其の三

「―――そう、私はドリスという金貸しに金を借りていました。そのドリスがあの晩、飲みに行こうと言い出したのです。ケチな金貸しにしては珍しく代金は向こうが持つとまで言い出して。今思えば怪しい話です。しかし金を借りているという立場上、奴の頼み事は断り難く、また無料ただ酒の誘惑もあって二つ返事で答えてしまいました。


歓楽街で数件飲み歩いたあと、秘蔵の逸品を開けたいからと家に誘われ、奴の自宅で何やら濃い酒を一杯飲み干して、それからの記憶は完全にありません…


翌朝、女郎屋のガリニィ夫婦がやって来ました。その手にはドリスが保管しているはずの借用書。そしてそこには譲渡を承認する私のサインが確かに記載されていました。書いた覚えのないサイン、酔いつぶれて抜け落ちた記憶…からくりに気がついた時には既に妻は屈強な男たちに無理やり店に連れて行かれた後でした。


勿論納得など出来るはずもなく、毎日奴の店と州衛士の屯所を駆けまわり妻を返してもらうよう頼む日々。ふと隣を見れば、同じように奴らに嵌められ妻を奪われた方々がいました。私たちは結託しました。個人では無理でもこれだけの人数が集まれば奴らも物怖じするに違いない、州衛士も動いてくれるに違いない、そう思ったのです。


しかし私に限って言えば、それは最早まったくの徒労でした。

私の妻は舌を噛んで果てたと、ガリニィの妻シルヴィから言い渡されたのです…

まったく堪え性のない女だとの侮蔑の言葉と共に…


最早穏便に済まそうなどとは考えることができません。所詮借金に喘ぐ貧乏人の頼み料、ようやく集めてこの程度ですがもし願い叶うのなら…この恨み、どうか…どうか晴らしてください…」





(この「仕事」、やはりリュキアは外すべきでしょうか…?)


 この依頼を受けた夜、神父は霊安室で佇んでいた。WORKMANの面子はおらず何時ものミーティングではない。ただ一人、季節が夏に近づき湿気がいっそう血生臭さを際立てている石部屋で、この因果な「仕事」について考えていた。思い出すのは百ゆう余年前の今頃、この部屋に「仕事」のニアミスによって引き合わされたリュキアを連れてきた日の事―――





「へえ、女郎屋行って女連れで『仕事』帰りたぁ、堅物の神父様にしちゃ珍しい。」


 石造りの霊安室に寝かしつけられた女と親父の顔をちらちら見ながら、ドワーフのガンノスは茶化して言った。石畳のままでは苦しかろうと布団を敷いている。百数十年前のこと、今の鍛冶職ガンノスに比べれば随分と顔の皺は少なく、筋肉にも張りがあるように見える。一方の神父はどういうわけか今とまるで変わらない、怜悧な瞳を眼鏡で隠した白髪なれど若々しい姿だった。


「それはそうとガンノスさん、口入屋のナーフはちゃんと仕留めてきましたか?」

「おうよ、当然だろ…って、もう少し何かリアクションしてくれねぇもんかね?」


 ガンノスの茶々をまるで意に介さず、自分の話を推し進める。神父にこういう話をしても無駄だとはわかっていたものの、それでもこの肩透かしは話を振った側としては堪えるものだ。


「まあ実際上玉ですよこの娘は。何せあの『エルフの怨霊』なのですから。」

「なっ!?…マジか、噂は聞いていたが、まだこんな子供じゃねえか…」


 床に横たわり気を失っているダークエルフの身体はまだわずかにあどけなさが残る。エルフ族は長命ではあるがその大部分は青年期、故に少女の姿でいる期間は人間のそれとさほど変わりない。成人一歩手前のそのような短い人生の間に、大陸中に名の響き渡る殺戮者となったということは、なるほど彼らが驚愕に値する事実だった。


「…まあそれはそれでだ、その怨霊をこんなところ連れてきてどうするつもりなんで神父様?州衛士の屯所に突き出すとか?」

「まさか。お上に覚えのいいことをしても利は無い『仕事』でしょうに私たちは。私が考えたのはその逆、この娘をWORKMANに引き入れられないか?ということです。」

「なっ、なんだって!?」

「そろそろ私達二人だけで回していくのも辛くなってきましたし、ここらで人手が欲しいとは前々から考えていましたからね。この娘なら若くとも腕は申し分ない。それに何故に女衒女郎屋を殺して回るのかの理由次第では十分に取引は成立するでしょうね。まあそのためにはまず彼女の事情を―――」


