其の三

 ザカール州の西隣に位置するのがスパーラ州である。海岸沿いからなだらかな平野が広がり、そこには麦や野菜の畑が立ち並ぶ。国内随一の農業地帯であるここスパーラではあるが、逆に言えば人目を引くような煌びやかな特徴が無いということでもあり、大ラグナント13州のうちではやや知名度が低いと言わざるを得ない。勇者アランの英雄譚においても、特に目立った伝承が残っていないのも地味な印象に拍車をかける。


 しかし地元を地味だの何だのと言われて気持ちの良い郷土民などはいまい。輝世暦300年ごろを皮切りに、ここスパーラでは地域振興と新事業の開拓が頻繁に行われている。そして、地元の豪商たちが手を伸ばしたのが、好景気続く隣州と同様の海運業、東方および暗黒大陸を相手とした輸出入の仕事だった。そしてそれは今や一定の効果を上げ、大いに富をもたらしている。


 しかしその一方で、昔から細々と同様に輸入品の卸売りを扱う中小の商店が、大資本のせいで立ち回らなくなっていったというのもまた事実であった。そして、その隙間を狙い、新たなる悪意がこの地に手を伸ばし根付こうとしていることも。






「なんやて!?グルーカーん所のガキが捕まったて!?」


 薄暗い客間に慌てた雰囲気のポルガ訛りが響く。西からやって来たこの金貸しのバンゲルはケチで金に汚いことで有名。この部屋の暗さは彼が蝋燭代・油代を詰めているからに他ならないのだが、それがまた、いかにもな密談の雰囲気を醸し出していた。


 話の相手は何処かからやって来やかも知らぬ茶の生産者テテメス。ハーフリング種にはやや大きいきらいのあるソファーにのけぞりながら、バンゲルとは対照的に落ち着いた口調で、リジェン逮捕の報を話した。


「ああ、隣のザカールで捕らえられたそうだ。」

「そらまた、目出度いような困ったことになったような…」

「どうした?バンゲル。何をそんなに困ったことが。」

「いや、あのガキがワテ等の企みを州衛士に話しよったらと考えると。」


 バンゲルが慌てていたのは彼らの暗躍が明るみに出ることを恐れてのものだった。借金で首の回らなくなったリジェンの父に、麻薬に等しい茶を売らせ私腹を肥やす。なるほど人道において、そして法において許される行為ではなかろう。法を司る機関がそれを知れば、しかるべき罰を与えるのは明白。しかしこの危機的状況にあって、テテメスはあくまで余裕綽々であった。


「なんだ、そんなことか。」

「そんなことやあらしまへんがな!下手したら両手どころか首にも縄がかかるかもしれんのやで!?」

「落ち着け。こんな荒唐無稽な計画、そう容易く信じる奴もおるまいよ。言っているのが子供だというなら猶更だ。」


 バンゲルは未だ納得しきらない。確かに「父親が騙されて麻薬を売っていたから殺した。その連中はこいつらだ。」などと言ってもそうそう信じてはもらえないだろう。しかし世の中絶対は無い。十全の安心が得られるまで彼の不安は治まらなかった。そんな話し相手の様子を察したのか、テテメスは続けて言う。


「それに州の間には治外法権もある。ザカールの州衛士が信じたとて、スパーラに引き渡された地点でそれは意味を成さなくなる。」

「と、言いますと?」

「こっちの司法各所には十分鼻薬を効かせてあるということだ。国内全土にその手を広げる我ら曇一家クラウドファミリーの影響力、甘く見てもらっては困る。」




 曇一家クラウドファミリー―――錬金術師の家系を継ぐ謎多き男ジューロ・ジョーが組織した闇のギルドである。錬金術の生み出した不可思議なアイテムを影で売り捌く彼らの目的は、一般的な商売のように富の追及ではない。そのアイテムの力に惹かれた欲深き者の手で国家に騒乱を起こす事。バンゲル、そしてリジェンの父もその闇の波動に魅入られた者たちなのだ。




