其の三
ザカール州立病院。この街でも一番大きな医療施設である。先日無残な姿で晒し者にされたマリエラ・エレクトラは発見者の一人で州衛士のマシュー・ベルモンドの手でこの病院に搬送された。今も手足の腱を切られまともに歩くことはおろか立つことさえできずベッドに寝かしつけられた状態である。汚液こそきれいに拭い取られたものの全身にはおびただしい数の打撲痕、擦過傷、火傷の跡。女の命とも言われる美しかった亜麻色の長髪もざんばらに切り捨てられ、その姿は一目見て気の毒になるほどであった。
魔法の多くが禁止された現在にあっても回復魔法は存在しているものの、制限のかけられたそれでこれらの傷が完治するとは言い難い。騎士としても、女としても再起が望めない、そんな残酷な現実がマリエラに突き付けられていた。
「マリエラ様…パン粥が出来ましたのでお召し上がりになって下さい~…」
フィアナが食事を持ってきた。彼女の得意料理は衰弱した上に手の自由が効かない患者に食べさせるにはもってこいであろう。病院内には看護師も多くいるが、本人たちのたっての希望で縁深いベルモンド家の侍女・モリサン姉妹が交代でつきっきりに看病にあたっていた。
「すまん…今はまだ腹も減っていない…私はいいからお前が先に昼飯をとってくるといい…」
マリエラの返事に覇気はない。肉体的、精神的ダメージを考えれば当たり前の話ではあるのだが。本人はいつも通り気丈に振舞っているつもりなのが逆により痛々しかった。かれこれ収容されて2日は経つがまだ食事らしい食事を取っていないのがフィアナには心配でたまらなかった。そしてそれは彼女らに限った話ではない。
「マリ姉、入っていいか?」
ノックとともに聞き慣れた声がする。メイドたちの主マシュー・ベルモンドもまたマリエラを心底心配している人間のひとりであった。昼休みのたびに自分の休憩もほっぽいて彼女の見舞いにやって来るのだ。
「あ、うちの主様が見えられたみたいですね。お通ししてもよろしいですかマリエラ様?」
「ああ…」
力ない返事を肯定と受け止め、フィアナはマシューを部屋に通す。姿を現した彼は似つかわしくないことに花束を抱えていた。フィアナはそれを受け取ると、しぼみはじめた見舞い花を差し替えた。部屋の雰囲気が少し華やいだようにも思えたが、当の患者の心は到底晴れそうにない雰囲気である。
「いいのか…?毎日こんなところに寄って、仕事に支障は出ないのか?」
「大丈夫、昼休みだから。それに俺みたいな木っ端が時間超過しても今更怒られたりもしないさ、ハハハ。」
「…それでも、騙されまんまと晒し者にされた人間の見舞いなど時間の無駄にしかなるまい。」
自嘲気味に笑ってもらおうと話を振ったのだが、マリエラにとっては逆に陰鬱な気分を広げる要素に過ぎなかった。こっそりとマシューの脇腹にフィアナの肘鉄が入る。彼自身に落ち度はないのだが。ともかくフォローをせんとマシューは話を続けた。
「だ、騙された騙されたって言うけどさ、あんなタイミングで頼ってこられたら誰だって騙されるよ!マリ姉の思慮が浅かったって問題じゃねえよ!そもそも騙すほうが悪いに決まってるじゃないか!」
「騙すほうが悪い、か…すまないフィアナ、少しマシューと二人だけで話がしたいのだが…」
マシューの言葉に何かしらかを思ったのか、マリエラがフィアナに命じた。無論状況が状況である、二人きりというシュチュエーションで出際に主を茶化すような真似はしなかった。部屋の中には一組の男女、昼の日差しが差し込む病室に初夏の風が吹き込む。
「―――実はな、私も騙すほうが悪いと思っているんだ…」
しばしの沈黙を破り話を切り出したのはマリエラだった。責任感が強く、背負い込みやすい性格だというのはよく知っていただけに、他人が悪いと言い切れることにマシューは少し安堵する。と同時に、多少の違和感も感じていた。
「マシュー、お前もおかしいと思っているだろう?私もだ。常に己のみ責を呵し、生きて恥辱を受けることをよしとせぬ…それが騎士道であり自分もそうありたいと努めて生きてきた。それがどうだ、かかる羽目に遭った今
―――奴らが死ぬところを見るまで自分も死ねぬと思っている…
