第二十四話 カーヤ、バブみを感じさせる

其の一

 2泊3日の小旅行、さりとて自身にとっては10日ほどの過去への殺し旅。そんな奇妙な経験を経て、マシュー・ベルモンドはジャノベアからザカールに帰ってきていた。有給明けの勤務初日、同僚の冷ややかな視線もどこ吹く風でこの日も外回りという名のサボタージュを行っていた。


 彼の足が向かう先は下町通り。今回の旅の土産話でも「仕事」仲間に伝えようということだ。この辺りに住む知った顔は二人。歩いて行くとまず、ギリィのアクセサリ屋が目に入る。


「ようギリィ、戻ったぜ。」


 勝手知ったるなんとやらとばかりに場違いなアクセサリ屋に入るマシュー。しかし店主の返事は無い。客じゃないとわかってシカトしているにしても、店先にいないというのもおかしい。怪訝に思い、ずかずかと店の奥へと侵入する。そこには、いかにも調子の悪そうな顔で寝込むギリィの姿があった。


「…よぉクソ役人。あまり顔出さねえから旅先でくたばっちまったのかと思ってたとこだぜ。」

「何言ってやがんだ馬鹿野郎。手前ェがくたばりそうなツラしてるくせによ。どうしたってんだ一体?」

「いや…ちょいと調子を崩しちまってな。」


 互いに憎まれ口をたたき合いながら、久方ぶりの挨拶を交わす。マシューは知らぬ話だが、彼が旅行に出ている間、ザカールではギリィが奇妙な因縁により辛い「仕事」を慣行していた。その心労が祟り、体調まで崩してしまったというのが本当のところである。


「しかし独り暮らしだとこういう時辛れェだろ?ろくすっぽ動けねェのに飯を作るも洗濯するのも自分なんだからな。咳をしても一人ってやつか?」

「まあ、そうだな…そりゃそうだから…」


「おーいギリィ、飯ができたぞ!」


 マシューは、ギリィの妙に歯切れの悪い返事に疑問を抱く。そしてその疑問は奥間から声を聞いて氷解した。少女らしい甲高く濁りの無い、それでいて嫌と言うほど聞き覚えのある声。やがてその声の主が何かの鍋を抱えてこの部屋に現れた。


「おおマシュー、帰ってきておったか。どうじゃったジャノベア旅行とやらは?」

「か、カーヤ!?」


 カーヤ・ヴェステンブルフト。この辺りで何でも屋稼業を営む魔族の生き残りにして、彼らWORKMANの「仕事」仲間。ふわりとした尻尾を携えたこの少女を目にした瞬間、マシューは腹を抱えて笑い出す。


「ぶはははははっ!ギリィ、お前ェこいつに看病頼んだのか!?」

「…悪いかよ。」

「いや悪かねェがよ!このガキに病人の看病なんて器用な真似ができると思ったのかよ!?」

「うるせえ背に腹は代えられねえんだよ…」


 この一見ただのクオータービーストにしか見えぬ魔族の少女がこの街にやって来たのはついぞ半年ほど前。それまでは州北部の山奥に住んでいた。それ故に、何でも屋などというものを仕事にしているにも関わらず、どうにも一般常識に欠けるところがある。見た目に合わぬ尊大な口調も、世間知らずな印象を後押しする要因だろう。いくら仲間内とはいえ、そんな少女に自分の身の回りの世話を任せることなど自殺行為もいいところだと、マシューは笑った。カーヤはその嘲笑をあえて無視し、鍋の液体を器に盛る。


 ギリィに手渡されたその料理を覗き見て、マシューは驚いた。軟らかく煮た野菜と小麦粉を練った団子の入ったいかにも消化によさそうなスープ。それは家事など到底出来っこないというマシューの予想を覆し、割と食えそう、いやむしろ美味しそうに見えるものだったのだ。


「多少煮込み過ぎて野菜の形が崩れたかもしれん。まあ、見た目は悪いが弱った胃にはこのくらいがよかろうて。」

「いや、見た目全然悪くねェんだけどコレ。」


 この出来でもカーヤとしては本意ではなかったらしい。意外な出来に驚くギリィがスープを一口すすると、野菜の滋味が口に広がり、そして胃に染み渡った。この出来には思わず、ほう、っと安堵の溜息まで出てしまっていた。


「なんか…思ってたより全然うめえな…」

「そうか。病人向けだけに塩を控えたゆえ味は少し心配だったが、そう言ってもらえるなら何よりじゃ。」

「お前そこまで考えて作ってんのかよ…」


 普段のただやかましいだけの幼女からは想像も出来ぬ姿であった。少女の思いもよらぬ腕と拘りに、男たちはただただ驚嘆するしかなかった。そうしているうちにも、カーヤは再びせわしなく、表に中にと駆けまわり始める。


