其の三

 教会から遠く離れた平原に、かつて魔王の将軍と呼ばれた者と、勇者の盟友と呼ばれたものが広く間合いを開けて対峙していた。互いに力を知る者同士、ぶつかり合えばただでは済まないことは明白だった。あの場のまま立ち合えば、観戦する者たちに死者が出るかもしれないし、最悪見晴らしの良い地形が削れ飛び台無しになってしまうだろう。そんなわけで、土地を賭けた決闘に挑む二人はここまでやって来ていたのだ。


「いやぁ、まさかこんな所で古い顔に出会うたぁ、人生わからんものだねぇ。」


 目尻に皺を寄せはにかみながらロゴスは言い放った。魔界ゲート攻防の際、彼女は20歳。そしてそのまま終戦から24年経っているのだから現在は44歳ということになる。年齢不相応に若々しい顔をしているが、こうやって表情筋を使うと皺が出来、なるほど年齢通りだと思い知らされる。


 そんなあっけらかんとしたロゴスに対して、ティガルドの表情は険しかった。


「貴様、今自分が何をしているのかわかっているのか!?」

「アンタと同じで用心棒。日々の糧を得るのも一苦労なんでね。」

「そうではない。勇者アランに組みした者が何故かような悪党に手を貸すのかということだ!」

「魔王の将軍が人さまを悪党と言うか…まあ、今回のクライアントはアタシから見ても掛け値なしにろくでなしだから仕方ないけどさ。」


 ロゴスが挑発するかのようにけたけたと笑う。目論見通り、その様子はティガルドの逆鱗に触れた。ティガルドは生真面目な男である。悪徳を良しとする魔界にあって、清廉を貫き正々堂々を好む異端。だからこそ今のこの世界を受け入れ、神父に惚れ、地上げ屋を憎み、そしてロゴスの態度に怒りを覚えたのだ。


「悪は滅ぶが世の習いと我らを討った勇者の仲間が、ここまで堕ちるか…!」

「さぁてね、そもそもその世の習いが絶対法則かどうか…そりゃアンタがアタシを倒して証明するしかないだろうねぇ。」


 そう言い残すと、対面する二者はそれぞれ構えをとった。互いに無手、見た目通りにネコ科の猛獣が獲物を狙うかのような構えに、魔術的な印を結ぶ手つき。いよいよ決闘が始まったのだ。



 先に仕掛けたのはティガルドだった。標的まで最短距離を一足飛びで詰め、掌を振り上げる。しかし愚直なまでの一直線的な動き、ロゴスは容易に迎撃の手を放った。


「フレイムランス!」


 ロゴスの右手の平から炎の鎗が三本、連続で発射された。直線的な接近に対し直線的な迎撃弾、炎の鎗は次々とティガルドの体に着弾し爆炎を巻き上げる。しかしその炎は、猛虎の突進を止めることはおろか、彼の体毛を焦がすことすら叶わなかった。


「忘れたか!貴様の得意の炎魔法は俺の銀毛には通じぬことを!!」

「いやー、本調子に戻ってなけりゃあるいは効き目があったんじゃないかと思ったけど…やっぱ駄目か。よっと!!」


 ティガルドはそのまま右掌を振り下ろし、鋭い爪で目の前の魔導士を攻撃しようとした。その鋭さたるや、女の柔肌はおろか鍛え上げた筋肉すらも容易に切り裂くことだろう。喰らえばひとたまりもない、ロゴスは動きづらそうなローブ姿だてらにバク宙を慣行、紙一重でその爪を躱し後方へ逃げた。


「ならこういうのはどうだい?ターンリビングデッド!!」


 連続バックステップで後方へ逃れながら、両手で印を描く。間合いを外したところで着地と同時に右の手の平を今度は地面に貼り付けた。先程の火炎魔法とは明らかに異質な感覚、さりとて身に覚えのある、ぬめりとくるようなエネルギーをティガルドは察知する。


(…瘴気!?)