「それに、もしもの事があったとしても俺もいるしな。」


 部屋の薄暗さで見えなかった所から、のそっとした人影が姿を現した。総身はテテメスとそう変わらぬ低身長、しかし体格はやわなハーフリングとは比べ物にならない。短く太い、典型的なドワーフの体形の男であった。


「せや、ドランゲンはん。あんたも居はったんやなぁ。」

「左様。輝世暦前に始末したるゴブリンの数300、トロールの数120!古今無双の斧使いドランゲン・ボファが始末屋ディスポーザーとして付いているのだ!貴殿の身の安全は保障されたようなものよ!」


 巨大な斧を担ぎながらドワーフの男、ドランゲンは誇らしそうに言い放った。喧伝する通り、彼もまた魔王バルザーグ侵攻時には冒険者として活動していた長命種。そしてこの平和な時代に自分の居場所を作れなかった男でもある。その手合いの末路は往々にして傭兵、用心棒などの裏事師。始末屋ディスポーザーというのも、技術左官が大半の曇一家クラウドファミリーにおいて、荒事を受け持つ部署のことだ。


 そんなこの時代らしからぬ天職にありつきはしゃぐドランゲンだが、体に付いた無数の傷痕は彼の語る来歴が嘘でないことを想像させる。仮に暴力が必要となる時があってもこの男に任せれば大丈夫だ、バンゲルはひとまず安心した。


「しかしだ、グルーカー商会という絶好の隠れ蓑がもう使えないというのも勿体無いことだな。このメルトロン茶をこの州に蔓延させるのが俺の役目だというのに。」


 メルトロン茶―――それが彼らの麻薬的な紅茶の名だろう。将来の不安が消えたとなれば、次に気にするのは未来の展望。今度は逆に、テテメスが不満げに呟く。すると、こちらも逆にバンゲルが意気揚々と返した。


「心配おまへんがな。今のスパーラには、金持ち連中の無茶な商業展開の煽りを受けてる中小の商店なんて星の数ほどありまっせ。現にワテの客ん中にも焦げ付いとる連中がごまんといますさかい。グルーカーの代わりなんざいくらでも見繕って差し上げますわ。」

「なるほど。さすが名うての金貸し、お前を頼って正解だった。」


 部屋の中に、二人の邪悪な含み笑いが響き渡る。リジェンは覚悟の末父を殺したが、その禍根の種は未だ健在。それどころか、父に代わる寄生木をすぐにでも見つけるだろう。そしてそれは同時に、新たなる不幸を呼び起こすことになろう。


 そんな悪の萌芽を、屋根裏の小さな命がじっとりと見つめていた。







「まあ、大体そんなところじゃ。頼み人の言うておることに凡そ間違いはなかろうて。」


 蝋燭一本の灯りにのみ照らされる暗い深夜の教会霊安室。カーヤ・ヴェステンブルフトは長旅の疲れを隠そうともせず気だるげに事の仔細を話した。


「ご苦労様でしたカーヤさん。急な頼みで申し訳ありませんでした。」

「まったくじゃ。隣の州まで行って見も知らずの金貸しを見張れだの、急で頼む要件ではないわい。おかげでどれだけの手間がかかったことか。」


 州衛士の取り調べから戻った神父がカーヤを労うが、表情は未だすぐれない。単純に疲れているということもあるのだが、それ以上に気にかかることが彼女にはあったのだ。ともかく、このカーヤの活躍によりリジェンの頼みは確実なものとなった。


「では、今回の的は金貸しのバンゲル、曇一家クラウドファミリーのテテメスとその始末屋ディスポーザードランゲン…遠出の『仕事』となりますが、どうか宜しくお願いします。」