きらり


 数本の燭台だけが灯りである薄暗い部屋に、ほんの一瞬僅かな煌めきが見えた。一直線に首を目掛けて飛んで来るその煌めきに対し、神父は右腕を差し出し行く手を遮る。その右手首になにかしらが締め付けるような感覚が走った。目を凝らして見れば艶めいた黒い糸。そしてそれは、先程まで気絶していた少女の手元から伸びていた。


「成る程、これがあなたの得物ですか。目視もされにくく証拠も残りにくい。確かに今日まで多くの人間を闇に葬りながら足がつかなかったことも頷けますね。」

「………」


 目を覚ました瞬間に臨戦態勢に入った少女は、異様なまでに嫌悪感溢れる視線でこちらを睨んでいた。半ば意識のないまま放浪の旅を繰り返していたリュキアだが、気絶から意識を回復した副作用なのか、久々に己の意識のあるままの自衛である。これを見てガンノスも懐から仕事道具でもあり「仕事」の得物でもあるノミを取り出し構えたが、神父は左手でそれを制止する。


「命の恩人に対して随分なご挨拶ですね。」

「………」

「ゴンガに返り討ちに合い首を絞められていたところをお助けしてここに連れてきたのですよ。まああの男は元より私達の手にかける予定でしたので、もののついでですが。」

「………これがその見返りということか?」


 その言葉を聞いて神父ははっとした。薄暗い部屋、男二人に女が一人、一枚の布団…「そういう場所」での殺しを繰り返してきた少女である、この状況で連想するものは、まあ、決まっていることだろう。いつもの隠れ家とはいえ、ロケーションの不味さを今更ながらに後悔した。


「…確かに、うら若き女性を介抱するには無粋極まりない場所でしたね。失礼しました。」


 神父はほんのり顔を赤らめて謝った。少女の警戒は未だ解けない。


「ここまで構えられている以上、言葉を濁しても余計に疑われるだけですね。では単刀直入に言いましょう。

我々はWORKMAN、ここザカールにて他人の恨みを金で晴らすことを生業とする殺し屋ギルドです。」


 望まぬ経緯とはいえ、闇の世界に足を踏み入れた側の存在である。その名は聞くとはなしに聞いてはいた。しかし目の前にいるのは聖職者と鍛冶職のドワーフ、およそ暗殺者とは呼べない風体である。しかもその秘密中の秘密の存在が何故自分の前でその名を明かしたのか、それについてもまるで理解し難いものであった。


「………その殺し屋共が、私に何の用があるというのだ?」


「これも単刀直入に申しましょう。我々と手を組んでもらえませんか?」


 自分を棚に上げるようなリュキアの質問にも、神父は冷静に答えた。しかし言われた方はまるで意図がつかめない。警戒を強め黒糸をわずかに引き絞る。


「貴女が仕留め損なった売春宿のゴンガ、奴は口入屋のナーフという男と組み、働き口を求める女性の弱みを握っては自分の店で働かせるという所業を繰り返していました。それ故彼らを強く恨む者が私達に彼らの暗殺を依頼しました。まさか噂の『エルフの怨霊』と鉢合わせることになるとは思ってもみませんでしたが。」


 いよいよ鬱血を始めた右手を前にしても、神父はその冷静な態度を崩さなかった。淡々と事を順立てて説明していく。


「この手の『仕事』は実に多い。貴女がいかな目的を持って女衒や女郎屋を殺して回っているのかは存じあげませんが、依頼に限定するのなら貴女を手助けできる。逆に我々も人出が欲しいので、貴女の目的とは異なる我々の『仕事』も手伝っていただくこともあるでしょうが。双方にとって得のある話だと思いませんか?」


 表情に見合った淡々とした申し出だった。感情論の入り込む余地のない単純な損得勘定。しかしリュキアはこの提案を一笑に付した。


「………巫山戯るな。そんな提案飲むと思うか?」

「悪い話ではないと思いますが?」

「………金で動く殺し屋風情と一緒にされること自体が不愉快だ。」

「まあ貴女の目的は私達の知るところではないですからねえ。」


 リュキアは苛立ちとともに更に糸を締め上げる。柔肌とは言い難い男肌ではあったが、流石にこれほどの頑丈な糸で締め付けられられれば流石に裂傷が入りそうだ。しかし神父は顔色一つ変えずに彼女の話に耳を傾ける。


「………お姉ちゃんが言っていた。他人を不幸にしてまで幸せになろうとする奴は幸せになんかなれない。人を売り買いして無理やり嫌な仕事をさせる奴らなんてその最たるもの…」


