其の四

「アンタら宿無し金無し浮浪者に、いい儲け話を持ってきてやったんだけど―――」



 ロゴスが持ってきたという耳寄りな話、それは金の話だった。ティガルドにも青年にも、興味も縁も無い話、二人は呆れたような顔で再び空を見上げた。


「おいおい、そんな態度は無いんじゃないかい?アンタらを養ってくれた爺さんが逝っちまって、明日の食う物にも困ってそうだなーってんで、親切心で言ってやってんのにさぁ。」

「成程、余程先日の決着が付けたいと見えるな………!」

「いやゴメン!流石に今のは言い方が悪かった!!どうどうどう!!」


 青筋を立てながら立ち上がったティガルドが、ロゴスに詰め寄った。生来より口の減らぬ女である。しかし悪気はなくともあれでは確かに相手の神経を逆撫でするのは当然であろう。本人もマズいと思ったのか、必死にティガルドをなだめる。


「どうせ貴様の汚い仕事の手伝いだろう?どの道お断りだ。」

「まあ汚い仕事にゃ変わりないか。でもさ、そんな邪険にしないで、せめて依頼人の話だけでも聞いてやっちゃくれないかい?折角ここまでご足労おかけしてるんだからさ。」


 怒りこそ治まったものの、ティガルドに首を縦に振る気は無い。それに対しロゴスはその仕事の依頼人に直接話をさせようと言うが、この場にはロゴス、ティガルド、青年の三人しか見当たらない。その依頼人とやらはどこにいるのかとティガルドが疑問に思っていると、ロゴスのたっぷりとしたローブの裾に隠れていた少女がひょこっと顔を出した。


「ミト!?ミトじゃないか!!無事だったのか!?」

「と…虎のおじちゃん…」


 それはティガルドもよく知る少女であった。教会に匿われた子供の一人、ミト。まさかあの惨劇に生存者がいたとは、ティガルドはそのことに驚き、そして喜んだ。少女に目線を合わせるように屈みこみ、話しかける。


「良かったなぁ、本当に良かった。どうやって逃げたんだ?」

「裏口から命からがら逃げ出して…町のはずれで行き倒れていたところを、機織り工房のおやかたさんに拾ってもらえた…優しい人で、今はそこで働いてるの。」

「そうかぁ…で、他に誰か一緒じゃないのか?」

「………」


 ティガルドは己のミスを察知しはっとなった。どう考えてもあの中で他に生存者がいるなどということは望み薄だとわかっているにも関わらず、嬉しさのあまり無神経につい尋ねてしまったのだ。案の定ミトは目線を外し口をつぐむ。気まずい空気が浸りの間に流れる。それを見かね、ロゴスが頭を掻きながら口を挟んできた。


「あーもうお嬢ちゃん!そういうのはいいからとっとと虎のおじちゃんに本題を伝えてやんなよ!」

「あっ…う、うん…」


 ロゴスに急かされミトは腰に下げた麻袋を外し、ティガルドに渡した。袋の上からでもわかる随分なずっしり感とじゃらじゃらした感触、中を開けて見ると、予想通り山ほど入った銅貨――お金であった。


「これは…お前のお金か?一体どうやって?」

「おやかたに機織りの腕をほめられて…お給金も出してくれるっていうから…それならと思って前借してきた…」


 教会を出たとき手に職を得やすくなるだろうと、神父が日々教えていた職業訓練が結実した結果だろう、と思うとなんだか救われる話ではあった。しかしこれだけの量だ、向こう何か月分なのかと考えるとぞっとしないし、何よりもこの金で自分に何をさせたいというのかは未だにわからない。そして続けてミトが言い放った依頼は、ティガルド、そして青年の肝を冷やすに十分なものだった。



「虎のおじちゃん、このお金で…このお金で神父さまの敵をとってください!!」



 依頼とは仇討ち、即ち殺しの依頼であった。年端もゆかぬ子供の口から発せられた殺意に、ティガルドも驚きと困惑を覚える。しかし、彼以上にその言葉に動揺した者がいた。



「こらミト!なんてことを言うんだ、取り消しなさい!そんな言葉を神父様が聞いたらなんと言うか…!!」



 青年は、ティガルドの巨体を押しのけミトにがぶり寄った。これまでの彼の沈んだ様子から打って変わって必死な様子、一体何がそこまで気に障ったのか?と思えるほどである。


 考えてもみれば彼は、思考の袋小路に陥った結果堕したとはいえ、本来は生真面目な神の僕。そして堕ちた後であっても、己を拾ってくれた神父には、その人柄ゆえ心を開いていた。同じく神父の元で彼の薫陶を受けた人間が、幼少のうちからかような殺意に囚われるなどということは、なるほど青年にとって耐え難いものであっただろう。