 そう言うと神父は、今回の頼み料を机の上に広げた。



ちゃりん ちゃりん ちゃりん ちゃりん ちゃりん



「…はい?」

「おう神父様、こいつァ一体どういう冗談で?」


 カーヤとマシューが眉をひそめて神父を問い詰める。口には出さないが、リュキアとギリィも怪訝な表情。無理も無い、机の上に広げられた頼み料、それは小銅貨が5枚だけだったからだ。


「嘘じゃろ?こんな子供の駄賃以下の頼み料なぞ…」

「まあ実際私が彼にあげた駄賃ですので。」

「笑っとる場合か!儂がここまでどれだけの金を使ったと思っとるんじゃ!?」


 隣の州へ渡るための通行手形代、火急の用と聞いての足となる馬代、そしていつもの鼠への餌代。カーヤは今回の密偵でいつも以上に金を使った。それもまた必要経費、頼み料で補填すればいいと高を括っていたわけだが、そこに来てこの頼み料である。怒り狂うも無理はない。


「つか神父様よ、あのガキってスリで結構貯め込んでた筈じゃなかったのかよ?」

「それならば持ち主にお返ししました。盗まれた金の出所が分かっているのに懐にしまうというのも、寝覚めが悪いものですしね。」

「いや、そりゃ道理だがよォ…」


 マシューがあてにしていた通り、リジェンが盗んだ財布は確かにあの時懺悔室に頼み料として差し出された。しかしれっきとした被害届も出ている盗品だ、悪党を殺す悪党とはいえ神父はそれを受け取るに忍びなかった。


 そして残された5枚の小銅貨は、神父がリジェンに手伝いの駄賃としてあげたもの、つまりは自身の手で稼いだ金であり、おそらく彼が持っていた全財産と言っても良いだろう。金額の多寡は問題ではない、頼み人がどれだけ恨みを抱き、そしてどれだけ身を切れるかという『仕事』の基準で考えればこれだけでも十二分に受ける意義はある。


 現に、頼み人の様子をすぐ近くで見ていたリュキアは文句ひとつも言わず、早速小銅貨を一枚手に取り足早に霊安室を後にした。


「まあ、あのクソ親父のギルドが一枚噛んでるとなりゃ、俺も動かざるを得ねえわなぁ。いくら頼み料が安かろうが。」


 曇一家クラウドファミリーとは浅からぬ遺恨があるギリィも、続けて銅貨を手に部屋を出る。


「ええい仕方ない!赤字は赤字でもタダでやったと思うのも癪じゃ!小銭一枚でも貰っておかんと腹の収まりがつかんわい!」


 既に大赤字のカーヤも、半ばヤケクソ気味に銅貨を懐に仕舞った。


「なんだよお前ら、これで俺だけ降りたら一人だけ空気読めてねェみてェじゃねえかクソッ!」


 場の空気に耐えかね、ケチのマシューもとうとう銅貨を手に取る。かくて『仕事』は成った。そしてWORKMANたちはこの夜を境に、各々隣のスパーラ州へと発つのだった。少年の、その年齢に見合わぬ深き恨みを晴らすために―――






「ほ、本当にそのメルトロン茶とやらを売れば儲かるんだな!?」

「ホンマしつこいなぁ。アンタから借金を回収せなあかんワテが、何でそのアンタに損する話持って行かなならんのや。」


 スパーラ州都市部のとある食料品店に、夜中にもかかわらずまだ明かりが灯っている。店を開けているわけではない。このところの資金繰りにあえぐ店主が、借金取りと今後の相談をしているのだ。


「しかし、茶には詳しくないどころか、扱ったことすら無いのだが…」

「いや難しいことはあらしまへん。先方さんの摘んだ茶葉を一種類、ただ何も考えんと売り捌いていけばいいだけでんがな。マニア向けの小規模販売やから宣伝の手間もあらしまへんし。」

「だがなぁ…」

「この場でお返事いただけんのでしたら、この話は無かったことに。」

「ちょっ、ちょっと待って!あと一分考えさせてくれ!」


 借金取りの男は、汚いポルガ訛りで店主に紅茶の販売を執拗に勧めていた。言うまでもない、金貸しのバンゲルだ。ここの店主も彼の顧客、そして今まさに彼らの悪事の隠れ蓑にされんとしているところであった。