「………なのに、あのエルフ狩りで王様の一族が皆お姉ちゃんの言う通り不幸になったってのに、あいつらだけは同胞を売り、私腹を肥やし、もっと幸せになっている…」


「………だから私が不幸にしてやってるんだ!お姉ちゃんの言う通りに、正しく世界を回すために!」


 そう熱を上げて語るリュキアの目には狂気が宿っていた。あるいは本当に黒糸に宿る怨念に魅入られていたのかもしれない。ともかくその姉の金言が彼女の中で肥大化し、かような狂行に駆り立てたということは理解できた。年端も行かぬ娘がこのような狂気じみた妄想にとらわれるまでの経緯を考えると、ガンノスはぞっとしない気分だった。


 しかし神父だけは至って冷静であった。


「成る程、悪行は己の身に返り破滅を導く、その言い分はガリア教の教義としても御尤もですね。つまり天に変わりて罰を与えている、と。」

「………そうだ、流石に神父だ。よくわかっている。」


「ならば貴女も、程なくして罰を与えられ破滅することでしょう。」


ぶしゅっ


 その神父の言葉を聞いて、一瞬で怒りが沸点へと達したリュキアが黒糸を勢い良く引き締めた。すると糸は遂に皮膚を引き裂き肉に達し、血が吹き出る。薄暗い部屋の中ゆえよく目視できたものではないが、今も腕を伝いぽたり、ぽたりを音を立てて血が滴り落ちているのは確認できた。


「………どういう意味だ?私が間違っているとでもいいたいのか?」

「ええ、まあ。考えてもみてください。貴女が葬ってきたのは木の股から生まれた何かではなく確実に血の通った人間。ならば親が居るのは道理、あるいは妻や子のいる者もいたかもしれません。なればあなたの殺戮行為は


その者たちを悲しませ、不幸にしているからです。


他人の不幸に貶めたものがその見返りを受けるのが真理なら、貴女がその報いを何時か受けるのは当然ですよ?」


 リュキアははっとした。狂気に輝く眼の光も次第に収まっていく。


「………し、しかし…悪人の縁者など…」

「先刻殺されたゴンガは、売春宿の経営者として多くの女性を不幸の底に叩き落とした外道ですが、家庭においては妻と五人の子に恵まれた一人の父親でした。彼の息子たちもよく礼拝に来てくれて、朗らかで明るくて…それを思うと酷い話だとは思いませんか?手に掛けたのは私ですが。」


 考えもしなかった事実にアイデンティティを揺るがされるリュキアは必死に反論の言葉を紡ごうとする。しかし圧倒的な真実の前にあのような詭弁を維持することはできない。体から力が抜け、目が泳ぎ、歯の奥がガタガタと震えだした。と同時に、神父の腕に巻き付いていた黒糸もはらりと解ける。


「天罰を与えうるものは神のみ、人の身でそれを成そうとすることは出過ぎた行為。そして神が等しく因果を巡らせるならば、身勝手な人殺しの末路など想像するだに凄惨なものとなるは必定。貴女も、もちろん私達も…」


 それでもなお、自分たちのような「仕事」の需要が尽きないことが世の中のままならぬことだ、と神父は語りながら思った。あえて口には出さなかったが。


「私達が市井に紛れ、徒党を組むのは、その因果から少しでも遠ざかりたいが故の悪あがきに過ぎません。情報を交換し、仲間同士でフォローしあう、言うなればただのリスク削減。貴女が何かしらの目的のために生きながらえたいのなら、我々と組んだほうがいい。今日よりももっと無残に、目的も果たせぬまま逝くよりは、ね…」


 親父の言うことはもっともだった。姉の金言を信じていればこそ、彼の語る最期を避けることはできないだろうと悟る。そして瞼の姉に会えぬまま果てるのも御免こうむる。なれば彼の言うことを聞くことが得策だと頭では理解している。しかし、今までの人生を否定されるような悔しさが、彼女の頭を下げさせなかった。


「………人間の下につくのはゴメンだ。」


 ようやくひねり出した理由は、人間への嫌悪。感情論とはいえ、人間族に翻弄され続けた彼女が断るには十分に足る理由。それを聞いた神父は立ち上がり、壁にかかった燭台をひとつ手にとった。そして再びリュキアに目線を合わせるようにしゃがみ込み、自身を照らした。


