第五話 リュキア、手折られ花に涙する

其の一

♪広い野原で 鮮やかに

 咲いてる花は 何の色?

 目立てば誰かに 手折られる

 手折られ花は だぁ~れ?


 街に一人買い物に出ていた丘の上の教会の修道女・リュキアの耳に懐かしい童歌が聞こえてきた。ふと声のする方を見ると幼子のエルフたちが歌に合わせた遊戯に興じている。手で目隠しした子を囲んで回り、歌の終わりと同時に中央で目隠ししていた子が自分の真後ろに立っている子を当てるというゲームだ。


「え~っと…リリアちゃん!」

「あーたり!じゃあ次は私ね。」


 当てられたリリアという名の子が今度は中央に立って目隠しをする。以下は同様である。実に微笑ましい光景ではあるが、それを見つめるリュキアの表情はすぐれない。自身も幼き頃によく聞いた懐かしの童歌を耳にしているのに、である。いやむしろ、より悲しみに満ちていたといっても過言ではない。


それは、その童歌の本当の意味を知っているから―――





「よお神父様、今暇か?」

「ええまあ、貴方ほどではないですがね。」


 昼過ぎ頃、州衛士マシュー・ベルモンドは丘の上の教会を訪れていた。例によって見回りにかこつけたサボりであると直感した神父は、眼鏡を光らせ彼の挨拶に皮肉で返す。


「酷ェな神父様、今日はちゃんとした用があって来たってのによォ。リュキアの奴は外してるよな?」

「はい、買い物に行って貰っていますが、彼女に何か?」


 本当にリュキアがいないのか、マシューは念入りに辺りをキョロキョロ見回す。そして神父に耳打ちするように小声で話しかけた。余程彼女に聞かれては都合の悪い話なのだろう。


「いやな、昨日夜回りしてた時のことなんだが…まァ夜回りとなりゃ住宅街や商店街よか色街のほうを監視するのが常なんだがよ…そこでな、見かけちまったんだ。リュキアの奴を…」


なぜか顔を紅潮させたままマシューは続ける。


「そういうお店たァ縁がないっつーか対極にあるキャラじゃねえかアイツもよ。そんな奴をあんな所で見つけたわけだからそりゃ驚いたの驚かないのって!まさかそういうお店を兼業してるのか、あるいは男遊びに嵌ったのか…そしてこの事実を神父様は知ってるのかってことよ!事と次第によっちゃあ…」


 馬鹿に神妙な面持ちで神父に詰め寄る。頬は真っ赤なままだ。そんなマシューの様子を見て、神父はぷっと吹き出した。


「ええ、勿論知っていますとも。というか私が彼女と知り合った頃からずっと続けていますし。」

「えええええええええ!?」



「そう、数十年前からずっとやってるんですよ。人探し」



 慌てふためくマシューの前に、実にあっさりとした正解が提示された。思わず口をぽかんと開けたまま間抜け面を晒す。と、次第に恥ずかしさが潮のように引いていき、今度は別の気恥ずかしさがマシューの胸に満ちてきた。


「いやいや、彼女の性格を考えたらむしろそういう結論に行き着くのが自然と思うのですが、何20にもなって思春期の少年みたいな妄想をしているんだか…しかも昨日今日知ったかのように言いに来るなんて、どれだけ表の仕事を不真面目にやっていたんですかね?」


 ぐうの音も出ないほどの正論である。返す言葉もない。考えても見れば普段の言動から、女性を物のように扱う行為に対する憎悪の深い娘だ。そんな者が自分からその立場になるような真似はするはずもないのだ。加えて表仕事の不手際の指摘。マシューはただ恥ずかしさで縮こまるだけだった。


「し、しかしよ、人探しって一体誰を探してるんだ?しかもあんな所で。」

「彼女の年齢とその間に起きた事件を考えれば、察しはつくのではないですかね?」


「…172年のエルフ狩りか、やっぱり」


 心当たりのあるフレーズを口にし、苦い顔をするマシュー。輝世暦172年ともなれば彼はまだ生まれてすらいない時代である。そんな彼ですらその名を知り、痛ましく思う事件がその時に起こっていたのだ。





