第十一話 リュキア、熱にうなされる

其の一

ザカールが他の州より秀でている分野の一つに、医学がある。


 大陸の南東に位置する港街、東方や南方との交易船も多く行き交う地である。となれば交易品と同時に異郷の病原菌が持ち込まれることも少なくない。ザカールの医療の歴史は即ちその病気たちとの戦いであり、その研鑽こそが国内有数の医療技術にのし上げた原動力なのだ。そして輝世暦316年の今、まさにザカールの医者たちは降って湧いた未知の病気と向かい合っていた。





「鼻も喉も異常は無し、でもまだ熱は下がってないようですね…」

「………ん。」


 教会の自室のベッドに半身を包みながら、シスターのリュキアは上気した顔で軽く頷いた。その手を握り熱をとるのは人間の青年医師。ともすれば人間嫌い・男嫌いとも言える彼女が男を部屋に招き入れ手を触れさせていると思うと、何気に貴重な光景にも見える。


「同じ症例の方々も未だ熱が引かないで床に臥せられています…やはり遠方から来た病気なのかも…すいませんリュキアさん、お力になれなくて。」

「………大丈夫。貰ったお薬で少しは楽になったから。」

「いえそんな、既存の解熱薬はあくまでその場しのぎにしかなりませんし。それにリュキアさんには一日でも早く完治していただきたいというか…」

「………?」


 青年医師の目が泳ぐ。顔もどちらが熱病患者なのかわからないほどに赤い。そんな青年の挙動不審な様子を、あまり頭の回らない状態のリュキアはただぼーっと見つめていた。


「とっ、とにかく!貴女の元気な姿を待ち望んでいる人間はいっぱいいるってことですよ!」





 焦りながら部屋を出た青年医師は、家人である神父と事の経過について話してから教会を後にした。と、そこへ丁度入れ替わるようにやって来た男が一人。州衛士・マシュー・ベルモンド、来訪の理由は言わずもがなである。すれ違いざまに医者に会釈を返し、神父へと歩み寄る。


「おい神父様、あの人ってフランツ医院のロディ先生じゃねェか。最近の若けェお医者さんの中でも一番腕が立つって評判の。そんなのにお世話になるような事でもあったのかい?」

「ええ、リュキアが三日前から少々件の流行り病を患いましてね。まあ命に別状はないと言う事ですが、それでも初診以来毎日問診に来られてるんですよ。」


 件の流行り病―――一週間ほど前よりザカールに蔓延し始めた奇妙な熱病がそれである。高熱のみを発症しそれ以外の症状は無し、感染力の高さに対し免疫力の低い老人子供にも未だ死亡者は無し、という奇妙にして存外に無害な病気ではあるが、それが逆に気味が悪くもある。何より長年新病と戦い続けたザカール州の人間としても、治療法の確立されていない病気というのが許し難いものだった。それ故多くの医師たちがこの奇病に立ち向かっているというのが現状である。


「この後も同じ患者の元を回られるそうですよ。とにかく見て回らないことには治療法も見つからないということで。」

「ふーん…でも、あの様子だとそれ『だけ』ってわけでもなさそうだがなァ…」

「まあ…そこについてはあまりせっつくのも無粋かと…」


 ロディ医師の赤ら顔を思い出し、二人は察していた。普段から顔を突き合わせている人間ではあまり意識することは無いが、実際のところ、リュキアは美人である。それこそ見目秀麗なダークエルフ族にあっても頭一つ抜きんでるほどに。普段の不愛想な態度も、あるいは知らぬ人が見ればミステリアスな魅力に映るのかもしれない。そんなわけで、ここザカールにおいて丘の上の教会のシスターに密かに思いを寄せる男性は、思いの外多いのだ。


 しかし、だからこそ、彼女をよく知る人間から見れば、そういった連中が可愛そうで仕方なかった。何せあの半生と性格である。結婚はおろか男性とお付き合いするという発想が頭にあるかどうかすら怪しいものだ。余程価値観を変えるような事態でもない限り玉砕は不可避、報われぬ恋に身をやつすしかないと思うと、実に憐れみを覚えてしまうのだった。





 報われぬ慕情はともかくにして、ロディは日が暮れるまで患者の問診を続けていた。職務に真面目な男である、患者の容体も気になるし、未知の病気に対するためのサンプルも多く欲しいのだ。それでここ数日間は診療所を父に任せ、自分は問診を繰り返し外をかけずり回っている。日も暮れ、疲労困憊で家路を歩くロディ。さすがに首は斜めにうなだれて前を見ていない。


