其の三

「私の娘は大衆酒場で働いていました。看板娘というわけではないものの働き者だと店主からも褒められるような、そんな自慢の娘でした。その日もいつもどおり給仕のしごとをこなしていると『奴ら』がやってきたのです。恐らく先にどこかで呑んでいたのかすっかり出来上がっていた『奴ら』は周りの迷惑も顧みず騒いでいましたが、立場上注意できる者などおらず増長する一方。やがて娘に目を付けた『奴ら』は、酌をさせ、呑ませて酔わせ、外に連れ出し


 そして暴行し、操を奪いました。


もちろんこのような事が法のもとに赦されるわけがないと州衛士にも掛け合いました。しかし窓口役として現れた男は、やれ彼は州の宝だからだの、やれ彼の過失が明るみに出ることは経済への悪影響が大きいだの、挙句そこまでして彼を裁いたとしてその過失の責任を取れるのか?と暗に泣き寝入りを押し付ける始末。結局わずかの口止め料を握らされて帰されました。


『奴』の素行の悪さはかねてより有名でした。しかしそれでも、しかるべき地位に就いた今なら当然責任を自覚し慎やかになると思っていました。まさか権力を手に入れてさらに増長し昔以上に手の付けられない怪物になるとは誰が予想し得たでしょうか。私の娘以外にも多くの女性が『奴ら』の毒牙にかかったと聞きます。中には娘同様に世をはかなんで自ら命を絶った人もいるなどとも…これは私達父娘だけの問題ではありません。州衛士にも頼れないのなら、これまで『奴ら』に不幸にされた人間たちのためにも、そしてこれ以上『奴ら』のために不幸になる人間を増やさないためにも


マエストロ・ピート・ラヴァンとその一味にしかるべき処断を…」



 そう言うと、見知らぬ壮年の男は勇者アランがあしらわれた大金貨を一枚差し出し、懺悔室を後にした。





「意外な結末、といったところでしょうか…」


 この「仕事」の依頼を受け、例によって招集をかけた神父は奇縁を感じずにはいられなかった。数週間前、身内の依頼は受けられぬと標的から外した男を、今こうやって別の案件で的にかけようとしているのだ。世直しのための「仕事」ではないと公言しているとはいえ、犠牲者にはどことなく申し訳ない気分でもある。あるいは先に依頼した当人からの文句のひとつも覚悟はしていた。しかし、ギリィ・ジョーはあの日の慟哭が嘘のように、異様なまでの落ち着きを見せていた。


「別に意外でも何でもねえよ。遅かれ早かれこうなることはわかってたんだ。」


 上手が手を込めて作った作品からその者の人となりがわかるという師の域にまで達したギリィがピートの作品より見出したものは、責任や後ろめたさ、父の死に報いるという感情ではなく前にも増して肥大化したエゴしかなかった。ただでさえ州衛士の厄介になっていた男が更に増長し思うままに振る舞えば、いずれ誰かの恨みを買うであろうことなど火を見るよりも明らかであろう。その当然の帰結に、ギリィは怒りよりも悲しさややるせなさでいっぱいだった。


「では問題ありませんね?なれば今回の的はピート・ラヴァンとその悪友ジャックとマイケル…」

「いや、ちょっと待ってくれや神父さま。的ならもう一人いそうだぜ。」


 「仕事」に移ろうとする神父を呼び止めたのはマシューだった。


「頼み人の話にも解せねェところはあるんだわ。いくら日和見で自分より上の権力相手じゃからっきしの州衛士でも、直訴のひとつやふたつありゃ仲間内で話題になったりすらァな。だが、俺が下っ端のぺーぺーだということを差し引いてもそういう話は聞いたことが無ェ。責任者であるベア隊長の口からもだ。かといって神父様の鑑定眼に間違いがあるとも思えねェ。


