其の二

その日、ギリィはシタールの屋敷に来ていた。



 彼自身は権力権威などには興味のない男である。商人ギルドとは最低限の上納金を納めるだけの関係だし、シタール・ラヴァンの名も同業者として聞くとは無しに耳にしていた程度である。故に「マエストロの後を継ぐ」という言葉に誘われたわけではない。ただ、かの老人の冗談とは思えない真剣な眼差しに同じ職人にとしてただならぬ熱意を感じ、それに押される形でついていくことになったのだ。


 屋敷そのものは大きいものの、州を代表する有名人の邸宅とは思えぬほどに簡素だったが、工房に入るとその評価は一転した。充実した設備、壁に居並ぶ氏の傑作の数々、年季を感じさせながらもぴかぴかに入れの行き届いた工具の数々…とはいえ見る人が見ないと凄みは伝わらない光景ではあるのだが、同業者であるギリィはこれを玩具屋に入った子供のように瞳を爛々とさせて眺めていた。


「さて、長々と話していてもしょうがありませんからね、職人ならまず手を動かさないと。」


 目をパチクリさせるギリィの前に、金の延べ板が差し出された。なるほど試しにこれで腕を示して見せろということか、ギリィは懐から愛用の工具を取り出し作業を始めた。程なくして延べ板に美しい竜が描かれる。早さも出来も申し分なしとギリィが自負するに値する出来ではあったが、シタールの表情は厳しい。


「鱗はもっと細かく彫ったほうが映えるんじゃないでしょうかね?」

「おいおい爺さん、あんた本当にマエストロなら金の柔らかさぐらいわかるだろ?これ以上手を加えたら折角の金の延べ板に穴が開いちまうよ。」


ギリィの反論を聞くが早いか、シタールも工具を手に取り先程の竜の彫り物に手を加えた。


カツカツッ タタタッ


 まばらに散った鱗と鱗の間にさらに細かく鱗を付け加えていく。ギリィが懸念する延べ板が破れそうになる一歩手前の繊細な作業、さりとてギリィ以上の老人らしからぬ作業スピード。


 これがマエストロか―――やもすれば商人ギルドの宣伝のためのお飾りのようなものだと思っていたギリィの偏見を打ち砕く一流の職人の技に目を奪われる。そして手元には更に細かな描写が加わり、まるで生きているかのような躍動感を与えられた竜の文様が残されたのだった。


「大切なのは思い切りの良さですよ。穴が開くとか失敗を想像し限界を決めつけているうちはそこ止まりです。ではそのことを念頭に置いてもう一度。」


 ギリィの前に再び真新しい金の延べ板が差し出された。本物の一流の仕事に触発された彼は更に発奮して作業に当たる。


「ところで今の技術はどこで学ばれたのですか?」

「いや、特に誰かに師事したことは無いな。ほとんど我流さ。ハーフリング族は元々手先が器用だからな。」

「成る程。ではあまり口を出すのは今の色を消してしまうようでよろしくないですね。」

「そんなこたぁ無いさ。一人で店に篭ってるだけじゃ得られないものがいっぱいだしな。むしろ至らないところがあればどんどん指摘してくれ。」


 商人ギルドとも付き合いが薄いから職人同士の横のつながりも薄い、こと表仕事においては他者が絡むことが滅多である。そんな生活の中で、超一流の指導を受けられるということは今までにない濃密で実になる時間であることだろう。しかしそんな濃密な時間は一声の喧騒によって破られた。


「おいオヤジぃ!帰ってきてるんなら帰ってきてるって言えよ!金も持たずにダチに顔合わせるところだったじゃねえか!」


 金槌の音が支配していた工房にけたたましい声が割り込む。そんな声とともに現れたのは、長髪を携えたいかにもな若者だった。


「こらピート!客人の前でそのようなことを!」

「いいじゃねえか、余程の上客でも無い限り立場はオヤジのほうが上なんだ。気を遣うことなんかねえじゃねえか。」

「そういう卑しい考えはやめろと前から言っておろうに…それでいつもトラブルをおこして、この前もパン屋の娘さんを拐かそうとして州衛士のアルバさんにもまた迷惑をかけたのだろう?」