「今日は日差しも強い。洗濯物ももう乾いておるので取り込んでおいてやったぞ。これが着替えじゃ。寝汗をかいたらすぐ替えるんじゃぞ?着た切りは不衛生じゃからのう。」

「お、おう…」

「儂は今から次の仕事に向かうが、ギリィおぬしはちゃんと寝ておるんじゃぞ?ちゃんと睡眠をとらねば治るものも治らぬ。近いうちに『仕事』があったらなおさら事じゃ、早めに治すに越したこともあるまい?」

「あ、ああわかった…すまねえな色々。」

「何、ちゃんと金を出すならこのくらいお安い御用じゃ。では儂は失礼させてもらうぞ。」


 そう言い残すと、カーヤは忙しそうに次の仕事へと向かって行く。一連の気遣いはまるで母親のそれである。半年ほどの街暮らしでここまで変わるものなのか、マシューはただ口をあけっぱなしにし唖然と彼女を見送っていた。






「それじゃあ、よろしくお願いしますね何でも屋さん。」

「うむ、任された。安心して仕事に行くがよい。」


 カーヤの次の仕事先は同じくした街に住まう牛獣人ミノタウロスの家。早くに妻に先立たれた彼が仕事に出ている間の、息子の世話であった。大きな頭を深々と下げ職場に向かう牛獣人を見送ると、家に入り子の相手を始める。


 マシューはその様子を物陰から眺めていた。ある意味、己がジャノベアで受けた体験よりもショッキングな光景。見回り仕事も、土産話も忘れて、彼女の一挙手一投足を目に焼き付ける。


「『いたいいたい、こりゃかなわぬ』 ドラゴンは慌てて山へと帰って行きました。そして―――」


 獣人の幼子に絵本を読み聞かせるカーヤ。その姿はやはり母親を想起させる。魔族としての実年齢を考えればそれも不自然は無いのだろうが、何せ見た目が見た目だ。10歳前後にしか見えぬ少女の身体から母性が滲み出るその様子は、微笑ましくもありむず痒くもある。眺めるマシューも何故だか無性に背筋をくねらせてしまう。




 ―――そして、そんなカーヤのベビーシッターとしての評判が街の中央にも広まるには、それから一か月もかからなかった。






 夏の熱気が漂い始める6月、下町通りに見慣れぬ馬車が通る。貧相な家々とは対照的な豪華絢爛な馬車はカーヤの家の前で停まる。中から出てきたのはいかにもな金持ちの中年とメイド連中が合わせて数人、そしてそれに手を引かれる少年がひとり。メイドが戸をノックし、ぞろぞろと中に入って行った。




「…今何と言われた?いまいち意味が解りかねるゆえ。」

「もう一度言いましょう。何でも屋である貴女にこのお方のママになっていただきたい。」




 中年男の説明を二度聞いたカーヤだが、その依頼内容は未だ理解できなかった。いや、脳が理解を拒んだというほうが正しいか。男がこのお方と指すのは連れてきた少年。齢は14・5だろうか。その割には瞳が異様に爛々としており、椅子に座っていても落ち着きなくメイドの男にじゃれついている。


「ねえ、あれママ。あれママね。」

「ええ、分かりましたので落ち着いてください若様。」


 メイドの応対はまるで幼子をあやすかのようであった。確か見た目の割に幼さが見える。同時に召し物は随分と上等、乗ってきた馬車といい余程の上流階級と推察できる。となれば何やら後ろ暗いものが見えてきて、カーヤも眉間に皺を寄せた。


「察するに大っぴらには言えぬ事情もあるのだろうが、いきなり母親になれと言われても承諾できるわけなかろう。それが言えぬならこの依頼受ける訳にはいかん。」


 厄介事を抱えるのは御免だと、半ば断るように話を進めるカーヤ。男のほうも元より面倒と思っていたのか「それではこの話は無かったことに」と場を切り上げようとしている。ほっとカーヤが溜息をつくと、突然



「やだ!やだ!ママ欲しい!ママ欲しーい!!」



 少年がわっと泣き出した。椅子から転げ落ち駄々をこねる様子に、メイドたちがてんやわんやになる。男も露骨に困り顔になり、その光景を眺めるカーヤは心底引いていた。なんとか少年を落ち着かせて椅子に座らせると、男は観念して事のあらましを話し始めた。