「それは人間でなければ断る故も無い、という意味でよろしいですかね?」


 蝋燭の灯が、はっきりと親父の顔、そして先程の傷口を照らす。その様子に、リュキアは恐怖に近い驚きを覚えた。


 右手首の傷口から滴る血の色、それは真紅ではなく赤紫。腐った葡萄の絞り汁のような、ドス黒さを帯びた気持ちの悪い赤紫。少なくとも、人間の血の色ではなかった―――





 最終的に「目的を果たすその時まで」という期限つきでWORKMANに与する約束となった。翌日には偽造の修了証がと修道服が用意され、シスターという表の顔と教会という寝床も手に入り、リュキアの放浪と殺戮の旅はひとまずの終わりを迎えた。そしてそれからが新たなる殺戮の日々。WORKMANとして誰かの恨みを晴らすための暗殺、その内にある出会いと別れを繰り返す中で、すっかりとその流儀に染まっていった。100数年の間で、狂乱は鳴りを潜め、口数もどんどんと減り、できるだけ心の平均を崩さないように、努めてクールな感情を心がける今のリュキアへと変遷するのだった。


 さりとて姉の事を諦めたことは一日ともなかった。生活の中暇を見つけては色街に降りて上層を収集する日々。もはや手遅れかもしれない、徒労かもしれないと思うことも多々あったが、それでも続けずにはいられなかった。その末でのたまさかの再会。その喜びはひとしおだっただろう。それこそこれまでの経緯を忘れて、元の明るい自分に戻るくらいに。


 あるいはこれで約束通りこの「仕事」から足を洗うという選択肢もあった。しかし後ろ髪引かれる思いがしてそのことを神父に告げることはなかった。いや正確には後ろ髪を引かれるのではなく、地の底から湧き出る無数の手が、逃がすものかと己の足を掴もうとする感覚だっただろうか。はたしてその嫌なヴィジョンが結実したかのように、姉は恨みを買い、WORKMANの的にされるような外道へと身をやつしていたのだ。


「………因果は巡る。か…」


 教会の自室で、偶然にも神父と同じく出会ったあの日を回想していたリュキアは一人ポツリと呟いた。





 翌晩、ギリィの店。時間が時間だけに店は閉まり灯りも落とされている。窓から入る月明かりに照らされた店内には二つの人影。しかしその身長はハーフリングのそれではない、つまり家人は留守である。人影は何をするでもなく店内でじっと何かを待つように佇んでいる。やがて、店主のギリィが息を切らせながら帰ってきた。物々しく戸を開け、そしてすぐさま閉める。そして何かしら警戒することもなく、人影に話しかけた。


「言われた通り張ってたが、やっぱりアイツら裏でつながってやがった。金貸しドリスの顧客の中から縁者に美人がいる人間を選んでから、酔わせて意識が薄れたうちに無理やり譲渡のサインを書かせる。頼み人の言っていたまんまだ。今し方この目で見て来たんだから間違いねえぜ。」


 暗闇でもうっすら確認できる白髪の人影がすっくと動く。その拍子に眼鏡に月明かりが反射し光った。神父である。


「やはりそうでしたか。ご苦労様でしたギリィさん。さて、今の今で見てきたというのならすぐさま動くしか無いでしょうね。これ以上犠牲者を出すのも心苦しいですし。」

「しかし勿体ねェなァその情報。表の仕事で使えりゃいい手柄になると思うんだが…なあ神父様、この『仕事』止めてちょっと譲ってくれませんかね?」

「寝言は寝てから言うものですよ、ベルモンドさん。」


 神父は話しかけてきたもう一つの人影、マシュー・ベルモンドに釘を刺す。暗くてよく見えないが多分不貞腐れていることだろう。


 察しの通り、これは依頼を受けた上でのWORKMANの会合である。しかしいつもとは趣が違う。場所は教会の地下霊安室では無いし、何より一人足りない。また的を見張るにしても、いつもなら表の仕事が忙しいギリィに行かせる筈もない。そう、明らかにもう一人のWOKMANを極力避けているのだ。


「…で、やっぱりリュキアは今回の『仕事』からは外すのかい?」

「それが懸命でしょう。血縁者が的となれば冷静ではいられない、心が乱れればミスに繋がる、ミスを犯せば皆磔刑台の上に並ぶことになる。最悪、我々から逃すために情報を流すかもしれませんし。

何より、血を分けた実の姉を手にかける『仕事』に参加させるのも、あまりにも偲びないじゃないですか…」


 その言葉を聞いて、マシューとギリィはうなだれた。およそ肉親と呼べる者はもうこの世には居ない二人ではあるが、かかる羽目に遭えばどれほど辛いかは容易に想像できる。


「というわけでベルモンドさん、ガリニィ夫妻はまとめてお願いできますか?」

「…ああ、素人二人たたっ斬るぐれェの手間、どうってことねェよ。」


 今宵の『仕事』の内訳を確認すると、神父は手にした袋の中身をテーブルの上に開けた。ころがり落ちたのは銅貨が四枚。頼み人が言う通りの、なけなしの頼み料だった。


「ホントにたったこんだけかよ…まあ小悪党の相場と思えばこんなもんだな、うん。」


 落胆を誤魔化すように自分に言い聞かせながら、銅貨を一枚手に取ろうとするギリィ。するとその横から素早い動きで手が飛び出し、有無を言わせぬままに銅貨を二枚掠め取った。