 ふと、一人の男とすれ違った。瞬間、ロディは疲れを押し、顔をまっすぐに上げその男に話しかける。


「ジャニス!ジャニスじゃないか!久しぶり、君も問診の帰りかい?」

「ああ…誰かと思えばロディか。街中でそんな大声を張り上げるなよ。こっちがビックリする。」


 男の名はジャニス。ザカールでも一番の大病院、ラファール医院の跡取り息子である。ロディとは同い年であり、医学校でも同期の桜ということもあって、気さくに声をかけた。


「僕は薬師ギルドで使えそうなものがないか見てきただけだ。例の熱病に関する、ね。君みたいなお人よしの問診なんてしている余裕は無いさ。」

「おいおい、随分な言い草じゃないか。僕だってあの熱病をどうにかしたいと思ってるさ。だからこそ患者一人一人にあたって…」

「実地に勝る研究は無い、と?さすがナンバーワンは仰ることが違いますなぁ。」

「ジャニス…」


 しかしロディの態度とは真逆に、ジャニスの応対は冷たかった。ロディは幼い頃の仲の良かった時分と変わらぬ感情を抱いているのだが、ジャニスはそうではない。医学校での成績はロディの後塵を拝し万年二位。フランツ医院とは比べ物にならぬほどの大病院の跡取りがこうであっては周囲の目の痛い。そういうこともあって、ジャニスの友人に対する感情は、次第に憎しみに寄って行った。働き出してから疎遠になっていたのもそのせいだ。そして何よりも―――


「ところでロディ…問診の帰りということは、あの…丘の上の教会にも寄ってきたと言う事なのか?」

「ああ。リュキアさんもまだ元気になるには時間がかかりそうだったよ。」

「そうか…」


 その言葉を聞くと、ジャニスはそのままロディと顔も合わせることなく立ち去って行った。後ろ姿からは確認することはできないが、その顔は悔しさに歯噛みをしていたようであった。


(くそっ…!何でうちじゃなくてフランツ医院に駆け込んだんだ…!)


もう一度言おう。丘の上の教会のシスターに密かに思いを寄せる男性は、思いの外多いのだ。





 学業でも負け、恋路でも機先を制され(勝手な思い込みだが)、ジャニスは焦りを覚えていた。せめて今回の難病は自分が解決策を見出さねば敗北感に押しつぶされそうだ、そんな強迫観念に駆られながら帰宅する。と、そこには父であり院長のジャックスと、見慣れないハーフリングの男が話していた。


「ただいま戻りました父上…って、その者は?」

「おおジャニスか、良いところに戻った。そろそろ紹介しておきたいと思っていたところだ。こいつは薬師のニーギス。これから儂の後を継ぐお前の右腕になるべき男だ。」

「右腕、ですか?」


 少し耳を疑う言葉だった。というのもこのニーギスというハーフリングの男、見た目が随分とみすぼらしい。白髪交じりの枯れた初老男といった加齢に伴う風体は置いておくにしても、服装が輝世暦以前の冒険者かと思うほどにボロボロなのはさすがにいただけない。腕は良いのかもしれないが、この者を側近として傍に置くのは勘弁願いたいとジャニスは思った。


 すると、そのニーギスが揉み手をしながらジャニスに話しかけてきた。


「へぇ、これは若様、お初にお目にかかります。手前ニーギス・ベーというケチな薬師でごぜえやす。大旦那様には特別お引き立ていただいて、感謝の言葉もございやせんが……」

「挨拶が長い。僕は疲れているんだ、また今度にしてさっさと部屋で休ませてはくれないか?」

「やぁ、それは失礼ございやした。それではご就寝前にこちらの手土産でもお近づきのしるしに…」


 風貌相応の卑屈な態度に嫌悪感をさらに強めたジャニスの機嫌を取るかのように、ニーギスは袂から布袋を取り出した。贈答品というにはあまりにも汚い布袋、いよいよもってジャニスも嫌ったい気分となるが、それでも一応と中を検める。袋の中にはさらに小さな袋が多数、分封された薬が入っていた。


「どうせ碌なものでもないのだろうが一応聞いてやる。これは何の薬だ?」

「へえ、それは最近ここいらで流行っている熱病の特効薬でございやす。」


 耳を疑う答えが返ってきた。


「ばっ、馬鹿を言うな!ザカールの名医たちが必死になっても解明できぬ奇病だぞ!?それをこんな怪しげな男に…」

「いや息子よ、それは紛れも無く正真正銘の特効薬だ。この儂からも太鼓判を押せるほどにな。それとも何か?お前は父の言う事が信用できんと?」

「そ…そんな…父上。」


 ジャニスの疑問、そして憤慨も当然のことであろう。しかし父ジャックスはこの男の薬を絶対の自信をもって肯定した。何故これほどまでにニーギスに全幅の信頼を置いているのか、この時のジャニスには分からなかった。


「そう、この男だからこそ特効薬が作れるのだ…いや、この男でなければ作れないと言った方が正しいか…ククク…」


 ジャニスの目の前で向かい合う二人の老人は、共に薄気味の悪い笑顔を浮かべていた。





 さて、その頃のベルモンド邸。ロディやジャニスがそうであったように、働く男はもう家に帰る時間である。マシューもまた今日一日の仕事を終え家に帰ってきていた。主人の帰りを知らせるべく戸を叩く。しかしどうしたことか、いつもならこれで出迎えに来る使用人が、今日になってちっともやって来ない。


(やべェな…八百屋のジーニーに愚痴ってたことが流れ流れて耳に入っちまったか?それともこの前の「仕事」の頼み料をヘソクリで隠してたのがバレたか…?)


