其の三

「こう見えてもアタシはね、昔は呉服問屋でね…30の頃に店を任されて女だてらに我武者羅に頑張った結果ヴァルハ州でも一二を争う大店にのし上げたもんさね…ただ、働き詰めだった反動かね、店が軌道に乗った頃から男芸者遊びにハマっちまって…毎晩男娼たちを集めては乱痴気騒ぎさ…ライナス、いや当時の名前はキールだったか、あいつもそんな男娼の一人でね…少なくとも当時のアタシの目には素直で、純朴で、真面目な男に見えてさ…年甲斐もなく熱を上げて本気で口説き落として結婚の約束まで取り付けた…あのウエディングドレスも懇意の職人に頼んで目一杯金かけて作らせたものさ…


しかしどうしたことかねぇ、夫婦になってからアイツはどんどん変わっていっちまった…元々の性根がああだったのかアタシと一緒になって金と権力を得て変わっちまったのかはわからない…ともかく気がつきゃアイツはアタシから全ての財産奪って雲隠れさ…


それだけなら馬鹿な女が馬鹿を見ただけで済んだんだけどねえ、程なくして隣の州でエルフの結婚詐欺師が出たって噂を耳にして、たまらずそっちに向かった…けど…アタシが着いた頃にはもうアイツの姿は無く、騙された女達だけが残されてた…


それから50年はその繰り返し…アイツを追っては逃し、不幸な女達の姿を見続けることの繰り返し…苦界に身を落とした女、世をはかなんで身を投げる女、逆に刺しに行こうとして返り討ちに遭う女…奴を目覚めさせたアタシに対する罰のようなもんなのかね、そんな女を見る度に身を切られる思いを味わい復讐への念を深めさせられてきたさ…そしていよいよアイツを殺れるところまで近づき、泣く女もその場にいないって恰好の状況だったってのに…結果はこの有様さ…


アタシがこのまま死ぬのは自業自得みたいなもんさね…今更命が惜しいって気は無いよ…でもねえ、アイツが生きてたらこれまで騙された女達の無念が晴れやしないし、何よりまた多くの女が泣きを見ることになるだろうよ…それだけは許しちゃならねえ…尻拭いのようで申し訳ねえけど、


…この恨み、どうかお願いします…


あとあのウエディングドレスも燃やしてやってくだせえな…アタシが女の夢を抱いて作らせたアイツも、この呪わしい運命から開放させてやって―――」


 なけなしの銅貨を懺悔室に残し、こうして老婆はそのまま息を引き取った。





「成程な、あの婆さんにそんな過去があったわけか…」


 夜の教会地下霊安室。依頼を受けた「WORKMAN」の4名は例によりここに招聘されていた。少なからず依頼人に関わりのあったマシューだったが、事の真相と老婆の執着の根源を知ったのは今しがたが初めてである。


「でもおかしな話だな。的はあの新しくできる服屋の店主。実際見たことはねえけど若くていい男だって評判じゃねえか。で、頼み人はそいつを50年追ってた婆さんって、それっておかしくねえ?」


 と、ここでギリィが疑問を口にした。言われてみればおかしな話である。頼み人は30の頃にライナスに騙され50年追ってきた。そして実際に齢80と言っても納得の容姿であった。しかしライナスも同じように50年の時を経ているはずなのに、店の前に立ち指示を送る彼の姿は実に若々しく美麗だ。


その答えを知っていたのは、以外にもリュキアだった。


「………エルフは長命。ドワーフほどじゃないけど、だいたい寿命が200~300歳。」

「マジか。そりゃ初耳だ。」

「………しかも幼少と老齢の時期が短い。人生の大半は若い頃のまま。」

「へぇ…ってじゃあお前何歳なんだよ?!」

「………………戦後生まれ。」


 いつもより長い沈黙の後、ダークエルフの娘は目を背けながら、あくまで輝世暦以降の生まれだと主張した。


 ちなみにハーフリングの寿命は人間より数十年長生きな程度である。閑話休題。


「何やってんだお前ら。的の警護には二人の獣人も付いてるんだぞ。ちょいと顔合わせしたがあいつらかなりの手練だ。気ィ引き締めていかねェと―――

「気を引き締めなければならないのはあなたもですよ、ベルモンドさん。」


 言葉を遮ったのは神父だった。いつもの貼り付いたような笑顔だが眉間に僅かにシワが寄っている。


「頼み人を自分から連れてくる、というのは軽率な行動だとは思いませんか?今回こそ晴らすに足る恨みでしたし、頼み人もこのことを吹聴するしない以前にお亡くなりになられたから問題なかったものの、もしこの方があらゆる意味で信用できない人物だとしたらさてどうなっていたことでしょうか?」