「手間じゃねェが歩合は歩合だ。ひとり多く殺るぶんも貰って行くぜ。」


 マシューはそのままマントの下に銅貨をしまうと、そそくさげに店の外へ出て行った。その浅ましい様子に、ギリィと神父は顔を見合わせ、やれやれといったていのリアクションをするのだった。





「では確かに、借用書はお渡しいたしました。礼金のほうも頼みますよ?」

「ああ、ならアイツの嫁さんには頑張ってもらわないとな。」

「しかしアイツ、北町のパン屋だろ?あそこの女将さんって言やあ音に聞こえた美人じゃないかい。それがよくもまああんな借金持ちの甲斐性無しと一緒になったもんだねぇ。やっぱり男は選ばないと、私みたいに!」


 金貸しドリスの店の裏手に、シルヴィの嘲笑が響いた。その手には借用書。ギリィの報告通り、先程譲渡のサインを書かせたものだ。奥の居間にはまだそのパン屋の男が酔い潰れて深い眠りについている。そして今まさに、男に気付かれぬうちにガリニィが退散するところであった。


「最近は州衛士も嗅ぎまわってきてますからね。そろそろ潮時かと…」

「はっ!州衛士ぐれえでビビってんのかドリス!?こういうのはな、勢いのあるうちにやるだけやっちまうのが一番なんだよ!」

「そうそう、男は度胸男は度胸!これからもじゃんじゃんウチに人の嫁送ってきてくれよねぇ!」


 彼らも多少酒が入っていたのか、ガリニィ夫妻はドリスの弱腰をさんざんわめきたてながら帰っていった。彼らが見えなくなるのを確認すると、大きく呆れたようにため息を付いた。


 ドリスは憂鬱だった。酒場で知り合った流れ者の女郎屋に、儲け話があるからと乗っかった。結果大きな儲けは出たが、彼らにはどうにもリスク管理の概念が足りない。勢いのままに走り過ぎる。前にいた州を出て行ったのも、その勢い任せで何やらしでかしたのが原因なのだろう。しかしここまで付き合いが深くなった以上、有事の際の縁切りも難しい。今はいいにしても、本当に大事に発展した時どうしたものか、そんな暗い未来を考えるとどうにも憂鬱で仕方なかった。


―――もっとも、もうその大事に発展してしまっていたのだが。


 もうひとつ憂鬱なことがある。酔い潰れた顧客を外におっぽり出す作業だ。このまま家の中で寝かしておく訳にはいかない。相手の記憶が無いのだから後々での言い訳はどのようにでもできるが、そういう状況にするのは自分の肉体労働だ。今日のパン屋はそれなりに身体が大きい。運ぶ苦労を考えると尚更憂鬱になるドリスであった。


 居間まで戻り扉の前に立つが、どうにも様子がおかしい。ドアから灯りが漏れていないのだ。火に対して用心深い男なら出入りの度につけたり消したりはするのだろうが、ドリスはそういう人間ではない。どうせガリニィたちを見送るまでの間だからとつけっぱなしにしていた筈なのだ。風が吹き込み火が消えるような通気のいい箇所も無い。不思議に思い、代わりの種火を持ってくる前に一通り調べてみようと中に入った。しかしいざ居間に入ったはいいが、やっぱり真っ暗で何も見えない。それでもなお、暗がりでも目立つような原因があるんじゃないかと思い、手探りしながら奥へ奥へと入っていく。


 突如、がたり、と物音がした。テーブルの下あたりだろうか、音のした方に近づく。暗闇に慣れてきた目にぼんやりと、テーブルに突っ伏して眠りこける男の姿が映った。こいつの寝相か何かだろうと思い、確認のためさらに近づいた。


 しかしそれこそが、WORKMANの罠だった。


 テーブルの下から大型犬ほどの物体が飛び出し、くるりとドリスの後ろ側に回った。何者かと振り向いて確認をしようとするドリスだが、何故か首が後ろに回ってくれない。それは既に飛び出した物体―――WORKMANのギリィが背中に取り付き、首を押さえつけていたからに他ならなかった。