情けない話だろう?あれだけ肩肘を張って騎士でございと振る舞ってきた私が、いざ自分が辱められたとなると凡人同様の憎悪に身をやつしている…アハハ、折角父母が無理をしてやらせてくれたというのに、長年の修行が聞いて呆れるなぁ…」
マリエラが先程のマシュー以上に自嘲した。その瞳には仰向けのままで溢れずに溜まった涙が光る。
マシューの「仕事」はその憎悪を願い入れ、肯定し、実行するものだ。今まで多くの「仕事」をこなしてきた彼にとって、憎悪・恨みに貴賎はない、追い詰められれば聖職者であろうが高官だろうが人間なら誰しもが持つ感情であると認識している。
そこにあって、恨みを抱くということ自体を己の情けなさだと思えるマリエラは人間としてまっとうな方だと思うし、そう言って慰めたいと思った。しかし口外法度のこの「仕事」を連想させることなど言える由もなく、ただ言葉を飲み込みながらマリエラの苦しむ姿を眺めるしかなかった。
などとマシューが歯がゆく思っていると、マリエラの口から驚くべき言葉が飛び出した。
「…なあマシュー、子供の頃のあの噂覚えているか?『丘の上の教会の懺悔室で恨み言と金を残せばそれを晴らしてくれる連中がいる』って噂…」
心の臓が飛び出すかのような衝撃だった。まさかマリエラの口からマシューの「仕事」―――「WORKMAN」の話題が出るとは。どうにか平静を装いながら返事をする。
「い…いやでもなマリ姉!あれはさ…ホラ!昨日今日帰ってきたマリ姉は知らないだろうけど根も葉もない噂にすぎないって最近な…!?」
「いや、根も葉もないならそれで構わぬ。誰にも聞かれぬ懺悔室で己の中の黒い感情をぶつけるだけでも少しは気も晴れるというものだしな。しかし見ての通り歩くこともままならぬ身だ。こういう我儘を頼めるのはお前ぐらいしかおらぬしな、連れて行ってはもらえないだろうか?」
好都合半分、困惑半分といったところだろうか。マシューはまんじりとしない顔を浮かべた。癖毛を掻き上げ、大きくため息をひとつつくと、彼は覚悟を決めた。
「…置いてくるお金は自分の財布から出してくれよな。流石に薄給の私じゃそこまで面倒見切れないし。あと教会行って帰ってくると完全に休み時間超過するから、その言い訳の口裏合わせもお願いな。」
「ああ、すまぬな。迷惑をかける…」
その後車椅子を借り、フィアナや看護師連中には外の空気に当たりたいなどとぼかして説明しながら、二人は丘の上の教会へと向かっていった。
「…言っとくが神父様、これは彼女が言い出したことであって俺が教えたわけじゃねェからな。」
「ええ、それは信用していますが…」
その日の夜、教会霊安室。たまさかの昼の依頼の件でWORKMAN4人が集まっていた。マシューと依頼人マリエラ・エレクトラの関係は先刻承知、というか数日前に彼自身から紹介されている。加えて三分会話すれば人となりが十分わかるほどに典型的な女騎士である。それが殺しの依頼を死に来たとなれば、親しい人間からの入れ知恵と思うのが自然であろう。第三者である三人はともかく、マシューも懐疑の目で見られることを覚悟の上でこの場に居た。
「でもまあ、神父様の表情見る限りだとコイツを掟破りでリンチにかけるって雰囲気でもねえな、残念だけど。ってことは依頼受けたってことだろ?」
「………女の人をああいうふうにする奴らは嫌い。私も殺る。」
「確かに依頼は承諾しました。私が悩んでいるのはそれからの話なんですよ。」
神父はまだ困り顔のままだった。今回の依頼の正当性は認めたものの、それを遂行するすべは決して簡単なものではないのだ。かかる「仕事」の難所をとうとうと説明する。
「先ずは何よりも的の数です。新生鬼牙峠山賊団、総勢30名、今までの『仕事』でも最多でしょう。それに恐らく先代に倣ってかの自然の要塞と言われた鬼牙峠に篭っていると思われます。まとまっている以上一人ひとり消していくというのも難しいし、一人でも逃げられればまた厄介なことになる。つまり一度の潜入で30人を皆殺しにせねばならない。これは中々骨の折れることでしょう。
そして何より―――」
