2.初戦
2-1.狼少女と醜い少年
「おお、これはすごい」
聖堂の長椅子に座り、ランダムに配置された五個のモニターを目にしているアンデルセン。そのモニターには自らが選抜した五名の主人公たちが、ひとり一画面ずつ映し出されている。
「これだとみんなの動向も把握しやすい」
画期的なシステムに目からうろこのアンデルセン。自分が生きている時代では到底考えられなかったし、そもそもの技術や知識が不足していたこともあり、製造さえ不可能であったそれらの構造体。
「本当にすばらしい世界だ。私は神に心から感謝の意を述べたい」
アンデルセンは長椅子から立ち上がると、聖堂で一番目立ち輝く十字架の前で跪いた。
「頼みます英雄たちよ。僕に、アンデルセンに勝利を――」
アンデルセンは目を瞑り、いつまでも祈り続けていた。
・
「ヤーコプ兄さん。さっきのルーレットといいこのモニターといい、本当に不思議なところだね、この空間は」
ヴィルヘルムは静かになった空間でようやく息を吐き、椅子に腰を下ろした。
テーブルの上に出現させた紅茶の入ったティーカップを手に取り、くるくる回しながら香りを楽しむ。
「今更何を言っているんだ? もうここに住み着いてどれくらい経つと思っている」
ヤーコプは椅子の淵に肘をつき頬杖をついている。
ヴィルヘルム同様、テーブルにはティーカップが置かれているが、そこから立ち上る湯気をしばらく見入り、いったん目を逸らす。
「あ、まだ熱いと思うよ兄さん」
「う、うるさい。まだ喉がそこまで乾いていないだけだ」
心情を探られた気分となり、ヤーコプは動揺した。
「まぁ見守るしかないよ。僕たちの方が強いに決まってるじゃん。すぐに結果は見えると思うしね。もしかすると、その紅茶が冷めるよりも早いかも」
「クク。それもそうだな」
二人の兄弟は自信たっぷりな余裕の表情を浮かべ、モニターに視線を向けた。
そしてその画面の先では、早速二人の主人公が戦いの火蓋が落とされようとしていた。
▽
空からだと一番目立つスクランブル交差点の真ん中で、走ろうとする度に転倒し、起き上がることすら上手にできない黒い塊があった。それはアンデルセンの召集したみにくいアヒルの子。
「怖い……、怖い……」
その場にはアヒルの子を追いかけ苛める者はいないはずなのだが、何かに怯え、何かから逃げようとしている。
ただそれは、つい数秒前の話――
「きゃははは‼︎」と上空から聞こえる甲高い女の子の声。
アヒルの子は突然耳に入った笑い声に、驚きのあまり腰を抜かしてしまい立ち上がれなくなってしまった。
「見つけたぜ、一人目ェエ!」
「ひぃ……っ」
声を出すことも許されないような状況。震えのあまり歯がガチガチと当たっている。唯一髪の間から見えている左目はたっぷり溜まった涙で潤んでいる。
地面にぺたんとお尻をつけ、可能な限り少しでも距離をとろうとするアヒルの子。しかし両手両足ともに言うことを聞いてくれず、ただおとなしく殺されるのを待つしかない捕らわれの身のような思いであった。
そんなアヒルの子に向かって容赦なく猛突進してくるのは、狼に乗り赤いマントに包まった少女、赤ずきん。赤ずきんの登場で期待通りの反応を示してくれるアヒルの子の姿に快感を覚え身震いする。
赤ずきんはバサァと音を立てマントを広げると、腰にささった刃渡り三十センチほどのナイフをひきぬいた。それは狼の牙で作られた手作りであろう代物。金属や鉄のような透明感はないが、耐久性と切れ味は他にも劣らず非常に優れたものとなっている。
「初戦は余裕だったな! 死ねェ!」