 時は大ラグナント王国成立から4代目になる国王ジョアン・ラグナントの治世。子沢山で知られる彼には腹違い含め多くの王子がいた。そのうちの一人、長兄にして第一王位継承権を持つニルス・ラグナントが突如として失踪するという前代未聞の大事件が発生。


 自室に置かれた書き置きから、駆け落ちの線が濃厚となった。相手は恐らく当時絶世の美女と持て囃された舞台女優のエルフ・ロマリア。元より多産の父に血を最も受け継いだと言われ、若くして多くの浮名を残した王子である。その説は大いに納得できるものであり、民衆には「身分違いの恋の果ての逃避行」「世紀の美男美女カップルの熱情」と、一大ロマンスとして持て囃された。


 しかし当事者たちはそう呑気なことは言っている場合ではない。何しろ第一王位継承権を持つ王子の失踪である、王宮内での勢力バランスに与える影響は計り知れない。最も泡を食ったのが王子の母でもある第一王妃ミレアだった。王位が他の王妃の子に移ったとなれば今の地位を維持することはできなくなる、その権力への執着が狂気と化し予想だにしない事態へと発展した。


―――それが「エルフ狩り」である。


 ロマリアの同族が二人を匿っているという妄執に囚われた彼女は、軍を率い国を上げてエルフ族を締めあげた。五民平等の世であってはならぬ種族迫害、しかし狂騒する王妃ミレアの前に建前のモラルは意味をなさない。世論すら握りつぶし、エルフの集落を焼き、多くのエルフが捕らえら、殺された。


 そんな狂乱の事態とは裏腹に、事件は意外なまでにあっさりとした終局を迎えた。第一王子ニルスの失踪は、第二王子を立てる一部派閥の暴走による軟禁事件でしかなかったのだ。しかし予想だにしないエルフ迫害という事態への発展に恐れおののいた犯人グループは自首、ニルスの身柄も確保された。つまるところ、ロマリアも、エルフも、全く関係なかったのだ。


 思い込みの果てに取り返しの付かないことをしてしまったミレアは更に狂乱、王宮のど真ん中で自らの首を切り果てた。事ここに至って一応の被害者でもある第一王子も、一部の独断専行とは言え派閥の人間がこの事態の引き金を引いたことになる第二王子も、さすがに王位を継ぐことには憚られ若くして隠居、結局5代王位には第三継承権を持つ者が就いた。


 一方的な被害者たるエルフも、向こう数十年国の保証を得るに至ったものの、輝世暦316年の現在においても元通りというわけにはいかない。多くのエルフが村を焼かれ、心と体に傷を負ったままである。結局、関わるものすべてが不幸になった、そんな事件だったのだ。


 あるいはただ一人得した者がいるとすれば、捕らえられたエルフを秘密裏に色街に横流しして財を上げた人買い連中だけだろう。





「リュキアの村も未だ元通りではありませんからね。」

「馴染みの顔探すならそっちを当たるのが一番ってことか…」


 「仕事」仲間としては都合三年ほどの付き合いになるだろうか。未だろくすっぽ口も聞かず、笑顔を見せたこともない女、それがマシューのリュキア評だった。だが彼女のこれまでの経緯を考えればそうなるのも当然だ、マシューは得心したが逆に気が重くもなった。





♪広い野原で 鮮やかに

 咲いてる花は 何の色?

 目立てば誰かに 手折られる

 手折られ花は だぁ~れ?


 今でこそ童歌でしかないこの歌詞も、元は当時のエルフたちがロマリアを揶揄したものだ。彼女は高慢な女だった。己の美貌を鼻にかけ、寄ってくる高官や金持ち、王族の名をはばかることなく口にしていた。そしてその厚顔無恥な言動が「王子との駆け落ち」などという突拍子も無い発想へと結びついたことは想像に難くない。無論全ての元凶と言うにはあまりにも瑣末な話ではあるのだが、当時のエルフたちはこの美しく咲き目立ちすぎた花へ怨嗟を集めることで自身の境遇を慰めるしか無かったのだ。



(だからって、誰かを蔑んだところで自分が幸せになれるわけじゃないんだよ?)