神父はマシューの方に振り向き、真剣な眼差しで問いかけた。
「ベルモンドさん、あなたは平静を保ってこの『仕事』にあたれますか?」
「まあ無理だろうな。」
即答だった。がくり、と三人は肩を外した。確かにもう少し悩んでもいいような質問である、だのにここまであっさりと無理を認めるのはさすがに予想外で拍子抜けするのもやむなしではあるのだが。
「幼馴染をあんな風に晒し者にされて二日三日で冷静になれって言われてもそりゃァ土台無理な話ってもんだ。今だってハラワタ煮えくり返る思いだぜ?まあ三下相手ならこんな精神状態でもどうとでもなるが、連中の中にマリ姉の手足の腱を悟られぬ速さで斬った野郎がいるっていうじゃねェか。マリ姉も相当に手練だってのに、そんなんをこんだけキレたまま相手取りゃ手前が返り討ちに遭うのは火を見るより明らかだァな。」
己のコンディションを把握し、彼我の実力を比較し成否を計る、暗殺者として必要な観点である。しかしこれだけ客観視ができているのなら冷静であるといえるのではないかという一種の矛盾を感じなくもない。或いはこの暗殺者としての観点がマシューの中で恒常化するほどに、この「仕事」に慣れてきたという証左なのか。
「聞くとは無しに聞いた話だが、それは双子のハーフリングの仕業らしいな。恐らくソイツらの名はディマ兄弟、同族の裏業界でも音に聞こえたサイコパス野郎共だ。まさか鬼牙峠山賊団に入っていたとはな…となりゃ確かに手強いだろうぜ。」
ギリィが言うところでは、幼いころより忌み子として捨てられ、感情に乏しく唯一喜びを感じられる事象が何かを殺す時という真性の殺人鬼兄弟。そんな有様だけに闇の世界に生きるは必然であり、これまでザカール州の裏社会において暗躍を続けていたという。一年前、州一番の銀行の頭取の暗殺に失敗して以来音沙汰がなかったが、恐らくその間にギンゾに飼い慣らされたのだろう。
「まあそういうわけだ神父様、そんだけおっかねえ相手をするんだ、頭冷やす時間が無ェと暗く冷たい土の中に逝くのは俺の方になっちまわァ…最悪、俺抜きで『仕事』にあたることも考えといてくれや…」
「元より策を講じる時間が必要な『仕事』です。暫くは取り掛かれぬでしょう。それまでにはどうか…」
かくして近日中に「仕事」があることだけを確認し、WORKMANは霊安室を後にした。
しかし一人残った神父に表情はすぐれない。
この「仕事」、どうあってもマシューの手が必要不可欠だからだ。ギリィもリュキアもその技は基本的に相手に悟られぬ箇所からの一人一殺である。それでは地の利が相手にある地形で、30人を相手取り、一夜で全員を殺しきるのはどうにも難しい。やはり真正面から大勢を斬り伏せることのできるマシューが欲しくなるというものだ。
(あるいは、私が再びこの手を振るうしか…)
神父は、みしり、と音を立て拳を握った。
座禅―――あぐらをかき、その足の上で手を組み無念無想の境地に浸る、遥か東方の島国に伝わる精神修養である。マシューに「仕事」で使うかの剣技を伝えた東国戦士サムライが事のついでで教えたものだ。かかる動揺を振り払わんと、いつもの見回りサボりスポットである川の堤にてこの行に励むものの所詮は昨日今日で存在を思い出した付け焼き刃、まるで平静を取り戻せる気配はなかった。やはり無駄だったかと思い、川の水面に沈む夕日を見遣り家路につく。
ここ三日ほどこんなことの繰り返しである。サボりについても、マリエラに一番近しい人間だったということで隊長のベアも州衛士の同僚にも妙に気を遣われ、いつものようにせっつかれることもなかった。いつものように叱ってでもくれれば多少は気が晴れるかもしれないというのに、まったく上司とはままならないものだとマシューは思った。
帰り道、下町通りがいやに騒がしかった。よく見れば八百屋の塀に人だかりが出来ている。何事かと思って覗こうとすると、八百屋の娘ジーニーがけたたましい声を上げながら向こうから近づいてきた。
「ああ、ベルモンド様!やっと来られたんですか!朝から何度も屯所に掛け合ってたっていうのに今更だなんて、一体何してたんです!?」
「まあ、ちょっと…色々デスクワークでな…」