だとすれば考えられるのは―――その窓口役てのがひとりで事件を握りつぶしてるってこったろうな。」


 マシューは懐から一枚の似顔絵を取り出した。


「アルバ・ミラー。うちと商人ギルドの繋ぎ役で、以前からピートの世話役みたいなもんでもあった。揉み消しをしているとすれば恐らくこいつだろうな、立場上。加えて最近妙に羽振りがよく、ギルド連中との付き合いも増えてるようだ。表仕事のついでで調べられるのはこれが限界だが、ピートのマエストロ襲名の件も含め、こいつを更に洗っていけば一連の事件の裏が見えるだろうよ。」

「成る程、あなたの独断専行もまた無駄にならなかったということですか。いよいよもって奇縁ですね。」

「みてェだな。こんなことの勘ばかり良くなってもしょうがねェんだけどな…」

「ではリュキア、明日からこの男を見張ってもらえますか?『仕事』のほうは事の真相が明らかになってからにします。いいですか、ギリィさん?」

「………了解。」

「俺は別にいつでも構いやしないぜ。やることは一緒なんだ。」


 こうして各人の役割を確認し、この日のWORKMANの会合は幕を閉じた。





 ある夜、ラヴァン邸応接室。かつては質素だったこの部屋も新しい家主に変わると同時にきらびやかな調度品が並ぶ派手な客間と化していた。中央に位置するのは大理石のテーブル、それを挟んで貴重な獣の革で作られた高級ソファ。その上座に位置するソファに腰掛けるのはピート・ラヴァンとその悪友ふたり。下座のソファには州衛士アルバ・ミラー。元より慇懃な男ではあったが、手と足を大きく広げ腰掛ける様は慇懃を通り越して横柄にすら見えた。彼は家主が差し出した袋を受け取ると早速中身を検めた。


「ひいふうみい…大金貨6枚か、確かに受け取った。」


 およそ州衛士の仕事を続ける限りでは手にすることができない程の大金を得て笑みを浮かべるアルバ。しかし対面の男達はそんな彼とは正反対の顰め面だった。


「なあアルバさんよ、分前4割は少しボりすぎじゃねえかな?実際金を産んでるのは俺なんだぜ?」

「ああん?この配分に不服があるってのかい?そのお前を金を産む鶏に仕立てあげたのはこの私の手練手管あってこそだというのに。」


 口を挟んだピートをアルバは睨みつけた。とてもではないが法を守る仕事をする人間の顔ではない。実際に法に外れたことをしているのだが。


「あの日お前がオヤジを殺しちまったー、なんて駆け込んできた時はびっくりしたもんだ。普段から苦労かけさせられてきたからな、あのまましょっぴいて牢屋にぶち込んじまっても良かったんだがな。」


 アルバは立ち上がり、透き通る水晶で出来た調度品を撫でながら話を続ける。


「しかし私の頭に閃きが走った。金の成る木であるマエストロの死、それによって被る商人ギルドのダメージ、そして素行は悪いが腕は良い馬鹿息子…それらを上手くまとめる手がな。


まずはギルドの急進派にかけあった。ひとりでもマエストロを増やして利潤を上げたい連中にな。話を聞いて連中も泡を食ったろうさ。輸出利益となるマエストロが増えるどころかひとり逝っちまったんだからな。そこで私がお前を推した。背に腹は代えられぬ連中もこれを承諾、勢いで保守派を黙らたことで今のお前の地位が約束されたってわけだ。


同時に私もギルドでの発言力を高め、お前の顧問になった。そしてお前の起こす一切の問題を、時にギルドの力を借りながらできるだけ内密に揉み消している。貢献具合から考えれば4割でも良心的なほう、本当なら半々でもいいくらいだろう。なあ?」


 ピートの背後に回り肩に手を置き諭すように話す。諭すと言ってもそれは語調が落ち着いているというだけで、実際には威圧もいいところだ。


「とにかくだ、私は多少の苦労で大金を手にできる、お前は前以上に好き勝手に振る舞える、ついでにギルドも虎の子のマエストロを確保できる。現状は正に三方善しの理想的な構図といえるんだ。下手なことは考えないほうがいいぞ、わかったな?」