「~~~~!!~~~~!!!」


 その左腕で首を抑えると同時に口も抑えられ、叫ぼうにもうめき声しか出せないドリス。わけがわからぬままもがくその男の首筋に向かって、ギリィは右手から伸び上がる長針を突き刺した。頚椎の節を確実に貫いた針は脊髄を伝うように伸び上がり脳を破壊する。そして、まさにぜんまい仕掛けの玩具のように、うーうーと音を立てながらもがいていた男の動きがぴたりと止まった。


 実にあっけのない「仕事」。まさに銅貨一枚に相応しいなと皮肉めいたことを思いながらギリィは現場を後にしようとした。その時、酔い潰されて眠る男の姿が目に飛び込んできた。


(こいつ…このまま置いてったら多分殺人容疑でお縄だよな…)


 このままならおそらく翌朝には、部屋でドリスの死体と一晩過ごした姿が目撃されることだろう。だとすれば死因はともかく状況的には言い逃れはできない。自分の犯行の隠れ蓑になるのならそれに越したことは無いとも思わなくもないが、それはそれで寝覚めが悪い。


「まったくよぉ…こんなサービス今回だけだぜ…!」


 眠りこける男を起こさないように慎重に背負って脱出する。人間のドリスが重くて運ぶのが億劫と思ったほどの大男だ、いわんやハーフリングの小柄な身体では尚更だろう。必死になって三軒先の路地まで運び、そこの壁に押し倒して、ギリィは銅貨一枚では割にあわない仕事を完遂するのだった。





 一方、ビジネスパートナーの最期など露も知らぬガリニィ夫妻は、帰り道の途中だった。夜に賑わう彼らのホームである色街とは違い、市街地はしーんと夜の静寂の中にあり、彼ら以外には人っ子一人通りかかる気配もない。仲睦まじく語らいながら歩くさまは、本人らの邪悪さはともかく、遠くから見るぶんには良い夫婦のようにも見えた。


「おや?これはこれは先日はどうも…」


 人っ子ひとり出会わないような道なりで、ようやく見かけたのは夜回りの州衛士だった。似合わないマントを羽織り、ぼさぼさの髪を掻きながら人懐っこくシルヴィに近づいてきた。ばれない自信はあるとはいえ後ろめたいことをしている身である、自警組織の人間に呼び止められたとあってはガリニィは警戒し睨みつけざるを得なかった。


「そういえば妹さんとはあれから何か話はされましたか?」

「い…いや、あれからはとんと会ってないね…いろいろ気まずくてさ…」

「お、おい…お前ら何の話をしてんだよ…?」


 先日の姉妹喧嘩のこともぐいぐいと突っ込んでくる州衛士・マシュー・ベルモンド。シルヴィは、先日とはまるでキャラの違う彼の食いつきように狼狽し、ガリニィの不安と苛立ちはどんどん加速していく。


「いやまあ姉妹のことに口出しするのもおこがましいとは思うんですがね、妹さん確か教会のシスターやってるでしょ?神さん関係の人とわだかまりが残ってるとなーんか不安になるじゃないですか、いやホント気分的な問題でしかないんですけど…」

「おいアンタそのへんにしとけよ!うちのが困ってんじゃねえかよ!!」


 圧力に耐え切れず、ガリニィは啖呵を切った。刺青だらけの強面の男である、マシュー自身の体の小ささもあって、その恫喝する様は子供へのカツアゲのようにも見える。


「うちのを揺さぶって言質でも取ろうってのかこの州衛士が!言っておくが俺らは無実だからな!被害者面した連中が何言ってるかは知らねぇけどよ!そもそもその無実を証明したのはテメエらじゃねえか!おう!?」

「いやそんな…何怒ってるんですか~?そんな下衆な勘ぐりじゃないですってば~。あなた方が法的に問題無いことは我々が太鼓判押してますから!ほらこんな…ポーンって…」


 怒れるガリニィをなだめすかすかのようにおどけるマシュー。そのバカバカしさに怒りよりも呆れが先立ち始めた瞬間


ざしゅっ


ざしゅっ


 隠し持ったサムライソードによる斬撃二閃。鞘から抜き出すがままの居合いでガリニィを逆袈裟断ち、そして返す刃でシルヴィを真っ向から斬りつける。真っ二つまではしなかったものの、おそらくは致命傷。月明かりが切り口から噴き出る血の花を照らし、やがて二人は折り重なるように倒れた。


「法的に問題はなくとも、人として間違ってんだよ手前ェらは…」


 いつも通り倒れた的を一瞥した後、マシューは踵を返してゆっくりとその場を去ろうとした。



 その時である。



 彼の背後で斃した筈のシルヴィがむくりと立ち上がり、彼の行くほうの反対へ向かって駈け出したのだ。



(まさか、討ち漏らした!?)


