其の二

(そういえば、「仕事」以外でここ来るの久しぶりだなぁ…)


 丘の上の教会に至る道を歩きながら、アクセサリ職人のギリィ・ジョーはそんなことを考えていた。彼は数日前から神父に教会のレリーフの修復を依頼されていたのだ。「仕事」での付き合いも長い相手だが、ことこの修復作業に関してはそういうものを抜きにして正規の値段で依頼をしてきており、彼も快く仕事ができたという。期日よりも三日ほど早く仕上げてしまったギリィは、こうして早くも納品に来たのだ。


 小高い丘を登り切ると小さな教会と、門前で庭の手入れをするひとりの修道女の姿が目に飛び込んできた。ダークエルフのリュキア、彼女もまた「仕事」の仲間、つまりギリィにとっても知らぬ仲ではない。だからこそこのように二人きりで対面した時のリアクションにも困るのだ。クールというか虚ろというか、ともかく言葉をかけるだけ無駄という気がしないでもない。


(でもまあ、無視すんのもバツが悪いし挨拶だけでもしとくか…)

「よお、リュキア―――」





 程なくして州衛士、マシュー・ベルモンドが教会を訪れた。見回り警備の時間だが、彼がここに来た理由は仕事の関係ではない。勿論「仕事」の関係でもない。むしろその真逆、サボりの為だった。そろそろ暑くなる季節、冷えた茶でも出してもらおうかなどと考えながら丘を登る。


 上まで辿り着いた彼の目に飛び込んできたのは、やはり小さな教会と褐色の修道女、そして石のように固まり直立するハーフリングの姿だった。


「おや、ギリィじゃねェか。珍しいな真っ昼間にこんなとこで…っておーい?どうしたってんだよ…?」


 ギリィの目の前で手を振り意識を確認する。彼の顔は驚愕したまままるで動かない。まるで神話に言われるメデューサを目の当たりにし石化した者のようであった。その様子に、リュキアも不思議そうに駆け寄ってきた。


「おうリュキアか、また邪魔するぜ。これよりもコイツどうしちまったんだ?まるっと固まったまま動きゃしねェ…ってお前に話しても無駄か―――」


「はい、こんにちはベルモンドさん。ええ、先程からのギリィさんの様子ですよね?私が挨拶を返した途端こんなふうになって…一体何があったっていうんでしょうか?」



 マシューの顔が、隣のハーフリングと同様の表情に固まった。



「誰だお前―――――――!!!!!????」



「何だその今まで築いたクールキャラを返上するようなおっとり刀は!?」

「いつもの文頭の三点リーダー3つはどうした!?」

「慣れないっつーか似合わないっつーか鳥肌立つわ!!」


 硬直が解け、堰を切ったような男たちのツッコミが走る。リュキアは当惑しおたおたするが、その様子もまたいつもの彼女とは到底かけ離れた姿であり、二人の混乱はさらに増すばかりであった。事態を集取すべく、リュキアは釈明する。


「そうですよね、よくよく考えたら二人が驚くのも無理ないですよね。今の今まで心配事で心を病んで、無愛想で無味乾燥なままだったから…」

「そうだな、知り合った頃からその無愛想で無味乾燥なままだったからな…」

「でも心配事が解決して、目の前が明るくなったら、暗いままじゃいられなくなって。」

「そりゃいいが、何をそんなに急展開するようなことがあったんだよ…?」


「そこから先は私の口から説明しましょう。」


 表で大声が聞こえたからか、教会から神父が出てきて話を遮った。


「リュキア、今の変わった貴女がお話を続けていてはお二人の耳にも入っていかないでしょうからね。理解してもらえるよう私から言いましょう。ですので貴女は庭の掃除を続けて下さい。」

「はい、神父様。」


 仏頂面がディフォルトだった以前では想像すらもできないようないい笑顔で、リュキアは答えた。





―――話はAパートラストに遡る。


「………シルヴィ姉さん!?シルヴィ姉さんなの!?」


 絞り出すような声だった。久しく声を張り上げることなどなかった女である。声帯の使っていない部分が震え、あるいは対手にぎりぎり届いていないかもしれないくらいの声量。しかし、リュキアの望みを込めたその呼びかけは、確かに馬車から降りるダークエルフの女の耳に入っていた。


 その容姿は華美で、顔にもかなりきつ目の化粧が施されており、リュキアの記憶の中にあった優しげな姉シルヴィとはあまり結びつく要素はない。対するリュキアもまた、当時の純朴な姿とはかけ離れた陰を湛えている。長いこと会っていない状況で、お互いが血の分けた姉妹であると気付くのは難しいかもしれない。実際、呼ばれた方のダークエルフは何事かと怪訝そうな顔をしていた。