 結局、時に押し、時に引く巧妙なバンゲルの話術、それによって店主は一分を待つことなく申し出を承諾してしまっていた。明日には茶の生産者に会わせるという約束を取り付けると、今日のところは帰って行った。ケチな彼の事、馬車は使わず歩きである。


(さあて、また儲けさせてもらおうかね。)


 自分は隠れ蓑を紹介するだけだが、これで曇一家クラウドファミリーからが仲介料、そして店側からは利子が熨斗付けて転がり込むのだ。うまい話すぎて思わず笑みがこぼれる。月の無い夜、足元もおぼつかない暗い夜道だというのに、帰路につくバンゲルの足取りは軽い。


 しかしこの新月の夜は実のところ彼にとっては最大の不幸、追跡者にとっての幸いであった。彼を「仕事」にかけるべく跡をつけるリュキアだが、このスパーラの街に来るのは初めての事であり場慣れしていない。一方で地元民のバンゲルには、多少の違和感で気がついたり、自身にとって有利な逃走経路を取ることも出来るだろう。光の無いこの暗闇は、その土地勘の差を埋めるに役立ったのだ。あるいはもっと明るい夜ならば、バンゲルは死なずに済んだのかもしれない。


 道なりの建物を屋根伝いに移動するリュキア。やがて的は、軒の長い家屋に差し掛かる。夜目の冴えるリュキアはその様子を確認すると、一足飛びにその軒まで跳び、真下に向けて黒糸を放った。



しゅるん



 そして丁度投げ釣りのように、黒糸が獲物を捕らえる。暗闇の中見える筈も無い黒糸に首を絞めつけられる感覚は、悪霊の類の仕業かと錯覚することだろう。事実バンゲルの胸に去来したのは、自分を道連れにしに来たグルーカーの仕業か、はたまたかつて自身の追い立てで死に追いやった債務者の怨念か、という疑念であった。


 このバンゲルという男、曇一家クラウドファミリーと組む以前よりその悪辣さで名を轟かせる金貸しであった。保証書の偽造、相手の弱みに付け込む暴利、荒くれ者を雇った暴力的な取り立て、それらにより心と体を病み首を吊った者も少なくは無い。


 そんな男が、首を絞められその命を絶たれるというのも、何かの因果応報だったのかもしれない。テルテル坊主のように軒先に吊るされたバンゲルの指先・爪先は完全に弛緩し、およそ生というものを感じさせない状態となった。それを屋根の上から確認すると、リュキアは黒糸を回収、どさりと地に横たわる遺骸を一瞥しザカールへと帰って行くのだった。






「さて、またこいつをしこたま売りさばかないとな。」


 スパーラの街の中央に位置する宿、ここがグランギス州の曇一家クラウドファミリー本部より派遣されたテテメスの停泊所である。部屋の丁装を見る限り、かなり値の張る部屋と思われる。裏世界のギルドではあるが今は資金は潤沢にある、多少の贅沢も必要経費ということだ。そんな豪勢な部屋でモルト酒をくゆらせながら、テテメスはメルトロン茶の入った麻袋に手を突っ込み、じっと見つめる。


 曇一家クラウドファミリーが自らこの茶を売らずに小売りという隠れ蓑を求めるのにはふたつの理由がある。ひとつは単純に、裏の世界の存在として目立つわけにはいかないということ。そしてもうひとつは、自ら手を下すのではなくラグナントの民が己の欲深さによって世を乱すこと、これが首領マスタージューロの望みだからだ。


「まったく、底知れぬお方だ…」


 何故そこまでして今の太平の世を壊そうとするのか。しかも自身が直接手を下すことなく国民の手でそうなるように仕向ける、そのような回りくどい手を使うのかといくら考えても及びもつかない。あるいは彼にしか理解できぬ心の闇なのだろうか。同郷出身の古参幹部であるテテメスだが、ジューロの世界に対する憎悪だけは未だに理解できないでいた。


