02 意思なき死神



 帝国から出る為に足として選んだのは軌道列車だ。最近になって、町の各所や周辺の地域に繋がる様になった鉄道。


 帝国の中心にある駅へ行くと、やけに貴族達の姿が目に付いた。


 ただでさえ人ごみは嫌いだというのに、そこにいる連中が貴族とは……。


 現在の帝国は大きく分けて四分割されている。

 人族の貴族と、平民……、混じり、そして階級のない魔人族だ。


 階級の最上位は言葉に述べた通り、人族の貴族が上となる。

 最底辺は魔人族。


 彼らは貴族や平民などとは区別されずにひとくくりにまとめられ、奴隷として物のように人族の貴族に扱われている。


 過去、毒姫の毒が世界に満ちたばかりの時代、唐突に新たな種として表れた彼らは一時は人族と友好な関係を気づきつつも、現在では打って変わって虐げられる存在となり果てていた。

 帝国はその差別が最も顕著に表れる場所だ。


「このノロマが、さっさと歩かんか!」

「申し訳ありません」


 視線の先では、貴族の中年男性が魔人族の少年奴隷を叱りつけ殴っている。

 魔人族の少年に表情はなく、声に抑揚などはない。

 少年の額には特徴的な模様。二重の円の内側に、過去の時代に使われていた読めない言語で少年の名前が書いてある。


 奴隷は奴隷となる際に必ず、貴族との間に奴隷契約を結ぶ。

 それは、記憶を奪い、意思を抑圧し、主人の命令を強いる為の物。

 故に、ひとたび奴隷となってしまえば、人としてまともに生きられる事はなくなってしまうだろう。

 魔人はああして抵抗することもできず唯々諾々と従うしかないからだ。


 奴隷には奴隷紋というものがあって、契約を結べば体のどこかに刻まれるらしい。

 自分の名前が描かれた円陣の事だ。


 紋は、人によって出現場所が違い、服でごまかせる場所に現れる事もあれば、そうでない事もある。

 だがどちらにせよ、奴隷となった瞬間に自由などなくなるのだから、見た目で分かろうとも分かるまい共同じ事なのかもしれないが。


「本当に役立たずだな、お前は!」

「申し訳ございません」


 目の前にあるのは、見る者が見れば目を覆いたくなる景色。

 だが、しかしアスウェルはそれ以上興味を持つ事はない。目当ての列車を探すために、ホームを歩き回る。


 貴族が多い理由が分かった。

 駅には今、有名な寝台列車があった。煌びやかに装飾の施された列車が堂々と、まるで見せびらかすかのように駅のホームに停車していた。

 流星スターダスト1400。

 流れ星の名を冠する豪華列車、奴らはそれが目当てなのだろう。


 貴族の傍には必ずと言っていいほど、同じような表情の……感情の窺えない顔をした奴隷が控えている。

 使用人の服を着た、虚ろな瞳の人間。

 それらを見る度に、一瞬だけ一年前に出会った少女の事を思い出すが、すぐに頭から振り払った。

 

 復讐の道を選んだ今の自分には、関係ない事なのだから。


 足早にホームを進み、目当ての地域……西行きの列車を見つけて乗り込もうとするのだが、そこに声を掛けてくる人間がいた。


「すまないがそこの人、十代半ばくらいの年の女の子を探しているんだが見なかっただろうか?」


 視線を向ける。

 そこにいたのは子供だった。

 まだ十代半ばの金髪の少年だ。立派な仕立ての身なりからして貴族だろうことが窺える。


 幼さを残した顔つき、しかし利発そうな顔つきをした少年で、些細な動作からも育ちの良さが窺えるが、当人は心ここにあらずと言った様子でしきりに周囲を気にするような素振りをしている。


 確か、人を探しているとか言ったか。


「さあな」


 心当たりはない。

 あったとしても貴族に教えてやる義理などないので、そっけなく答えて、その場を離れるべく歩き出すのだがどういうわけか少年はついてくる。


「赤い髪をツインテールにした、「馬鹿ね」が口癖の使用人服を着た少女なんだが、落とし物を届けにと言ったきり戻ってこなくて」

「……」


 どうでもいい。

 だから一緒に探してくれと言いたいのか?

 こちらには面倒事に巻き込まれてやる義理も時間もないというのに。


「ラッシュ様、ただいま戻りました」


 そう思っていると、抑揚の無い少女の声が背後から聞こえてきた。

 このしつこい貴族の少年はラッシュと言うらしい。どうでもいい。きっとすぐに忘れるだろうが。


「リズリィ、良かった。何かあったんじゃないかと思ったぞ」

「申し訳ありません」


 探していた少女の名前は、リズリィ。


 足を止める少年を置いて、先へ進む。


 おそらく奴隷にした魔人なのだろう。振り返ると、先程少年が言った通りの特徴の人物がそこにいた。

 どうせ、寝台列車を使って旅に出る貴族の息子にと、過保護な親が同年代の使用人を付けたに違いない。


「忘れ物は渡せたのか?」

「馬鹿ね、当然でしょう。それよりキリヤから渡されたメモは持ったの?」


 それにしては(奴隷とその主人としては)不可解な会話が聞こえてきたような気がしたが。

 貴族にため口を聞こうものなら、殺されてもおかしくは無いのが帝国の常識ではなかったのか。


 目当ての列車に辿り着いた。

 ホームに留まっている別の……豪華でも何でもない普通の列車を見つけて乗り込む前に、自分にしては珍しく興味が引かれて振り返ってしまった。

 そう遠くない、場所へと視線を向けようとして……なぜか、近い場所にその顔を見つける。

 

 真後ろ。

 彼らはそこにいた。


 ついてきた、と言う雰囲気ではなさそうだ。

 まさか、向こうではなくこっちに乗るつもりなのか?


