第一話 マシュー、近衛師団に絡まれる

其の一

 ザカール州。

 大ラグナント王国13州の中で東端に位置する州。南東部は海に面し国内有数の船舶施設と貿易港、それに付随する近代的な都市を有する。対し北西には山脈が並び内陸へ行くほど農林業が盛んとなり田園風景が広がっていく。元はザカール王国と呼ばれる王政国家で、勇者アランの伝承においては北の山のドラゴン退治の礼に船を貸し与えたことで知られている。海と山、歴史と先進文化、様々な二面性がこの土地には存在しているのだ。そしてそれは、人間にも―――





「主様!まだ寝ているのですか!?早くしないとお勤めに間に合いませんよ!!」


 夜も明け切りそろそろ街の通りにも人が溢れ出し始める朝8時、とある屋敷からけたたましい大声が響く。屋敷の前をたまたま通りがかった人ですらぎょっとするほどの大音量だ、その「主様」と呼ばれる人物がいかな寝坊助であろうと目を覚まさざるを得ないだろう。そんな特上の目覚ましを鳴らされ、「主様」ことマシュー・ベルモンドはベッドから這い降りた。


「まったく、いつまで眠そうな顔をしてるんですか!?そんなんじゃまたお仲間の物笑いの種になるだけですよ!早く顔を洗ってきてくださいな!」

「いや…もう顔洗ってきたしそもそもこの眠そうな目は生まれつきなんだけど…」


 少々身なりを整えて居間に入り声の主と対面する。マシューの眠そうなタレ目とは真逆のはっきりと大きな瞳のツリ目の少女、黒髪を頭の両端で結わえ紺色のエプロンドレスに身を包んだベルモンド家付きのメイド、フィアラ・モリサンである。メイドはその勝ち気そうな見た目通りに、主人に対しても全く歯に衣着せぬ言葉を浴びせる。


「いいですか、遅刻だけは絶っ対にやめて下さいね。手柄もなく、昇級の芽もない主様にできることと言ったら、せめて勤務態度だけは真面目に見せて首を切られないようにするだけなんですから。」

「おいおい、随分な言い草じゃないか。いいか?私だってその気になればだな…」

「いえいえ~それはダメですよ~」


 隣の部屋から間延びした声が聞えると、もうひとりのメイドが朝食のパンとサラダを持ってやってきた。女性だてらにマシューよりも頭ひとつほど背が高く、恰幅が良い。切れ長の瞳と常に笑みをたたえた表情は温和な印象を与えることだろう。フィアナ・モリサン―豊満な肉体と少女体型、細長の糸目とぱっちりした瞳、おっとり刀の喋り方とハキハキした口調―――まるで正反対なメイド達であるが、その姓が示す通り二人は姉妹なのだ。


「主様、くれぐれも下手に手柄を立てようなんて無茶はなさらないで下さいね~。大切な大切な御体なんですから~。」

「フィアナ…お前そんなにも私のことを…!おい、聞いたかフィアラお前の姉のこの言葉を!これこそあるべき使用人の心遣いと思い遣り―」

「そもそも主様はちびっこで体も弱いんですから~、無茶したところで悪い人相手じゃ返り討ちなのが目に見えてるじゃないですか~。命あっての物種、わざわざ死に急ぐような真似はいけませんよ~。」

「そうですねお姉様!それにそんなことして働けない体になったら誰が私達にお給金を払うって言うんですか?私達姉妹も高望みはしません。今の雀の涙な薄給でも無いよりはマシ、是非とも現状維持で頑張ってきてくださいな!」

「………いってきまふ」


 悪気なく気にしていることをつっけんどんに言う姉と、いたずらな顔で嫌味を言う妹。二人のメイドの圧力に耐えかねたマシューは早々にパンを口の中に詰め込むと、せっせと革鎧を着て家を後にした。