「はっ!まったく小さいことだぜ。折角ギルドからも重宝がられる立場なんだから最大限利用しない手は無いってのにねぇ。ところで、その小さいやつが客人?」


 なんとも失礼というか、世の中を舐めくさった男だと思ったが、どうにもシタールの血縁だということなのでギリィは軽く会釈を返した。


「こちらはギリィ・ジョーさんだ。街外れにある評判のアクセサリ屋の噂は聞いたこともあるだろう?彼が底の店主だ。」

「ふーん…なるほど、俺への当て付けに腕の良い職人を弟子にとったってわけだ。」

「どう思ってもらおうが構わんよ。それでお前もやる気になってくれるのならな。」

「冗談!いくら腕が立とうがこんなハーフリング野郎と俺じゃ比べるべくもないだろうよ!」

「そうか、なら今は邪魔だから出て行け。金なら居間の財布から持っていけ。」

「おう、じゃあなオヤジ。」


 嵐のように騒がしかった若者は勢い良く戸を閉め工房を後にした。後には文字通りの嵐の後の静けさが残された。


「…えっと、さっきの男は?」

「ああ、ピートなら私の息子だ。」


 息子であることは先の会話から読み取れた。しかし見た目父子どころか祖父と孫ほどの歳の差があるようにしか見えない。その辺の不自然さを考えるとそうだと言われても信じられないところであろう。


「生まれてこの方この仕事に打ち込んできたおかげでマエストロと呼ばれるようになったものの、その地位に立って人生に余裕ができて初めて人並みの喜びというものにとんと縁がなかったということに気がついてね…


それで恥ずかしながら老いてから嫁を貰ったはいいがその嫁もこの老いぼれよりも先に逝ってしまって…男手一つで育ててきたせいかどうにも手が回らず我儘限りのままあの歳になってしまったというわけなのですよ。いやはやお恥ずかしい…


でも幸いな事に才覚は受け継いでくれたようでね。ほら見てくださいよこっちの金細工。これはあの息子が作ったんですよ。」


 シタールは恥ずかしそうに工房の壁に並んだ作品を指さす。そのうち、言われれば確かに作風の異なるものが数点見受けられた。細工の細かさは親顔負けなほどだが、若さにあかせた派手さや粗さも目につく。とはいえあのような軽薄そうな男がこれほどの腕を持っているということは、ギリィにも意外に感じられた。


「なるほど、その才能ある息子の当て馬にするために俺を呼んだってわけだ。」


 ギリィはすねた顔で言った。確かに腕の良い跡取りがいるのならわざわざ外様から呼んでくる必要はない。そう思うのもまた自然であるし、そのようなダシにされたとなればいい気はすまい。マエストロの名に興味のないとはいえギリィが気を悪くするのも当然であろう。


 しかし、シタールの真意はそうではなかった。


「…子に良い将来を残したいという気持ち、親としてそれは嘘ではありません。

しかしそれと同じくらい、職人として自分の技術を残したいという気持ちがあります。そしてそれは今のあの子では到底無理でしょう。権に頼って己の後ろ暗いものを外的に発散するしかできない我儘では、あのように機微に欠けた雑で派手な作品から一皮剥けられない。年を経れば変わるかもしれませんがその時既に私はこの世に居ない可能性が高い。そういう意味で、今正に闇を抱えそれを昇華せんと必死にあえいでいるあなたのほうが私の技を継ぐに相応しいと思っています。」

「爺さん、あんたまさか…」

「ええ、ここに至るまでは決して平坦な道ではなかったですからね。私も墓の下まで持っていかねばならぬような血塗られた過去の一つや二つ私にも有りますよ、あなた同様にね。そんな咎人が何を都合のいいことを、と思われるかもしれません。しかしどうか、どうか私の技術を後世に伝える役目をお願いできぬでしょうか!?」