 最後に釘を差すような言葉を残し、アルバは部屋を後にする。彼が家を出たことを確認すると、ピートは苛立ちのままに先程彼が撫でていた水晶の調度品を床に叩きつけた。水晶が粉々に砕けるさまはある種美しさすらあった。


「くそっ!あの州衛士が!タカリのくせに偉そうにしやがって!」

「しかしだピート、あのおっさんの言うことも尤もなんだよなぁ…あいつが死んでもっと物分かりの良さそうな州衛士に代わってくれればいいんだけど…」

「そうだ!丘の上の教会に行こうぜ。あそこで恨み事を言えば復讐してくれるって噂が…」

「マイケルそれ嘘っぱちの噂じゃねえか馬鹿野郎。」

「あはは、ジョークだよジョーク。気分を変えてやろうと思ってよ。ささ、ムカつくことは忘れて女でも買いに行こうぜピート。」

「ああ…そうだな…」



 彼らは知らなかった。WORKMANは嘘っぱちの噂ではないことを。逆にそのWORKMANに命を狙われていることを。


 そして今まさにその会話の一部始終を天井裏に潜んでいたWORKMAN・リュキアに聞かれていたことを―――





「………これが私が耳にした全部。」

「三方善しってなぁ…手前ェらのせいで泣いてる人間のことはどうでもいいんかい。」


 裏があるかもと調べてみたが、蓋を開けてみれば下衆が下衆の入れ知恵に乗っかってより下衆になったというだけのお話。マシューも半ば呆れ顔である


「ご苦労様でしたリュキア。では改めて今回の的は、マエストロ・ピート・ラヴァン、その悪友ジャックとマイケル、そして州衛士アルバ・ミラー…皆さん、くれぐれもご用心を。」


 神父の号令とともに、WORKMANは金貨を両替して作った頼み料を手に取り、次々に霊安室から出動していった―――





「…お客さん、そろそろ店を閉めたいのでもうこのへんでお会計お願いできませんかね?」

「なんだとぅ~?こちとら金ならあるんだ、閉店時間だのけち臭いこと言わずもっと呑ませろい!」


 州の歓楽街にあるそこそこ高級な酒場で管を巻く男が一人、アルバ・ミラーである。州衛士の給金では月に何度も立ち入れないような店だが、ピートから金をむしり取れるようになってからはかような店にも毎晩躊躇なく行けるようになった。加えてこの日は明日が休みともあって、金と時間にあかして質の悪い酔い方をしているようだ。


「しかし私共にも都合というものがございまして…」

「定時で上がりたいとかベア隊長みたいなこと言ってんじゃねぇよ!そんなに残業が嫌か!?それとも俺が州衛士だからって小馬鹿にしてんのか!?生憎だったな、俺はただの薄給州衛士と違って金の成る木を―――」

「ああっいたいた!アルバさん探しましたよ!」


 思わず己の秘密を口にしそうになったアルバを止めるように店に入ってきたのはマシューだった。右腕を大きめのマントで覆い隠すような不思議な恰好ではあったが、州衛士の配給の皮鎧を着ているのは見える。というわけで酒場の従業員たちも職場の仲間なんだなということで特に訝しむ様子はなかった。