 モリサン家はベルモンド家に代々仕える使用人の家柄である。弱小とはいえいち領主から州衛士にまで没落した現在まで仕えているというのは余程義理堅い一族なのだろう。二人のメイドの父・ガーペも早くに妻を亡くしながらもベルモンド家を支えてきた。しかし六年前の輝世歴310年、とある事故により当代ベルモント夫妻とともに命を落とす。残されたのは一人っ子の14歳の跡取り息子と、父を範に使用人のいろはを学んだ15と13の姉妹。州衛士を世襲し一応の職にこそ困らなかったものの、寄る辺なき少年少女がここまで生きていくのは並大抵の苦労ではなかったことだろう。


 そういった齢も近く苦楽を共にした経験もあってかフィアナもフィアラも、歴代のモリサン家のような忠義心というものではなく、ある種の運命共同体めいた必然で当主マシューに奉公しており、あるいは兄ないし弟のようなものだと思っているようである。主人を主人とも思わない今朝の会話も親近感の現れ、なのかもしれない。


 そして同じくマシューも、二人の使用人に対し姉・妹のような感情を抱いていた。だからこそ無礼も許せるというものというのだが、逆に身内も同然も人間からああも言われれば見返してやろうと思うのもまたひとつの心理である。実のところ収入に関しては言うほど困ることも無いのだが、平々凡々と日々の業務をこなすのではなく今日ぐらい仕事でのひと手柄を土産に家路につこう、そう決心し今日の仕事に臨むのだった。





(―――なんて殊勝なこと、考えるべきじゃなかったなァ…)



 街を流れる川沿いの街道、マシュー・ベルモンド(装備:支給品のブロードソードと皮の鎧)に相対するのは身の丈2メートルがあろうかという熊に似た猛獣。見世物小屋から動物が一匹逃げ出したとの報を聞き、朝のやる気のままに勇んで飛び出し運良く見つけたまでは良かったのだが、よもやこれほどのものとは思ってもみなかった。よほど好いたのか嫌ってるのかはわからないが猛獣は駆けつけたマシューばかりを執拗に狙っており、近隣住民の避難は容易く完了しているのはある意味幸いではあろうか。



(『この剣』じゃあどうにもなんねェよなァ…)



 彼の腕力では身に余る重さのブロードソードを構えながらも諦観が頭をよぎる。できれば捕まえて帰るのが理想ではあるのだが最早そういう状態ではない。応援が来るまで持ちこたえられるだろうか、そもそも応援が来てくれるのか。何かと命の危険の多かった人生を歩んできたと自負はしているものの、よもやこんなところで人生最大のピンチを迎えるとは。いつもならば話を聞いた地点で腕っ節の強い同僚に丸投げしていたろうに、今朝に思いつきで功を上げようだなんて思った自分を殴りたい、そんな後悔の念でいっぱいだった。


「うおりゃー!!」


 このまま睨み合っていてもしょうがないと、大きく息を吸ってがむしゃらに剣を横薙ぎに振り回す。しかしそれは生まれて初めて野球をした少年のバットスイングの如く、得物を振るうのではなくむしろ得物の重さに振り回されるような無様なものだった。いつか剣がすっぽぬけてあらぬ方向に飛んで行くか、あるいは肩の関節のほうがすっぽぬけるか、そういう意味では対手に恐怖と不安を与えるかもしれない剣法ではあった。だが残念なことに今目の前に居るのは動物でありそういった感情とは無縁の相手。滑って尻餅をついたマシューに隙ありとばかりに飛びかかってきた。



 ザシュッ


 いよいよもって死を覚悟したマシューだったが、その爪が彼に届くことはなかった。巨大な鉄塊のようなものが猛獣を右肩から斜めに引き裂いていたのだ。猛獣は白目を剥き絶命、糸の切れた人形のようにどしゃりと音を立てて前のめりに倒れ血の池を描く。突然のことで命を拾ったマシューはぽかんと口を開けその様子を見ているだけだった。そしてその背後から現れたのは、身の丈・風貌ともに猛獣に勝るとも劣らず熊めいた大男だった。