 返す言葉もなかった。軽率だった。それとなく伝えたとはいえこれが元で「WORKMAN」の存在がお上に知られたらどうなるかは重々承知していた筈だ。しかしこの守秘義務は本当に自分たちの力が必要な人間が目の前にいても力になるどころかその存在を教えることすらできないというジレンマをはらんでいる。マシューの行為はそういったものに対する鬱屈した感情の現れだったのかもしれない。


「『WORKMAN』の存在意義を疑問に思う気持ちはわかります。しかし全ての恨みを救えるほど我々の掌は大きくありませんよ。私達は勇者でも正義の味方でも無いのですから

―――そう、悪党を殺す大悪党、ただそれだけの存在です。」


 彼の内面を察したかのように神父は諭す。マシューはただ黙って頷くだけだった。


「…とはいえ頼み人の遺志を汲むことも必要ですね。これ以上彼の者によって泣く女が出ないように、つまり今まさに騙されている八百屋のジーニーさんが財を奪われる前に『仕事』を完了せねばなりません。その日が何時になるかはわかりませんが早いに越したこと無い…あるいは今からでもお願いできますかね?」


 マシューの瞳から反省の憂いの色が消え、殺意の漆黒に染まる。「仕事」とあらば一瞬で気持ちを切り替えるプロの判断力。それは他の二人も同じであった。机に置かれた銅貨を自分の分前だけ懐にしまい、次々と霊安室を後にする。最後に残された神父は灯りの蝋燭をふうっと吹き消してから出て行った。





 一旦帰宅しメイド二人に夜勤が伸びたと言伝をしマントを羽織ってから、マシューは下町に足を運ぶ。あの時フィアラの急な乱入で持ち帰りそこねていた、まさに今から使うサムライソードが未だ預けっぱなしだったからだ。鍛冶屋の前に差し掛かると、それを察していたかのようにガンノスが待ち構えていた。


「ほらよ持ってきな。神父様から話は聞いてるぜ。」


 ガンノスがサムライソードを無遠慮に投げ渡すと、マシューはそれを片手でキャッチした。彼の細腕ですら軽々と掴めるほどにこの剣は軽い。そして五分方ほど鞘から引き抜き刃の目を見る。独特の波型の文様が月明かりを受けてなまめかしく輝いた。おそらくその仕事に満足したのであろう、マシューは何も言わずに再び納刀しマントの中に隠す。


「爺さん…神父様から話が行ってるってこたァ、俺のやらかしも聞いてたりするのかい?」

「まあな。」


 マシューは恥ずかしそうに鼻を掻いた。


「しかしまあ何だな、珍しく親切心で代わってやろうって声かけた人間に限って、手前も死ぬ気だったってのもバツの悪りィ話だよな…」

「まあ努めて誰かを救おうなんて殊勝なことの出来る稼業じゃねえってこった、この『仕事』は。俺の現役の頃もそうだったさ。それが悪党の分相応ってほどにな。」


「そうだな…悪党は悪党らしく、小悪党どもを狩ることに専念しますか…」


 そうして覚悟を改めたマシューは、夜の街道をライナスの店目指してゆっくりと歩き出すのだった―――





(まさかあのババアは…いやまさかそんなはずは…)


 自宅でもある店舗内のリビングでライナスがうろたえていた。昨日の今頃の豪胆な態度が嘘のようである。彼の心を乱すのは日中襲いかかってきた老婆のこと。その場では唐突すぎて気が付かなかったが今ならば何となく分かる。何せ己が初めて結婚し、そして罠に嵌めた女だ、彼の数百年の半生においてもことさら印象に残っていることだろう。それこそ老いてなおその面影を見出すほどに。


(いや、あの齢であれほど傷めつけられたんだ、今頃は生きてはいまい。しかしあのあと州衛士に保護されていた…もし俺の過去を話す余力が残っていたとしたら事だ。俺の正体がよりにもよって公僕の知れる所となったら…!)