 その感覚に気付くや否や、かつて人だったものの抜け殻が地面から、ぼこり、ぼこり、と湧き上がってきた。瘴気にて死体を操るリビングデッドの術法。卑怯卑劣で鳴らしたかつての同僚、幻魔将ゲブードの最も得意とする手であるとティガルドは記憶している。


「死者への敬意すら失ったかロゴス!」

「アンタを倒すにゃ手段を選んでる余裕は無いんでね!」


 かつての戦乱の時代、ここで人と魔物との大きな戦いがあったらしい。その激闘の末、墓すら作られず野ざらしになった戦士たちの亡骸が、数十年の月日によって土をかぶり埋まっているのだ。おそらくこの場所を決闘に選んだのもロゴスの計算づくだろう。小癪な手と思ったものの、人間界のしきたりに慣れ親しんだティガルドは死者の尊厳を踏みにじることを躊躇った。そうしていると、あれよあれよという間にリビングデッドたちはティガルドに掴みかかり身動きを封じるのだった。


 相手の動きを封じるや否や、ロゴスはローブの裾からナイフを四つの指の間に挟んで取り出し、ティガルド目掛けて投げつけた。女の細腕での投擲らしからぬ速度で、3本のナイフが飛ぶ。魔力を上乗せして加速させているのだろう。そしてそれは、リビングデッドに拘束され晒されたティガルドの胸板に見事突き刺さり、血を流させた。たまさかのダメージに驚いたのか、気合一閃、ティガルドは遠慮なくリビングデッドたちを振り払いナイフを抜き取る。


「やっぱり物理ダメージはちゃんと通るみたいさね。どうだい?アランやゴードンのように剛剣は振れなくても、こういう手もあるんだよ?」

「だが彼らの斬撃とは比べるべくもない、実に慎ましい攻撃だ。俺を斃すには何百発、何千発必要かな?その前に貴様が俺の爪に捕まるのが早かろうよ。」

「さあねぇ、やってみなけりゃわかんないだろう!?」


 離れた間合い。ティガルドは再び構え、ロゴスはリビングデッドを追加しナイフを取り出す。一撃を打ち込むか、倒れるまで何発も打ち込むか、おそらくこの決闘の決着は長くかかるだろう。





 一方、戦火を逃れた教会のほうでは、昼食の準備が始まっていた。地上げ屋連中は外で決着を待っているにもかかわらず、教会側は変わらぬ日常の慣習のために建物の中で作業をしているのだ。


「かような事態に陥ったことは確かに残念です。だからといってそれを気にしすぎて、日々の糧を疎かにしたら本末転倒ですよ。ティガルドさんの勝利なら、この後の礼拝でついでに神にお願いしちゃえばいいのですから。」


 それが神父の指示だった。言う事は尤もではあるが、だからといって皆そんなに容易に気持ちを切り替えられる訳も無い。何せ相手はかつての勇者アランの仲間、ティガルドの過去を知らぬ者たちには勝ち目など到底無いようにしか見えず、そうでなくてもあのような英雄が自分たちを排除しようとする者の側に付いたということは、ショックが大きかっただろう。


(そうさ…魔導士ロゴスだって人間…あんなふうになっても当然…失望など無い…)


 修道士の青年はこの日包丁係だった。しかし包丁と芋を握ったまま、じっとりと手元を見ているだけであった。いや、見ていることすら怪しい、心ここにあらずと言ったていだろうか。ともかく、心の中で自分で言い聞かせるような譫言を繰り返し、いつも以上に陰を籠らせ立ち尽くしていると、神父が隣に寄ってきた。


「どうされましたか?手が動いてませんよ?」

「あっ…いや…はい…」

「子供たちはもう鍋の準備が出来ているというのに、具がまだでは始まらないでしょう?」


 そういうと神父も、芋と包丁を手に取り皮を剥き始めた。手伝ってくれるということだろう。釣られて青年の手もようやく動き出す。二人は次々と慣れた手つきで芋の皮を剥き、一口サイズに切り分けていった。遅れを取り戻すための黙々とした作業、ふとその合間に、神父が語りかけた。


「やはり、かつての神童といえど、ロゴス殿が立ち塞がったことはショックでしたか?」


「…!?神父様…何故そのことを…!?」

「私もガリア教会の人間ですよ?その手の話題は常に耳に入ってきますよ。輝世暦元年に司祭の家計に生まれ、神学校において齢10にして八大教典を修めた天才少年。大学に上がってからは神学のみならず哲学、幾何学などにもアプローチし数々の論文を残すも、20の時に謎の失踪を遂げた麒麟児。名前は…失念してしまいましたがね、ハハハ。」