 そして、自身に対しシンプルな憎悪を抱く存在が、まさに天井裏に隠れていることも知らないでいた。


 がたん、と天井が外れる音がする。テテメスはすわ何事かと振り向くが、そこには外され床に落ちた天井板だけしか見えない。彼を狙うWORKMANギリィ・ジョーは、着地と同時にその瞬発力を駆使し既に視覚に回り込んでいたのだ。


 左手でテテメスの口を塞ぎ、右手には既に長針。ギリィは今まさに的を「仕事」にかけんとしたが、その瞬間、テテメスは奥歯をぎゅっと噛み締めた。すると、テテメスのハーフリング種の小柄で細身の体が、一瞬にして鍛えたドワーフのような筋肉ダルマと化す。ギルド謹製の瞬間的な筋肉増強剤、それを護身用に奥歯に仕込んでいたのだ。丸太の如き厚みの首筋には、さしもの長針も通せるかどうかわからぬ。


 しかし、この突発的な異常現象を前にしても、ギリィは冷静だった。まるでそうなることが読めていたかのように、首筋に振り下ろそうとした右手を止め、横薙ぎに振るう。手にした長針で狙うはテテメスの右耳、いくら筋肉を鍛えようと守りようのない穴の中だ。当然針は鼓膜を破り、三半規管を貫き、脳に突き刺さる。止めとばかりに念を入れれば、枝分かれした針が脳をかきむしる。


 テテメスは白目を剥き、鼻血を吹き出す。ギリィが左手を離すと、無駄に肥大化した肉体がどしんと大きな音を立てながら前のめりに倒れた。あまりに大きい音だったのだろう、眠りについていたはずの従業員や他の宿泊客が何事かとざわめく声が聞こえた。さすがにこの反応は読めなかったのか、ギリィは若干焦りながら天井にあいた穴に飛び込み、足早に宿を、そしてスパーラを後にするのだった。






「おう、そろそろこの辺でいいんじゃねえのか?」


 街外れの街道、往く人はドランゲン一人のみ。そんな状況で、彼は言う。酒場で一杯ひっかけすぐ店を出て、宿に戻るかと思えば街からどんどん離れ今やこんな場所まで出てしまっていた。傍から見れば酔っ払い素っ頓狂な行動をしているようにしか思えないのだが、斧を担ぎ何者かを呼びつける彼の眼光からは素面どころか真剣そのものだ。


「何でェ、尾行つけてんのはバレバレだったか。」


 木陰から姿を現したのは革鎧装備の州衛士。しかしここスパーラ州のものとは作りが異なる、隣州ザカール州衛士隊のそれであった。


 州により州衛士の装備は、微妙とはいえ異なる。それ故に今回の仕事でマシューはよく使う「夜回りの公僕だと油断させてから刺す」という手段が使えなかった。となればあくまで隙を突いて斬るしかなかったわけだが、このドランゲンという男、思いの外隙が無い。タイミングを探る間に、あれよあれよと人気の無い場所に誘い出されてしまったということだ。


「で、ここまで連れだしたって事ァ一対一の果し合いをお望みってことか。あの汚ねェ連中の雇われにしちゃあ、随分と真っ当な事で。」

「輝世暦前に始末したるゴブリンの数300、トロールの数120!古今無双の斧使いドランゲン・ボファをあまり舐めぬことだな若造!貴様のような薄汚い暗殺者に正々堂々名誉ある死をくれてやろうというのだ、有難く思え!」


 周りに誰もいないからか、ドランゲンは心置きなく大声を出す。斧を突き出し挑発するさまに、マシューも興味を示す。魔物が跋扈した時代を生き抜いたというその実力、嘘か真か試すべく、サムライソードを抜き流れるような動きで仕掛ける。志摩神刀流の歩法・浮木の運び。そののらりくらりした動きはゆったりに見えて、いつの間にか接近を許す、相手にとって不気味極まる技だ。