「「?」」


 アスウェルに振り返られた二者は、子供らしい様子でそろって不思議そうにこちらを見つめている。

 世の中に満ちている苦しみや不満などには縁がなさそうな、平和そうなその姿。

 守られて育ったから、貴族だったから。どちらでもあるかもしれないが、おそらくそれは幸福だった影響が一番強いだろう。


「……」


 その姿に嫉妬を覚えるほど心が狭いわけではない。

 苛ついたのは自分に対してだ。


 何をやっているのか。厄介事の種の貴族などに興味を持つなど。

 彼らが余計な何かを言う前にその場を離れる。

 他人に関わっている暇など、自分にはない。


 列車に乗り込んですぐ、乗車チェックの為に、パネルの様な物に手を押し付けて入り口を通過する。

 こうしていちいち人の出入りを記録するのが帝国の管理法だ。

 国の人間の一人一人の記録を詳細にとって、奴らはどうやってか情報を保存しているらしい。


 過去……帝国歴900年、神威帝国の時代には管理社会が行き過ぎて滅ぶ事になったらしいが、最終的に上の人間が二の轍を踏んでこちらに害を及ぼさなければ、アスウェルにとってはどうでも良い事だった。


 混み入った一般客室を通り過ぎる。

 人の煩さに困らされないようにとあらかじめ取っておいた個人室に行く最中、列車が動き出した。

 駅のホームの景色が背後に流れ、速度の上昇にともなって景色が次々と流れていく。


 席に着いた後は、いつも肌身離さず持ち歩いている品物を取り出した。

 懐中時計だ。

 手のひらの上で、針が動いて時を刻んでいる、金属の物質。


 それは昔、アスウェルの誕生日の日に、妹のクレファンが贈ってくれた物だ。


『――はいお兄ちゃん、誕生日プレゼント』


 住んでいた村の外れの道に落ちていた物なのだが、落とし主が見つからなかったため、修理してプレゼントにしたもの。


 しばらく時計を眺めながら時間を過ごしたり、愛用の武器である銃……ミスティックの手入れをする。

 自分の命を預ける武器だ、細やかな気配りは欠かせない。

 禁忌の果実を追い続けて何年も経つが、アスウェルには戦闘に関する特別な才能はなかった。

 凡人並みの腕をカバーするには、こうした細かく気を回したり工夫をしたりしなければ、連中とは渡り合えないのだ。


 だがそんな時間はすぐに終わりを告げた。


「……?」


 違和感。

 

 窓の外の景色が、勢いよく背後へと流れていく。急に速度を上げ始めたらしい。


 発車からまだ一時間もしないのだが、乗車した列車が緊急事態に陥ったらしい。


 何か異常が起きている。

 察した後は、部屋から出て真っすぐに先頭車両を目指した。


 その途中で、逃げてくる客と鉢合わせたので、適当な人間を捕まえて事情を尋ねて聞くと、正気を疑うような話を聞いた。


「何って死神が暴れてるんだよ」

「あれは悪夢だ、悪い事は言わん。逃げた方が良い」


 そうこうしている列車のどこに安全な逃げ場があるというのか。

 要領を得ない話にイラつく。自分で見に行った方が早い。


 しかし、死神か……。

 その単語は、聞いた事ぐらいはある。それは帝都で噂される話の一つだ。


 それは一見あどけない顔をした少女の姿をしているが、出会えば最後、生きては帰れないと言われている存在。

 町では、素行の良くないものや、アウトローなはぐれ者に対してのその行為を糾弾する際に脅しとして使われている言葉だが、まさかその言葉の元となる人物が本当に実在するとは……。


 本物だろうか。

 いや、まさか。


 そういう噂は人の口を行き来する間にねじ曲がって本来の姿から変わってしまうものだ。

 想像どうりの人物がいるとは思わない方が良いだろう。

 模倣犯が好きに暴れている、くらいに考えた方が良い。


 先頭近くの車両にたどり着くと、死神らしき存在は確かにいた。

 ただ、考えていたよりもずっと頼りない外見で、身長も低く華奢で会った。

 黒い外套に身を包みフードで線の細い顔を隠した……おそらく少女が、長槍を振り回して誰かと戦っていた。


「リズリィ、無理はしないでくれ」

「してないわ。できない。だって私は貴方達の奴隷だもの」


 相手をしているのは駅で話しかけてきた、貴族の少年ラッシュと、その奴隷の魔人リズリィだった。


 彼らのやりとりは、権力にあぐらをかき腐敗のまま利益をむさぼり食らう、そんな帝国貴族とはまるで思えない戦闘技術だった。

 今時としては使われなくなったサーベルを用いて戦うそいつは、使用人の炎の魔法の援護を受けて、敵の死神と渡り合っている。

 