 しかしミトにその気持ちが伝わったかどうかと言えば、それは無理というものだろう。同じく教会で過ごしていた頃はあの体たらく、ろくすっぽ言葉を交わすことも無く彼女からは「陰気なおにいちゃん」程度にしか思われていなかった。そんな人間がはたと感情を露わにして捲し立ててきたのだ。それはもう恐怖しか感じないところだろう。流石に少女が恐れおののき泣きそうになっているところを止めたのはロゴスであった。


「おや?おかしなことを言う子だねぇ。さっきの会話、聞くとは無しに聞いていたけど人間は魔物よりも邪悪なんだろう?じゃあ人間の子供が殺意を持ったからって何ら問題は無いんじゃないのかい?」


 少女から青年を引き離しながら、ロゴスが煽るように言い放った。


「それとも何かい?子供だけは別、あの神父さんの元にいた人間は別、だなんて都合のいいこと言う気かい?」

「それは…」

「大体その神さんの言う真理なんてモン、まだ見つけてないんだろ?だからそうやってブレる。そのくせ斜に構えて勝手に絶望して…それも結局天才様に自分に解けなかったのが悔しかっただけだろうに。そんな有様になるくらいなら、んな事で悩む前に明日のご飯のことで悩んだ方が、よっぽど有意義ってもんさね!」


 青年は唇を噛み黙した。返す言葉も無かった。自分では認めたくなかっただけで、凡そその通りだと認識していた。歯に衣着せぬ罵倒を受ける青年を、さしものティガルドも心配しているが、不思議と青年にそれほど悔しいと思う気持ちは無かった。かつて大切な人に、似たようなことを言われたころがあった、その思い出の湧き上がりのほうが強かったのだ。


「アタシも別にやれ『本人は復讐なんか望んでない』だのやれ『復讐は自分へのけじめの為』だのの、青臭い問答がしたいってわけじゃないさ。ただ目の前に需要があって、対価がある。だからアタシが供給する側になる、そんだけのシンプルなことよ。」

「………」

「ま、供給するにしても標的が多いから手伝ってもらおうかなって頼みに来たわけよ。アンタらの腕は疑いようが無いくらいだしね。もしその気があるんなら、今晩町外れの双子岩で待ってるからさ。」


 悩ましい表情を浮かべる男二人に対し、赤髪の女は実にあっけらかんとした態度でお願いしてきた。そして、ティガルドから金の入った麻袋を自分預かりにするため取り上げると、そのまま踵を返して立ち去ろうとする。しかしその瞬間、ティガルドがロゴスを呼び止めた。


「待て。」

「何だい?こっちは伝えるべきことは伝えたつもりだけど、まだ何かあんのかい?」

「確かに腕には自信はあるが、それでも何故あえて俺たちに声をかけた?よもや神父の仇をこの手で討たせてやろう、なんて親切心でもあるまいな…?」

「んな気遣いなんかできるような女に見えるかい?アンタも言ってたろ?『魔物は人間より邪悪でなければならない』ってさ。」

「まあ確かに言ったが…」


「何でも手前の思い通りになると過信してふんぞり返ってる野郎を、わずかな銭の為に思い通りにならねえ力でぶっ潰す…これって最高に悪党の仕事だと思わないかい?」


 ロゴスは鼻の頭を掻きながら、いたずらな笑顔でそう答えた。





 その夜は月が綺麗だった。空気が澄んでいるおかげか満月がくっきりと映え、その光の強さたるや真夜中にも関わらず灯り無しでも出歩けそうになるくらいである。そんな月明りが照らすのは、草原の真ん中で一人酒を飲み物思いにふける女ひとり。


 双子岩。この深緑の草原の真中に不自然に置かれた鈍色の巨岩がふたつ。色合い的にも実によく目立っている。そのため輝世暦前では冒険者たちの集合の目印によく使われていたらしい。彼女もその時代に思いを馳せているのか、普段見せたことのないような顔で空を仰いでいた。