 マシューがその変異に気付いた時には、シルヴィは数十メートル先を走り去ろうとしていた。再度踵を返しこれを追おうとするが、死に際の馬鹿力なのかシルヴィは女性らしからぬ脚力で駆けまわる。対するマシューはサムライソードを手にとっては無双の剣客ではあるのだが、元は虚弱体質、単純な身体能力においては同年の成人男性に大きく劣る。なんとか追いついて止めを刺そうと追いかけるが、その差は縮まることはなかった。斬られた後遺症なのか、大声・叫び声が上げられないようなのが不幸中の幸いだろうか。街の人間が眠る中、ただひたすらに街道で追いかけっこが繰り広げられていた。


―――慢心といえば慢心だった。これまでの「仕事」においては仕掛けて仕損じなど一度たりともなかった。ついさっきにも大口をたたいた上に頼み料を多くちょろまかしていた。それがこの体たらくである。全く恰好の悪いことだ、恥ずかしくて顔から火の出る思いである。


 今になって思えば切っ先が鈍ったという感覚は確かにあった。そしてそうなってしまった理由もまた明白である。


(ツレのあんな顔見せられてよ…マジに殺れるわけなんかねーだろーがよォ!!)


 己の胸の中で泣くリュキアの顔。気丈で冷徹な仲間が初めて見せた弱さ。「仕事」にあたり忘れたつもりであった。しかし潜在的に心の奥底に残っていたその姿への動揺が、繊細さを要するサムライソードの扱いにおいて大きく現れてしまったのだろう。


 しかし原因を追求し言い訳を考えてもそれは何の意味もなさない。結果が全てだ。今ならば人の目が無い故なんとか無事ではあるが、彼女のホームである今なお眠らぬ色街に戻られれば誰もがその変異に目を向けるだろう。さすればシルヴィの口から全てが語られ、己自身が州衛士のお縄にかかり、最悪明日には磔刑台だろう。それだけは何としても避けねばならない。しかしその差は縮まるどころか、徐々に開いていった―――





 その最中、二人の追いかけっこの行く手の先に人影が見えた。まだ色街には入っていない。しかし市街とてこんな真夜中に出歩く人もいるかもしれない。そう考えるとマシューの心を絶望が覆った。


―――しかしその目の前に立ち塞がった者は、追う者も追われる者もよく知る人物であった。



(何でアイツが…?この「仕事」からは外されたはずじゃ…)


彼女の耳に入らぬよう、内密に事を進めてきた。

にもかかわらずリュキアがそこにいた。

修道服ではなく、「仕事」のための革地の装束で。


 ふと神父が口にした懸念事項が頭をよぎる。自分たちを裏切り肉親を逃がす可能性。的に追いつくどころかこいつを相手取らなければならないことを考えると、マシューには最早走る気力は残っていなかった。


「りゅ…リュキ…あ…逃げ……て…ころしや………」


 シルヴィは喋ることもままならぬ口で、目の前に立つ妹に逃げろと言う。裏の顔も彼女の殺し技も知る由もない姉は、死の淵にありながら妹の身を案じ心からの言葉を投げかけた。外道に堕ちきったと思ったシルヴィだが、まだ妹を想う人らしい心も残っていたということなのだろうか。


 しかし全てはもう遅すぎた。姉も、妹も―――


 走り来るシルヴィを、リュキアは首に手を回しながら包み込むように抱きとめた。先程まで命の限りの全速力を出していたシルヴィだが、まるで時の流れが遅くなったかのように、さも自然にその足が止まった。


「………ごめん、姉さん…私ひとつだけ隠し事をしてた…」


 目に涙を湛え、リュキアがシルヴィの耳元で呟く。息も絶え絶えで白目を剥く彼女にその声が届いているかどうかは怪しかったが。


「………私…WORKMANなんだ。」

「………知らないかな?世の中の恨みをお金貰って晴らすおしごと…」

「………おねえちゃんのきらいな悪い人を殺すおしごと…」

「………って、こんなおしごと続けてたら私もぜったい地獄行きだよね…」

「………だから、先に向こうで待っててよ…私もじきに行くと思うから…」


 腕を回すと同時に、黒糸もシルヴィの首に巻き付いていた。涙声で姉に呼びかける度にその手は引き締まり、黒糸はどんどんとシルヴィに食い込んでいく。そして、別れの言葉をかけ終わると同時に、姉は妹の手の中で息絶えた。何故かその表情は先程までの必死の形相ではなく、実に安らかなものだった。