「ともかく!これ見て下さいよ!」
よもやサボって瞑想にふけっていたとは言えず言葉を濁す。そのまま人だかりの中に通されると、その中心にある塀にでかでかと「鬼牙峠山賊団新生」、の文字、すなわち晒し者にされたマリエラに添えられた文句が書かれていたのだ。
「遂にあいつらがここにまで手を伸ばしてきたのか…」
「まさかこんな下町にまで…」
「おかあさん、マリエラさまがいないのにぼくたちどうなっちゃうの…?」
あの日以来、鬼牙峠山賊団は未だ略奪行為に至ってはいない。ただこのように街に下りてきては無軌道青年のようにあちこちにこの文字を落書きしているだけだった。しかしそれが逆に街の住民たちの恐怖を煽った。ただでさえ英雄が敗北するという御伽話と真逆の結末を迎えその力の程を思い知らされたのだ、そんな後にこのような示威行為を続けられればそれは気が気でなくなるだろう。集まった近隣住民たちは心底不安そうにひそひそ声で話していた。
(―――だから私のこの槍も功名心だけではなく、平和といえど不安の残るこの世界であの民衆の笑顔を守るためにあるのだ、とな。)
そんな人々の不安そうな様子を見ていたマシューの胸中に、かつてのマリエラの言葉が突き刺さった。かの女性ひとがたどり着いた理想、そしてそれを踏みにじられた無念
―――そうだ、今回だけはそのための「仕事」にしよう。
正直なところ、人々の笑顔のためとか自分で言っててこそばゆくなる。悪党を殺す大悪党が何正義ぶってんだという気にもなる。しかし、そう決心すると不思議と心のブレはぴたりと止まった。ならばそれでいいじゃないか。己の未熟も青臭さもあえて飲み込んで奴らに叩きつけるだけだ。そう決意を新たにするマシューの背後をすり抜けるかのように、黒ずくめのメッセンジャーが通り過ぎた。
「………神父様も策が纏まった。今から集まって話す。」
ギリギリ間に合ったか―――マシューは深呼吸し人だかりの中垂れに気付かれること無く踵を返し教会へと向かうのだった。
翌日、マシューは仕事を早退した。
「…お気持ちは察するに余り有りますけどね、そろそろちゃんとお仕事に復帰されてもいいんじゃないでしょうかね?」
「いや、今日だけはどうしてもでしてね…今日でふっ切りますからどうか今日だけは…」
これまでらしくなくほどに理解を示していたベアも今日に至りそろそろ眉をしかめ始めていた。しかも早退の理由も心理的なものではない。少しばかりバツの悪い気分を味わうマシュー。だが逆にいつも通りということへの心地よさも感じていた。
(そう…今日で全部終わりだ…)
来るべき「仕事」への思いを胸に秘め、家に帰ること無く北部へと馬車を走らせる。先に待っていた相乗りは、ギリィ・ジョーとリュキア。目指すは無論、鬼牙峠。この昼のうちに出発すれば、丁度夜になるかならないかの時間に着く計算である。
「なあボス、脅しもそろそろ飽きた頃だしもう街を襲いにいかねえか?」
「そうだぜそうだぜ、もう充分街の奴らも俺らの恐怖が染み付いてるだろうしよ。」
「やるなら派手にいきたいもんだな。オヴァン商会やクラーフ海運みたいな金持ってそうな所をよ。」
「言っても無駄だぜお前ら。ボスはこうなっちまったら余程のことでもねえ限り動かねえんだ。」
山間の空の色が朱から紺に変わる頃、山賊たちは酒を飲みながら今後の予定についてよしなし事を話していた。峠の谷間の洞窟に生活品を持ち込んだだけの粗野な空間、これが5・600年前の昔とほぼ変わらぬアジトである。団長のギンゾは酒が入るといつもその幼き頃と何ら変わらぬ姿にひとりごちるのだった。
しかし、そんなギンゾの至福も、早足で駆け込んできたひとりの団員の報告によって遮られる。
「ボス大変ですぜ、どうも州衛士が一匹このあたりをうろついてやがりまさぁ。」
至福のときを邪魔されたためか、それとも州衛士という警察機構がやって来たからか、ともかくギンゾは報告を持ってきた団員をぎろりと睨みつける。
「州衛士一匹だぁ?それだけで一々報告たぁ随分と慎重なもんじゃのう?」
「す、すいやせん!確かに一匹の上随分と小さくて弱そうな野郎でしたが、でもそれが逆にいかにも捨て駒の偵察員っぽかったもんで…もしかしたら州衛士の大隊が討伐に来たんじゃねえのかと…」