「………姉さん!忘れちゃったの!?私よ、リュキアよ!」


 しかし姉妹の絆というものは不思議である。知らぬ顔であるにもかかわらず何故か無視できない。そして暫く見ているうちに記憶のピースが次第に組み合わさっていき、遂には瞼の妹の姿と結合した。


「リュ…リュキア?あなた、まさか…本当に!?」


 濃いシャドーを纏った瞳に涙が浮かんだ。お互い最早半ば諦めていた再会。昼間の色街という奇妙な地で、姉妹は奇跡の再会を抱き合いながら喜ぶのだった―――





「つまりまあ、探し人が見つかって心の闇が晴れたということですよ。」


 マシューとギリィを教会の中に上げ、茶を出しながら神父が説明したことの仔細は以上の通りである。二人が急に明るくなったリュキアの謎を納得するには十分すぎる理由であった。


「まあ何にせよ目出度ェ話じゃねェか。このまま『仕事』を続けられるのか?とか、再会した場所が場所とか、気にかかることは山とあるけどよォ。」


「だな。今のツラで『仕事』なんかしたらちょっとしたサイコパスだろ。それに例のエルフ狩りで人買いに売っ払われた連中も少なくないってのに、色街で再会ってのも素直に喜べそうな発想にはならねぇよな。」


「成る程、ではそのあたりもご説明したほうが良さそうですね。」





―――越してきた新居の一室に椅子とテーブルだけ運ばせ、リュキアはそこに通された。居抜きの空き屋、決して古臭いというわけではないが、そういう店舗特有のじんめりした空気が鼻につく。


 程なくしてシルヴィが一人の男を連れてやってきた。濃い目の化粧を施した女と居並ぶに似つかわしい、タトゥーやピアスを全身に施したいかにもな男。リュキアがかつて衝動のままに絞殺してきた人間と同じ人種。彼女の眉がぴくりと動く。


「紹介するよ。こちらが私の旦那、ガリニィさ。」

「どうも、話には聞いていたがシルヴィにこんな可愛い妹がいたとはなぁ。」

「駄目だよアンタ、妹にまで手を出すような真似は。」

「わーってるよ、冗談だ。」


 驚きはなかった。凡そ予想の範疇であった。しかしそれでも、その手の人間と姉が結ばれたという事実はあまりよい気分にはなれないしバツも悪い。リュキアの眉が再びぴくりと動いた。


「人間の追手に捕まって、お前と離れ離れになってからは、まあお決まりのパターンさね。女衒に売られ、体を売って、流れ流れて幾星霜さ…」


 シルヴィは遠い目をしながら続けた。


「身持ちを崩さず今までやってこられたのがまず奇跡だよ。加えてこうやってこの人に見初められて苦界から引き上げて貰えたんだ。その上妹とまで再会出来て…本当に私は幸せものだよ。」

「………そうなんだ、よかったね。」


 柄の悪い夫に寄り添い艶かしい視線を送るシルヴィ。嫉妬と嫌悪感がリュキアの胸をもたげるが、姉の幸せそうな姿を見て言葉を飲み込んだ。


「そういうリュキアは今何をしてるんだい?」


 今度はシルヴィのほうから質問が飛んできた。しかも一番回答に困る類だ。リュキアはクールな外見に似合わぬ慌て振りを見せる。


「………えっと、修道女。見ての通り…」

「へぇ本物なんだ。俺はてっきり土地柄そういうプレイの衣装かと…」

「茶化すんじゃないよバカ。妹も困ってるじゃないか。」

「………う、うん、ちゃんと神父様に言われて中央教会の許可証も貰ってる…」

「へぇ、神父様ねぇ。じゃあアンタもいい男に拾われたんだ。」


 妹の安寧な状況を確認し、シルヴィが笑みを浮かべる。いい男に拾われた―――そう言われると微妙なところだ、とリュキアは思った。確かに神父はいい人ではあるのだが。



「―――じゃあねリュキア、何か困ったことがあったらすぐ来なよ。」


 あの後ひとしきりの思い出話に花を咲かせ、この日の再会は終わった。姉の変容、つがいになった男の素性、そして決して話せぬ今の「仕事」―――正直、心に引掛ることは枚挙にいとまがない。しかし、姉が無事で元気だったという事実は何にも代えがたい喜びだった。そのことが次第にリュキアの心の闇を照らしていき、数日後には今のような明朗な自分を取り戻したのだった―――