 頭を下げるシタールの目にうっすら輝くものが見えた。その真摯な態度を前に、ギリィにもこれを断る理由は思い浮かばなかった。





「…ってなわけで、ギリィも奴ァ最近マエストロの屋敷に入り浸ってるっつーわけだ。」

「なるほどそういうことでしたか。我々も先走らなくて正解でしたね。」


 昼前の教会、マシューと神父は茶を飲みながら話をしていた。ギリィの「仕事」がばれたか否かの問題は自身らの生命にも関わる大事である。あるいは仲間を手にかけなければならない可能性もあったのだが、それが杞憂であるとわかったことはWORKMAN達にとって何よりだっただろう。だからこそ今安堵してこのように茶の席で談笑もできようというものなのだが、それとは別の問題も頭をもたげ始めていた。


「あいつ、このまま足抜けするのかねェ。」


「さて、どうでしょうね?このまま表の仕事で名が上がるようならお互いに不干渉を貫いたほうがいいことにはなるんでしょうが、いかんせんこのような事はWORKMANの歴史の中でも例のない話ですからね。たいていこの『仕事』を辞める時というのは、ガンノス老のように体力の限界を感じて隠遁するか、あるいは自身の命尽きるか…」

「やめてくれ、そういう話は俺に効く…ああもうクソっ!俺も表仕事だけで生計立てられるようになりてェなァ!」

「そうしたいのなら少なくともこのようなところでサボっているのではなく働くべきかと。」


 神父からの耳の痛い言葉が二連続でマシューの胸をつんざくのだった。





 さて、マシューが凹まされているその頃、ギリィは今日もシタールの指導を受けていた。朝早くから工房に入り、日が暮れるまでみっちりとその技術と心根を学んでいく。時にピートのがなり声に邪魔されるものの、往々にして充実した徒弟生活を過ごしていた。


「そろそろ昼も近いし休憩しましょうか?」

「ちょっと待ってくれ爺さん。今やっと前々から言われていたラインの彫りが出来そうなんだ。」

「そうですか。では私が外に行って何かつまめそうなものを買ってきましょう。」

「いやいや!何で教える側の人間がそんな使い走りみたいな真似するんだよ!?普通下の側の人間のやることだろ?」

「立ってるものは親でも使え、これラヴァン家の家訓です。まあ実の息子にいいように使われている言葉ではあるのですが。」


 思わず苦笑する二人。

実際のところギリィがシタールに付き従っているのは、彼の人徳によるところも大きかった。見た目の通り優しくもこと仕事のことに関しては妥協を見せぬ厳しさ、長年培われた含蓄とセンスのある語り口。その人間的な雄大さは父親というものはこういうものなんだろうな、ということをギリィに想起させた。



―――やめてよ!なんでこんなことするんだよ父さん!?


―――全ては真理の追求の為だ、わかってくれるねギリィ?母さんもそれを承知でああなったんだ。



 ふと思い出した幼少時の記憶に胃液が逆流するような感覚を覚える。ギリィにとって父親とは、錬金学に没入し真理の追求のため妻と子に犠牲を強いるような男のことを指す言葉だった。それゆえ、一般的な父親像に近しい存在であるシタールに憧れを見出すのも仕方ないことなのだろう。


「どうかしましたか?なにかえづいていたようですが…」

「い、いや何でもねえよおと…お師匠!」

「お師匠…ですか。今まで爺さん呼びだったのにどういう…?」

「俺に色々教えてくれているんだ、実際師匠みたいなもんじゃねえか!」


 思わず口をついて出そうになったが流石に「お父さん」という言葉は飲み込んだ。しかし言い換えた言葉にも、只のアクセサリ職の師匠ということのみならず人生の師という意味が含味されていることは疑いようのない事実だった。本来ならば出生とともに出会うはずの、彼の十数年の人生の中でようやく巡り会えたそういう存在。一方的な虚しい擬似家族であるとは自覚しているものの、ギリィはこの日々が一日でも長く続けばと願わずにはいられなかった。





―――しかし三日後、その日々は彼の実の息子によって終わりを告げた。





 その日ギリィは遅刻していた。慌てふためき工房に入った彼が目にしたものは、散らばった工具と青ざめたピート、


 そして首にノミが刺さり物言わぬ死体と化したシタールの姿だった。


「ち…違うんだよ!事故なんだよ!オヤジが『お前に残せるのはマエストロの名ではなくこの工房だけ』とか『マエストロを継げるかどうかはお前と周囲の評価次第』とかいって俺を邪険にしようとするからついカッとなって押したら壁にあたって立てかけてたノミが刺さったんだ!俺が殺そうとしたんじゃないんだ!な…なあ、わかってくれるよなアンタ!?」