州衛士の夜襲―――大いに考えられることである。御伽話の英雄を穢し、街中に大量の挑発じみた落書きを残しているとなれば、日和見の州衛士とて面子のために動いてもおかしくはない。しかしここは歴史に名高い自然の要塞、多勢であれば多勢であるほど死地に近づく。あるいは今度はここで返り討ちにした州衛士どもの素っ首を落書き代わりに街中に吊るしてやるのも一興か、とギンゾは舌なめずりをした。
「で、今その州衛士はどうしてる?」
「もう一人の見張りのボブに張らせてまさぁ。俺も今から戻りますんで、何かまたあったらすぐに伝えに行きますから。」
「おうよ。聞いたか野郎共!今から楽しい州衛士狩りができるかもしれねえとよ!各自武器持って準備しとけよ!!」
砦の奥で号令が上がるころ、その見張りのボブは不可思議な光景を目の当たりにしていた。先程から目指している斥候と思しき州衛士が、明らかに近づきすぎているのだ。
深追いか、あるいは要領の悪い鈍亀か、10メートルほどしか離れていない岩場から頭が丸見えである。州衛士支給の革鎧の上に大きめのマントを身に付けて入るが、それで擬態のつもりなのだろうか。偵察というにはあまりにも稚拙な様子に奥の団長に報告しようという気すら起こらない。奇異の目でその様子を観察していると、目の前の州衛士が急に姿を現し正面からつかつかと歩いてきたではないか。まるで友人の家を訪ねるかのような自然さで向かってくる男を前に、ボブはただただ混乱し言葉を失うだけだった。
さくり
と、ほぼ眼前まで接近を許したボブの喉に鋭利な刃物が突き刺さる。声帯を掻っ切られたボブは一切のうめき声すら出すこと無く、自分の身に何が起きたのか理解できぬまま絶命、糸の切れた人形のようにその場に崩れ落ちた。
「まず一人…」
見張りを刺し貫いた刃物―――サムライソードを引き抜き、懐紙で血を拭き取ると、身に付けたマントの襟で口元を覆い隠しそのまま砦の中につかつかと入って行った。
―――先日の夜の教会霊安室、神父の策を拝聴すべくWORKMANたちが集まっていた。
「その様子だと覚悟は決まったようですねベルモンドさん。割と目が爛々としてらっしゃるのが多少気にかかるところですが。」
「無いよりマシのテンション維持だ、あまり追求しねェでくれ。」
「まあ今回の『仕事』にはあなたが必要不可欠ですからね。何にせよやる気になってもらえたなら何よりです。」
含みのある笑顔を見せながら神父は一枚の紙を広げた。ランタンの明かりに照らされたそれは地図というか見取り図というか、ともかく小枝の生えかけた若木のように小さな横道が幾つも続く小路の図であった。
「色々な歴史文献をあたってようやく見つけましたよ、伝説に謳われる鬼牙峠の砦の図。ご覧の通り狭いところです。ご覧の通り3・4人が並ぶのがやっとの狭い道が続き、なおかつ脇に枝分かれした部分には伏兵を仕込み放題。大人数で挑めば狭い道なりに阻まれて数の利は死に、奥まで誘い込まれれば頃合いを見て飛び出した伏兵に迫撃されてジ・エンド、これが御伽話の中で難攻不落と言われた砦のカラクリです。」
「つってもよ、もとより俺らは3人しか居ねえぜ?大軍が逆に危険とか言われてもあんまり関係ねぇんじゃねえの?」
「そうですギリィさん。そしてかのソニア・エレクトラのとった作戦こそ鬼牙峠の砦の地の利を無にする最適解です。
すなわち、単身突入で圧倒的マンパワーによって殲滅。
それができるのはベルモンドさん、あなたの剣技だけです。無論ギリィさんとリュキアにもバックアップに入ってもらいますが。」
「…つまり何か?俺に真正面から切り込んで30人全員斬っ殺せってェことか!?」
「ええ勿論。いやあ、あなたがダメなら私が現役復帰するしかないと思っていましたが、やる気になってくれたようで何よりですよ、ハハハ」
(…あのクソ神父、マジで無茶苦茶言いやがるよな。)