 童歌によって思い出を掘り起こされたリュキアの頭の中に、懐かしい何者かの声が響いた。それは彼女を更なる過去への旅と誘うのであった。





 鬱蒼と茂った森の中、幼いダークエルフの姉妹が二人、肩を寄せ合っていた。姉は寝息を立て、神妙な目つきの妹の肩を借りている。日はとっぷりと暮れ、闇で三寸先もろくに見えず、辺りには虫や蛙の鳴き声とたまに野生動物の足音が聞こえるのみ。かような不安極まる状況にあって彼女たちが焚く灯火の炎はごく小さい。あまり派手に焚けば追手に自分たちの位置を知らせてしまうからだ。姉だけが寝ているのも、一晩中警戒を怠らぬよう交代で見張りをしているからなのだ。


 大陸の北東部、ノルン州の山間部に彼女たちの村はあった。市街地からも遠く交通の便も悪い場所である。めったに交易も無く、自給自足で独自の文化性を築いていたような村。そんな僻地のごく小さな集落にもエルフ狩りの手は伸びていた。村は焼かれ、多くの仲間が散り散りになった。捕らわれたか、さもなくば死か、仲間達の行方は用として知れない。ただ、道すがらに転がっていた死体から、伝統に則り髪を拝借して撚った黒糸の長さは、既に村より持ち出す以前の倍の長さに達していた。


 特殊な油で仕上げられた黒糸が、僅かな焚き火の光を受けて艶めく。妹はそれを見つめながら、己の境遇を呪った。何故私達がこんな目に遭わなければならないのか。遠因については風のうわさで聞いていた。遣る方無い気持ちが抑えられず、ついはやり唄が口とついて出る。


「…おねえちゃんはその歌嫌いだな。」


 ふと、耳元で声がした。横を向くと先ほどまで寝息を立てていた姉がこちらを見ている。


「あ、シルヴィおねえちゃんゴメン、起こしちゃった?」

「ううん、別に歌のせいじゃないよ。もうそろそろ交代の時間だと思って。」


 シルヴィと呼ばれる姉のダークエルフは、上体を起こし猫のように手で顔を拭く。


「それよりこの歌が嫌いってどういうこと?エルフ族はみんなロマリアが悪いって言って歌ってるんだよ?昨日死んだネーレさんだって…」


「うん…そうでも思わなきゃやってられないって気持ちはしょうがないと思うよ私も。でも、ロマリアさんを蔑んだところで自分が幸せになれるわけでも、この苦しみから逃れられるわけでもないんだよ?」


 妹ははっとした。と同時に己の狭量さがとたんに恥ずかしくなった。闇の中ではわからなかったが、明るいところならばきっと黒い顔がはっきりと赤くなっているのが確認できたことだろう。そんな様子を知ってか知らずか、シルヴィは話を続けた。


「誰かを蔑んでも自分が幸せになるわけじゃない。同様に誰かを貶めて得た幸せは本当の幸せじゃない。もしこの事件が誰かの悪巧みだとしたら、その人はきっと本当の幸せを手にすることは出来ないと思う。だからあなたにも、他人を蔑んだり踏み台にするような人にはなってほしくないな、おねえちゃんは。」


 シルヴィはよく出来た姉であった。村でも評判の気立ての良い娘ではあったが、この段に至って恨みつらみを口にすることを良しとしないほどとはさしもの妹も予想だにしなかった。そしてそんな聖人じみた姉をより尊敬した。


「…ちょっとお母さんのお説教みたいだったかな?」

「ううん!そんなことない!私ももうこの歌はキライ!おねえちゃんの言いつけ、ずっと守る!」


 暗くどんよりするようなことが続くこの状況にあって、妹は初めて目を輝かせた。シルヴィはその爛々とした顔を見るととても満足そうに微笑み、彼女を寝かしつけようとする。


「さ、とにかく追手が来ないうちに寝ておかないといざというとき困るからね。しっかり寝るんだよ。


じゃあね、おやすみリュキア…」





 この日から程なくして、第二王子派閥の実行犯たちが自首。奇しくもシルヴィが言った通り、この件で他人を貶めるような真似をした王宮の人間たちは皆不幸な結末を辿ることになった。エルフ狩りは急速に収束し、リュキアはすんでのところで助かったのだ。


