1-3.ルードヴィヒ・カール・グリム

「……」


 ここは、先程三人がワインを嗜み、談笑していた空間。


 ヤーコプは長いテーブルの端の方に足を組んで座り、何やら不機嫌そうに眉をしかめながらテーブルをコツコツと指で叩いている。


 その反対側、といっても大人二人分はあるだろう長さのテーブルの向かい側に座るヴィルヘルムも、テーブルについた肘に顎を預け溜息をついている。


「ヤーコプ兄さん」

「なんだ、ヴィルヘルム」


 ついに痺れを切らしたのか、先に口を開いたのはヴィルヘルムだった。


「……来ないね」


 ヤーコプより遥かに巨大で体格の良いヴィルヘルムから発せられる待ちぼうけを食らっている子供のような発言。



 二人の兄弟は、アンデルセンと別れてからすぐにグリム五強に召集をかけた。


 しかし待てども待てども、誰一人現れないのだ。


 二人の兄弟は、いったいどれくらいの時間同じ場所で、同じ格好で待ち続けているのだろう。さすがのヤーコプも、テーブルを指で叩く速度が速まり、顔をしかめ髪をぐしゃぐしゃと掻きむしっている。


「くそ……っ。どうなっているんだ、これは。このままだと、戦いの前に敗北になってしまう。チィ。なんだ、この無様な負け方は」


 ヤーコプは抑えきれない怒りを向ける矛先が分からず、口は悪くなり舌打ちを繰り返している。


「ヤーコプ兄さん、ちょっと僕がその辺見てこようか? こっちに向かっているかもしれないしさ」


 ヴィルヘルムが、ヤーコプの怒りを少しでも鎮めようと立ち上がったその時――



「待ってよー、ヘンゼルー」

「ほーらグレーテル、追いついてごらん」


 その明るい声は、幼い男女の声だと分かる。ぱたぱたと靴音を響かせながら、その音は確実に二人の方へと向かってきていた。


「ようやく、一人――いや、二人か」


 召集をかけて数時間が経過し、ようやくひとつの強者が現れた。


「へへへ。いっちばーん」

「ヘンゼル、すごーい。はやーい」


 二人の子供は到着するなり、ハイタッチをすると視界に入ったヤーコプをじいっと見る。

 ヤーコプ「ハッ」と何かに気付いたように、自ら乱した髪を手櫛てぐしで整え、咳払いをし二人の名前を呼んだ。


「待っていたよ。ヘンゼルと、グレーテル」


〈ヘンゼルとグレーテル〉。まだあどけなさの残る幼い二人の名前である。

 兄妹であるが故、二人の顔立ちはどこか似ているものがあった。くりっとした大きな瞳、生まれながら深藍色ふかきあいいろに染まったその髪をヘンゼルは短く切り、グレーテルは三つ編みに結んでいる。

 クリーム色の服を着ており、ヘンゼルはその上にベストを、グレーテルはワンピースの上からベルトで腰を締める。


「おじさんが僕たちを呼んだんだよねー?」

「お、おじ……っ!」

「どこに行っても白いから、ここ来るの大変だったよねー」


 ヤーコプは、子供の素直な言葉にショックを受けながらも、「こほん」と再び咳払いをし、彼等を生んだ作家としての威厳を突きつけようと腕を組む。


「君達を呼んだのは他でもない。これから君達には――」

「あーっ。ごりらがいるー!」

「あ、ほんとだ! ごりらだー!」


 ヘンゼルとグレーテルの興味は、視界に入ったヴィルヘルムへ移った。ヴィルヘルムを「ごりら」と呼び、「遊ぼう遊ぼう」と取り囲む。


「ぐぬぬぬ……」


 力拳を握り、ぷるぷると震えるヤーコプ。


 すると――ヤーコプの足元にひとつの真っ赤なリンゴが転がってくる。それはヤーコプの靴に当たるとともに動きを止めた。


「このリンゴ」


 ヤーコプが顔を上げた先には、ひとりの美しい少女が立っていた。怪しげな笑みを浮かべ、クスクスと笑っている。


「お前は――白雪姫」


 紺碧こんぺきの膝丈ワンピースに白いエプロン、深く吸い込まれそうな黒髪に赤いリンゴと青いリンゴがモチーフのカチューシャを付け、髪色と同じ光のない真っ黒な瞳でヤーコプを見入っているのは〈白雪姫〉だった。


「食べて」

「ん?」

「そのリンゴ、食べて」


 白雪姫は、ヤーコプの足元のリンゴを指差す。


「いや、僕はえんりょ……」

「毒入ってないよ。食べて」


 一向に足元のリンゴを食べてくれないため、白雪姫はエプロンについた大きなポケットに手を突っ込むと、明らかに色が悪くドロっと溶けている紫色のリンゴを取り出し、ニヤニヤしながらヤーコプの目の前に突き出した。