「えっ!?あれ?ベルモンドさん、何で…?」

「まったく、明日非番だからって飲み過ぎは体に毒ですよ。ささ、私が支えますから帰りましょう。お代は私が立て替えておきますから。」


 と、言うが早いかマシューは店の人間に金を払い、泥酔するアルバに左肩を貸しながら外に出ていった。


 歓楽街といえど時間も時間なのでもう殆どの店は閉まり、街道は実に暗く静寂としている。吹き抜ける風もまだ冷たいおかげで、アルバの酔いも思いの外早く覚めたようだ。


「いや…もうこのあたりで結構です、自分で歩けますから…しかし本当に何でベルモンドさんが?」

「まあそりゃアレですよ。汚い言い方になりますが点数稼ぎって奴です。」


 ちょうど人気のない真闇なあたりで足を止め、アルバは問いかけた。この質問にマシューは苦笑いを返す。


「アルバさんってば最近随分羽振りがいいじゃないですか?で、あなたの御役目を考えれば商人ギルドと何か良いご縁ができたって考えるのが自然でしょ?何があったかまでは詳しくは知りませんが。それを後ろ盾にすれば将来のご出世間違いなし!となればここで恩を売っておくのが私自身の将来のためってことですよ。来月の今頃にはアタナは隊長、その暁には私を副隊長ぐらいに引き上げてもらえれば…」


 左手で身振り手振りを交えながら実にコミカルに話す。そのある種の小者臭さは見る者の警戒を緩める。そして褒められて悪い気のする人間あどいないわけで、出世出世と担がれたアルバもすっかり上機嫌になってマシューの言葉を受け入れていた。


「いいんですかベルモンドさんそんな事言って。『現』隊長のベアさんに知られたら事ですよ?」

「いやいや、あんなイビリ虫の時代はもう終わりですよ!特に理由もなく私のやること為すことにネチネチネチネチ…そこいくとアルバさんのご指導ご鞭撻は中身がありますからね。そこでもう人間としての器の違いが見えますよ。これはもう州衛士という枠で収まるのは勿体無い!将来的には州議会に打って出て、ゆくゆくは大臣を目指すべきですね!」

「う、うん?そうか?ははは、いやあ確かに私も自分でそうは思わないことも―――」



さく さく さく



 マシューのおだてにすっかりいい気分になったアルバの腹部に、突然激痛が走る。


 ふと前の男を見やると先程までマントで隠されていた右腕と、そこに握られた血のついた薄刃の剣があらわになっていた。アルバが笑い声を上げた瞬間、マシューは隠し持っていたその剣―サムライソード―を用い、目にも留まらぬ早さで急所たる肝臓と腎臓二つの三箇所を的確に刺し貫いていたのだ。


 そして、ごぼりっ、と血泡を噴くと、痛みに対する叫び声を上げる間もなく絶命した。


「…これで他人様の恨みを買うことも無きゃ、本当に出世できたかもなァ…ああ勿体無ェ。」


 うつ伏せに倒れぴくりとも動かなくなった男を一瞥するマシュー。すると何かを思いついたように彼の懐をまさぐりはじめた。手にしたのはアルバの財布。その中からいくらかのお金を取り出すと、まだ中身の残っている財布を死体の上に投げ捨て闇夜の中に消えていった。


「そうそう、泥棒みてェで気が引けるが、立て替えた代金だけは返してもらわァな。この『仕事』経費が落ちねェからな…」





 同刻、色街。

気分転換に女でも抱こうと繰り出した三人組だったが、お目当ての娼婦を買えたのはピートだけだった。ジャックとマイケルは当然の如くゴネたが、流石に本人ではない「マエストロの友人」程度では押し通せる無茶も限られる。結局ピートだけが床に上がり、二人は不貞腐れたまま街中をうろつく。見回せば人間の女のみならず、エルフ・ハーフリング・獣人など様々な種の女性が道行く男達を誘う。五民平等のこの世の中、こういった需要もまた全てのあまねく種に対応するのもまた当然の話である。さりとて二人の希望に沿うような商売女はついぞ見当たらなかった。