―――しかし喜びをわかちあう筈の姉はリュキアの隣には居なかった。

二日前に彼女を逃がすため自らが囮となって追手の手に落ちていたのだ―――





 そこからの記憶は曖昧だった。

大好きな姉がいなくなったその日から既に喪失感に囚われ頭がまるで働かないでいた。当時を知るものがいれば幽鬼か何かのようだったと答えることだろう。黒髪はボサボサ、肌もボロボロ、光のない目は焦点が合うこともなく、おぼつかない足取りで人里を徘徊していた。


 最後に覚えている明確な記憶といえば、商品と称する同族に手を上げる女衒を、衝動的に黒糸で絞め殺したことぐらいだった。


 それからは大陸中を周り、街に着いては女衒連中を次々と葬る日々。その中で彼女の暗殺技術もどんどんと向上していき、体が成人と言っても差し支えないほどに成長した輝世暦175年頃には、今現在と遜色ないほどの腕前へと達していた。当時の人買い連中は彼女の存在を「今まで売買してきたエルフの怨霊」と噂し、界隈において恐怖の象徴と化すのだった。


 そのような日々の中で、記憶も曖昧なリュキアの意思がどれだけあったのかと言われれば難しいところであろう。何せ得物が死人の髪である、本当に怨霊じみた何かに突き動かされていたのではという気も、今になっては感じている。しかしかような人買い共は他人を食い物にして財を成す、つまり「誰かを貶めて幸せになろうとする」人間である。自分は姉の言いいつけを実行しているのだ、と薄い意識の下でそのような自己肯定を繰り返していた。





 輝世暦176年、ザカール州。流れ流れてたどり着いたこの地で、リュキアは今宵もまたいつものようにひとり女衒を手にかけた。州でも一番大きい非合法の売春宿、その胴元ゴンガ・ゴング。人間だてらに並外れた巨躯を誇る彼も、背後より頑丈な細い紐でぎっちりと首を絞められたとあっては最早立ってはいられまい。灯りもない事務室の隅で、足元に倒れる大男を一瞥している。


 しかし、その死んだはずの大男の腕が急に動き出した。


 彼が頑丈過ぎたのか、慣れきった暗殺からくる慢心か、はたまた怨霊の力が弱まっていたというのか。ともかく、リュキアは止めを刺しそこねたのだ。丸太のような腕が足元を払い、完全に不意を突かれたリュキアは倒される。間髪入れず、ゴンガはうつ伏せに倒れた状態から跳ね跳び、彼女目掛けて覆いかぶさってきた。


「はぁ~…はぁ~…これが噂に聞いたエルフの怨霊か…なんだ生身の女じゃねえか…はぁ~…だったら何も怖かねぇぜ…!」


 ゴンガは馬乗りになり、その大きな手でリュキアの首を締める。息も荒く絶え絶えな相手ではあるが、リュキアにそれを振りほどく力はない。同世代の女性とは思えぬ腕力で黒糸を引き絞るダークエルフとはいえ、かような状態であれほどの屈強な相手に組み伏せられてはさすがにどうしようもないのだ。


「………かはっ…!ごほっ…!」


 口の横から泡が噴出し始めた。数多くの女衒を殺してきた殺戮者が因果応報とも言える最期を迎えようとしている。リュキアの脳裏に思い浮かぶ走馬灯は、往々にして大好きな姉との思い出―――そして、見ず知らずの女達の無念の最期の瞬間。本当に見覚えのない光景が脳裏に流れ込んでいた。あるいは本当にこの黒糸に染み込んだ怨念に自分は突き動かされていたのか、今わの際に妙な疑問がよぎる。