赤ずきんは自分の顔の前でナイフを構えると、狼はアヒルの子に向かって更に加速し降下する。
「やめて……」
その戦い慣れている姿は、無抵抗な人間にナイフを振り下ろすのに何の躊躇いもなかった。
「やめてよ……」
そんな死を目前とした瞬間にも関わらず、アヒルの子の脳裏には、生まれた頃のことが映像として思い出されていた。
『うわ、なんて醜いんでしょう!』
『近寄るな、化け物!』
『お前なんか死んじゃえ!』
生まれた容姿が他のアヒルとちょっと違ったから……、それだけの理由で自分に向けられた言葉の刃。それはひとつひとつ、彼の身体を貫き、
「いたい。いたいよ」
幼く小さかった彼を傷つけ、心のトラウマとして深く根付いた。
それは今でも彼を苦しめ、忘れたくても忘れられない悲しい思い出としてずっと植えつけられている。
その映像がブツッと切れた次の瞬間――
すべての音が――消えた。
時間の流れがスローモーションになる。
アヒルの子にわずか数センチで届きそうな赤ずきんのナイフ。
それはゆっくりとアヒルの子に向かって進んでいくが、その少しの隙間から見えた少年の瞳。
ボサボサで広がる髪の隙間から見えた瞳孔が開いた瞳は――まっすぐに赤ずきんを見つめていた。
赤ずきんはその瞳を捉えると反射的に身震いし――そして気付いた時には声を上げていた。
「上へ飛べ! 早くッ‼︎」
狼毛を力いっぱい引っ張り、切迫した様子で指示を出す。
狼はアヒルの子といったん距離をとって着地すると地面を思いっきり蹴りだし、上空に目掛けてまっすぐに、先程よりもはるかに速度を上げて飛び上がった。
「急げッ‼︎」
未だ狼を煽っている赤ずきん。出来るだけ遠くに、少しでもあの醜い少年から離れるように必死に声を出す。
その理由は、すぐに分かった。
――ヒュ
呆然としていたアヒルの子が、静かに息を吸う。
そして――
「あ゛ああ゛あ゛あ゛あああ゛ああ゛ああ゛あ゛あ゛あああ゛あ゛あ゛ああ゛あ゛あ゛あああ゛あああ゛あ゛あ゛あああ゛ああッ‼︎‼︎」
彼は、叫んだ。
それは悲鳴か、それとも絶叫か。
深く、悲しく、痛い声。
頭を抱えながら、黒くドロッとした涙を地面に落としていく。
その涙は地面に落ちる度に半径数メートル間隔で、水たまりのように丸く円状に拡がっていった。
「ああ゛あ゛ああ゛あ゛ああ゛あッ‼︎」
「クソッ、なんだあいつは! ――チィッ、来るぞッ!」
赤ずきんの言葉を合図にしたかのように、アヒルの子の周りに出来た黒くドロドロした水たまりが、まるで沸騰するようにぼこぼこと波打ち始めた。膨らんだ泡が破裂するたびに、白い煙が吐き出される。
その波はどんどん高さを増すと『ゴボッ』という音と共に、狼と赤ずきんに向かって大蛇、ないし太い大木のような触手が数本飛び出した。
液体で出来たその黒い触手は、アヒルの子数人分に渡る太さで、大砲から打ち出されたような勢いで赤ずきんたちを目掛けてまっすぐに突き進む。
数本の触手はあっという間に狼に追いつく。決して追いつかれるスピードで駆けていたわけではないが、それにも勝る速さで追尾してきたのだ。
狼はそれを回転しながらうまくすり抜ける。次々に襲ってくるそれらを何とかかわしていくが、異様なうねりとその太さで常に回避は紙一重である。
すると頭部と思われる先の部分ががメリメリと音を立て裂け始め、五本の指、まるで人間の手のように変形していく。形を変えたそれらは、更に二人を捕まえるように追い掛け回す。
右へ左へ、東西南北。指をすり抜け、数本の触手をうまく絡ませ、狼は赤ずきんを乗せた状態で疾風の如く回避を続ける。