「あー、なんかお預け食らったと思うと余計に溜まってきた感じだぜ。このまま帰ったら金玉はちきれそうだ。」

「だからっつってもこれだ!って女は見当たらねぇし…どうする?いっそ市街に戻って素人の女でも―――」


 また頼み人のような犠牲者を増やさんとする算段を止めるかのように、ひとりの女が彼の視界に入った。顔は薄手のケープで隠されてよく見えないものの、挑発的な黒革の衣装から覗く黒く艶めいた肌は実に扇情的、その中でも特にスラリと伸びた生脚は程よく筋肉が乗り猫科の猛獣のそれを連想させるような野性的な魅力に満ちていた。女の方もその視線に気がつくと、ケープの隙間から目配せをして手振りとともに二人を誘う。男たちはハーメルンの笛吹きに誘導されるネズミのごとく、女のあとをふらふらと付いていった。


 着いた先は人の目のまるで届かない路地裏。


「おいおい…こりゃどう考えてもここ野外でってことだよな?」

「しかも二人相手だなんて…とんだエロ女だなこいつは…」


 二人は期待で胸と股間を膨らませる。ふと、女はケープを高々と投げ捨てた。女の顔が気になってしょうがなかった二人だったが、つい反射的にケープを目で追って宙を見上げる。


 その間隙を突き、女―いやさリュキアの右手から一本の黒糸が走り一度に二本の首に巻きついた。一瞬にして呼吸と声を奪われ、何か起きたのかもわからぬままジャックとマイケルの頭は混乱の渦に巻き込まれた。


 まさかお前が何かしたのか!?とばかりにジャックがマイケルの胸ぐらに掴みかかる。


 お前こそ何をした!?とマイケルがジャックを突き飛ばす。


 しかし一本の糸で首を繋がれた状態でそのような押し合いへし合いを続ければ文字通りお互いの首を絞めるようなものである。リュキアが何をするでもなく、二人の顔は今や真っ青となっていた。


ぴぃんっ


 一思いに止めを刺してやろうという仏心か、あるいは愚に付かぬ醜い争いをこれ以上見たくないという嫌悪か、リュキアは黒糸を一気に縛り上げ仕上げとばかりに左指で弾いた。するとそれまでの喧嘩が嘘のようにぴたりと止まり、同時に彼らの生命活動も止まるのだった。


(………やっぱり、人間の男って最低だ。)


 糸を回収し、助平と内ゲバの原因で果てた愚者の亡骸を見下ろしながら、リュキアは心の中で己の過去を振り返るように吐き捨てた。





 一方友人たちがかように惨殺されていることを知らぬピートは、上機嫌で店内のベッドの上に寝そべっていた。先に体を洗い終わり、あとは女のほうが洗うのを待つばかり。しかも警戒心のかけらもない仰向けなので視界も実に狭い。あるいはここで恨みある者が雪崩れ込み彼の背後から刃物で刺し殺そうとしても容易に完遂できるかもしれない。いわんや熟練の殺し屋なら尚更である。


 ぎいい、と天井の戸板が外れる。


 その隙間から覗くのはギリィ・ジョー。黒い「仕事」着に身を包み右手には既に得物である特殊な金属の針。うつ伏せなのが幸いしこちらに勘付かれることはまず無いだろう。このまま下に躍り出て、標的の首筋に針を打ち込み絶命させ、再び天井に飛びつき逃げる。彼の「職歴」の中でも1・2を争うほどの簡単な仕事だろう。


 だが、動けない。


「仕事」に際しては一切の感情を持ち込まず、覚悟を決めたつもりなのに。


 師と仰いだ男の血縁、そして父と慕った男の実の息子である。いかにいけ好かない男であっても、とんでもない外道であっても、心の奥底でどうしても信じたいと思ってしまう。あるいはリュキアからの報告を聞くぶんには、悪い州衛士の入れ知恵がなければ自ら出頭して罪を認めたのではないのか?本当は悔いる心があったのではないか?