 否定の言葉は無かった。しかしそのような輝かしい過去があったとはにわかには考え難い容姿である。何があってここまでうらぶれたのか疑問に思うところだ。


「…いつ、知りましたか?」

「いつも何も、行き倒れている貴方を保護した時から気付いていましたよ。新聞に描かれた似顔絵の面影ありましたし。ただまあ、そのような方が行き倒れ、すっかり塞ぎ込んでいるとなれば事情もあると思い、口にはしませんでしたが…」


 口には出さぬ。しかし彼の残した学業と今の神経質そうな態度を見ればおおよその見当は付く。学べば学ぶほどに人間の醜さと信仰の無意味さを知り、絶望、自暴自棄になりて今に至る、大方そんなところだろう。


「しかし、あるいは今からにでもここを引き払うことになるやも知れぬ瀬戸際、気遣いよりも言っておかねばならぬことがひとつありましてね。」

「…言っておかねばならぬ…こと?」

「ええ。難しいことをいろいろ考えて、見たくもないものが見えて、何一つとして改善する手立ても見つからず絶望に打ちひしがれることもあるでしょう。私も情熱に燃える若いころはそんな事の繰り返しでした。でもですね、そのたびに毎度気が付くのですよ―――」



「―――どれだけ悩もうが沈もうが、腹は減るということに。」



 その言葉を聞いて、青年は見せたことも無いような顔をしていた。目を丸くして、ぽかんと口を開けていた。勿体付けた割にはあまりにも当然すぎる生理現象、さしもの陰鬱な青年でも呆れるというものだ。


「いくら思考を巡らせても、それは我が身あってのこと。そして実体のある生き物である限り腹は減るし食わねば生きていけない。そしてこの人間界、食うには仕事をして稼がねばならない。真理に近づこうとする試みも結構ですが、それに阿り過ぎて今この世で生きていくための努力を怠ってはいけません。体を壊してしまえば考えることもできませんしね。教義は教義、生活は生活、割り切っていかないといけませんよ。」


 しかし、確かにある意味において的を射た理屈であった。真理の追求のために学び、絶望し、今の姿に身をやつした。潔癖を求め過ぎたがゆえに堕ちたそんな青年の考えを、ハンマーで殴り倒すかのような、老人の経験からくる正論。あるいは俗世の理屈を受け入れていればここまで堕ちることもなかっただろう。青年は、己を顧みなさ過ぎたことを今この段になって後悔した。


「まあ、食うにギリギリの貧乏所帯が言えた義理ではないですけどねぇ、ハハハ。」

「いえ…確かに神父様の言う通りでした…しかしなぜ今になってこのようなことを?」

「貴方、職業訓練を受けていないでしょう?子供たちに教えてた機織り仕事とか。もし今日この教会が壊されまた路頭に迷ったら、一番仕事にありつけなさそうなのは貴方じゃないですか。だからせめて考えだけでも改めてもらおうと思って…」


 その時、青年は確かに笑った。情けない我が身を心配してくれる老人の思いやりが、妙にくすぐったかったのだ。



 しかし、その笑顔はすぐに曇り隠れた。



 突如として上がる火の手。すわカマド係がやらかしたのかと思い厨房を見回す。しかし厨房そのものに変化は確認できない。つまりこの火は外から投げつけられたもの。


 火矢だ。


 気付いた時にはもう遅かった。その瞬間、さらなる火矢が教会目掛けて無数に飛び交ってきた。





「ああ~なんちゅうこっちゃ~。あいつらこの辺でもタチ悪うと評判のスパイク盗賊団やがな~。まさか白昼堂々こんな辺鄙なとこを襲撃するなんて予想外にもほどがあるわ~!」


 火矢を次々と打ち込み、教会を取り囲むのは、傭兵崩れと思しき完全防備の盗賊集団。ジャンゴの言葉を信じれば、彼らはスパイク盗賊団というのだろう。そして当のジャンゴとその部下たちは、わざとらしい悲鳴を上げながらゆっくりと退散していた。まるですべて計算づくだったかのように。