あの時の神父の貼り付いたような笑顔を思い出し苛立ちながらひたすらに砦の中を前進していくマシュー。すると目の前に山賊が三人ほど、居もしない州衛士大隊を迎撃するため配置につくべくこちらに歩いてきていた。ふと目が合う。普通ならあり得ぬ光景に一瞬山賊たちの思考が停止した―――その一瞬、マシューは一足で彼らの懐に入り込みサムライソードを振るう。
喉・眼窩・鳩尾
目にも留まらぬ速さで人体の急所を斬り・突く。三人の山賊は見張りのボブ同様、何が起きたのかわからぬまま物言わぬ死体と化した。
これまで斬った4人、皆声を出させなかったことはマシューにとっても僥倖だった。ここまでいやにあっさりと殺れたのも半ば不意打ちだったおかげである。警戒されればこうはいかない。そして誰かが断末魔の叫び声をあげていたら奥に聞こえ後続は警戒する。いつもの「仕事」のように一人二人を斬るのであれば問題はなかろうが何せ今回は30人斬りである。どれだけこの楽な不意打ちを敢行できるか、「仕事」の成否はまさにそこにかかっていた。
5人、6人、7人、8人、9人…
心臓、腎臓、肺、膀胱、頚椎…
道すがらで出くわす盗賊たちを的確な急所狙いで斬って落とし続ける。その気になれば人間を真っ二つにできる腕前を持っているマシューであるが今回は持久戦、できるだけ少ない手数でサムライソードの切れ味とスタミナを落とさぬようにするべく骨を避けたやわらかい急所のみでの一撃必殺を狙っていた。
しかしヒトという生き物は案外にしぶとく出来ているものだ。いくら急所を直撃したところでそうそう死ななかったりする者もいる。今正に膀胱を疲れた山賊が、その激痛によるショック死を免れ声を上げようとしていた。
瞬間、ぷすり
夜の洞窟の暗闇から零れ落ちた黒い影がその者の額に針を突き立てた。脳天を貫通し僅かに残った命の火を無残にも刈り取る。ギリィ・ジョー、今回の彼の役目はマシューの背後に付き伏兵と殺し損ないへの止めに備えることであった。
「おっとこれで30人斬りの大記録は潰えたか。まあ記録をロスしてもこうやって俺がフォローしてやるから安心してミスしろや」
「ケッ、一番色んな意味で背後を見せたくねェ奴に殿任せるとはな…恨むぜ神父様。」
などと小声で悪態をつきあいながら斬り進んできたが、流石に14人目あたりから山賊の動きも変わってきた。叫び声は未だ上げさせていないものの、さすがに違和感というか妙な雰囲気というものは空間に蔓延するものだ。WORKMANの二人は一度足を止めて相手の出方を見る。
正面から斧を構えた大男が走りこんできた。明らかに警戒と殺気を帯びている。さすがにもう楽はできぬかとマシューも気を入れ直しサムライソードを上段に構えた。大男のマシューを狙った渾身の一撃を半歩後退して躱すと、そのままサムライソードを振り下ろし15人目の男の脳天をかち割った。
脳漿を垂れ流し倒れる大男の背後から、そのまま槍を構えたドワーフの男が突進してきた。マシューは半身をずらし紙一重でよけると、障害物と化した大男を踏み越え再び上段斬り。16人目の死体だ。
ふと、後ろからも山賊の気配。恐らく隠し通路か何かで裏回ったのだろう。しかし背後にはギリィ。長針を横薙ぎに振るい眼球を切り裂くと伏兵は痛みと光を失ったショックで悶えた。そのまま心の臓を突き刺し17人目。
山賊たちもあるいは三方四方から取り囲むことができればこのWORKMAN二人に一矢報いることが出来たのかもしれない。しかしこの狭い通路では前後の二方が関の山、しかも二人は背を合わせて構えているから事実上正面一方のみからしか仕掛けることが出来なかった。ここにきて絶対の自信を持っていた鬼牙峠の砦の地の利は、皮肉にも相手方に利をもたらすこととなったのだ。
ことこの不利において、団長であるギンゾには撤退という選択肢もあったはずである。しかし街の人々に恐怖を押し付け心を縛る鬼牙峠山賊団が逆に得体のしれぬ暗殺者の恐怖に負けて逃げたとなっては彼らの沽券に関わるのである。そのプライドにより団員たちは一人、また一人と減っていくこととなったのだが。
25人目を斬って捨てると、死体の山の向こうにギンゾを含む3人の男の姿が見えた。いよいよもって大将首自らがこの場に出向いてきたのだ。
「よォ、今どんな気分だ?一生かけて再建した山賊団が壊滅寸前のこの様を見て。」