 ふと、そこに大柄な虎の獣人が現れ、女に話しかけた。


「月見酒とは風流なことだな。似合わんことこの上ないぞ。」

「五月蠅いねぇ。アタシだってそういう気分の時もあるさね。」


 むくれる女をよそに、獣人は彼女の隣に腰掛けた。女は別の杯を取り出し酒を注ぐと、無言で獣人に差し出す。彼はそれをぐいっと飲み干すと、女同様に空を仰いだ。やはり、月は美しかった。


「夜もまた綺麗だな、この世界は。当たり前か、かの少年――勇者アランの努力の賜物なのだから…なのに何故未だあのような者がのさばっているのだろうか…」

「おっと、アラン坊やにケチをつける気ならお門違いだよ。あの子はあの子で頑張りすぎなくらいよくやってくれてるんだから。」


 昔の仲間の悪口を聞き、ロゴスは手を伸ばしティガルドの額をぴしゃりと叩いた。現王となったアランは実際のところよくやっている。政治も知らぬ生まれだが、ただがむしゃらに平和のために尽力し、そして凡そにおいてはそれを実現できている。それでもなお、ロメロのような者の存在が後を絶たないのは、もはや人の世の常なのかもしれない。


「アンタだって元は一軍の将なんだからわかるでしょうに。内部の全てに目を通し指導するなんて無理だってのは。それを軍隊単位じゃなくて国単位でやってんだ、目こぼしが出るのもしょうがないさ。」

「ああ、そうだな。だがそこまで肩入れをするのなら、何故彼の力になってやらなかったのだ?何故こんな裏稼業など…」


 その言葉はロゴスに突き刺さったようで、彼女は上を向いていた目線をそっと下に落とした。また聞くべきでないことに口を挟んでしまったのかと、ティガルドは反省し口ごもる。しばし沈黙が続いたが、それを破ったのはロゴスのほうであった。


「…そういう選択もあったさ。国立魔導研究所の所長を任されてくれないかってお誘い。だが生まれてこの方この道で生きていた私にゃ、国が魔法の使用を限定し基本的に禁止するってお達しがどうにも気にくわなくてね…お上の生活に見切りをつけて野に下り、思うように魔法が使える道を選んだのさ。」

「………」

「だが法で禁じられたものを自由に使える道なんざそりゃ裏道も裏道さ。気が付きゃ用心棒の裏稼業。テメエで自由を選んだつもりが、クソみてえな金持ちに日銭を恵んでもらう、なーんてクソ面白くもねえ仕事に就いちまったわけだ。笑えるだろ?」


 ロゴスは自身の回想をからからと笑い飛ばす。しかしそれが自嘲であることは明白だった。ティガルドに返す言葉は無い。再び重い沈黙が続く。


「でもね、ここまで堕ちなかったらそのクソみてえな連中と、それに泣かされる弱ええ奴の存在に気付きもしないまま野放しにしてたんだろうね。そして堕ちた今だからこそ、そういう連中に向けられる刃もあるってもんさ。」

「!?お前…まさか…」

「ああ、用心棒稼業は今日で終い。今夜の嬢ちゃんのお願いを皮切りに、これからは法の届かぬ悪党をとっちめるお仕事に転職さ。そんで世の中が良くなるたぁ思えないけど、そのほうがアラン坊やにもちったぁ示しがつくだろう?」

「しかしそれはお前らの言うところの『人の道』から外れる行為だぞ?」

「地獄行き上等!なんたって心強い道連れもいるしねぇ。な?悪党を殺す大悪党の魔物さんよ?」


 ロゴスは自分の杯に酒を注ぎ、次いでティガルドの空いた杯にも酌をした。そして左手を差し出し、お互いの杯を重ねようとする。その顔には決意に燃える瞳と、同意を求めるかのような人懐っこい笑顔。無論、ティガルドにもそれを振り払う故は無かった。



「…僕にはあんなこと言った割に、貴女も随分と青臭いことを言うんですね?」



 瞬間、声が聞こえる。ロゴスがびっくりして辺りを見回すと、痩身白髪の青年がいつの間にか双子岩にもたれかかって聞き耳を立てている様子に気が付いた。


「あらやだ、ひょっとして全部聞いてた?年甲斐もなく熱く語っちゃったところも?」

「ええ…」


 ロゴスは自身の髪と同じぐらいに顔を真っ赤にして悶えた。因縁深いティガルドには気兼ねなく話せても、縁浅い青年に聞かれるには少々恥ずかしかったようだ。そんな女をよそに、ティガルドはごく冷静に、青年に歩み寄った。