「あらベルモンドさん。もうお帰りで?」

「あ、ああ。神父様にもまた世話になるって伝えといてくれ…」


 帰路につくマシューがリュキアに挨拶をする。その歯切れの悪い挨拶の通り、彼は不穏なものを感じていた。売られたエルフが金持ちに見初められて結婚などという例はままある。かつて的にかけたライナスもそのたぐいだった。それ自体に違和感はない。問題は男が女郎屋ということだ。


 女郎屋が遠くから流れてくるなどということは大抵地元でやらかして逃げてきたのだと相場が決まっている。だとすればそのガリニィという男、そして妻のシルヴィは―――嫌な予感ほどよく当たるマシューは、リュキアの幸せそうな姿を見ながら、今度こそ外れてくれと願わずにじゃいられなかった。



―――しかし、その嫌な予感ははたして現実となった。





 それは数日後の夜回りのことだった。特に夜盗の通報もなく、市街の見回りもそこそこにマシューは色街の巡回に入った。違法な店を取り締まったり、金子を包まされてそれを見逃したりしながら道を行く。どちらかといえば異性交友には純なマシューはあまりこの周辺は好きではないが、こうやって小銭を稼げるのならやぶさかではなかった。多少財布も潤い気を良くしていると、突如街の角の方から怒声が飛んできた。


「どうしたどうした、こんな所で喧嘩か!?」


 お世辞にも仕事熱心とは言えぬマシューではあるが、これほどの騒ぎとなれば動かざるを得ない。声が上がった店の方まで駆けて行く。見れば男が一人、既に店の見張り番に取り押さえられているところだった。


「妻を返せ!!この詐欺野郎!!」


 男は這いつくばらされながらもうわ言のように繰り返し叫んでいた。その様子を見下ろすのは店主らしき男と、彼に付き添うダークエルフの女。嫌な予感のピースががしがしと音を立ててはまっていく。


「えーっと、この辺じゃ見ない顔だけど…新入りか?」


 口伝えで知っている人間ではあるが面を突き合わせるのは初めてである。ひとまず店主らしき男に確認がてら話しかけた。


「ええ、ノルン州から越してきましたガリニィと申します。こちらは俺の嫁のシルヴィ―――」

「人の妻を連れ去った男が、よくもまあ自分の嫁を紹介できたものだな!!」


 組み伏せられた男が口を挟んだ。すかさず見張り達がさらに深く押さえつけ黙らせる。さすがにこの穏やかでない状況に、さしもの無気力州衛士も口を挟まずにはいられなかった。


「おいおい物騒だな。いやホントに何があったんだよ?」

「いえ、端的に言えばこの男の借金を肩代わりしてやる代わりに、嫁さんにこの店で働いてもらう契約をした。ただそれだけですよ。」


「嘘だ!確かに俺はドリスという金貸しに借金をしていた!だが返す当てもあったし、あんたらに肩代わりを頼んだ憶えはない!なのに借用書が勝手に流れて無理やり妻を連れて行ったんだ!すべてお前らの悪巧みなんだろ!?」


 いけしゃあしゃあとした態度のガリニィに、男の怒りが頂点に達した。地に伏したまま暴れその身を震わすさまは、病気の治療のために取り押さえられた強肩のようである。そんな男の姿を、シルヴィは見下すように眺めた。


「全く情けない恰好だねぇ。そもそも今そんな恰好してんのも、嫁さんを連れて行かれるのも、全部自分の情けなさのせいじゃないかい?それを棚に上げてこっちが悪いみたいに…ねえ州衛士さん、アンタもそう思うよね?」


 シルヴィが艶めかしく身をくねらせながらマシューに擦り寄る。と同時にポケットに金子を滑りこませた。こうなると下っ端州衛士としては辛いところである。


「まあ契約文書が関わってくるとなるとこの場でどうにか出来る問題じゃないわな。まず落ち着いて屯所で話を伺って、しかるべき手順でお上に注進しないと。そういうわけだからちょっと見張りさんお借りしてもよろしいですかな?私一人の力じゃあ屯所まで連れていけそうにないので。」


 マシューの申し出にガリニィは二つ返事で答えた。見張り達は男を引っ張りあげ屯所まで引きずる。男は勿論暴れたが、さすがに疲れたのかやがて力ない怪我人のように吊るされながら運ばれていった。


(随分な傑物になっちまったなァ…リュキアの姉ちゃん…)


 事件そのものも気になるが、やはりマシューを悩ませたのはシルヴィのことだった。話に聞いていた優しい人物像とはかけ離れたその姿。絶対にリュキアの耳に入れるべきではないと思った。



 しかし、人の口には戸は立てられぬものである。



 先日の男以外にも借金のカタに妻を連れて行かれた者は大勢いた。それだけの人数がいれば悪評はどのようにも広まる。街外れにある丘の上の教会にも届くのは時間の問題であった。





