五強、選抜

1-2.ハンス・クリスチャン・アンデルセン

 そこは、デンマークでは有名なアマリエンボー宮殿に隣接しているフレデリクス教会。1894年に設立されたドーム型の緑青屋根に大理石を使ったその姿は、今でもデンマークの人々、そして観光客を魅了する造りになっている。

 煌びやかな壁や床。そびえ立つ柱に支えられる一角に、その王室はあった。


 あった――というより作り出したのだ、その空間に。

 この真っ白な空間は何かと便利なようで、望むものは基本的にどんなものでも具現化ができる。


 先程、三人の童話作家がたしなんでいたワイン、三人が腰掛けていた椅子やテーブルもそうだ。これだけ有名になると、死後の世界で贅沢に自分の思い通りにできるのかと、そんな満喫した生活を送ることができる自分を讃えたくなるほどの優雅な死後の暮らし。



 そんな空間にフレデリクス教会を生み出したアンデルセン。

 アンデルセンは、聖堂の中に並べられたうちのひとつの長椅子に座り、肘を肘掛けに預け、クスクスと笑っている。


「グリム兄弟。早くあの余裕の表情を、ぐちゃぐちゃに崩してやりたいものですね」


 そもそも、三人の出会いは実に切ないものだったので先にお話しておこうと思う。

 先に童話を世に送り出したのはアンデルセンだった。その童話は瞬く間に反響を呼び、あっという間に世界中に広まった。


 そして月日が流れ、グリム兄弟という童話作家がアンデルセンと同じように、素晴らしい作品を出版していたのだ。場所はドイツ。デンマークからだと困難な距離ではなかった。アンデルセンは会いに行った。グリム兄弟に。『どのような者たちが書かれているのか』『同じ作家同士、仲良くできないものだろうか』と、様々な機体に胸を弾ませ、グリム家の扉を叩いたのだった。

 手土産は持った。ドイツ生まれの方々に我が故郷オーデンセの味は合うだろうか、と悩みに悩んで購入した菓子折りだった。


 扉が開き、アンデルセンは必死に『童話を書いている方々に会いたい』と伝える。そして、係りの者が連れて来たのがヤーコプだった。


『やぁ、はじめまして。僕はアンデルセン。君があの有名なグリム童話を書いている作家さんですか?』


 アンデルセンはグリム童話の作家に会えた喜びで、ついついテンションが高く、和かにヤーコプに話しかけた。


 しかし、そんなアンデルセンの思いは、ガラガラと音を立て一瞬で崩れ堕ちる。


『あんた、誰?』


 ヤーコプは知らなかったのだ。

 あの有名なアンデルセン童話を書いていた人物をハンス・クリスチャン・アンデルセンといい、その男性がまさに今目の前にいるということを。


 アンデルセンは雷に打たれたようなショックを受け、すっかりと肩を落としてしまい、菓子折りを片手にとぼとぼとデンマークへ帰ったという挿話がある。



「あの時を思い出すと、ヘドが出そうですね。せっかくの僕の思いを、プライドを、めちゃくちゃにした」


 アンデルセンはふつふつと湧き上がる怒りを笑いに変えるしかなかった。髪をぐしゃっと掻きむしると、声を出して不気味に方頬に笑みを浮かべる。


「あはは。まぁいいでしょう。これからたっぷりと味あわせて頂きますよ、グリム兄弟。僕の苦しみと屈辱と、自尊心を喪失させられたあの頃の思いを――」


 そしてアンデルセンは立ち上がり、中央の十字架の前で一度手を組みひざまずく。そしてゆっくりと振り返り、聖堂の中央に向けて、腕を目の高さまで上がると静かに唱えた。


「集え――我がアンデルセン五強よ」



 するとアンデルセンのかざす手の先で、五つの光が集う。

 風が巻き起こり、アンデルセンの肩まで伸びた色素の薄い金色の髪がなびく。


 それはひとつひとつ現れ、ゆっくりと人型の姿を露わにした。


「これが、僕アンデルセンの生んだ、最強の戦士たちだ――」



 そこに立つのは、五名の具現化された童話の主人公たち。

 それぞれがゆっくりと目を開けると、アンデルセンに向かって敬意と尊敬の念を示した。


「『神様』。この度はお呼び頂きまして、大変光栄です。この人魚姫、力の尽くせる限り『神様』のために働くと誓います」


 アンデルセンを『神様』と呼び、この透き通った水のように美しい女性は、名を〈人魚姫〉といった。人魚姫は女性らしく非常に礼儀正しい美しい礼を見せる。


 貝殻で作られた簡易な服で、隠すべき場所のみ隠すだけの、何とも目のやり場に困る格好。ただ唯一、白く半透明なヴェールを纏っている分、まだ何とか目を見て会話することが可能である。


 水のように綺麗な淡い海色の髪は地面につくほど長く、珊瑚の髪飾りがとてもよく似合っている。その美しい顔立ちは、原作に登場する人間の王子もさぞ惚れ込んだことだろう。



「戦争なの、『神様』? アタシちょー楽しみなんだけど!」


 一瞬どこから声がするのか分からず辺りを見渡してしまうが、そのの少女は、長椅子の背もたれの上に立ち、腰に手を当てていた。


 人魚姫と同じように、アンデルセンのことを『神様』と呼び、その身長からの自信たっぷりな態度を示しているのは、〈親指姫〉。輝く朱殷しゅあん色の髪は上手に編み込まれ、赤く大きな花で作られた髪飾りをつけている。