―――瞬間、首を絞める男の手から血の鼓動が消えた



 首に伝わる掌の脈拍がぴたりと止まった。急な心停止などというものではない。まるで心の臓がぱっと消えてなくなったかのような印象の止まり方。やがてゴンガの全身が弛緩を始め、彼女の首を握る手も緩む。一切理解の追いつかない状況ではあるが、兎に角リュキアは一命を取り留めたのだ。しかし意識は今も飛ぶ寸前であるし、ぬるりと倒れ被さった大男を払いのけ立ち上がる力は残っていない。


「成る程、貴女が音に聞こえたエルフの怨霊さんでしたか。まさか『仕事』がバッティングしてこのような出会いになるとはね…」


 薄れ行く意識と覆いかぶさる大男に遮られた視界でリュキアが見たもの、それは赤黒い何かを右手に握りこちらを見据える白髪の聖職者の姿だった―――





「シスター様―!あぶないよー!!」


 子供たちの童歌で過去への旅路を続けていたリュキアの意識を引き戻したのは、その子供たちの叫び声だった。はっと我に返ると20メートル先に猛スピードの馬車。確かに危ないとしか言いようのない状況であった。動きづらい修道女の恰好だが、なんとか横に飛び退きこれを避ける。


「だいじょうぶ?シスター様?」

「あんなにお馬を飛ばして…あぶないじゃないか!」


 道脇に倒れたリュキアを心配して子供たちが寄ってきた。馬車は速度を落とすこと無く走り去っており、子供たちは口々にそれを非難する。上手く受け身をとったリュキアは事も無げにすくっと立ち上がり怪我も何もないことをアピールすると、その避難を咎めた。


「………私は大丈夫。でももし怪我してても悪いのは道の真中でボーっとしていた私。だから馬車の騎手を悪く言うのはダメ。」

「えー?そういうもんかなー?」

「………そういうもの。」


 などとリュキアが子供たちと話している間にも、馬車は二台三台と走り去っていた。よく見れば荷台には家財道具がどっさり。どうやらこのあたりで引っ越しがあるらしい。しかも馬車の数を考えれば割と裕福な家のものだと推測できる。海運業が最近伸びてきて景気の良いこの州に越してくる事業主はそう珍しくもないが、それでも何かと目を引くものだ。説教もそこそこにリュキアと子供たちはその様子を眺めていた。


 家財道具を積んだ馬車が走り去ると、最後に人の乗った馬車がやってきた。何かと忙しい雰囲気の荷馬車とは正反対にゆったりとした速度で、窓から乗っている人間の顔も窺い知ることができた。


「………じゃあ、私はこの辺りで失礼するから…!」


 突然、リュキアが子供たちに別れ言葉を残し走り去った。その足取りは馬車の行く先を追う。明らかに先程の乗員を見て何か思うところがあったのだろうということは明らかだったが、子供がそのような大人の事情に深入りするようなことをするはずもなく、すこし驚きこそすれ、別段気にかけることもなくまた遊びへと戻っていった。


 リュキアはひたすらに馬車を追った。さすがにゆっくりとはいえ、さほど人間と変わらぬエルフの足で馬の足に追い付くことは難しい。恰好も恰好で、修道女の長い丈のタイトなスカートでは思うように走れない。それでも前方の馬車を見失わないように必死に追い縋った。


 馬車は色街へと入っていった。夜に花咲く区画である、真昼の今では店は閉じ活気の欠片もない。そんな通りを褐色のシスターが息を切らせて走っているというのもシュールな光景だった。やがて馬車は一件の大きな空き屋の前で止まった。先に到達していた荷馬車の連中が荷入れ作業をしている最中、最後尾の馬車に乗っていた男女が降車している。リュキアが追いついたのはまさにその瞬間だった。


 馬車の窓からではわずかにしか見えなかったが、今なら全身をはっきり確認できる。降りた男女の女のほうは、漆黒の髪、褐色の肌、長く伸びた耳はまさにダークエルフのそれ。そしてそのような特徴的な部位とは別に、リュキアにしか感じ取ることができないような佇まい。幼き日の面影を残したその姿を前に、リュキアは彼女らしからぬ大声を上げた。



「………シルヴィ姉さん!?シルヴィ姉さんなの!?」


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