「よお、危ないところだったな衛士さんよ」

「あっ!いや…なんというか、すいません助かりました…」


 男は猛獣に刺さったままの鉄塊、いやさ子供の背丈ほどの大剣を引き抜きながら話しかけてきた。あまりのことにあっけにとられたマシューもなんとか礼の言葉を返し、立ち上がり裾を払いながら大男をまじまじと見つめる。仕事の都合街中を廻ることの多いマシューでも会った憶えがない。風貌からして傭兵崩れの流れ者か何かであろうか、そんなことを考えていると近隣の建物に避難していた町人たちが集まりだして来ていた。皆この大男の腕前に驚嘆し褒め称える。


「しかしまあここの州衛士ってのはへっぽこだな。この程度の動物が街中で暴れてても足も出ねぇとは。最近じゃあ誰の仕業とも知れない不可解な殺人も起きているんだろ?こんな体たらくじゃあ街の平和なんてとうてい守れっこ無いんじゃないかい?」


 と、突然大男は声を張り上げてまくしたてた。彼を賞賛した町人たちは彼の言葉に同調し、州衛士であるマシューに冷たい視線を送る。バツの悪くなったマシューは必死に反論の言葉を探した。


「いっ…いや、事実助けられた身でこういうことを言うのもおこがましいかもしれないけど、こういう突然の事故はともかくいつもはそれなりに上手く治安維持に尽力してるわけですよ!それを昨日今日にこの街に来た余所者にここまで罵られる謂れは無いんじゃないですかね!?」

「ふうん、昨日今日来た余所者ねぇ。昨日今日来たってのは事実だが、残念ながら今はもう余所者じゃねえんだわなこれが。」


 大男は上着に縫い付けられたワッペンを誇らしげに見せつけた。体躯の大きさゆえその小さなワンポイントには今の今まで誰も気づかなかったが、そのワッペンは確かに旧ザカール王家の家紋。この時代になおその紋を使い続ける人間といえば、旧王家の血筋である州知事と―――近衛師団である。





 この出来事より程なくして州衛士の屯所。いつもの衛士隊に相対する位置に見慣れぬ一団が立ち並んでいた。その胸元には皆旧ザカール王家の紋が輝く。ザカール州第三近衛師団―旧王国時代よりの伝統を誇る6つの騎士団がうちのひとつである。そして今まさに、ふたつの集団の長同士が何やら口論を交わしていた。


「いえしかしゲックス様、えーっと申し上げにくいのですが…そのー近衛師団のお手を煩わせるようなことになるのは我々州衛士隊としても大変心苦しく思うわけで…そのー…ですね?」

「これは異なことを仰られる。先の不可能殺人に魔界の関与があるやも知れぬと頼ってきたのは貴殿ではないかベア殿。だからこそ市井の事件ならば街を見回らねば調査にならぬというもの。」

「いや確かにそうは申しましたが、市井の見守りは我ら州衛士隊の仕事。そうであるにも関わらずここまで出張られるような真似をされるのはいささか越権行為ではないかと…」

「まともに仕事ができているならば、という条件付きであろうそれは。見たところ貴殿らの治安活動で十分でないから我々が出張る必要があるのだよ。現に今しがたにもそちらの衛士がひとり、我らの仲間に助けられていたようだが?」


 侮蔑・嘲笑・憤怒、様々な感情を含んだ周囲の視線が後ろのほうに縮こまって座っていたマシューに突き刺さる。特にベアなどは特に苛烈に睨みつけており、「何故よりにもよって近衛兵団に助けられた!?」と表情から読み取れるほどであった。


 ―――基本的に州衛士と近衛師団の仲は悪い。前者は旧貴族で組織した警察機構、後者は州の元となった国の騎士団・軍隊を再編した軍事機構と役割はすっぱり分かたれているのだが、ザカールに限った話でなくどこの州においても妙に組織間に言い知れぬ溝があるというのが現状である。まあいくらお上のご命令とはいえ、元々自分たちの仕事でもあった市民の治安活動を何処の馬の骨とも知らない貧乏貴族が飯の種のためだけに掻っ攫っていったと思えば印象が悪くなるのも已む無しではあろう。