「ははっ、職にあぶれたアウトローなど掃いて捨てるほど溢れる今の世の中、一山なんぼの団員などまた一から集めなおせるわ。儂と、そしてこいつらさえ残っていれば鬼牙峠山賊団は不滅じゃ!」
マシューの煽りを受け流したギンゾは、ぱちん、と指を鳴らした。瞬間、先程のギリィと同じように夜の洞窟の闇の中から「何か」がふたつ飛び出し、それぞれがマシュー・ギリィの喉元にめがけて飛んでくる。サムライソードの背と長針で防御するも、己の攻撃を阻まれた「何か」はゴム毬のように跳ね返り再び闇の中へと消えてしまった。
「あれが音に聞こえたディマ兄弟か…実際この目で見ると余計同族には思えねぇな…」
「そうか、ご存知なら話も早い。『心無きふたつのつむじ風』と恐れられたディマ兄弟は儂が手懐け意のままに動く。お前らの疾さもかなりのものだが、さて小奴ら相手ではそうかの?」
得意満面のギンゾは再び指を鳴らす。その度にナイフを構えた弾丸がマシュー達に襲いかかる。さしものWORKMAN二人とてこの疾さに能うことはできず、ひたすらに防戦を強いられた。ギンゾが自信を持つのも頷けるというものだ。
―――しかし、その自慢の疾さが徐々に落ちていっていることに気が付かなかったのは致命的であったと言わざるを得ない。
数度のアタックの後、天井を蹴り更なる攻撃を仕掛けようとしたディマ兄弟の体が宙空でぴたりと止まった。無論、彼らに空中浮遊の能力などはない。ギンゾたち山賊の生き残りは大いに狼狽え、ディマ兄弟も蟷螂のような目をぱちくりさせながら己の身に何が起きているのかを察知しようとする。
やがて見えてきたもの、それは闇に紛れほぼ目視など出来るはずもないか細く漆黒の糸が、彼らの手足、そして首に巻き付いているさまだった。その様子はさながら蜘蛛の巣に引っかかった昆虫のようだ。
「………こいつらがここらで足を止めたときに、この周囲にこの黒糸を張り巡らせておいた。お前らが出し惜しみしてくれたお陰でこの双子向けの罠を張る時間は十分にあった。感謝。」
本来なら伏兵が潜むはずの岩肌の窪みから、いつの間にか侵入していた黒ずくめのダークエルフがすっと顔を出しこのからくりをギンゾたちに説明する。満を持して現れた最後のWORKMAN・リュキア。その存在はギンゾたち三人の生き残りを絶望させるに余りあるものだった。
それとは対称的にリュキアは手に握った黒糸を無表情に手繰り寄せる。一本の黒糸で出来たその罠は引き寄せられるたびにディマ兄弟の四肢、そして首を締め付けた。腕が千切れそうになる痛み、足が輪切りにされそうな痛み、そして何より呼吸の出来ぬ苦しみ―――他者の死でしか喜びという唯一の感情を得ることが出来なかった双子のサイコパスは、己の死という段において恐怖という新たな感情を得ていた。やはり蟷螂めいて首を振りこの苦悶から逃れようともがくものの、ダークエルフたちの怨嗟が染み込んだこの黒糸を振り切ることなど出来るはずもなく…
やがて顔を真っ青に染めながら絶命した。
「………26・27人」
ディマ兄弟絶命の瞬間にタイミングを合わせるかのように、マシューとギリィが前方目掛けて飛びやった。ひとりは踏み込みからの袈裟斬りで両断され、もう一人の男―――かつて若旦那としてマリエラを騙した男は、眉間に突き刺さった長針が体内で葉脈のように枝分かれし脳味噌を掻き乱され大量の鼻血とともに息絶えた。
「な…何者だ貴様ら!確かに恨まれることに心当たりは山ほどあるが、裏稼業で恨みを買った覚えはないぞ!?だのに儂の執念と夢の結晶である新生鬼牙峠山賊団をこうもあっさりと…なんということを…」
「おお何だ、爺さん俺のことを悪党と思ってくれてるのか。いや有り難てェねェ、俺ァ今回柄にも無くヒーロー気分だったもんだから、『悪党を殺す悪党』らしくなくてモヤッとしてたところなんだわ。」
「『悪党を殺す悪党』…?まさかお前ら…!?」
600年もの長き時を裏稼業に置くギンゾである、その存在を聞いたことがない筈は無い。しかしそんな男ですらも記憶の片隅に追いやられるような秘中の秘の稼業―――ただ人の恨みを晴らすための暗殺ギルド、それがWORKMANである。
