄ら笑いを浮かべるシンデレラ。さすがに数では勝る蟲たちも、先程虫たちの力ではビクともしなかったガラスでできた兵隊が相手では分が悪い。


「終わりよ」


 シンデレラはそれを察したのか、目を大きく見開くと掌を上に開き、まさに今進撃の合図を送ろうとした。


「ク……ッ! いったん引くよ、みんな!」


 親指姫が蟲たちに後退するよう大声で呼びかけた、その時――




 地響きとともに爆音が響く。

 そしてそのまさに渋谷駅周辺を一望できるこの場所のすぐ横で、建物が音を立て崩れ落ちた。


 しかしそれだけにはとどまらず、黒く太い触手が何かを追いかけているようで、大きなうねりとともにこちらに向かって迫ってきていた。


「ゲゲッ――」

「は⁉︎ なに――」


 二人の居る場所は見事に粉砕。

 親指姫はモグラの力を借り、その場をすり抜け脱出。

 シンデレラはガラスの兵士をいったんガラスの破片に戻すと、自分を中心に丸い防御壁を作り出し飛んでくる瓦礫から身を守った。



 こうして渋谷駅の半分は、黒い触手により崩壊。

 それに巻き込まれず、うまく事態を回避したシンデレラと親指姫。


「あーなんなのよ、もう。服汚れちゃったじゃない」


 静かになった渋谷駅で服を大きくスリットの入ったスカートをはたくシンデレラ。


「あのチビ……、逃げちゃったか」


 辺りを見渡し親指姫や蟲の存在がないことを確認する。


「あら。っていうか、やっと外に出られるじゃない」


 瓦礫がうまく段差になっており、地上へ続く階段のようになっている。

 シンデレラはようやく脱出できたことに対しての喜びを露にする。


「アンデルセン童話――生意気なチビがいたもんね。やっぱりなんだかムカついてきたから、とっととやっつけちゃおうかしら」



 渋谷区の空に、シンデレラのくすくすという嘲罵ちょうばな笑い声がしばらくこだましていた。

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