触手が周囲の建築物に衝突を繰り返すたびにそれらは激しく豪快に崩れ落ちていく。黒煙が立ち上がり、砂で出来た城のように簡単に崩れていく建物。この二人の交わりにより、さっきまで静かだった渋谷区が途端に戦場らしく一変した。
「キリがねぇな。あの汚ねぇ本体狙いでいくか」
赤ずきんの言葉を受け、かわすことだけだった狼は、気味の悪い叫び声を上げているアヒルの子に狙いを定めた。
そして一気に急降下していく。それを追いかける数本の触手。
赤ずきんは片頬を引き上げながら、手を広げ前にかざす。
すると――狼と赤ずきんの前に十はあるまっすぐな槍のようなものが光とともに次々と出現した。その十の槍は赤ずきんのナイフと同様、狼牙で作られたもの。長さは二メートルを優に超える。丁寧に人の手で削られ作られただろうそれらは、どれをとっても同じ形はない。鋭く尖ったその槍の先端は、月夜に輝き点に光る。
槍の矛先は一斉にアヒルの子に標準を合わせた。
赤ずきんはにやりと笑うと、風を切るように真横に手を振り切った。
「いけえッ‼︎」
すると十の槍が一斉射撃の如く、圧倒的な速さでアヒルの子に向かって放たれた。
ずっと悍ましい叫び声を上げていたアヒルの子の視界に槍が入る。それに気付いた時にはすでに地面に数本めり込み、大きな爆発音とともにアスファルトの地面が破裂した。ぐにゃりと大きく波打つ、硬く固められたはずの足場。それに巻き込まれ、悲鳴を上げながら瓦礫とともに宙に放り出されるアヒルの子。
両手で頭を抱えたアヒルの子が恐怖のあまり閉じていた目をゆっくり開けると、自分を貫こうとする残りの槍が、もう僅かな距離まで迫っていた。
きらり輝く眩しい矛先。
その美しさからアヒルの子は目が離せずにいた。
「きれい」そんな言葉さえ呟いてしまうほど。
自分にはない輝き。
自分が欲しかった輝き。
それを得ることのできぬまま、散っていくのかと一瞬諦めかけたその時――その視界は何かに包まれるように覆われ、真っ暗な世界へと移り変わった。
手の形をした触手が小さな主を包み込み、迫っていた数本の槍をかわし、彼を守った。
ところが、避けた先で飛んできた槍に手は見事に切断され、『パァン』という水音を発しながら破裂。触手の手が緩み、むき出しになったアヒルの子を守るように他の触手が代わりに握りしめると、地面の黒い水溜りに向かって巻き戻しされるように戻りだした。
「逃がすかよッ‼︎」
赤ずきんは再び数本の槍を出現させると、黒い水溜りに向かって光速の矢の如く放つ。
槍が黒い水溜りに到達する寸前――それはあとレイコンマという世界。
『ちゃぷん』という音を立ててアヒルの子と触手はその中へ消えていった。
あと一歩のところで間に合わなかった槍はそのまま地面に突き刺さり、激しい爆音とともに渋谷区の象徴であるスクランブル交差点は跡形もなく無残に崩壊した。
「クソ。逃がしちまったか」
その場に狼とともに降り立つ赤ずきん。消えた黒い水溜りがあった場所の近くまで行き確認をするが、少年と触手の影も形も残ってはいなかった。赤ずきんは舌打ちをしながら乱れた狼の毛並みを整えてあげる。
元の原型さえとどめていない広い交差点。周囲の建物は崩れ落ち、その場は瓦礫の山と化した。
・
命を懸けた名作童話の主人公が集う戦争。
初戦にして圧倒的な強さを見せつけ、非常に派手やかで豪快な先陣を切った赤ずきんとアヒルの子。
両者一歩も譲らない攻防戦ののち、勝負はつかずいったん休戦となった凄愴極めた戦い。
しかしこれは――まだ始まりに過ぎない。
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