「まさか実在していたとは…!いやしかしそれ以上に誰が頼んだというのだ!?街の人間は怖がらせただけで恨みに値しない…となればあの女騎士!?馬鹿な!高潔ぶったあの者が貴様らのような裏稼業を頼みにするなど…」
「だいたいわかってんじゃねェか。そうよ、そのまさかってやつよ。つまり
―――手前ェの600年の恨みは、あの女性ひとの一夜の恨みに満たねェってこった」
そう言いながらマシューは上段に掲げたサムライソードを振り下ろす。個人的な感情も多分に含まれていると思われるその裂帛の一撃は頭蓋骨を二つに割り、そのまま脊髄を二つに裂くように滑り降り肛門から抜ける。後に残されたのは、文字通りの真っ二つと化した老ドワーフの死体だけだった。
翌日、やはり街の英雄を穢し市民に恐怖を与えたという許しがたい蛮行に対し第五近衛師団が独断専行で鬼牙峠への侵攻を開始していた。しかし彼らが目撃したものは、一晩過ぎてすっかり腐臭を放つようになった新生鬼牙峠山賊団全30名の死体の山だった。出鼻をくじかれる不可解な事態に困惑する第五近衛師団だったが、恐らく所詮汚いアウトローの集まり、取り分で揉めた末の内ゲバであると断定、そのまま公表されザカール州全土を巻き込んだ御伽話から飛び出した悪役騒動は終結を迎えることとなった。
一方、御伽話から飛び出した英雄はといえば―――
「マリ姉…本当にそれでいいのか?」
「いいんだマシュー。私は最早騎士としても女としても生きられぬ身。ならばせめて余生は神や人々への挺身に費やそうと…」
マリエラの腱はすっかりくっつき、日常生活を送るに不自由しない程度には回復している。彼女はその足で早速行くべきところがあると言い出し、マシューとモリサン姉妹は州境の道で彼女を見送るべく集まっていた。しかし彼女をよく知る者にとって、今の彼女の姿は違和感の塊でしか無かっただろう。
痕になって残ってしまった全身の傷の数々、切られたまままだ伸びきらない髪、そして何より彼女の象徴とも言える長槍にプレートメイル、ロングスカートといういでたちではなく、全身を隠すような黒い装束と頭巾―――つまりは修道女の恰好だったのだ。
「ホントに諦めきれるのかよ。騎士としての生き方とか、エレクトラ家再興の夢とか…」
「名残惜しいといえば嘘になる。しかし肉体以上にその精神が最早騎士として能わないのだ…
かような辱めを受けたのならば本来なら生き恥をよしとせず自刃する、それが騎士としてあるべき姿だ。しかるに私は無様にも生きながらえ、あまつさえ己の中のどす黒い感情に呑まれ裏事師に金を積んでしまった。これでは高潔な騎士としての生き方なぞ望めまい…
ふふふ、神の元での修行でこの腐った性根を叩き直してもらうというのも一興かもな。」
マリエラは自嘲気味に笑った。そんな彼女が選んだ新しい道は神の僕。女を捨て、黒い感情を振り払い、加えて民のために働ける、今の彼女にはもってこいだったのだろう。そのためには正式な手続きとしてラグナント中央王都の正教会にて5年の修練が必要となる。今日はその中央王都に向けての見送りなのだ。
「…お別れの言葉は済みましたか?」
「ああ、もう大丈夫だ。じゃあなマシュー、フィアナ、フィアラ。こんな境遇であってもお前達から受けた恩はいつか返す。その日まで達者に暮らせよ。」
神父が用意した馬車に乗り込み、そのまま道なりを登っていく。ただひたすらに北西の方角に馬車は進む。マシューたちはその姿が水平線に消えていくまでずっと見続けていた。
(初恋なんて得てして実らぬものとはよく言うが、ここまで苦い結末になるのは手前ェの所業のせいなのかねェ…)
人を斬り恨みを晴らすという「仕事」の因果が巡った結果がこれなのかと思うとやるせない気分になる。ついこないだまで結婚がどうの世継ぎがどうのと騒いでいたが、いざその段になって再びこのような悲劇が起こるのではないか?そもそも人殺しの自分が幸せな家庭を持ち子を残すことなどができるのだろうか?大いなる不安と諦観がマシューの胸に去来するのだった。
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