 いやそんなわけがない。奴の作品を思い出せ。嘲りと傲慢の滲み出るあんなものを作る男が反省などするわけがない。


いやしかし―――


 頭の中でぐるぐると思考が巡り、意思が鈍化していく。そうこうしているうちに時間だけは刻一刻と過ぎゆく。商売女が戻ってくるとなると厄介だ、だからこそ早いうちに仕留めねばならぬのに。この期に及んでの停滞。あるいはこの場から逃げ出したくなるほどの葛藤。


 そんな中、ふと師の生前の言葉が頭をよぎった



―――大切なのは思い切りの良さですよ。



 師の言葉、そして師の優しい声が脳内で再生されるとこれまでのモヤのようなものが一気に晴れた。そして次の瞬間には部屋へと躍り出て、ピートの無防備な首筋に針を突き立て、脳をかき回し絶命させると、並ならぬ跳躍力で天井の穴に飛びつき戸板を閉める。と同時に下から女の悲鳴が聞こえた。もう少しでも迷っていれば目撃されていたかもしれない紙一重であったということだ。ギリィは師の言葉に深く感謝すると同時に、このようなことに彼の教えを応用したことに言い知れぬ罪悪感を憶えた。


「まったく、こんなことばかり上手くなっちまってもしょうがねえのにな、お師匠…」


 晩春の夜風が、彼の瞳から涙を拭っていった。





 マエストロ二代目襲名直後の早逝は商人ギルド内で内密に処理された。蝶よ花よと大事にされたとはいえはやり問題児は問題児、表に出すには恥ずかしい病巣であることには変わりはなかったのだ。と同時に、専属の州衛士アルバ・ミラーの存在も葬られた。多くの被害者の声を揉み消してきた男は、最後はギルドの手によって揉み消されたというのは皮肉な話である。またギルド内でも、アルバの口車に乗りピートを担いだ急進派への大粛清が行われた。これから先マエストロの選定には技術・格式に加え人格の良し悪しも考慮されることになるだろう。


 とまあ想像以上に影響の大きい仕事をこなしてしまったWORKMAN達ではあったが、本人たちは依然として変わりない生活を送っている。神父は今日も礼拝者たちと祈りを捧げ、リュキアは彼を甲斐甲斐しく手伝う。ギリィもまた、マエストロの技術を受け継いだ最後の男であるということはまるで知られておらず、今なお知る人ぞ知る名工という扱いのままであった。そして―――





「そういえばお姉様、もうじき誕生日でしたよね?」

「そうね~フィラちゃん。ホント楽しみだわ~。」

「ひとつババアに近づくことの何がそんなに楽しみなのかねぇ…」


 朝食の準備をするときも、フィアナはずいぶんと上機嫌だった。去年の今頃などは一つ歳を取るという事実に憂鬱な顔をしていたことを考えると、マシューの言うことは悪態でも嫌味でも何でも無く疑問に思うところであろう。


「だってぇ~、今年は主様が素敵なアクセサリを買ってくださるみたいですもの~。」


 ぶふぅ、と口に含んだスープが飛び散った。マシューにとってもそんな話はまるで寝耳に水である。


「ちょっ、ちょっと待って!私そんな約束した憶えは…」

「だってぇ~、主様一ヶ月前くらいに街外れのアクセサリ屋に入り浸ってたっていうじゃないですかぁ~。見回りの仕事をサボってまで~。そこまでして縁のないお店にお邪魔するってことは、やっぱり私の誕生日プレゼントのためなんじゃないんですか~?」


 サボりを言及する語意がことさらに強かった。まさか自分が女にモテるためのアクセサリを無心しようとしていた、などという真相は口が裂けても言えそうにない。


「えー!羨ましいなぁお姉様!あそこの職人さん、ここ数週間でさらに腕が上がったって評判なんですよ。いいなぁ。」

「じゃあフィラちゃんも誕生日の時に主様に頼んでみなさいよ~。」


 あ、ダメだこれ。言い逃れできねェ状況だ。マジで今回の頼み料でアイツから買うしかねェなこれ…




 そして―――マシューもまたいつも通りメイド姉妹にいびられる日々を送っていたのだった。


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