「くそっ!」


 手にした酒瓶を壁に投げつける。壁にあたった瓶は粉々に砕け中身が勿体無くも高級そうなカーペットに染み渡った。そんな雇い主の狼狽っぷりにさしもの用心棒も口を挟まずにはいられなかった。


「なあ大将よ、昼間の婆さんのことなら正当防衛で話がついてただろ?何をそんなに怯えることがあるんだ?」

「お前たちは知らんだろうが、あのババアから俺の裏の顔がバレるかもしれないからだよ!これが怯えずにいられるか!?よりにもよって州衛士に割って入られるとはなんという失態だお前達!」

「それは流石に俺たちの責任じゃねえだろ。あの場で消すにしても役人はマズイ。それに奴さんも、州衛士にあるまじき腕だったしな…」


 ウェアウルフの男は顎の毛を撫でながらその時のことを回想する。自分が本気でなかったとはいえそれを上回る疾さの打ち込み。まさか貴族の世襲で転がり込むお飾り警固隊にあれほどの手練が存在しようとは。彼もまた裏社会での殺し合いを生業とする者である、逆上した女を返り討ちにする程度の仕事では到底味わえない本気の戦いを予感し、雇い主の思惑に反しこの状況に期待し舌なめずりをする。


「…まあいよいよあの役人も消さなきゃならない段になったら呼んでくだせえ。その時は本気の人狼の疾さってもんを見せてやりますよ。」


カーン カーン


 と、ウェアウルフの男が言い終わるが早いか裏手の呼び鈴を叩く音が鳴り響いた。こんな夜分に誰かと思いそっと窓から覗きこむと、裏門の前には件の小柄な州衛士の男が立っていた。いよいよの段がこうも早く訪れたのかと緊張が走る。


「ごめんくださーい。ライナスさんにぜひお耳に入れていただきたい話があって参ったのですけれどー。」


 州衛士の男は夜だというのに無遠慮に家主を呼び立てる。ライナスは深く深呼吸をして表情を整えると、裏の戸を半開きにして来客に応対した。


「誰ですかこんな夜中に…ってこれはこれは、ジーニーのお友達のご主人の方でしたか。」

「ええ、夜分遅くすいませんね。そういえば自己紹介を忘れてましたね。私この州で州衛士をしとりますマシュー・ベルモンドと申します。で、お話したいことと言えばだいたいお察しはついているかと思いますが…」

「ああ、昼間の件ですか。まあ立ち話も何ですからどうぞお上がり下さい。話は中でじっくりお伺いしますから。」


 お互い作り笑いと低姿勢で腹を探りあうかのような挨拶を交わしたのち、ライナスは客をリビングまで招き入れた。と、そこで入れ替わるかのように大男がその戸から外に出る。


(いいか、お前は外を見張れ。それに万に一つも仕留め損なうことはないとは思うが念には念だ、奴が外に逃げたらお前がやるんだぞ。)


 ウェアウルフの男の指示を受け、オークの男が戸を塞ぐように夜空の下仁王立ちで佇んでいた。


 その様子を隣家の屋上から覗き見る者がいた。かの大男と比べれば正に豚と鼠が如き身長差の小柄な男、ハーフリングのギリィ・ジョー。その右手には既に腕輪が変異した長針が握られていた。しかし左上空という絶好の死角に位置取りながらも彼は攻めあぐねていた。


 その原因はオーク特有の厚い皮下脂肪。首から頭頂部までもびっしり張り巡らされたこの弾性の装甲に針が綺麗に刺さるのかが懸念されたのだ。己の実力を信じれば出来ぬことはなかろう。しかし「仕事」は確実な一撃必殺こそが重要。70・80%の確率ではむしろ不安材料が多すぎると言わざるを得ない。いつものやり方ではダメだ、確殺を狙い思考を巡らせる。