「おやリュキアじゃないか。どうしたんだい?」


 夜の店が開くか開かないかの夕刻、リュキアはガリニィの店を訪れていた。余程急いできたのか、随分と息が上がっている。その面持ちに数日前のような明るさはない。空には急に湧いた雨雲が夕日を隠さんとしていた。


「………姉さん…姉さんのお店で人妻に体を売らせてるって噂は…本当なの?」


 息を整えたリュキアは開口一番核心に触れる。シルヴィは口をつぐんだまま答えない。


「………姉さん!?」

「…ああそうだよ。世の中人の嫁を抱きたいなんていう趣味の悪い連中も多いからねぇ。そんなんでも需要は需要、応えてやるのが商売ってもんさね。」


 一瞬息を呑み、全く悪びれること無くシルヴィは答えた。その態度はリュキアにとってとても耐え難いものだった。心の奥から湧き上がる感情が、再び使い慣れない声帯を揺らす。


「………なんで!?なんでそんな非道いことを許してるの!?」

「………お姉ちゃん言ってたよね!?誰かを貶めて得た幸せは本当の幸せじゃないって!自分が幸せになるために他人を踏み台にしちゃいけないって!なのに…そのお姉ちゃんが…何で…!?」


 笑顔同様、誰にも見せたことのないような顔だった。慟哭―――信じていた者に裏切られた心の痛みをそのまま声で表すような叫び。その声は確かにシルヴィに届いた。


しかし


「そんなガキの頃の理想論、今更持ち出されたってねぇ!私だって決して忘れたわけじゃないわよ!でもね!人間に捕まって体を売らされ諸国をたらい回しにされて、そんな理想嘘っぱちだって自分で気付いたわ!他人を蹴落としてでも自分だけは幸せになりたいって、心の底からそう思えた!」

「ガリニィと結ばれた今、もっと多くの人を踏み台にできる!そして私はもっと幸せになりたいのよ!!」


 返ってきたのはシルヴィの、彼女の人生を物語る慟哭だった。ぶつかり合う感情は完全に平行線、矛を収めるべき妥協点は見当たらない。空はいよいよ雨模様を呈してきた。


「教会に拾われて今までぬくぬくと生きてきたアンタにはわからないでしょうけどね!」

「!?………お姉ちゃ―――」


 売り言葉に買い言葉だった。リュキアがあれからいかに自らの手を地に染めてきたか、神父との出会いがいかに彼女の凄惨な運命を決定づけたか知らぬが故の暴言だが、このような言い方は流石に姉といえど心外だった。思わず平手を構える。


―――しかし、その手を止めたのは意外にもマシューであった。


「どんな形であれ暴力はやめとけ。後で厄介なことにならァ。」


 リュキアの手首を掴みマシューは矛を収めさせようとする。その面持ちと口調には少しばかり「仕事」で見せる彼の中身がはみ出していた。リュキアをそのまま横にやると、そのままシルヴィの前に立ち話し始めた。


「借用書の譲渡の件、州衛士で調べたところ確かに本人確認のサインが入ってました。仰る通りお宅は無実でしたよ。仮に裏があるとすりゃ…それは騙されるほうが間抜けだったってだけでさァ…」

「そう、州衛士からそう言ってもらえるなら安心だわ。」

「じゃあ今日はそれだけですんで。開店準備の邪魔して申し訳ない。コイツも私が連れて行きますんで。」


 互いに含みのある会話を交わし、一礼してマシューは去っていった。リュキアの手は握ったまま彼女も引っ張って歩く。3分ほど歩いたところだろうか、リュキアはその手を振りほどいた。マシューが振り返ると、そこには瞳に涙をたたえた、今にも崩れてしまいそうなほど弱々しいダークエルフの姿だけがあった。


「…『仕事』のよしみだ。頼りねェ貧弱な体だが、泣く用の胸ぐらいなら貸してやるよ…」


 一瞬の間のあと、リュキアはわっとマシューの胸に飛び込み、泣いた。人目も憚らず、泣いた。空はいよいよ曇り、とうとう雨も降りだした。その雨音が、誰も聞いたことのないであろう彼女の嗚咽を掻き消していた。変わり果ててしまった姉、そして恐らく彼女に向けられるであろう恨みの矛先。それを思うと、泣かずにはいられなかった。



♪広い野原で 鮮やかに

 咲いてる花は 何の色?

 目立てば誰かに 手折られる

 手折られ花は だぁ~れ?



 手折られ花の名ははシルヴィ。手折るその手は、WORKMAN―――


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