 その接敵に反応し、ドランゲンの斧が動いた。ただでさえ大振りにしかならなさそうな巨大な斧を、馬鹿正直に真っ向上段に振り下ろす。喧伝の割にまるで素人じみた一撃、マシューにとっては目を瞑っていても躱せるだろう。実際に右へと流れ抜き胴を狙う。一方で空振った大斧はそのまま地面に突き刺さった。


 と、その時である。マシューの足運びが大きく乱れた。それどころか立っているのも難儀なほどにバランスが崩れる。コンディションも万全、確殺の自信をもって斬りかかったマシューにとって予想外のアクシデントだ。


―――して、その答えは実に単純なものであった。空振り、地面に突き刺さった大斧。その衝撃がドランゲンの周囲三メートルほどの地盤を砕いていたのだ。地面が崩れれば地に足を突け歩く人間がバランスを崩すは道理、しめしめとばかりにドランゲンはそのまま足の抜けた相手に向け斧を逆袈裟に振り上げた。


「くっ…!?」


 完全に自分が隙を突かれた形となったマシューは、必死の思いで大地を再び踏み抜き後方へ跳ぶ。あまり体力に自信のある男ではないが、火事場の何とやらということなのか、一足飛びで元の間合いへと退避した。胸元を見やれば革鎧がぱっくり裂けている。まさに皮一枚ならぬ革一枚のところで助かった形だ。


「どうだ、我が奥義・烈震断!さっきは運良く避けられたようだが次は無いぞ!」


 ドランゲンは高らかに自らの技を誇る。まだ相手を仕留めていないにも関わらずの勝利宣言ともとれる発言だが、あながち油断とも言えまい。実際、マシューにとってあの技は鬼門、間合いに踏み込む必要がある剣法に対し間合いの足場そのものを崩してしまうのでは、必殺の距離まで近づくことすらできないのだから。過去に輝世暦前最高レベルの英雄ジークグランデを斬ったマシューではあるが、相性の一点においてそれよりも難敵であると言えよう。


(過去自慢なんざ実力の無い三下のすることだと思ってたが、考え改めねェとな…)

(つーかいい歳してなんつー馬鹿力だよ…)

(志摩神刀流との相性も最悪だしよォ…)



(―――損な「仕事」だと思ってたが、面白くなってきたじゃねェか…!!)



  しかし、この逆境にあってマシューはにやりと嗤った。


 頼み料は小銅貨一枚、交通費は自腹。加えて他二人と違い宮仕えの身だから、有休を申請する必要もある。そのせいで同僚や使用人からも怪訝な目で見られた。ハッキリ言って損ばかりで面白くない「仕事」、そう思っていた。


 そこにきてこのドランゲンの存在は、命を張る決闘を求めるマシューにとってこの上ない享楽。自分でも、このリスクジャンキーめいた感情はよくないと日頃から思っている。しかし、つまらない「仕事」に降って湧いたこの強敵を喜ばずにはいられなかった。自然と口角を上げたまま、サムライソードを上段に構える。


 対するドランゲンも上段の構え。狙いは烈震断だろう。奇しくも同じ構えのまま双方動かない。じりじりとした緊張感の中、ただ時間だけが過ぎていく。


 


 仕掛けたのはマシューからだった。いやむしろマシューから仕掛けざるを得なかった。烈震断は近づいた相手の足場を崩すカウンター技、ドランゲンに自分から近づく故など無いからだ。いよいよしびれを切らしたか、とドランゲンは我が意を得たりとばかりに大斧を大地に振り下ろす。


 地表が砕け、平らな道が隆起を起こす。既にその領域に踏み込んでいたマシューは、またしても構えすらおぼつかずバランスを崩す。そしてドランゲンは大地に刺さった斧を抜き、その勢いのまま二の太刀を放った。先刻同様、振り上げた刃が相手の胴を薙ぐかのような軌道、しかしてその鋭さは先刻以上。二度目は無いという宣告通りの会心の一振りだった。