 あまりの唐突な事態に目の前が真っ白になったギリィには、ピートの弁明の半分も耳に入っていなかった。


「あっ、そうだ!オヤジも齢で足腰が悪かったのがいけなかったんだよ!軽く小突いただけで大げさに倒れやがって!そ…それにアンタも悪い!アンタがうちに来なけりゃこんな事にはならなかったんだ!!とにかく俺のせいじゃねえ!!俺は―――」



ゴッ



 小柄なハーフリングの振り上げた拳が、慌てふためく男の顎を撃ちぬく。体格差こそあれ、特に鍛えているとは言い難いピートはそのままもんどり打って倒れた。

ようやく意識の戻ってきたギリィの耳に入ってきたピートの自己弁護。それは悲しみに支配された彼の心に怒りを呼び起こした。自分のせいだと言ってきたからではない。仮に事故とは言えあれほどの良き父の命を奪っておきながら、詫びの一つも無い息子への怒りだった。拳を握りしめたまま、ただ打ちひしがれる。


「…いいか、俺は何も見てねぇし聞いてねぇ。ただひとつ言えることは、とっとと州衛士ん所に出頭して罪を償え、そんだけだ!」


 これまでの威勢の良さからは考えられぬほどに怯えた瞳で大の字に倒れる男に背を向け、ギリィは工房を後にした。父と慕った師を失った悲しみ、それが実の子の手によるという理不尽、どう考えても頭の整理の付く状況ではなかった。ただ、去り際にちらりと見た師の顔が、あるいはこうなることを予見していたかのように安らかだったことだけがすくいだっただろうか。


 とにかくギリィは家に帰り、まだ朝であるにもかかわらず寝た。丸一日寝た。ただピートが自分の言う通り罪を償うことを期待して。



 しかしその期待もまた、翌日の朝刊によって破られることとなった


『シタール・ラヴァン氏、作業中の事故により急遽

 マエストロの名は息子のピート・ラヴァン氏が襲名』





「ここに俺の全財産が入っている!!これが頼み料だ!あの野郎をぶっ殺させてくれ!!」


 夜の霊安室、いつぞやのようにギリィの呼び出しに応じたWORKMANたちが集まっている。しかしその日と違ったのは、正体を隠すための相談のためではなく、実際に「仕事」の依頼を持ってきた、ということだった。しかしその「仕事」の依頼はこのとおりであり。


「あいつは、ピートの野郎は親父を殺しておきながら事故と偽った挙句、何食わぬ顔でマエストロの地位に収まりやがった!アイツに跡は継げないとお師匠は散々言ってたってのに、これじゃあ親を殺して奪い取ったようなもんじゃねえか!外道を殺すのが俺達の『仕事』だろ!?こんな外道生かしておくわけにはいかねぇだろ!?」


 熱弁を振るうギリィだったが、話を聞く者達は三者三様に困った顔を浮かべるのみだった。


「…先走ってひとりで殺しに行くような真似をせず、あくまでWORKMANとして筋を通してからしようとしたことは評価します。でもですねギリィさん、それは無理な依頼なのですよ。私達はあくまで第三者が恨みを持つ外道を殺すのが『仕事』であって、自分自身の恨みを押し通せばそれはWORKMANの理念から外れてしまうからです」


 眼鏡の奥で眉をハの字にしながら、神父が重い口を開いた。ギリィの気持は痛いほどわかっているつもりではある。しかし彼の言うこともまた尤もである。恨みを晴らすための殺しを執行するものが自分の恨みを押し通してしまえば、それはもはやただの私刑集団に成り下がってしまうだろう。


「じゃあよぉ…人の恨みを晴らすWORKMANでもどうにもできねえってんならよぉ…俺の恨みは誰が晴らしてくれるってんだよぉ!!」


 だからといって中々はいそうですかと納得できるものではない。ギリィも慟哭も当然のものといえよう。あまねく人の恨みを晴らす「仕事」の範疇から除外される、それはあるいは自らが最早人では無いことを示しているとも感じられ、黙りこくっているマシューとリュキアに影を落とした。