「実を申せば、私どもはロンバルディア海運の者です。そしてこちらが現社長のマーカー様。」

「な、なんと!?」


 カーヤは驚いた。ロンバルディア海運といえば海に関わりの多い港湾都市ザカールでも最大規模の海運会社。その名はこの街に来て半年の少女にも轟いている。そんな大企業が自分のような者を訪ねてきたというのも驚きだというのに、あの少年が社長というのだから二度驚く。同時に、成程、色々な意味で表沙汰に出来ぬ案件な訳だ、と納得もした。


「名をよく聞く割には社長が表に出ぬ会社とは思っていたが、そういうことか。」

「ええ、まあ。先代より思わぬ形で世襲したようなものですから…」


 ロンバルディア海運から派遣された男はお恥ずかしい限りでと言わんばかりに汗を拭く。しかしその態度とは裏腹に瞳はしっかりカーヤを睨む。このことを他言したらどうしてくれようか、暗にそう釘刺す視線だ。いらぬ秘密を抱え込んでしまったと、カーヤの背筋が凍り付いた。


「先代ヘリック社長と夫人のレリア様は一年前事故に遭われ他界されました。故にこのマーカー様が後を継ぎこの齢ながら社長に就任されたのですが…」

「ですが?」

「両親の死、ことさら愛情深かったお母さまの死がよほど堪えたらしく、訃報と当時にこのように精神をやつしてしまわれまして。この事態に幹部連でも議論が起きましたが、生前からの先代の遺志と、こういっては何ですが年齢上元よりお飾り社長同然だということもありまして、そのまま就任される運びとなりました。無論、会社の面子上心を壊されたことは厳重に伏せておりますが。」

「はあ…」


 想像以上に重い話であった。大会社の秘密というだけはない、母親の喪失という事態。母を亡くし山から下りてきたカーヤにとっても同情あまりある境遇だ。と同時に、意味不明だった依頼の内容もだんだんと察しがついて来た。


「で、儂にその母親の代理になってほしいと。しかし見ての通り、儂とその社長とで母子というには多少無理が無いかのう?」

「勿論本当の母親になってくれというわけじゃありませんよ。お世話とお相手をしてくだされば。貴女のベビーシッターとしての手腕は下町より私どもの耳にも入っております。加えて最終確認にと貴女の仕事ぶりを社長と共にお忍びで覗き見ておりまして。社長もいたくお気に入りになられた模様ですよ。」


 すっかり落ち着きを取り戻したマーカーは、母親に憧れる童子のようにカーヤを見つめていた。年齢相応とは言えぬその様子に、カーヤも苦笑いを浮かべる。


「一応手付金としてここに500万ギャラッドは用意させていただきました。」

「なっ、500万!?」

「引き受けてくださるのならば今すぐにでも差し上げます。」


 メイドの一人がカバンから取り出したのは大金貨5枚。表仕事裏仕事問わず、大はおろか小金貨も見るのは久しいカーヤはごくりと唾を飲む。しかしカーヤは一向に首を縦に振らなかった。大金を前にして、いや大金を前にしたからこそ、返事を渋らざるを得なかったのだ。



「少し、考えさせてくれい。明日には返事もできると思う。」






「―――で、どうじゃ?引き受けたほうがいいと思うかの?」

「お前ェそんなことの為に俺達呼びつけたのかよ…」


 その日の夜、教会の地下霊安室にマシュー、ギリィ、リュキア、神父、そしてカーヤが集まっていた。呼び出したのはカーヤ。日中の場違いな馬車の来訪もあり、すわWORKMANの一大事かと思い集まった一同は、どうでもよい個人的な相談と知りがくりと肩を落としていた。


「しかしあそこの社長さんそんなことになってたのか。代替わりしたって新聞で見て以来音沙汰無かったと思ったらそういうことだったんだな。」

「………というか、私達相手とはいえ他言して大丈夫なの?」

「むしろおぬしらだからこその相談じゃ。元より人に言えぬ裏稼業の秘密を共有する仲、今更他人に言えぬ秘密をもうひとつ抱え込んだくらいでどうということもなかろう?」

「お前いつかグーで殴るぞ…」


 他人に知れれば命にも関わる秘密を半ば押し付けておきながら、カーヤはあっけらかんと言い放つ。マシューとギリィはおろか、感情の起伏に乏しいリュキアまでもがこめかみに青筋を立てるのも已む無きことだろう。


「それで、この仕事を受けるべきか否かの意見を私たちに尋ねたい、と?」

「うむ。金払いの良さは魅力じゃがどうにも胡散臭くてのう。ただでさえ裏の『仕事』で危ない橋を渡っている最中じゃ、これ以上後ろ暗い仕事を抱えるのも危険じゃろうて。そう思っているのじゃが…」