「ここに来たということは、お前も参加するのか?」

「はい…野党とはいえ既に一人殺していますし…こうなったら一人も二人も変わらないでしょう?」


 多分に自棄を含んだ言い回し。決意とは程遠い。ティガルドでなくとも危うさを感じてならないところだろう。本当に彼にも任せていいのか?そう考えていると、悶絶から立ち直ったロゴスが脇からするりと二人の間に割って入った。その両手にはそれぞれ酒の入った杯が握られている。


「やると決まりゃあアタシたちは一蓮托生、運命共同体だ。ひとりがヘマすりゃ全員仲良く縛り首。OK?」

「お、おい…まだ覚悟の決まってないコイツにそんなプレシャーは…」

「この坊主のヘマでしょっぱなから躓くようなら、この世に生まれるべき仕事じゃなかったってこった。アンタも男なら腹くくりなよ!」


 狼狽えるティガルドに発破をかけながら、右手に持った杯を青年に差し出した。これまた何のことかわからず狼狽える青年は、なんとなくでその杯を受け取る。するとロゴスは、左手に持ったほうの杯を突き出し、言った。


「成功祈願の景気付けだ。一杯やってきな。」


 月明りの中見えたのは、小皺が目立つが屈託のない笑顔。勇者のパーティーとして戦い、そして裏の用心棒稼業に身をやつした人間がこのような顔を出来るものなのか、青年は不思議に思った。と同時に、なんだか心安らぐ気がしていた。それはティガルドも同じだったようで、すっかり落ち着きを取り戻し手にした杯を突き出す。


かきん


 緑と岩しかない平原に、ただ杯を重ねた音だけが響き渡った。






「おう飲め飲め食え食え!今日は仕事の成功祝いだけじゃねえ、俺たちの前途を祝す前祝でもあるんだからな!」


 森の奥深く、簡素なボロ小屋から呂律の回らぬ汚い声が響く。小屋の中に目を移すと、そのつくりに似つかわしくないほどに豪勢な食事と酒が並び、屈強な男たちがまさにそれにむしゃぶりついていた。


「なんたってあのロメロの旦那直々のお仕事だ!これをきっかけにあの方のお目通りが良くなりゃ前途は安泰!スパイク盗賊団…いや!スパイク傭兵団の未来は明るいぞぉぉぉ~~~!!」


 そう、彼はスパイク盗賊団の頭目。つまりあの教会を焼き、そこに住まうものを惨殺した一団のリーダーである。その言を信じるならば、彼らもこの平和な世の中であぶれた傭兵稼業の人間だったようだ。盗賊稼業は不服だったのか、これを機にロメロに召し抱えてもらうことを夢想し、涙を流しながら喜んでいる。どうやら泣き上戸のようだ。しかし、青年に吹き飛ばされ死んだ団員を弔う様子は見えない。


「うぃ~…親分、ちょっともよおしてきたんでちょっといいすか?」

「おう、行ってこい行ってこい。」


 団員の一人が尿意を申告した。この小さい小屋にトイレは無い。森の中人通りも無いこともあって、およそ排泄は外でする。外に出た団員はひとり、小屋前の大木の前に立ちその根目掛けて小便をした。




「おいおい、随分と長便所だったじゃねえか。小じゃなくて大かぁ~?」


 扉の開く音に団員が反応する。しかし戸の前から現れたのは、小便に行った団員ではなかった。


―――銀毛の虎の獣人


 その巨体はこの小さい小屋にあって、あるいは天井に頭が付くかもしれないと思えるほど。右手には長得物、そして左手には先程出て行った団員と思しき死体――なぜそれが彼と断定できないのかと言えば、首から上がすっぱりと無くなり顔を確認できなかったからだ。前時代の魔物を思わせる(実際そうなのだが)その恐怖の様相に、それまですっかり出来上がっていたスパイク盗賊団の酔いもさーっと冷めていった。


「ロゴスは暗殺が望ましいと言っていたがどうにも性に合わん。だから人目のつかないところで屯しているお前たちが俺の的だ。」

「なっ…何を訳のわかんねーことをっ!!」


 恐怖を振り払い、威勢のいい団員が二人、剣を握り目の前の猛虎に跳びかかる。その様子を察知した虎―ティガルドは、左手を離し死体を捨てると、右手の長得物を両手で握り、ぶんっ、と振った。