 魔法。そう、普通の人間には使えない特別な力だ。

 魔人の少女は、そんな特別な力を当たり前のように使用している。


 これこそが、魔人が奴隷となるには理由だ。

 人間には使えない魔法が使える。人と似ているのに、人とは違う優れた能力。

 毒姫の害がはびこっていた時代に現れた、超常を操る得体の知れない存在。

 だから彼らは疎まれ、今日に至るまで迫害されてきたのだ。


 火の玉が飛び交う中を、剣を片手にした少年が駆け抜ける。

 燃えてしまわないのかと思ったが、先頭近くの車両もあってか特殊な加工をされているらしい。


 眼の前には、内装への被害を気にすることなく、死神と五分の戦いを繰り広げる二者。

 アスウェルはそこに割り込む事が出来ない。


 努力を重ねて敵と渡り合う技術を磨いているアスウェルよりも、おそらく彼ら二人と死神の方が圧倒的に強い。


 一体あの二人は何者なのかと思うが、それよりも死神だ。こいつが列車の急激な速度上げの原因であるならば、速やかに排除しなければならない。


 そう思い、武器のミスティックを手にする。


 しかし、


 ふいに少女の被っていたフードが脱げた。

 そこにあったのは檸檬色の髪に、あどけない顔で……。


「レミィ?」

「……」


 目の前にいたのは、いまもどこかで平和に暮らしているはずの、少女だった。


 なぜ、こんな場所で、と思う。

 死神の様な恰好で、大勢の人間を危険に晒すよな事を……。


 レミィの顔に表情はない。

 視界にアスウェルが映っていないはずはないのに、ピクリとも動かない。

 ひたすら無表情だった。


 記憶の中にある表情はどれもみな、喜怒哀楽に染まっていたと言うのに。


 考えていると、奥の先頭車両の方から新たな人物が姿を現した。


「まだ終わってないのかい?」


 眼鏡をかけた少年。白衣を羽織って、研究者然とした恰好をする、二十代ほどの歳の男性は、レミィを見るなり残念そうな口ぶりで言葉をかける。


「死神、まだ邪魔者の処分に手こずっているのか。君らしくないなあ」

「ヒョウリ様、申し訳……ありません」


 距離を取って己の背後へ下がった死神……レミィは先頭車両の扉からでてきたその男……ヒョウリを守る様に立った。

 慣れた様子だった。当然のように、そこに立つのが当たり前のようにその場所に立っている。


 おそらく先頭車両で何かをしていたであろうヒョウリは、傍まで来たレミィを抱き寄せて、その耳元へと囁きかけた。


「出来て当たり前の事が出来ないって、幻滅だよね。君はいつからそんなポンコツになったんだい。それとも粗悪品にでも成り下がりたかったのかい、そんなわけないよね。だって君は僕の最高傑作なんだから。分かったらちゃんと実力を発揮する事。言い訳は聞かないよ、まあ無理だろうけど、もし期待された通りの実力を発揮できないようだったら、そんな悪い子にはお仕置きだ」


 長い言葉の悪意。ヒョウリが羅列した負の感情を呟き終われば、レミィの体はびくりと硬直して、一瞬震えた後、苦痛に表情を歪ませた。


「ぅ……っ……」


 それは奴隷契約の影響下にある魔人が、契約種に命令を強いられている時に与えられる苦痛の罰だった。


「やめろ……」


 少女が実は魔人だったとか、隠し事をしていたとかそんな事はどうでもいい。

 何故ここにいて、こんな事をしているかも。


「そいつから、離れろ……」


 今はただ助けてやりたいその一心だった。


 男の行動に対する怒りが、腹の底で満ちてたまり、渦巻いていく。

 どうしてこんなにも気にかかるのか、なぜそんなにも衝撃を受けているのか分からない。

 それは初めて出会た時からの、解けない謎だった。

 

 しかし、こちらの内心を見据えた様子のヒョウリはその上で、冷たく言い放った。


「残念だけど君が何かをする暇はもうないよ。時間切れだ」


 時間切れ。発した言葉について何かを考えるよりも先に、事態が進んだ。

 カーブに差し掛かったのだろう。列車は想定よりも速いスピードでレールの上を走り、慣性の力が体に働く。

 それは危機感を抱くには十分な力だ。


 そして、


「リズリィ。脱線するぞ!」

「ラッシュ!」


 ラッシュがリズリィをかばう動作をする。

 やがて立っていられなくなり、こちらも床に膝をついてしまう。


 レミィは。

 と、確かめようとも、視線を向ける事すら敵わない。


 スピードを上げ過ぎた列車はレールを脱線し、車体を傾かせていく。

 速度のままにレールから外れて、轟音を立てて地面を滑って行った。


 たった今、事故が起こった。

 それは紛れもなく車内にいる人間が死んでもおかしくないものだった。


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