 上手い話には棘がある、との諺を信じ七分方断る方向のようだが、カーヤの発言はどうにも歯切れが悪かった。まるで何かが引っ掛かっているかの様子。それを察するかのようにマシューが口を開いた。


「手前ェがやりてえと思うならやってやりゃァいいじゃねェか。」

「ぬ!?」

「俺ァ社長さんに直接お会いした訳じゃねェが、お人好しのお前がそこまで引っかかってるってんなら、母性を求めてるってのも本気なんだろうよ。なら余計な事は気にしねェで大好きなお節介に精出しゃいいだろ。」


 言葉使いこそ乱暴な古代レブノール訛りだが優しい言葉であった。魔族という種にも関わらず人一倍お人好しのカーヤの本心を見抜き、そっと背を押す。意外な返答にカーヤも目を丸くしていた。


「しかし、秘密を抱え込み過ぎるのも…」

「………バレたらその時は貴女ひとりで首を括ればいいだけの話。」

「あと今度奢れよな。なんせ500万ギャラッドの大金が入るんだ。」

「おぬしたち…」


 リュキアもギリィも半ばマシューと同じ態度であった。仲間三人に後押しされ、カーヤの心も決まる。


「わかった!この仕事引き受けようぞ!となれば明日は早い、このようなところで夜更かしとらんで寝るぞ!」

「呼び出したのは貴女なんですけどね。」


 神父の当然のツッコミも聞かぬまま、カーヤは霊安室を飛び出した。そしてその元気な様子を見送りながら彼は考える。何故皆がこの仕事を受けることに賛同したのかを。しかしその答えには程なくして思い当たった。マシュー、リュキア、ギリィ―――三人とも理不尽な出来事により母親を失っており、マーカーのような母性への飢えは誰よりも理解していたからだ、と。






 翌朝、ロンバルディア海運本社会議室。秘密裏にそこに集められたのは当社幹部連中、若社長のマーカー、そしてカーヤであった。この場にあたり彼女の服装もいつものボロではなく地位相応の煌びやかなものに着替えさせられはいたが、サイズが微妙に合わずおままごと感が否めない。


「えー、みなさん集まったようですね。」

「いったいどうしたんだね秘書官。こんな朝早くから呼び出して。しかもその子供は何なんだ?」


 太めの男が当然の疑問を投げかけた。周りに座る男たちも同意見のようで、容赦なく場違いな童女に「何者だコイツ?」という疑念の視線を投げかける。肩身の狭いこの状況にカーヤも引き受けたことを後悔しそうになった。思わず隣にいるマーカーに救いを求めようと彼のほうを向くが、ただ子供のように口を開けてにこにこしているだけであった。


「ご紹介します。この方がマーカー社長の新しいお母上、カーヤ・ヴェステンブルフト様です。」


 先日彼女の元を訪れた中年男―――秘書官はそんなカーヤの様子などそっちのけで議事を進めている。しかしその彼の発言は、周囲の疑念をより強めるだけでしかない。


「馬鹿にしているのか!?このような童女が社長の母上などと…!」

「社長たってのご希望でございます。まあ母上といってもベビーシッターのようなもの、言葉のあやと思っていただいて結構です。」


「会社の財産をたかりに来た手合いではないのか!?」

「その心配はございません。契約書にも給金以外の金銭譲渡には応じないと念押しさせております。」


「大体何でそんなことを私たちに言う必要がある!?たかがベビーシッターなら猶更だ!」

「これも社長きってのご希望でして。『僕の新しいママをみんなにも紹介したい』とのことで。」


 秘書官の男は怒涛のように押し寄せる疑問に淡々と答えてゆく。しかし当然というか、そのような説明で幹部連中の腹が治まるわけもなく、やがて折々に独り言めいて文句が噴出し始めた。



「貴重な朝の時間をそんなことに…」

「まああの社長の事ならば仕方ないとは思うが…」

「何がママだ馬鹿げている。」

「まさか当てつけのつもりか…?」

「本当に信用できるのかその娘?」

「小汚いクオータービーストのガキだな。」



 会議室全体がざわつく。いよいよもって居心地の悪くなったカーヤは涙目で、無理と分かりつつもマーカーに縋るような目線を送った。と、その時、言いようのない違和感が彼女を襲う。



 正気を失った筈の少年マーカー。幹部連の喧騒を眺める彼の目に、一瞬正気が戻ったように見えた。いや、これは正気とは言い難い。「仕事」柄嫌と言うほど見たことのある漆黒の瞳の色。正気でありながら正気ならざる感情、明確な殺意がその目に宿っていることに気が付くのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る