 とはいえ制定から300年経った今となっては流石にその悪印象も個人差の範疇ではあるはずなのだが、どうにも最近第三近衛師団長に任命されたこのゲックス・リードという男はその限りではなかったようだ。


「前々から考えていたのだよ、貴族崩れの連中に市民の治安が守れるのかと。だから私は新たな治安組織結成のために数年前より各地の腕の立つ男を地位を問わず声をかけてきたのだよ。そしてその腕利きの中でも特に私が目をかけてきたこのゴリアテという男が絶好の機に格の違いというものをまざまざと市民に見せつけたわけだ。」


 ゲックスの紹介を受け、大剣を背負った件の大男・ゴリアテは無精髭を弄りながら得意げな顔をしていた。なるほど「昨日今日来た余所者だけど近衛師団」という言葉の謎も、およそ格調高い近衛師団に似つかわしくない風貌も、つまりはそういうことだったわけだ。


「これほどの腕の持ち主なら不可解殺人の犯人が何者であろうと、無論たとえ魔族であろうと返り討ちにするのは容易かろう。そしてその首級を手土産に州議会に州衛士の撤廃と我々の再配備を進言するつもりだ。ま、貴殿らは今のうちに再就職先でも探しておくことだな。ああそうだ、市街に駐留する間はオヴァン商会が拠点として別邸を貸してくれるそうだ。何かあったらそこに言いに行くといい。ではこの辺りでおいとましようか。」


 言いたい放題に嫌味を言って、ゲックスを始めとする第三近衛師団は高笑いとともに去っていった。屯所には怒りを既に通り越して、悲嘆や諦観のオーラが渦を巻き皆一往にどんよりとうなだれる。


「新しい第三師団長は昔気質の州衛士嫌いとは噂に聞いていたが、まさかあそこまで本気とはなぁ…」

「ベルモンドさんを責めるのもお門違いというか、あんな大男にゃそりゃ敵わないわなぁ…」

「オヴァン商会って言えば最近伸び出した海運会社だろ?そこの別邸となりゃここの古臭い屯所とは違って豪盛なんだろうなぁ…」

「妻子を食わせてかにゃならんのに…再就職どうしようかな…」


 州衛士は皆ぶつぶつとネガティブな独り言を吐き続けている。いつも居丈高な隊長のベアとて例外ではない。


「ああ、代々州衛士の地位を任じられてきた一族がまさかよりにもよって私の代で潰えてしまうなんて…お父様やおじい様ご先祖様に会わせる顔がない。それもこれもみんなベルモンドさんのせい…」


「え!?あくまで私の責任にするんですか!?」

「当たり前でしょう?あいつらに付け入る隙を与えたのはあなたなんですから。」

「いやまあ確かによりにもよって近衛師団に助けられたのは私ですけど、みなさん不可抗力って仰ってくれてるじゃないですか!それに付け入る隙って言うなら隊長だって先の殺人事件を魔族の関与もあるからーって言ってあいつらに協力仰いだのも十二分に原因ですよ!?」

「あなただってドヤ顔で同じこと言ってたじゃないですか!仮に私がそういう発想に至らなかったとしたらあなたが奴らに頼みに行っていた筈なんですよ!つまり全面的にベルモンドさんが悪い!ああもうほら皆さんも夕方の見回りの時間ですよ!早く行って来なさい!ここで動かなきゃ連中の思う壺でしょう!?」


 隊長のヒステリーを目の前にしてさすがにこれは堪らぬと、州衛士たちは重い腰を上げ屯所からそぞろに外に出ていった。とても仕事のできる気分ではないが、あの金切り声を聞くよりはマシという判断だろう。


