第3話 通学という日常の行為が女の子と一緒だとイベントに思えてくるのは俺だけだろうか?

 岩橋さんと友達になった翌日のこと。岩橋さんのマンションは俺の家から学校へ行く途中にある。必然的に彼女の家の前を通ることになるのだ。


「加藤君、おはよう」

 マンションの近くまで来た時、岩橋さんの声が聞こえた。彼女さんはマンションのエントランスで俺を待っていたらしい。


「えっ、待っててくれたの?」


 俺は小走りで彼女のもとへ急ぐ。梅雨前だけあって蒸し暑い。額に汗が滲む。


「走らなくっても良いのに」


 岩橋さんはハンカチでそっと俺の汗を拭いてくれた……すまん、今のは俺の妄想だ。


そんな美味い話があるわけが無い。だがしかし、彼女のマンションのエントランスに人影が見えた。


「おはよう、加藤君」


 本当に岩橋さんが待ってくれていたのだ。俺は妄想通り小走りで彼女のもとに駆け寄った。


「おはよう、待っててくれたんだ」


 笑顔で挨拶を返す俺の額にはじんわり汗が滲んでいる。


「うん、友達と一緒に学校行くのなんて久し振りだから嬉しいな。じゃあ行こうか」


 現実の岩橋さんは俺の汗を拭いてはくれなかった……そりゃそうだな。


 二人並んで歩く通学路はいつもと景色が違って見える。公園に大量に居る土鳩さえも平和を象徴する白い鳩の様だ。公園と言えば、あの子猫は元気にやっているのかな?


「昨日の子猫、お母さんが見つかって良かったね」


「うん。お母さん猫が子猫を咥えて歩くの、かわいかった」


 相変わらず前髪で目は隠れているが、岩橋さんも喜んでいるんだろうな。きっと。


 俺は子猫の話が終わると、頭をフル回転させて色々な話題を振った。それこそ昨日のテレビの話から晩御飯のおかずの話、先生の話と一生懸命話す俺に彼女は頷いたり笑ったりしてくれた。しかし、友達の話になると彼女は静かに口を開いた。


「加藤君って、本当に谷本君と仲良いのね」


 まただ。また彼女は俺と和彦が仲が良いという事に食いついた。やっぱり岩橋さんは和彦に気があるのだろうか? なんて考えていると彼女は言葉を続けた。


「私、友達いないから、羨ましくって。それに谷本くんって、女の子に結構人気あるわよね。それぐらいは私の耳にも入ってくるもの。そんな谷本くんと仲の良い加藤君は私の憧れなの」


『憧れ』? 俺が!? 岩橋さんの言葉に目眩すら覚えた俺だったが、更に続いた彼女の言葉に現実というものを思い知らされた。


「私も加藤君みたいに同性に好かれる人間になりたいなって」


 同性に好かれるったって、そこまで俺のことを構ってくれるのは和彦だけなんだけどね。だがまあ、岩橋さんは男よりまず女友達を作りたいと言う。とりあえず和彦の彼女の由美ちゃんから始めるのが無難なところだろうな。


 教室に入ると由美ちゃんが和彦と楽しそうに話をしている。しかし和彦が俺の顔を見て、「おう、明男!」と口にすると、その顔が少し曇った。和彦が俺と話をしようとするからだ。口には出さないが、由美ちゃんは俺のことを疎ましく思っているかもしれない。しかし、そんなことは言っていられない。第一、俺と和彦と由美ちゃんの三人に岩橋さんが加われば二組のカップルが成立し、由美ちゃんにもメリットはある筈だ。まずは和彦に話をするとしよう。それで由美ちゃんに協力してもらおう。なんて考えていると和彦が俺の後ろの岩橋さんに気付いた。


「おおっ、昨日の今日でいきなり岩橋さんと登校なんて、やるじゃないか」


 和彦の言葉に岩橋さんは頬を赤くして俯き、そそくさと自分の席に行ってしまった。やむなく俺は慌てて事の成行を二人に説明した。

 和彦は一も二もなく協力してくれると言うが、由美ちゃんは少々勝手が違った。


「わかったわ。でもね、友達って頼まれてなるものじゃ無いじゃない? きっかけは加藤君が作ってあげたとしても、本当に友達になれるかどうかは岩橋さん次第なんだからね」


 由美ちゃんの言う事ももっともだ。これでお膳立ては整った。後は……なるようにしかならないか。


一時間目が終わった休み時間、俺は岩橋さんが気になりながらも彼女の席まで話をしにいく度胸など無く、チラチラと様子を伺っていた。彼女は一人寂しそうに机に向かっている。今まで気にもしていなかったのだが、彼女の休み時間はいつもこんな感じなのだろうか?