「食べて」

「ええい、いらんと言って……」


 しつこく出された紫のリンゴを咄嗟に避けたヤーコプ。すると紫のリンゴからドロッした液体がヤーコプの座っていた椅子に滴れ落ち、ジュウッと音を立て、椅子が溶けていく。


 それを見ていたヴィルヘルムは思わず「うわっ」と小さく声を上げる。そんなヴィルヘルムを他所に、ヘンゼルとグレーテルは、ヴィルヘルムの腕にぶら下がり、「ごりらぶらんこ!」と楽しそうに遊んでいる。



「あらあら。ちょっと揃って来てるじゃない」


 ヤーコプとヴィルヘルムは、突如聞こえた女性の声に反応を示す。

 声のする方へ視線をやると、先程までヴィルヘルムが座っていた椅子に、どこぞの国の王女様のような美しい女性がテーブルについた右手に頭を預け、冷ややかな笑みを浮かべながら座っていた。


「このあたしに気付かないなんて。それでもあんたたち、本当にあたしを生んだ作家なの?」


 女性は二人をあざけり、冷笑を浮かべながら立ち上がる。


 大きくスリットの入った何よりも深みのある真っ黒いドレスが最初に目につく。上半身は胸元以外ほとんど衣を纏わず、男性としては目のやり場に困ってしまうほど。実に際どく入った切れ目から、まっすぐに伸びた白い太ももの先に履かれているのは、ガラスでできた靴であった。


「シンデレラ、か」


 女性は名を〈シンデレラ〉といった。

 お尻が隠れるほど長さで波打つように巻かれた麦藁色むぎわらいろの髪、上向きの睫毛に赤いグロスの塗られた色気のある唇、細く長い指先に施されたネイルが余計に女性としての品格を高めていた。


「ぜーんぜんまとまりないわね。さすがは残忍残虐な童話ばかり世に送り出して出版停止になった作家のチームだわぁ」


 アンデルセン側とは違い、自分たちを生み出した二人の作家を散々馬鹿にするシンデレラ。


 光の当たり方によってキラキラと輝く黒いドレスの裾をなびかせヒール音を響かせながらながら、ヤーコプの方へ歩いていき、その中性的な顔立ちをした頬に手を添える。


「まぁ、あたしは個人的にあんたは嫌いじゃないの」


 一五センチはあるガラスの靴を履いているせいか、ヤーコプよりも遥かに高く、見下ろす形となっている。


「あんたがあたしのをしてくれるなら、二人を確実に勝たせてやってもいいのよ」


 魅惑の息遣いでヤーコプを誘うシンデレラ。ヤーコプの頬に当てられた手はゆっくりと顔のラインに沿わされ、その顎を持ち上げる。

 しかしヤーコプは、それに動じず白く細い手を払いのけた。


「ふん。その程度で僕を魅了できるとでも思っているのか?」

「あら、冷たいのね」


 シンデレラはクスクスと笑いながら、ヤーコプの全身を視線で舐め回すようにねっとりと見つめた。



 その時――遠くの方で狼の遠吠えがするのを耳にした。


「あら。あの子も呼んでいたの?」


 シンデレラはクスクスと皮肉な笑いを見せる中、黒く大きな塊が宙を駆け、ヤーコプたちの頭上に現れた。


 遠くでははっきりと見えなかったが、それは何とも巨大な狼であった。狼はもう一吼えすると、ヤーコプたちの立つ白い地面へと降り立つ。


「ようやく来たか――赤ずきん」


 狼の背中に座るのは、赤いボロボロのマントで体を隠した〈赤ずきん〉と呼ばれた少女。何と可憐な眼差しをした少女だろうか。フードの隙間から見える胡桃くるみ色の髪を耳より高い位置で二つに結び、マントから見え隠れしている白いシャツに茶色のショートパンツ。そして細い腰には、ナイフのような柄が一本見え隠れしていた。


 狼は着地とともに、赤ずきんが降りやすいように足を曲げ姿勢を下ろす。ぴょんと飛び降りたその少女は、とても細身ですらっとした女の子。純粋そうでとても戦いに出向くようなおもむきは持ち合わせていないように見える。