―――やられた。


 すべてはこのための布石だったのだろう。周囲の影響を恐れ現場を離れた決闘者たちだったが、それこそが罠だった。厄介な用心棒を遠ざけ、本命のスパイク盗賊団に教会を襲撃させる。それこそがジャンゴの、そして裏に潜むロメロの目論見だったのだ。


 しかし気付いた時にはもう遅い。老朽化著しい建物である。おもしろいように火が回り、あっというまに炎に包まれた。ろくすっぽ動けぬ子供や怪我人は炎に巻かれ、からがら脱出した者たちもスパイク盗賊団の手にかかる。凄惨な地獄絵図が神父と青年の目の前で繰り広げられていた。そして、彼らの身にも―――




 そんなことはつゆ知らず、獣魔将と勇者の仲間は決闘を続けていた。リビングデッドは凡そ土塊に還り、ナイフも無数に地面に散らばっている。息を切らすロゴスの弾は尽きたと言える状態だった。さりとて対手は平気かと言えばそうでもなく、ティガルドもまた全身にまさに百や千になるほどの傷をこさえ、随分と疲労困憊している。決闘はここに至り泥仕合の様相を呈してきた。


 ふとした瞬間、五感に優れるティガルドは、耳で、鼻で、そして目で、遠く離れた地に起こる変異を感知した。それは、教会のほうから伝わる木の焼ける音と焦げ臭い香り、そしてはっきりと立ち上る黒煙であった。


「…余所見してんじゃないよ!!」


 その一瞬の隙を突き、ロゴスが攻勢に出た。肉壁と投擲による遠距離攻撃を捨てた、ティグレスのような直線突進。しかし打撃など期待できるべくもない四十路女の特攻である、一体何ができるというのか。


 しかし困憊と異変で反応が遅れたティガルドは、ロゴスのその接近を許してしまった。ようやく気付き慌てて振り返る虎の顔に、手の平ををかぶせる。ちょうど突き出た鼻頭を包み込むような形。そしてその手の平の感触が呼吸を感知した瞬間、ロゴスは火炎魔法を爆裂させた。


ぼうんっ


 ティガルドの顔面にも銀毛は生えている。この火炎であっても顔はまるで無傷であった。しかし呼吸器はそうはいかない。呼吸によって空気と共に吸い込まれた火炎が鼻・気管支・そして肺を焼いた。内腑を焼かれる痛みに、さしもの獣魔将も悶絶する。


「がはぁっ!!?」


「一か八かの賭けだったけどうまくいったようだね!この勝負私の勝ちだよ!!」

「くそっロゴス…卑怯者め!!」

「負け惜しみにしちゃあ随分な難癖だねぇ!今の一発はどう考えても正々堂々だろうよ!」

「違う!貴様は囮で俺を遠ざけその隙に教会を焼く、その卑劣な手口のことだ!!」


 身に覚えのない話だった。しかし、ティガルドが指さす方向を見やると、人間の肉眼でもはっきり見えるほどに火の手が上がっている。そしてその方向は、確かにあの教会があるあたりであった。


「こいつぁ一体…どういうことだい…?」

「とぼけるか貴様!?」

「とぼけてなんかいないよ!アタシにも何が何だかで…こうなったらジャンゴの野郎をとっ捕まえて吐かせるしか!」


 ロゴスは瞬間移動魔法の詠唱を始めた。と、その途中で大きな掌がローブの裾を引っ張る。


「俺も連れていけ…!身の潔白を証明したいなら証人がいるだろう…!」

「…なんでそこで上からの物言いなのかねアンタは。」


 ロゴスの体がぼうっと淡い光に包まれたかと思うと、その身がふわりと宙に浮いた。次の瞬間には急加速し、弾道弾のように宙を飛ぶ。裾を掴んだままのティガルドはそのスピードを身に受け悶える。しかし真実を知るためにその掌を離すことは無かった。