瞬間、勇敢な団員の胴はミンチめいて飛び散り、上下の半身に分かたれた。


 棍術は獣魔将時代よりティガルドの得意とする術技である。この技を以てかの勇者のパーティーとも拮抗して見せたのだ。しかし今彼の手に握られている得物は、かつての愛用の武器ではない、ただの鉄棍である。魔界の妖鋼より作られたその棍とは比べるべくもない大雑把な鉄の棒。しかし人間の骨と柔肉を砕くにはこれでも十二分であった。


 そこからは最早一方的なペースであった。震い立ち手向かいに行く団員、自分だけはと闘争を試みた団員、どちらも等しく屑肉に姿を変えた。一人たりとも生かして返さぬ姿勢、それはかつての教会で自分たちが成した業。因果応報とも言える状況であった。


 やがて小屋の中が血肉の海に沈む中、団長はティガルドに追い詰められていた。


「や…やめてくれよ…俺はただロメロの野郎に言われてやりたくもねえのに無理やり……」


 月並みな命乞いだった。しかし、あの日彼らが破壊と殺戮を楽しんでいるさまをこの目で見たティガルドには無意味なものでしかない。後ずさりする団長の足を勢いよく踏みつけ、逃げられないようにする。この地点で踏みつぶされた足の指は粉々に砕け、団長は地獄の痛みを味わっていたが、それで済ますことは無い。棍を再び両手で握り、上体を捻り振りかぶった。掌、そして上腕の筋肉から、みちみち、と音を立てる。



ぶんっ



 ティガルドは力を開放し、横薙ぎに振り払った。棍が側頭部を捉えたかと思うと、あまりの衝撃に頭が千切れ飛ぶ。そのさまは、まるで野球のティーバッティングのようであった。そしてボールよろしく打たれた頭は小屋の壁に激突、生卵をそうしたかのように跡形もなく潰れ、壁に中身をなすりつける。後に残されたのは、まるで斬首刑でもあったかのような綺麗な首なし死体だけであった。



 一仕事を終え小屋を後にするティガルドの胸には、例えようもないどす黒い何かがこびりついたような感覚があった。人間などあの時代に何人と殺したとも知れぬのに、何故今になってこのような感情が湧くのか不思議でたまらなかった。しかしそれが何であれ、動き出した歯車はもう止まらない。魔王の将軍ではなくひとりの殺し屋として、その感情を甘受することを心に決めるのだった。






「うぃぃ…もうこのあたりにしておくか。おいお前ら、ちゃんと片付けておけよ。」


 その夜、ロメロは上機嫌だった。明日にはあの教会の跡地に土建屋が入る。糸月と経たぬうちに別荘も建つ。ついにあの絶景が自分のものとなると思うと、誕生日前の子供のように浮足立っていた。飲み散らかした酒瓶が部屋中に広がり、後始末を任された使用人たちがげんなりする。どうにも今晩は酒も入り過ぎ、足取りもおぼつかない。心配する女中を振り払い、寝室へと向かう。



はたして、彼が完成した別荘をこの目で見ることは出来たのだろうか?

いやさ、明日の朝日が拝めたのだろうか?



 寝室へ向かう長い廊下を歩いていると、客間の扉が開いているのを見かけた。今日一日客人を招き入れた覚えはない。となれば使用人の不手際か、とロメロは断定した。折角のいい気分を害されたと憤りながら扉に近づく。


 瞬間、部屋の奥から何者かの手が飛び出してきた。その手は驚くロメロの襟首を掴むと、灯りも無く真っ暗な部屋の中に引き入れ、後ろ手で関節を極め拘束。そしてもう一方の手ですかさず扉を閉めた後、ロメロの口を塞いだ。勝手知ったるはずの自宅で自由を奪われ、先程までの尊大な態度も吹き飛び狼狽するロメロ。


 ただ、己を捕らえる手の細さから、この賊が女性であると言う事だけはなんとなく判断できた。そう、それは我々もよく知る女性、何時もの麻木色のローブとは異なる、黒魔術師のような真黒のローブに身を包んだ赤髪の魔導士・ロゴスであった。



―――本来、彼女の魔力をもってすれば、ロメロをこの豪邸ごと灰塵に帰すことも容易であろう。しかしそれではここで働く使用人などの余計な犠牲も出るし、何よりも目立ち痕跡が残る。痕跡が残ればそこから足がつき、やがては捕まり法の裁きを受ける。そうなれば、共に今夜仕事に当たる仲間や、この仇討ちを依頼した少女もただでは済まないだろう。この稼業を続けるならば、かかる事態はどうしても避けたい。