「今日も可愛いわね、赤ずきん


 しかしシンデレラの皮肉にもわざと臭いその言葉で、可憐な印象のあった赤ずきんから一気に豹変した。


「あァん?」


 突然口調が変わり、虫も殺せないような雰囲気が一変。

 フードを取り、バサッとマントを捲るとシンデレラを睨みつけ、乱暴に歩み寄る。


「ちゃん付けすんじゃねぇよ、こらァ」


 もはや目つきがどこかのヤクザ、ないし殺人鬼、もしくはテロリストのようにしか見えない。ともかく非常に柄の悪い少女が、自分より長身のシンデレラを下からとんでもない形相で睨みつけている。


「あ~ん。こわ~い」

「るせぇよ、クソ。俺ァ、女扱いされんのがいっちばん嫌いなんだよ」


 性別学上は女なのだが、非常に男勝りなその性格は、小柄な体から発せられるその狂気。シンデレラはそれに動じず、小馬鹿にする口調で赤ずきんを弄んでいた。


「いち、に、さーん、よん……」

「まだあとひとり来てないよー」


 ヴィルヘルムの腕にぶら下がるのも飽きたのか、ヘンデルとグレーテルは赤ずきんとともに現れた狼の元へ駆け寄った。


「あははっ。狼! がおー!」

「がおー!」


 狼は一般的な狼の何倍にも大きく、二人の子供はいっぺんに丸のみできるほどの口を持ち合わせていた。

 狼は「グルルゥ」と唸ると、二人の子供に向かって大きく吠えつける。その吠声は、その場にいた誰もの鼓膜を強く刺激し、耳を塞ぐほどの大きさ。


 しかし次の瞬間――二人の前に狼はビクッと一度怯み、尻尾と耳とだらりと下げ、「クゥゥン」と小さく鳴いた。


 こちらからでは二つの子供の背中しか確認することができない。ただその背中から伝わる真っ黒なオーラに、誰もが声を掛けることすら躊躇った。



「おやおや。お二人とも、狼さんを脅してはいけないよ」


 そんな二人に、ここにいる誰でもないしっとりとした声の呼びかけ。

 そこに立っていたのは、目が離せないほど美しいひとりのであった。しかし、見ただけではその人物の性がどちらなのかが分からない。顔はとても美しい女性。しかし体や口調はどこか男性の雰囲気を感じる不思議な違和感があった。


「眠り姫、久しいな」

「ああ、久しぶりだね。ヤーコプ、ヴィルヘルム」


 その美しさ故女性だと思われる反面、男性のような落ち着いた口調を話すのは、性のない人間〈眠り姫〉。ヤーコプ、ヴィルヘルムと同じ黒のパンツスーツを着こなし、色鼠しろねずみ色をしたショートカットの髪にそのスーツがよく映える。


「この服、着心地最高だよ。貸してくれてありがとう、ヤーコプ」


 耳が辛うじて見える長さの髪から見え隠れする、きらりと輝く右耳のイヤリング。何連ものストーンを重ねされており、動くたびにシャランと音を立ててなびく。


「ごめんね、遅くなっちゃったよ。もしかして俺が最後?」


 第一人称は「俺」。これまでのメンバーとは明らかに違う柔らかい雰囲気は、すぐに子供たちに懐かれる対象となった。


「お兄さん? お姉さん? どっち?」

「どっち?」

「リンゴ。食べて」

「あははは、困ったなぁ」


 眠り姫の周囲には、ヘンゼルとグレーテル、そして白雪姫が青いリンゴを片手に眠り姫の裾を掴み、小さな声で囁いていた。



 ついに揃ったグリム五強だが、シンデレラのいうように、圧倒的にまとまりに欠ける強者達。


「君達、よく集まってくれ――」

「お兄さん、こっち来て。狼とあそぼ!」

「お姉さん、こっち来て。ごりらとあそぼ!」

「あはは、俺の体はひとつしかないよ」


 『これも彼らの強さの象徴だ』

 そう脳内に刷り込まないとやりきれないほど自分勝手な主人公の集まり。何だかそれは、まったく言うことを聞かないとんでもないヤンキー学校の教師をしている気分。


「君達――」

「ねぇねぇ、赤ずきんちゃんってばぁ」

「だから! ちゃん付けすんなっつってんだろうが!」

「食べて。リンゴ、食べて」


 指揮官であるヤーコプとヴィルヘルムの言うことをまったくもって、一切聞こうとしない。


 ヤーコプの数多の血管は、ついに限界を迎えようとしていた。


「おい貴様ら、いい加減に――」


 ブチブチブチッッといくつのも血管が破裂し、瞳孔をカッと見開いた鬼形相のヤーコプが長テーブルに向かって拳を勢いよく振り下ろした瞬間――



 ブ――――――ッ


 ブ――――――ッ



 空間中に響き渡る警報音。



『ルーレットのお時間です。ルーレットのお時間です』


 機械の音声で、アナウンスが流れ始めた。

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