 元地の白いそのワンピースには、蝶の模様がデザインされており、今にも羽が生えて飛んでいきそうなほど美しい。


「ね、人魚姫。あんたも楽しみでしょう?」


 親指姫は、小さな体で人魚姫に近付く。人魚姫は優しく微笑むと、親指姫を両手ですくい上げると胸の高さまで持ち上げた。



「やめてよ……。また僕みんなに『みにくい』って、いじめられるの? 怖いよ……。行きたくないよ……」


 がたがたと体を震わせ、長椅子の陰に隠れて小さく蹲っているのは、ボロボロの服に身を包んだ幼い少年……否、〈みにくいアヒルの子〉。

 黒? 灰色? 濃緑? この少年の全身のカラーを例えるならば、何と言えばいいのだろう。ぼさぼさで広がった髪で顔のほとんどが隠れており、その表情をほとんど確認することが出来ない。


「やだやだ」


 頭を抱えて、逃げようとするところを見た親指姫は人魚姫の手から飛び降りると、背中に差してあった縫い針を突き出し、それを阻止する。


「待ちなさい、アヒルくん。あんたには居てもらわないと困るのよ」


 何とか見え隠れしている左目だけで、どんな仕打ちを受けてきたのか察してしまうほどに、重く悲しい表情をしている。逃げられないと思ったアヒルの子は、ずっと床にひれ伏すように、「怖い怖い」と頭を抱えていた。


 その時、アヒルの子と親指姫の前に小さな女の子の影が映った。


「マッチ……、マッチはいりませんか?」


 物語の作り手であるアンデルセンにもマッチの入った籠からマッチを取って、二人に差し出してくるこの少女は、〈マッチ売りの少女〉。


 とても幼いその姿から、何とも消えそうな声を発している。露出の多い人魚姫と比べると、暖かそうな茶色のポンチョにマフラー、白いスカートの下にもう一枚履物を召し、もこもこした茶色のムートンブーツのようなものを履いており、とても対照的。濃く深い紅色の髪はふたつに結ばれ、マフラーの上に乗っかっている。


 眠いのか悲しいのか、半月のように垂れたその瞳は、どこか空っぽのような虚しさを感じさせた。


「マッチ……、マッチ……」


 マッチ売りの少女は、マッチを片手にしゃがみこむとアヒルの子に差し出した。しかし塞ぎ込んで怯えているため、そんな状況とは気付かないアヒルの子は「怖い怖い」と言いながら震えている。



「これも世のため人のため。わたくしは皆様のために、精一杯力を尽くしてお祈り致します」


 アンデルセンと、その後ろで輝く十字架に向かって祈りを捧げる、〈ナイチンゲール〉。全身白の衣服に身を包み、桜色のストレートな髪には白いレースのついたカチューシャ、胸元が大きく開いた、体のラインが分かるロング丈のドレスにハイヒールを召している。カチューシャの結び目から流れ出る白く長い紐が、その艶やかな髪とマッチしており、とても美しい。


 そんなしなやかで艶麗えんれいな雰囲気を漂わせるナイチンゲールは、人魚姫と並んで露出度も高く艶やかで高貴な雰囲気を併せ持っていた。


「お久しぶりです、人魚姫様」

「あら、こちらこそ大変ご無沙汰していましたね、ナイチンゲール様」


 面識があるのか、どこか雰囲気の似ている二人は柔らかい笑顔を見せ合うと、距離を縮め久しぶりの再会を喜びあっている。




 こうして、五人の強者がアンデルセンの元へ集った。

 その者たちは、今も世界中で作品名を知らぬ人はいないほど有名な童話の主人公たち。


 長椅子の肘掛けに腰を下ろす人魚姫。

 その人魚姫の隣にすらりと並ぶナイチンゲール。

 二人の後ろの椅子の影に隠れて、うずくまり体を震わせるアヒルの子。

 そんなアヒルの子の背中に座り、足を組んでニヤニヤ笑う親指姫。

 そして、マッチを片手にウロウロしながらブツブツ呟くマッチ売りの少女。


「あたしたちのチームワークと絆、そして『神様』に対する忠誠心が何よりも太く固いってこと、グリムの連中に見せつけてやるわ!」

「そうね。わたくしたちを作ってくれた『神様』に感謝しながら、じわじわと追い詰めて炙って差し上げましょう」

「怖い、炙る……。怖い」

「ナイチンゲール様、お言葉が。素が出ていらっしゃいます。アヒル様が怯えていますよ」

「あらいやだ。申し訳ございません、わたくしったらつい……」

「マッチ……。マッチ……」



 そんな五強の姿に、アンデルセンは勝利を確信したのか、高々と手をかざし、力強く握りしめる。


「我は誇りに思う。私に勝利を運んで来てくれる、お前達を生み出したことを――」



 そう言うと、アンデルセンは耐えきれない感情が込み上げ薄笑いを浮かべた。


「負けませんよ。――グリム兄弟」

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