(そんだけ嫌味が言えるならアンタまだ全然大丈夫だよ…)


 皆がそう心のなかで毒づいた。





「それで、どうにかなんねぇモンなのかよ?」

「どうにかなるもならねェもそもそも俺の管轄外だ。いや管轄外どころか奴さんらには敵視されてる側だしな。俺から頼んでも火に油だ。そりゃ俺だって使用人を二人も食わせてかにゃならん立場だからどうにかしてェとは思っちゃいるがよォ。」

「………木っ端役人」


 ネルボー食堂。創業当時から早い安い美味いをモットーとした料理を提供し市民の胃袋を支える人気店である。昼時ともなれば100数年来客が途切れたことが無いと言われるほどの盛況ぶりを見せるため、お一人様の相席もまた日常茶飯事である。そんなわけで同じテーブルに回された州衛士・ハーフリングのアクセサリ職人・ダークエルフの修道女という奇妙な一団は、喧騒の中昼飯を取りつつ話をしていた。


「近衛兵団の奴ら日に二度三度も見回りにやってきては、やれ何か変わったことは無かったかだのやれカウベル兄弟殺しについて何か知ってることは無いかだの、鬱陶しいったりゃありゃしねえんだよ。噂によりゃあいつら調子づかせたきっかけはアンタだって言うじゃねえか。」

「だから俺ァ関係ねェっつの。それにお前さんみたいに嫌がってる人間ばかりならもっと上の連中が手を打とうモンだろうけど、それ以上に有難がってる人間も多いからそれも望み薄だしな。俺ら州衛士と違って働き者だからねェ彼ら。なんならギリィ、お前がお上に直談判でもするか?奴らに目ェ付けられること覚悟の上で。」

「勘弁してくれ、つーか全力で自分らの怠惰を公言してんじゃねーよ。おいリュキア、神父様は何か言ってなかったか?」

「………何も」

「さいですか。」


 皿に残った煮込みの残り汁をかっこむと、ギリィは深くため息を付いた。第三近衛師団が市井の見回りを始めて一週間、マシューの言う通りその評価はまるっと二つにわかれた。つまりギリィのように過ぎた行動を疎ましく思う者と、州衛士よりも心強く思い頼りにする者、である。


 そしてそのどちらの心象においても大きなウエイトを占めるのが「猛獣を一刀のもとに屠り去った」ゴリアテという剣士の存在である。肯定派はこの男の存在に絶対の信頼を寄せ、否定派はその強すぎる力を恐れ半ば愚痴めいて鬱憤を吐き出すことしかできない。そしてその尊敬と恐怖がさらに彼の者の価値を高め、最近来たばかりの流れ者だというにも関わらず今やゴリアテの名は絶対のものを化しつつあった。


「でもよ二人共よ、なんとかできないにしても結局はなんとかしなきゃいけなくなるんじゃないか?でないと仕舞いにゃ『仕事』に支障が出て―――」

「お仕事、行き詰まってらっしゃるんですか?」


 ギリィが何やら熱弁を振るおうとすると、正面から男女の二人連れが声をかけてきた。心当たりがあるのか思わず吹き出してしまい、身振り手振りも大あらわに弁明の言葉を紡ぐ。


「いや『仕事』っつーのはそっちの仕事じゃなくてですね!?いやそっちってのはそっち意味じゃなくて、そっちって言ってもそういうアレじゃなくて、えーと、その…そう!とにかくお客様のご注文の方は順調に―――」

「あれ?カイルさんじゃないですか。今日はどうしたんですか奥さんも連れて?」

「いやあ、最近会社が忙しい中でまとまった昼休みがとれたものですから、久々に二人でネルボーで食事をと思いましてね。あ、こちら州衛士のマシューさん。」

「どうもはじめまして。カイルの家内のシルカです。あなたのことは夫からよく聞いております。」


 慌てふためくハーフリングをよそに、外行き口調に戻ったマシューが男の方と談笑していた。このカイルという青年はオヴァン商会の下働きなのだ。州衛士が日々の見回りで会社を訪れる際、そこの社長や重役がわざわざ応対するのは稀であり、大体においては彼のような下の人間が顔を突き合わせることとなる。そういう都合で彼はこの街の州衛士の大半とは顔見知りであるようだが、特にマシューとは早くに親を亡くした者同士でシンパシーがあったのか、友人と言っても差し支えない関係であったのだ。