 しかしロゴスは火炎魔法とその火力を信条としてきた魔導士である。派手にぶっ放すならともかく、器用な死体に見せるような使い方にはとんと縁が無かった。最近習得した呪殺魔法という手も考えたが、大量の瘴気を介する黒魔法、専門家が調べれば残存瘴気で一発だろう。


 だがロゴスには勝算があった。いや、閃きのみで試すことも無いぶっつけ本番という薄い勝算ではあるが、そこに賭けざるを得なかった。



 次の瞬間、ロゴスは拘束を解いた。ようやく呼吸器を開放され、ロメロは大きく呼吸しむせる。そしてくるりと振り返り、己をかかる目に遭わせた者の姿を確認する。月明りの強い日である、灯り一つ付いていない客間だが窓から差し込む自然光のみで、その賊の姿をくっきりと見ることができた。


「ろ…ロゴス!?貴様何のつもりだ!?報酬ならしっかり払った筈だぞ!それともまだ待遇に文句が―――」

「3…2…1…今っ!!」


 ロメロの怒声を無視し、タイミングを計りながら指を鳴らした。


ぱちん


ぼんっ


 気持ちの良いまでのフィンガースナップが鳴り響いたと同時に破裂音。そして途端に止まるロメロの怒声。その代わりに口から出たのはたき火の終わりのくすぶったような黒煙。そしてロメロはそのまま白目を剥き絶命した。



―――発想の根幹は先の決闘でティガルドに放った最後の一撃。魔力も尽きかけ、半ば捨て鉢で絞り出した火炎魔法が彼の鼻に吸い込まれ内腑を焦がしたというあのラッキーヒット。暗殺という仕事に使える技を模索する中で、思いついたのがこれだった。


 口を塞いだ手に魔力を込め、解放と同時の呼吸で吸い込ませる。そして標的の肺臓に行き渡ったタイミングで着火、そのまま肺からその他内臓のみを焼き尽くす絶技。使う魔力も少ないので感知されず、また後に残るのは綺麗に臓物のみを灰にされた変死体だけとなれば、調査する側とてお手上げであろう。ロゴスは、一か八かの緊張から解放され息を荒立てながらも、この技に今後への確かな手ごたえを感じていた。






「ああクソ!もうお愛想や!金はここ置いとくで!」


 その夜、ジャンゴは不機嫌だった。かねてからの教会立ち退きの仕事は結果こそ成功に終わったが、その立役者はクライアントであるロメロが用意した魔術師と傭兵団。結局のところ、自分たちの手柄ではない。クライアントにもそこを突つかれ、彼らの貰った報酬は予定の8割カットだった。酒場でやけ酒を煽るのも仕方のないことだ。しかしそれでもまだ気の晴れぬジャンゴは、荒っぽく金を置き肩をいからせながら店を後にした。


 夜11時を回り、町中は暗闇の中閑散としていた。道を行くのも眉を逆八の字にしたジャンゴ一人ぐらいしか見当たらない。彼は荒れていた。あてこんでいた報酬の減額は思いの外大打撃だった。彼とて一応部下を食わせてやらねばならぬ身、後でどう説明したものかと考えると気が重い。


 そして、不安と苛立ちに心を囚われていては、注意力が散漫になるのも已む無しことだった。


 背後から忍び寄る影が、見事なまでの手際でジャンゴを路地裏へと攫った。表通りよりも更に人の気配の無い場所、両の頬を片手でわしづかみにされ叫び声をあげることもできない。助けなど求るべくもないこの状況にジャンゴは震えた。その目線の先には、白髪痩身の青年。右手をぽきぽきと鳴らし、まっすぐ伸ばした手刀の先をジャンゴの鳩尾に当てる。


 しかし、ここで青年の動きが止まった。今まさに、目の前の男の生殺与奪の権利が己の手の内にあることを悟った瞬間、再び迷いが生じた。



―――悪党だからとて本当に命を奪うことが正しいのか?殺しという短絡的な手段に訴えてもいいのか?あるいは生かして苦しめるべきなのか?彼を殺せば部下たちはどうなるのか?すでに人を殺したことのある自分はいいとしても、依頼をした少女ミトにも因果が降りかかるのではないか?そもそも何故人を殺してはいけないのか―――