 使用人の不手際を叱るよりも己の不始末が先ず頭に思い浮かんでしまうのがマシュー・ベルモンドという男である。それはさておき、あれこれと不安が頭によぎっていると、ようやく使用人姉妹の姉のほう、フィアナが出迎えにやってきた。


「いや~すいませんね主様~。なかなかお迎えできなくて~」

「いや、いいんだ、それよりも何を聞い…じゃなくて、見…でもなくて、何かあったのかい?」

「ええ~、ちょっとフィラちゃんがですね~…」


 そう言うとフィアナは主人を居間ではなく妹の自室に通した。女子の部屋であるにも関わらず、あまりの飾りっ気の無さがこの家の台所事情を如実に示している。そんな簡素な部屋の左端に備え付けられたこれまた簡素なベッドで、使用人姉妹の妹フィアラは布団にくるまれながらうなされていた。


「…あっ、おかりなさい主様…どうも私もやっちゃったみたいですよ…ハハハ…」


 主人の来訪に気付き、赤い顔を起こしながら力なく挨拶をするフィアラ。声の調子を聞く限り、鼻の詰まりや喉の枯れは感じられない。症状は発熱のみ、明らかに件の熱病の症状であった。昨日の今頃には夕食中の話の種にしていたというのに、まさか翌日に自分がかかる羽目になるとは思ってもみなかったことだろう。


「今日のお昼頃からなんか調子が悪いなーと思ってたんですよ…そしたら案の定…」

「ああ、わかったからゆっくり寝てなさいな。まったく、そういうことなら私にも一報入れてくれれば良かったのに。」

「でも…お姉様にも言ったけど、主様のお仕事中に余計な心配をかけたくなかったから…」

「馬鹿だなぁ、州衛士なんてそんな御大層な仕事でもないさ。現に今日のその時間、教会でお茶をご馳走になってたぐらいだ。」


 マシューの冗談にフィアラがくすりと笑った。マシューはその笑顔を見て安堵する。主と使用人という間柄ではあるが、実際のところ兄と妹ぐらいの感覚である。そのぐらいの近しい関係だけに、マシューの心配もひとしおだったことだろう。


「それじゃあ私は戻るから。しばらくはフィアナに任せて安静にしていなさい。私もできるだけ負担にならないように努めるから。」

「そうですよ~フィラちゃん~。重篤な症例はまだ報告されてなくても、下手をしたら自分がその第一報になっちゃうかもしれないんですよ~?だからくれぐれも気を付けてね~。」


 そう言い残し、主と姉は部屋を後にした。出際にフィアラの顔を見ると、随分と落ち着いたようにも見える。普段は邪険な態度をとっていても、やはり兄に近しい主の姿と言葉は彼女に安心をもたらしたようだ。それを確認した二人もまた、一安心していた。



「ところで主様~、先程フィラちゃんに仰っていたおサボりのこと、もう少し詳しくお聞かせ願えませんかね~」


 フィアナの細目の奥で瞳が鈍い輝きを放った。マシューの安寧は程なくして破られてしまったようだ。





 翌朝、同じく病気を患うリュキアの元を、今日も医者が訪れていた。しかしその医者とは何時ものロディではない。この状況に流石の神父も何事かと困惑していたが、どうしてもリュキアに話があるというその医者の強引さに押されて、つい部屋まで通してしまっていた。


「………ええと、確か、ラファール医院の若旦那さん?」

「そうです!ジャニス・ラファールです!以後お見知りおきを!」


 祭事施設に従事する職業柄、街の人間の顔と名前はだいたい知っている。だからこそ目の前の男が立場も信用もある人間だということは承知しており、リュキアも邪険にすることは無かった。とはいえあまり面識の無い男が部屋に入り込んで声を張り上げているというのは、なんというか、言葉に困る状況ではあるが。


「………フランツ医院さんの代理で問診?」

「いえ、ロディとは関係ありません。しかし今の貴女の御病気に関わる要件ではあります!とりあえず、何も言わずにこれを受け取ってください!」


 そう言うとジャニスはリュキアの手を取り何かを手渡した。リュキアが手を開きその中身を見ると、そこには小さな薬袋が握らされていた。


「これは貴女も患っているザカールでの流行り病の特効薬です。今日明日のうちにうちのラファール医院にて高値で取引されることになるでしょう。ですからそうなる前に、どうしても貴女に渡しておきたかった。これが私からの気持ちです!」


 ジャニスは真っ赤な顔でそうまくしたてると、そのまま足早にリュキアの部屋を出ていてしまった。リュキアはただぽかんとした顔でその一連の行動を見ているだけであった。どうやら売り出し前に虎の子の商品をひとつ分けてくれたようだとはなんとなく理解したが、熱で火照った頭では、何故、なにがやりたくてこのような行動に出たのかに考えをめぐらすことは出来ない。ただ、手の中の薬袋を怪訝な瞳で見つめるだけであった。





 そしてジャニスの言う通りその日の午後より、ラファール医院にてこの薬が1万ギャラッドという高値で販売されることとなるのだった。


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