 瞬間、閃きが走るとともにギリィはその身を宙に躍らせた。中の様子がつかめず、マシューがいつ戻ってくるかもわからない状況、深慮が大切とはいえ時間に限りはある。故に長きに渡る己の「仕事」勘を頼みにダイブしたのだ。


「ぶっ、ぶふうっ!?」


 小柄な躯が豚面を丁度覆うように被さった。その全身を使った目隠しによって、ただでさえ暗い夜の視界がもっと真っ暗になり、オークの男は大いにたじろぐ。騎手を振り落とさんとする荒馬のように暴れるオークの頭上で、ギリィは狙いの一点をめがけ針を振り下ろす。


 それは、大きく開かれた鼻の穴


 脂肪の鎧を纏わぬ鼻腔は容易に針が突き刺さった。尾骨を貫いた針はそのまま斜め上を目指し突き進み、脳幹・小脳・後頭葉を一直線に串刺す。そして右手を捻ると、意志を持った金属が頭の中で花開き脳全体を蜂の巣にした。暴れ馬の挙動はぴたりと止まり、覆い被さった小男が離れると同時にその巨体はうつ伏せに倒れる。


 あるいは刺し込みが深すぎれば後頭部と突き抜けた針が覆い被さった己の腹さえも刺し貫いていたかもしれない。あらゆる意味で難度の高い「仕事」を敢行したギリィは緊張から開放され滝のように流れる汗を拭うと、早駆けで夜の街へと消えていくのだった。





 その頃、リビングに通されたマシューは机を挟みライナスと対峙していた。室内であるにも関わらず、マントは羽織ったままだ。その真横ではウェアウルフの用心棒が腕組みをしながら立っている。露骨なまでに何かあればすぐに仕掛けられる位置だ。


「で、お話したいことってのはですね。いやホント聞くとはなしに聞いてしまっただけなんですけど、そのー、ご店主さんとあのおばあさんの昔の関係のことをね…」


 先に話を切り出したのマシューだった。しかも直球である。ライナスは体をがたりと揺らし、ウェアウルフの腕組みもほどかれそうになった。


「いやいやいや!落ち着いてくださいな!別にその角でお宅をしょっぴこうなんて腹じゃねえんですから!大体そのつもりなら仲間と令状も連れてきてますって。私が言いたいのは取引ですよ。」


 どうどうどう、とマシューはいきり立つ二人をなだめた。いよいよの段が来たとは言ったものの、消したのが役人となれば後始末にかかる金も手間も馬鹿にならない。そんな折に向こうから取引を持ちかけてきたのだ。これで口封じが出来るのならこれはこれで幸いであろう。


(あまりふっかけてくるようならば、その時は…)


 ライナスは用心棒にサインを送り一応の警戒を続けさせ、彼の話の続きを聞いた。


「どうせ逮捕したところでもらえる恩賞なんざ多寡が知れてますからね。それじゃあこれほどの大店相手なら黙る代わりに色々包んでもらうほうが賢い選択ってもんですよ。」


 親指と人差指で丸を作りながらマシューは下衆な笑顔を見せる。所詮は食えない貧乏貴族を食わすための組織、薄給も当然であろう。言ってることの辻褄は合う、そこは信じて良かろう。事が思いの外良い方向に運びライナスも次第に地の出た下衆な笑顔になっていく。


「それで、如何程で?」

「いや、金で貰おうって気は無いんだ。5万10万するような高いドレスを6・7着譲ってもらえれば採算は合うからさ。」

「ほう、ドレスですか。男の方が如何様でそのようなものをお求めに?」

「お宅も見たでしょう?うちの性格の悪そうな使用人。こんなんがもう一人居ましてね、二人揃って事あるごとにネチネチネチネチ嫌味は言うし、へそを曲げれば飯も作らないときた。そんなこんなで肩身の狭い生活を強いられてますから、ここらでいっちょ主の甲斐性を見せつけて、主従の関係はっきりさせてやりたいなぁと思いましてですね。」