 僅か十秒にも満たない沈黙の間に、百に近いほどの疑問と思考が脳を巡る。幼き日に神童と囃されたのも、今かかる境遇に陥っているのも、すべてはこの思慮の深さ故。三つ子の魂百まで、この段に至ってその癖が再発してしまったのだ。次第に左手の緩み、標的に脱出の機会を与えそうになる。その時―――



ぐぅ…



 腹の虫である。静かな夜の人気の無い路地裏なのだから、ことさらによく響いた。この緊迫した局面にあって何とも間抜けな音、そういえば丸二日ほど食べるものも食べていなかったことを思い出す。そして同時に、或人の残した言葉も。


(どれだけ悩もうが沈もうが、腹は減るということに。)


(んな事で悩む前に明日のご飯のことで悩んだ方が、よっぽど有意義ってもんさね!)


 そうか、その通りだ―――青年の中で何かが吹っ切れた。難しいことは後で考えよう。今すべき事はただ目の前の仕事を成し遂げ、依頼料を山分けし、飯を食い生き長らえること。そこにいかな未来が待ち構えていようとも。そして青年は、ただ生きるため・食らうために殺すという野生動物の摂理に身を委ねた。


「…できるだけ苦しまないようにしますけど、もし痛かったごめんなさい!」


 右手刀に力を込め、相手の胸板にさらに押し付ける。すると傷一つ付けることなく、右手がその体に吸い込まれていく。そして体内でりんごほどの大きさの臓器を感知すると、それを握り一気に引き抜いた。普通ならまずあり得ぬ経験だろう、ジャンゴは自分の目で自分の心臓を目撃することとなった。


 体に一切の傷を付けず一滴の血も流すことなく心臓を摘出する神技。それは彼が無闇矢鱈に真理を追い求めていた時期、南方暗黒大陸での邪教崇拝部族より教わった生贄儀式に用いる術理である。ロゴスから足のつかないようできるだけ奇妙な死体にせなばならぬと言われたとき、思い当たったのがこのかつての過ちより学んだ技術だった。


 無論、心臓を抜かれて生きていける人間など居るはずもなく、ジャンゴは己の心臓が握り潰されるという不可解かつショッキングな映像を目に焼き付けながら逝くのだった。






「よし、どうやら全員無事お仕事完了したようだね。んじゃこれがティガルドのぶんで、こっちが坊やのぶんだ。ほらよ。」


 深夜の山道を連れだって歩きながら、ロゴスは小分けに袋詰めしなおした頼み料の銅貨をティガルドと青年に投げ渡した。受け取るとジャラリという音と共に程よい重みが手に伝わる。金儲けというものに興味のない男二人ではあるが、その手ごたえに嬉しさを覚える。


「しかし仕事をやり遂げたその足で逃亡とは、いささか早急すぎではないか?」

「せめて朝まで待って、腹に物詰めてからでも良かったんじゃ…」

「いーや、そういう油断が一番危ないんだよこの手の稼業はさ。」


 蛇の道は蛇、裏稼業の用心棒で鳴らしたロゴスが先輩風を吹かせた。実際のところ、血の池に佇む首なし死体、内臓だけを中から焼かれた死体、傷一つなく心臓を抜き取られた死体、という怪死事件を前に、調査に当たった州衛士隊も匙を投げ見事迷宮入り。彼女の高説は杞憂に終わったわけだが。


「それはそうと、これから行くあてはあるんですか?先頭を切って歩いてますけど…」

「まあ、このまままっすぐ行けばどっかの州に出るだろうさ。そこでまた恨みを持つ人間を探して日銭を稼ぐの繰り返し、それでアタシらの名を王国中に知らしめて―――」

「成程、恨み探して大ラグナント道中殺し旅ということか…って、どうかしたのか?」


 ロゴスが言葉に詰まったのを、ティガルドは気にかけた。先程まであっけらかんとノープランの旅を宣言していたとは思えない神妙な面持ち。何事かとティガルドのみならず青年も固唾をのんで見守る。



「…アタシらの稼業、まだ名前決めてなかったじゃないか!!」



「なんだ…その程度のことか…」

「というか知られちゃならない裏稼業なのに、名前知らしめてどうするんですか…」


 男二人は心底呆れかえった。


「いやそういうんじゃないんだよ坊や!実在はおぼろげだけど名前だけはしっかり認知されてる都市伝説的な存在を目指したいというか。とりあえずアウトローが名前聞いただけで震え出すような、そんな恐れられる存在が目標さね。」