「お前がそんなんでどうすんだよ」


 呆れた様に和彦が声をかけてきた。『どーすんだよ』って言われても、どーすれば良いんだろう? いや、どうするべきかは分っている。ただ、行動に移せないだけだ。そんな風にむにゃむにゃしてるうちに二時間目開始のチャイムが鳴った。


 同じ様な感じで授業と休み時間が繰り返され、昼休みとなった。十分間の休み時間と違い、一時間の長い昼休み。ここで俺は腹を括った。


「岩橋さん、一緒にお弁当食べようよ」


 休み時間に話かける事も出来なかったというのに弁当一緒に食べようとさそうとは、我ながら大胆な事を言ったもんだ。周りのクラスメイトが目を丸くしてこっちを見てるよ。これって、俺じゃ無く、岩橋さんを見てるんだろうな。いつも一人でいる彼女がどんな反応をするのかを。そう考えると、何か不安になってきた。先輩に振られた時の記憶がフラッシュバックする。いや、大丈夫。彼女も人との繋がりを求めているんだ、きっと応えてくれる筈だ。


「うん、ありがとう」


 岩橋さんは嬉しそうな声で応えた。和彦と由美ちゃんも手を振っている。彼女は弁当箱を机から出すと口元に微笑みを浮かべた。


 いつもは三人で食べる弁当に岩橋さんが加わった。何か新鮮な感じがする。俺は何か喋りたかったのだが、どうも意識してしまって言葉が出ない。結果、黙々と弁当を食べる事になってしまっている。それを見かねたのだろう、由美ちゃんが話を切り出してくれた。


「岩橋さんって、おとなしいよね。休み時間とか、何してるの?」


 いきなりの質問に戸惑う岩橋さん。戸惑うと言うより、答えに困っているのだろうか、少し困った様な感じで箸が止まった。


「一人で本読んだりしてるかな。私、友達いないから……」


 寂しそうに答える岩橋さん。由美ちゃんは呆れた顔で言った。


「友達いないって……もう二ヶ月も経つのに?」


「うん。最初の頃は話しかけてくれる人もいたんだけど……」


 岩橋さんによると、入学当初は隣りの席の子等と少しは話をしてたりしてたのだが、時間が経つにつれ女子の中にグループが出来てきて、内気な彼女は少人数なら話が出来てもグループという多人数では上手く話が出来ず、いつしか孤立してしまったらしい。


「なるほど、岩橋さんは少数精鋭ってわけね」


 由美ちゃんが言うが、なんかそれは違うと思うぞ。まあ、なんとなく言いたい事はわかるけど。ともかく、岩橋さんが嫌われているわけでは無いとわかって一安心だ。後は本人次第ってヤツか……って、それは岩橋さん自身が一番わかってる事なんだがな。


 その夜、俺は考えた。人ってどうやったら変われるんだろう? もっとも、それが分からないから岩橋さんも苦労してるんだろうな。もちろん俺だって同じ事なんだけど。


 翌朝、岩橋さんはマンションのエントランスで今日も俺の事を待っていた。これはもう、彼女は俺にすっかり心を許してくれてるんじゃないか? 俺はまた小走りで岩橋さんに駆け寄った。


「おはよう、今日も待っててくれたんだ」


 できる限りの爽やかさで声をかけると、岩橋さんは口元に笑みを浮かべた。


「おはよう、加藤君。一人じゃ無いって、やっぱり嬉しいな」


 学校が近くなると、同じ制服を着た人間が増えてくる。並んで歩く俺と岩橋さんって、他人の目にから見るとどう見えるんだろうか? 友達? 恋人同士? なんて考えていると背中を叩かれた。


「明男、すっかり岩橋さんと仲良くなっちゃったみたいだな」


 和彦だ。もちろん隣には由美ちゃんの姿が見える。いつも俺より早い二人が何故こんな時間に? 


「カズ君が、一緒に登校する姿を見てみようって」


 おいおい和彦、バカな事言ってんじゃないよ……俺と岩橋さんがどんな風に見えたか後で聞いておこう。


「岩橋さんってさー、どうして前髪、そんな伸ばしてるの? 顔を出したら良いのに」


 歩きながら由美ちゃんが岩橋さんに言った。さすがは女の子同士、男の俺が言難い事をあっさり言ってくれた。まさにグッジョブ! 

 

「そんな……私……」


 過去に何かあったのだろうか? 頑なに顔を出すのを拒む岩橋さん。


「まずは見た目からって言うじゃない。だいたい、そんな前髪じゃ目が悪くなっちゃうわよ」


 お母さんみたいな事を言いながら由美ちゃんは岩橋さんの前髪をさっと左右に分けた。すると、彼女の目が露わになり、俺は初めて岩橋さんの顔をはっきりと見ることができたのだった。

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