 マシューは、道の真中で尻餅をつきながら、息を荒立て姉妹の悲劇の一部始終を眺めていた。自分勝手ながら、まず第一に思い浮かんだ感情は「助かった」というものだった。眼前のリュキアは姉の亡骸を道の端に寄せると、マシューに近づき手を差し伸べた。


「お…おう、すまねえな。俺のミスでこんな手間ァかけさせて…」


 その手をとって立ち上がろうとするマシューを、リュキアは払いのけた。再び無様に尻餅をつく。


「………違う、そうじゃない。」

「は?」

「………お金。」

「なっ…何を?」

「………頼み料。どうせアンタのこと、私の取り分もガメてる筈。」


 図星だった。しかし結果的に尻拭いをしてもらった手前返す言葉もない。それに実際一人を取り逃がし討った的は一人、二人分の「仕事」をするからという詭弁も通用しない。渋々ながらマントの内から銅貨を一枚取り出し、リュキアの手に乗せた。その金をしまう彼女の顔は実に無表情だった。


「まったくよォ…心配して損したぜ、色んな意味で…」


 ボサボサ頭を掻きながらマシューが吐き捨てるように言った。そして二人は、息が整い立ち上がれるようになるまで、ただ月を眺めていた。道を行く人は一人も居なかった。




 いたずらに人の命を奪っていった少女は、その業により姉を自らの手にかけることになった。後日一部始終を聞いた神父は因果の巡りというものの残酷さを感じずにはいられなかった。これまでの因果がすべて振りかかるのなら、自分らに待ち受けるのはいかに無残な最期か、それを思えば空恐ろしい気分になる。しかしそれでも、人の世に恨みと理不尽がある限り、WORKMANはただ前を向き進まなければならないのだろう。どこぞで野垂れ死ぬその時まで―――





 翌朝、ベルモンド家。前日期せずして深夜のマラソンを演じたマシューは実に腹が減っていた。食が太い方ではない。しかし今日の朝はしっかり取らねば仕事の最中栄養失調で死ぬかもしれない。そのぐらいの空腹を感じていた。


 しかし、自分の食卓の前にはパンが一切れあるだけだった。


「おいフィアナ、フィアラ!今日はしっかり食べたいんだけどこれは一体どういうことだよ!?」


 命に関わることである、流石にマシューも恐いメイド相手に声を荒立てて説明を求める。しかし彼女たちは彼の必死さ以上の威圧感でこれをスルーした。


「い…いやですね、その~パン一切れじゃさすがに昼まで持たないよな~なんて…」

「ご自分の胸に聞いてみたらどうですか、主様?」


 マシューはあっさり折れて下手に出る。しかしメイドの姉妹の怒りは収まりそうにない。なにか悪い事でもしただろうか?いや怒らせる心当たりなら山とあるが、ここまで怒らせるやらかしとなると流石に記憶に無い。


「いやもう、ホントすいませんでした!!何が悪いのかわからないけど本当にすいません!!」


 遂には圧力に耐えられず、マシューは土下座した。そこに主たる威光は微塵も見えない。その情けない姿に呆れたのか、フィアナがようやく口を開いた。


「まったく~…お世継ぎもままならないのに女遊びとはいいご身分ですよね~」

「はい?」

「人伝いに耳に入ってきたんですよ~。色街で店も開く前からダークエルフの修道女に泣き付かれてたって~。」

「よっ色男!女泣かせ!そんな金があるなら生活費に回せ馬鹿!!」


 あの時だ―――マシューははっとした。姉の豹変にショックを受けたリュキアに、泣く用の胸を貸してあげたあの時。あの時は人目など気にしていなかったが、なるほど誰かがあのロケーションでその状況を見ればそう解釈するのも当然だ。納得はした、しかし完全なる誤解である。


「ちっ…違うんだ!アレはその…あの…『仕事』の同僚で…あっ、いやそうじゃなくて…」

「州衛士と修道女がどうやってお仕事の同僚になるんですか!?誤魔化したいならもっとまともな嘘をついてください!」

「というか嘘をついている地点でアウトですけどね~。私達が納得できる真相を話していただけるまでは覚悟してくださいな~主様~。」


 ブチ切れてまくし立てるフィアラに対し、いつも通りの糸目でフィアナが言った。にこやかな顔に見える表情だが、確実に目が笑ってない、そんな顔だった。




 因果応報。成した罪咎はいつか自分に還るもの。人の恨みと言ってはいても、殺しの因果もやがては巡り、いつか私も地獄道。しかし使用人に女遊びを疑われ、飯抜きのまま野垂れ死にだけは幾らなんでも無様が過ぎるので勘弁願いたいマシューであった。

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