 移動魔法により教会へはあっという間に戻れた。そんな二人を待ち構えていたものは


燃え盛る教会


見知らぬ傭兵めいた格好の男達


大人子供関係なく斬り捨てられた死体の河


そして今まさに、青年を庇い斬撃を浴び倒れ行く神父の姿



「おい確かこの爺さんが一番の標的だって話じゃなかったか!?じゃあ分け前は俺が一番多く貰っていいんだよな!?」


 神父を斬った男が悪びれることなく武勇を誇る。来たばかりで状況は掴めぬ、しかし何であれ許されざる光景。ティガルドは困憊した体を押しスパイク盗賊団に立ち向かおうとした。


 しかし次の瞬間、彼らを襲撃したのはティガルドではなかった。神父を斬った男の上体が何者かに殴られ、風船のように爆散した。その突然の怪死に場に居合わせたすべての者が驚愕する。そして、彼らはその怪死体を作った男の姿を見て、二度驚愕した。


 不揃いの白髪はざわざわとさざめき、小枝のようにか細かった体は筋骨が盛り上がり修道服を裂く。病人のように力なく青かった顔は真っ赤に染まり、眼球の白黒が反転した瞳をかっと見開いている。そして、それを感知できるものは2人しかいなかったが、ここら一帯を闇に還してしまうのではと思うほどの瘴気が全身から溢れていた。



―――これが、あの修道士の青年だとはとてもとても思うまい。



(い…一体何者なんだいこの子は!?)

(当時の俺と同じく魔将軍クラス…いやあるいはバルザーグ様に比肩するほどの…!?)


「ひっ…ひぃぃぃぃぃ~~~!!」

「にっ…逃げろぉぉぉぉぉ~~~~!!!」


 先程までの威勢はどこへやら、スパイク盗賊団は踵を返し逃げ出し始めた。無理もない、輝世暦前ですらお目にかかれぬような強靭な魔物にエンカウントしたようなものだ。逃げるのも仕方のないこと。しかし行った残虐行為は許されるべくもない。魔物と化した青年は制裁を与えるべく後を追おうとした。


 しかし駆け出すことは出来なかった。走りだそうとした瞬間に、張った肉体がガスの抜けた風船のようにしわしわと萎み、我々のよく知る青年の姿に戻っていったのだ。何由来で得た力かは知らぬが、どうにも人の身に余る強大な力でありそうそう維持できるようなものでもなかったらしい。そのまま前のめりに倒れ気絶。未だ燃え盛る教会を背景に、満身創痍の獣魔将、眉間に皺寄せ苦い顔をする魔導士、大地に突っ伏した謎の修道士が佇んでいた。





 スパイク盗賊団による凶悪な強盗放火事件、警察機構たる州衛士隊はこの事件をそう結論付けた。しかし未だに捕まえられぬ武闘派の盗賊、我々の力だけではどうにもできないかもしれない、と州衛士隊長は付け加えた。勿論、その背後にいるであろうロメロの存在について取り沙汰されることは無かった。





「よくやってくれた。報酬の300万ギャラッドだ。」

「その『よくやってくれた』ってのは囮として、って意味でいいのかしらねぇ…?」

「何か不満でもあるのか?」

「別に。ただこのロゴス様をあんなふうに使うなんて随分なお大尽様だなぁ~と思って…」

「ふっ、実際に金ならあるからな。いくらお前が勇者アランの元仲間とて、今はワシに雇われの身、どちらの立場が上かは明白だろう。そう、今はあの時代とは違う…金のある者こそが強者だ。のう、元強者のロゴス?」

「…あー、さいですね。アタシみたいな日雇い魔導士、ロメロ様には敵わないっすわー。じゃあそういうわけなんで、貰えるもん貰って退散しまっさ。」


 翌日、ロゴスはロメロ邸にて金を受け取っていた。しかしてその表情は、仕事を成し遂げた満足感とは無縁の、実に不貞腐れたものだった。





 一方、ロゴスと激闘を繰り広げたティガルドはといえば、未だ教会にいた。いや、正確には教会の跡地か。なんとか燃え残った壁にもたれかけ、抜け殻のように空を見上げていた。程なくしてロメロの手の者がここに別荘を建てる算段に来るだろうが、その時どうするかなどは考えていない。


 その隣では修道士の青年が、同じように壁にもたれ空を見上げている。気に入らぬ男、得体の知れぬ男ではあるが、同じく恩人を目の前で失った者同士だ、ティガルドは邪険にせず隣を許す。