 しばらくギリィの嗚咽だけが霊安室に鳴り響いていた。そして彼が泣きつかれて眠るのを確認すると、神父はリュキアに彼を家まで送るように指示を出した。リュキアは子供をおんぶするように彼の体を背負い、霊安室を出て行く。


「…しかし、ちょいと解せねェこともあるっちゃああるな…」


 ふと、続いて外に出ようとする神父を呼び止めるように、これまで沈黙を続けていたマシューが呟いた。


「どういうことですかベルモンドさん?」

「いや、マエストロってェのは厳正な審査のもとで決められるモンであって世襲でどうにかできるもんじゃねェんだよなそもそも。しかもあのピートって奴ァ何度も州衛士にお世話になってるやんちゃ坊主だ。腕はどうか知らねェけど品格って意味じゃ終わってるっつっても過言じゃねェ。なのにこの襲名だ。どうにも臭ェ裏があるようにしか思えねェんだわ…」

「…それは『仕事』に関係有りそうですか?」

「さすがにそこまで未来は読み通せねェよ。まあ、あくまで個人的に、深追いしない程度に探らせてもらわァ。」


(まったく、しょうのない人だ…)


 先に霊安室を出るマシューの背中を見ながら神父は思った。軽い口ぶりではあったがギリィのことを想っての行動なのだろう。前回の老婆の件といい彼は情に傾きすぎているきらいがある。しかし、いつかそのツケが自分に降り掛かってくるかもしれない、止めなければならないと思いながらも神父は口を出せなかった。ただ仲間のために力になってやりたいという単純な行動原理をなぜか否定できなかったのだ。





 ピートの二代目襲名から一週間が過ぎた。ギリィもようやく気持ちの整理がついたようで久方ぶりに店を開ける。シタールの元での修練の期間も含めれば都合半月は店を閉めていたことになる。告知こそしていなかったが久々の開店をどこで知ったのか、程なくして常連客が待ってましたとばかりに次々とやってきた。


「あれ?ギリィさん店閉めてる間何かしてたの?なんとなく前よりも腕が上がってるみたいだけど。」

「そうよね、こんな細かい彫りとか見たことないもの。」


 客の女性たちが彼の新作をもてはやすと、ギリィは少し救われた気がした。シタールの指導は無駄ではなかったんだと思うと、少し泣きそうにすらなった。そんなわけで久々の収入も上々、日が真南に昇った頃一度店を閉めてネルボー食堂に昼食に向かう。


 道すがら思うことは師とその息子のこと。とりあえず立ち直ったとはいえやはりまだ気がかりだ。ピートについては今でも憎々しく思っているし、どうしようもない奴だとも思っている。しかしマエストロという地位を得て変わったのならばそれで良かったのではないか。自らの親を手に掛けたこともそれを隠した後ろめたさも、あるいは師のいうところの「闇を抱えた作品」へと昇華するための糧となっていたのならそれでも良かったのではないか。師の死に顔が穏やかだったのは我が子にそれを期待していたからではないのか。半ば無理矢理な理屈ではあるがギリィは己を納得させるべくそう思うことにした。


 大通りに出ると様々な大店が店を連ねている。そのうちのひとつ、アルファ宝石店でギリィは足を止めた。店の正面に仰々しく置かれたネックレスには「二代目マエストロ襲名記念作品」との立て札。旧ザカール王国時代の女王エカチーナの肖像を金であしらい様々な宝石を散りばめた、正にピートの作品といったきらびやかなものだった。しかしそれを見つめるギリィの表情は暗い。


 修練の成果だろうか、彼もまた師同様に作品のうちにその作ったものの人生や心根が見てとれるようになっていた。そんな彼がピートの作ったネックレスに見たものは、以前と変わらぬ虚栄心と、反省や後悔ではなく嘲りの感情であった。



―――それがまるで彼のその後の運命を指し示しているようで、ギリィの胸には怒りよりも何故か悲しさが去来していた


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