「ならば復讐代行業ということで、『PANISHER』か『AVENGER』というのはどうだ?」

「あーダメダメ。そんなカッコいい響きじゃ自分らが正義の味方と勘違いしそうになっちまうよ、所詮人殺しなのに。もう少しこう、あまり角ばってない表現は無いものかね?」

「そういうものなのか?」

「そういうもんなの!」


 思いの外拘りがあったようだ。ティガルドがいよいよお手上げとばかりに困惑していると、意外なことに青年のほうから提言が飛び出した。



「…『WORKMAN』というのはどうでしょう?」



「…わーくまん?」

「ええ、ロゴスさんが仰ったようにこの稼業は勘違いしてはいけないと僕も思います。だからこそ、いかなる思想やイデオロギーに感化されることなく、ただ恨みを晴らし金を貰い糧とする。そんな仕事ワーク以上でも以下でもないということを肝に銘じるようにと考えてみたのですが…」

「いいじゃないの坊や!言いたい思いが良く伝わるし、何より程よく間が抜けてる!アタシは気に入ったよ!」

「まあ、俺に代わりの名前を考える知恵も無いし、それでいいのではないか?」


 ロゴスが青年の案を褒めそやすと、彼が今まで見せたことのないような照れ顔を見せた。いつもただひたすらに陰気な男と認識していたティガルドはその様子に驚くと同時に、何やら彼の中で迷いが吹っ切れたのだろうと思い、良かったと心の中で頷く。ともかく、仲間二人の同意の元、彼ら一党は「WORKMAN」と命名されるのであった。


「そういえば名前で思い出したけど、坊や、名は何て言うんだい?」

「あ、そういえば俺も聞いていなかったな。」

「何だいアンタまで。同じ屋根の下に暮らしてたってのに非道い男だねぇ。」

「あの頃は曲者か何かと思い警戒していたからな…すまん。では改めて名を聞かせてはくれぬか?」


「ええ、いいですよ。僕の名前は――――」






・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・






「―――おーい神父様。何ボーっとしてんだよ。」


 過去の仲間を懐かしみ、遥か昔の世界へと旅立っていた神父の意識を引き戻したのは、現在いまの仲間の声だった。珍しく慌てた様子で彼が声のする方を見ると、州衛士・ダークエルフ・ハーフリングというぱっと見関連性の見えない一団が呆れ顔で並んでいた。


「ベルモンドさん、リュキア、ギリィさん…」

「………しっかりして。こんなところで呆けていたらコイツのサボりを笑えない。」

「五月蠅ェよ馬鹿。うちの使用人みたいな事言ってんじゃねェ。」


 マシューは不機嫌な顔で自分に向けられたリュキアの指を払いのけた。しかしマシューのサボり云々は置いておくにしても、昼間から神父が公園で夢想にふけっているのは確かに怠慢と見られてもおかしくは無い光景だ。いくら昔を思い出すにしても軽率だったと神父は反省する。


「ところで、お三人がこのような場でご一緒とは珍しいですね。」

「昼飯帰りだよ昼飯帰り。ネルボー食堂行ったらまたコイツらと相席に通されてな。帰り道の途中までつるんでただけさ。」


 表の仕事では自警団、神職者、飾り職と接点も薄い連中である。このように四人が一同に揃うことなどそれこそ「仕事」の会合で霊安室に集まめられた時ぐらいだろう。珍しく昔を思い出した日にこんな偶然が起こるとは、と神父は運命の妙を感じていた。


(やはり、縁とは異なものですね…)


 これまで数多くの仲間と共に「仕事」をしてきた。そして様々な出会いと別れがあった。できれば思い出したくも無い凄惨な最期を遂げた者もいた。そして輝世暦316年、これが今の仲間たちである。この者たちともいずれ別れの時が来るだろう。それが如何な終わり方であったとしても。


 それでも自分はやり続けねばならない

 始まりの日の、仲間との誓いとともに




「んじゃ、俺ァ見回りに戻るぜ。」

「俺も朝の作業の続きだ。注文品まだ出来てねえしな。」

「………私たちも戻ろう。」

「ええ。では皆さん、また。」


 それぞれに帰路につき別れ行く仲間の背を見ながら、神父はそんなことを想うのだった。


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