「どうも奥さん初めまして。しかしオヴァン商会っつったら今近衛師団の駐留で大変でしょう?」

「ええ、まあ。実際今こうやって妻を誘える休憩時間が取れただけでも奇跡みたいなものですよ。僕自身は近衛師団とはあまり関わって無いんですが、仲間が何人か別邸でのお世話に回されてて。おかげで僕みたいな下っ端にも会計仕事が回ってくる有様で…ってあまり近衛師団の話をするのはよろしくなかったですかね?」

「いやいやお気になさらず。むしろ私も気を遣われる方が傷付きますから。で、それはそうとこのチビスケに仕事ってのはどういうことで?」


 マシューが苦笑いしながら対面の男を指さす。誰がチビスケだお前も大概だろうと言わんばかりに指された指を払いのけながらギリィは膨れっ面をしていた。


「結婚記念の指輪を作ってもらってるんですよ。丁度来月の4日で一年目になりますから。当時は婚約指輪どころか式もあげられないで一緒になったわけですけど、収入の安定した今ならと思いまして。それもこれも神様の思し召しですよね…」

「ん?」


 神様という言葉とともにとたんに瞳を輝かせたカイルに妙な雰囲気を憶えた三人は首を傾げ、妻シルカはまた始まったとばかりに頭を抱えていた。


「人間は祝福された存在なれど悪行を積めば地獄に落ちる。だから不正を嫌い誠実に生きる事で神が用意してくれた祝福された道を歩めやがては天国へ至る、ですよねシスターさん?」

「………う」


 珍しいことに、今の今まで人形のように無表情だったリュキアの眉が困惑で顰む。


「何だよリュキア、お前も知り合いだったのか?」

「………日曜礼拝毎回来る人」


 ―――大ラグナントの国教・ガリア教は国家統一よりも以前にこの大陸を統一していた、というのはよく言われるジョークである。「人間は祝福された存在」という甘い教義の大前提は民にも国家にも都合のいいものであり、瞬く間に広まるのは自明の理であった。事実13州のうちガリア教への改宗の必要があったのは現・ガーライル州ことガーライル共和国と現・ナバル州の北部にあった山岳部族のみ。勇者アランの発言において多少の混迷はあったものの、数百年の間国民に浸透してきた深い歴史のある宗教であり、カイルのような敬虔な教徒がいるのも当然と言えるわけである。


「善を成すことが大切なのは亜人だって同じですよ!良いことをすれば神に祝福された道を歩めるんです!ですからギリィさんも僕達のものだけでなく皆さんが喜ぶ素晴らしいアクセサリをどんどん作ってくださいね!まああなたの腕の良さについてのお噂はかねがね聞いてますし今更僕が言うまでもないでしょうけど!」

「お、おう…」


 妻に手を引かれてこの場を去るまで、彼の説法は続いていた。三人共基本的には無神論者であり(おかしなことに修道女であるリュキアも)、宗教に熱心な様を見せられても感化されるどころか逆に疎ましく思うくらいであるのだが、彼の説教は不思議と気分が悪くなるものではなかった。それはカイルという青年の人柄と、宗教というものをいいわけや免罪符としてではなく自分が正しくあるための指標として捉えているためであろう。善く生きよという言葉のままに清く正しく生きる。仮に本当に天国というものがあるのなら、カイルこそがそこに行ける人間なのだろう、とマシューは強く思った。






 ―――そんな彼が、その夜本当に天国に旅立つとは誰も思いもしなかっただろう。



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