 その話を聞いたライナスはぷっと吹き出した。単純にマシューの口ぶりが面白かったというのもあるが、何より女に不自由しない身として、女の尻に敷かれる彼の境遇が哀れに思えて仕方なかったのだ。すっかり緊張の解けた彼はこの申し出を快諾する。


「では蔵の方からとびきりのものを用意させていただきますよ。しかしマシュー殿は変わった方ですよね。この程度で黙ってくれるなんて、欲がないというかいい人というか…」

「はははは、いやぁ、そんなこたァ無ェですよ―――」


すぱり


ぷしっ



「―――こんな『仕事』やってる奴がいい人なわけ無ぇだろう?」



 談笑の後、ライナスは用心棒のウェアウルフの首から鮮血が噴水のように飛び散っているさまを目のあたりにした。目の前の男は深く羽織ったマントの下に隠していた片刃の剣を右手で振りぬいている。その顔は先ほどまでの下衆な笑みとはまるで違う、暗く殺気立った表情。一瞬にして変化した眼前の光景に彼は混乱する。


 もっと不可解を憶えたのはウェアウルフの男のほうである。彼は雇い主と違い警戒を解いてなかった。油断していなかった。にも関わらず真横の男の抜刀から直接の剣閃で喉元を割かれたのだ。疾い疾いとは思っていたが、その本域は己の動体視力を超えるほどの疾さだったとでも言うのか?苦しみに口をぱくぱくさせながら思慮をめぐらしていたが、吹き出る血が止まると同時に意識も立ち消え、意図の切れた操り人形のようにぐしゃりと崩れ落ちた。



「ひっ…ひいいいいいいいいいいいいいいいい!!!!!!」



 いよいよもって錯乱したライナスは一目散にリビングから逃げ出した。マシューが追う様子はない。涙と涎で美しい顔を汚しながら無様に裏手門を目指す。

用心棒はもう一人いる、そいつに助けてもらおう、ただその一念で。


 しかし彼の思いが届くことはなかった。裏門を出たと同時に何かに躓き転ぶ。その何かこそ彼が頼みにしていたオークの用心棒の死体だった。


 甘く見ていた。逮捕でも裏取引でもない、殺し屋の来訪。殺し屋に襲われることは自体はこの50年でも少なからずあった。しかも頼みの綱の用心棒二人をも軽々と屠るような手練は初めてである。そして彼の目の前にもう一人の殺し屋が現れた。黒革の装束に身を包んだ、自分の亜種族の女。いよいよの恐怖に全身がガタガタ震える。


「なっ…なあ!あんたもエルフの端くれなんだろ?100年前の『エルフ狩り』も経験してるんだろ?じゃあ俺の気持ちもわかってくれるよな!?人間どもに問答無用で捕らえられ、色街に売られ、最低の環境の中で抱きたくもない女を抱かされた!

それが今こうしてどん底から這い上がって、あの時の苦しみを人間にお返ししてるだけじゃねえか!俺が苦しんだぶんを人間どもに返してもお互い様だろ!?俺は悪くねぇ!少なくとも同じエルフのあんたならわかってくれるだろ!?なあ…そう思うんなら見逃して―――」


 黒糸が喉に絡みつき言葉を奪った。彼の者の必死の演説を聞いてもリュキアの心に揺らぎはない。ただ冷淡に標的を見据えるだけだった。


「………私も、人間は嫌い」


 よりいっそう引き手を絞り、血液と呼吸の行き来を止める。


「………でも、他人を不幸にして自分が幸せになろうとする奴はもっと嫌い。」


 極限にまで張った糸を指で弾く。そのひと押しでライナスは完全に物言えぬ何かへと変容したのだった。





「しかし何か勿体無ェ気もするな…」

「頼み人の依頼を全うして初めて『仕事』だろうが。大体勿体無いって言ったって着せる相手もいねえじゃねえかお前。」

「お前ェに言われる筋合いは無ェよ。おうリュキア、お前は着るあてとかあるのか?」

「………興味無い。」


 殺しの依頼を遂行した三人は、最後の「仕事」を敢行すべく教会まで戻っていた。さすがに街中で火の手が上がるのは防火の面でも「仕事」の面でも危険だ。送り火のための組み木に種火を放ち、しばらくして火が大きくなる頃を見計らいウエディングドレスを投げ入れる。眩しいほどの純白はあっという間に真紅に飲まれ消えていった。