 空は嫌味なほどに青かった。数日前なら美しき世界に相応しい美しい空と思えただろうが、この世界の汚い側面を目にした後となっては新手の皮肉にしか思えない。あの腐れ外道どももこの青空を謳歌していると思うと、わけもなく腹も立ってきた。


「……僕はかつてガリア教会にて神童と呼ばれていました。」


 突然、青年が口を開いた。突拍子もない自分の過去語り。本来なら鬱陶しいと文句をつけるところであるが、心の傷を誤魔化したいのだろうと思いティガルドは無根で耳を傾けた。


「いや、そう呼ばれていい気になっていたというのが正しいですね…教典を読みその言葉を要約するだけで大人たちは僕を持て囃しました。そしてこの子なら神の作りたもうたこの世の真理を解き明かせると期待し、自分もその様に努めました…」


「しかし学べども学べども真理には追いつけず、それどころか俗世との乖離に悩まされる日々。悪を成すものが富を得、正直者が馬鹿を見る…ガリアの教義とは何だったのかと打ちひしがれる日々…」


「それでも諦めきれなかった僕は、学べるものは何でも学ぼうとしました。まるで狂気に取り憑かれたかのように…東方大陸の異教、暗黒大陸の密教、そうそう、貴方の親玉を崇拝する悪魔信仰者にも師事しましたっけねぇ…そんな無茶が祟ったせいか、僕の体はいつしか貴方たちと同種の存在になってしまいましたよ…ふふっ、驚きましたか?同郷の者以外にこんなのが居て。」


 なるほど、それがあの瘴気と悪魔めいた姿の真実か。ティガルドは納得した。難儀な男が無茶をしたせいという自業自得なれど、それをあげつらう気は無かった。語意に混ざる無常観を感じればこそ、彼らしからぬこのおしゃべりも納得は出来よう。


「こんな体になっては神の僕など出来はしない…そう絶望し僕は教会から姿を消しました。そして自暴自棄で行き倒れているところをあの神父様に助けられ…そしてこのザマですよ。こんな力を得ても、奴らの汚い陰謀の前には何の役にも立たなかった…ふふふ…怖いですよね?貴方も人間なんて魔物よりもずっと邪悪で狡猾な存在だと思ったでしょ?」


 しかし、その言葉がティガルドの逆鱗に触れた。すくっと立ち上がり青年の胸ぐらを掴む。力を開放していない針金のような体では、やすやすと片手で吊り上げられた。


「人間が魔物より邪悪!?馬鹿も休み休み言え!!俺達魔界の住人はこの世界を闇に塗り潰そうとした大悪ぞ!!悪意において矮小な人間に負けるわけが無い!!…そう、俺達がその気になれば人間の悪党など及びもつかない程の悪を成すことができるはずだ!!」


 青年への文句というよりも、己に言い聞かせるような言い方だった。彼は悔しかった。悪を良しとする魔界を討った者が得た世界が、同じくあのような悪の存在を認めるとするのならば、自分たちは一体何のために滅ぼされたというのか。主も仲間も配下も無駄死にだったのか。そんなふうに思いたくない一心で、魔物の悪辣さを声高に叫んでいた。



「おうおう、こんな廃墟で男二人して何盛りあってんだい?気持ち悪いからやめとくれよ。」


 いよいよもって手に力が入り青年が絞め落ちそうになったところに、聞き覚えのある声が飛んできた。ティガルドは我に返り青年を下ろし、声のする方を向く。そこにいたのは予想通り、燃えるような赤毛の女だった。


「…ロゴス、騙し討ちは貴様のあずかり知らぬことだったということは認めよう…故に報復する気も無いが、だからと言って話すことも無い。俺が心変わりせぬうちにとっとと立ち去れ…」

「つれないねぇ獣魔将のダンナ。折角多生の縁と思ってアンタらにも耳寄りなお話をもってきてやったてのに、そういう言い草は無いんじゃないの?」

「耳寄りな話?」


 目の前の男二人も反応を示した。それが思惑通りで嬉しかったのか、ロゴスは少女のように無邪気で、しかし悪魔のように裏のある、そんな笑顔を見せて言った。



「アンタら宿無し金無し浮浪者に、いい儲け話を持ってきてやったんだけど―――」



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