―――しかし、無防備な相手を抉る筈のその一撃は空を切った。


 マシューはバランスを崩しながらも必殺の二の太刀を躱していた。いや、正確にはバランスが崩れるままに躱したと言った方が正しいか。踏ん張りが効かぬのなら踏ん張らなければ良い、ただ流れに身を任す。志摩神刀流の本域たる脱力を最大限に生かし、地震に揺られる柳の木のように、ふらりふらりと足元から昇って来る振動を全身を使って逃がしたのだ。結果上体はリンボーダンスのように反り返り、胴狙いのドランゲンの二の太刀が空ぶったのだった。


 そしてマシューの目の前には斧を振り上げたまま無防備のドワーフの胴。すっと上体を起こすと、神速の踏み込みからの抜き胴を放つ。サムライソードから肉を、内腑を断つ感触が走り、マシューは決着を実感する。程なくしてドランゲンは膝をつき倒れ、二度と起き上がることは無かった。


 マシューの心臓は未だ素早い鼓動を刻み、息もまだ荒い。ギリギリの勝負の余韻を反芻しながら、マシューは興奮冷めやらぬまま光無き道を元通りに戻って行くのだった。






 数日後、神父は州衛士からリジェンがスパーラ州に引き渡されたとの報を聞いた。いかに幼かろうと、その背景にいかな理由があろうとも、親殺しの罪は重い。磔刑まではいかないにしても、遠島流刑は確実だろう。帰って来られるのは何年後か、いや、帰って来られたとて二度と神父の前に顔を出すことは無いだろう。


 かくて神父は大切な茶飲み仲間をひとり失った。趣味の熱に駆られいらぬことをした自業自得と思えば諦めもつくのだが、それでもやはり寂しい。紅茶を愛するが故に十字架を背負った少年を偲び、神父はひとり茶を淹れる。


(「紅茶を嗜める余裕がある人間はその分心も広い」ですか…)


 セイラム産一等茶の香りが、少年の残した言葉を思い出させる。趣味によって人柄が決まる、などという都合のいい絵空事など信じる気にはなれない。現に紅茶を愛した三人がそれぞれ、麻薬密売・親殺し・暗殺ギルドの長、ととても善人とは言い切れぬ末路を辿った。しかしそんな皮肉な結末であるが故に、その言葉に救いを求めたくなるという気持ちも確かにある。


「おう神父様、邪魔するぜ。」


 神父がそんなメランコリックな気持ちで佇んでいると、例によってマシューがやって来た。しかし何時もの無遠慮な雰囲気ではない。彼の気持ちを汲んだかのように、神妙な面持ちであった。


「どうされましたベルモンドさん?」

「いや、別段用事があるわけじゃねェけどよ、ちょいと一杯貰いたくてな。フィアとフィラの野郎が変な趣味に目覚めてよ、俺も少しァ勉強しとかきゃなと思って…」


 歯切れの悪い様子から、神父はマシューの言葉が嘘だと分かった。しかしそれは自分を慮っての嘘だということもわかる。神父はカップを用意し、客人にも一杯差し出した。


「この味、ベルモンドさんにもわかりますかね?」

「それを今から学んでこうって言ってんじゃねェか。」


 そう言うと二人は同時にカップに口を付ける。寒風吹きすさぶ外とは対照的な熱々の紅茶が体に染み入り、安堵の溜息が漏れた。


「…しかし、今日のお茶は少し苦いですね。」

「そうなのか?俺にゃまだわかんねェわやっぱり…」


 外では今にも雪が降りそうなほどの灰色の雲で覆われていた空に切れ目が入り、僅かに日の光が射している。しかしそれでも、寒風の勢いは止まらず未だ落ち葉を舞いあげていた。



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