「成仏しろよ…」


 ふと風が吹き火の粉が夜空に舞い上がる。それがまるでこの50年で不幸になった女達の魂が天に昇ってくかのように見えた。その光景を前に、信心の薄いマシューも思わずこう呟かずにはいられなかった。





「死体隠匿のための新しい魔法を習得しました。流石に騎士団みたいな大物ともなるとそれで誤魔化すには無理があるかもしれませんが、町の成金程度までなら失踪で処理してもらえるようになるでしょう。これでカウベル三兄弟の時のように追求されることもなくなりますよ。」


 そういえば一週間前、神父は禍々しい表装の本を片手にこんなことを言っていた。あまりどのようにして死体を消すのか詳細を知りたくはならないが、ともかくその言葉通り今回の死体は誰にも発見されること無く「新進の洋服店店主突然の失踪」として街の噂となり、州衛士もそのような事件として捜査を進めていた。


「そういえばあの人が言っていました。『商人ギルドに不当な上納金を請求されている』と。きっとそのことを気に病んでどこか遠くに行ってしまったんだわ!ああ!私が500万ギャラッドを用意できなかったばっかりに!!」


 嘘から出た真と言うかなんというか、ジーニーを騙すためについた嘘がちょうど今の状況と合致、上納金未納のために夜逃げしたと捜査本部も断定し今件は意外なまでにあっさりと片付いた。その嘘のせいで追求を受けた商人ギルドはとんだとばっちりだったが。





「それにしてもジーニー、可愛そうですよね…せっかくの女の晴れ舞台がこんな形でおじゃんになるなんて…」


 世間では2日で忘れられるような事件でも、当事者たちにはそうはいかない。未だに元気の戻らないジーニーを思い、フィアラは呟いた。


「そんなこと言ってお前も本当はほっとしてるんじゃないのか?その女の晴れ舞台とやらを先越されなくてよかったーってな。」

「…主様は私のことどんだけ卑しい女だと思ってるんですか?大体焦りを感じなきゃいけないのは早くお世継ぎ作らなきゃいけない主様でしょうが!」

「だっ…だからそれを思い出させるんじゃねえよ!」


 夕食の小魚の酢漬けを挟んでいつもの口喧嘩が始まった。その様子を眺めていたフィアナは何かを思い出し、ぽんっと柏手を叩いて二人の間に割って入る。


「早く女の夢を叶えたいフィラちゃんと、早くお世継ぎが必要なマシュー様、ふたりとも得するいい提案がございます~」

「お姉様?」

「どうした?フィアナ。」


「マシュー様と~、フィラちゃんが~、結婚すればいいんですよ~」


ぶふうっ


 丁度茶をすすっていた最中である。フィアナのとんでもない提案を聞いた二人は思わず吹き出した。二人分のスプラッシュを顔面に受け、さしものマイペースなフィアナもびっくりしている。


「なっ、なにが悲しくて私がこんなやかましメイドをめとらにゃいかんのだ!?」

「わっ、私だってこんな甲斐性無し貧乏貴族お断りです!」

「でも~どの道そうなるなら早いうちにしておくほうがいいと思って~。フィラちゃんお父様から聞いてなかった?『マシュー様が30までに結婚できなかったら、ベルモンド家の子孫を残すためどちらかが妻になってやれ』って~」

「聞いてない!初耳ですお姉様!ていうか『どちらか』ならお姉様でもいいってことじゃないですか!何さりげに押し付けようとしてるんです!?」

「押し付けるだなんてとんでもない~。ただフィラちゃんが早く結婚したいってならそういう手もありますよ~ってだけで~」

「さっきから聞いてりゃお前ら私は主人だぞ!?本人目の前に押し付けるだのよく言えるな!ああもうあったまきた!絶対30までに美人の嫁さん見つけてお前ら見返してやるからな!」



―――すべての悲劇は死をもって終焉し、すべての茶番は結婚をもって終わる。

バイロン



お後がよろしいようで。


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