発火〈2〉

 



 〈2〉




 十余年前――〈東京超常災害〉




 かつて、首都・東京は未曾有みぞうの大災害に見舞われた。

 ウィルス感染により人々の中に眠る異能を強制的に覚醒させる超能力者の出現を機に、都市は真っ二つに引き裂かれた。

 持てる者と持たざる者。

 異能に目覚める者と、変化に適応しきれず“淘汰”される者……。

 超常災害より前後十数年。時期は違えど、世界各国の大都市においても酷似した事変が頻発しており、件の災害も実情は異能者を使った無差別テロ事件ではないかと騒がれた。

 混乱のさなか、事態を重く見た政府は、対異能者を想定した専門機関を立ち上げて収拾にあたった。

 正確には、歴史の陰で常に暗躍を続けていた秘匿組織が漸く表舞台に上がることになったというべきか。

 そう、異能を持つ者たち――超能力者や魔法使いは、本当はずっと昔から存在していたのだ。

 以来、特殊な能力を持つ者たちの監視と人材確保、及び教育・研究が日本国内でも公に行われるようになった。

 かくして、異能者の獲得を巡る国家間競争に内部競争、また取引は一層熾烈しれつを極めるものとなっていった。




「鮫島くん。きみはきみ以外の異能者に出会ったことはあるかい?」


 シガーライターで煙草に着火しながら、水蜜みなみつと名乗った女は問いかけてきた。

 ほんのかすかにジリ、と音を立てて燃え始めた紙巻き煙草は、紅くあでやかな唇へ。

 小さな炎。そして燃焼。ほどなくして上がる紫煙。

 かすかに甘く香るのは……バニラか何かの匂いだろうか。

 しかし今は心を揺さぶるはずの炎よりも、薔薇の蕾のような口元、そして気だるげなくせにまばゆい横顔に見入ってしまう。でも、いったいどうして?

 朱空は視線をどうしようもなく惹きつけられながら、なんとか答えた。


「……知らないし、興味ない」

「うわっ、出た! 現代っ子だ! 世の中に無関心で不感症な今流行りの激エモティーンエイジャーって感じ? ねえ、それって楽しいの?」

「さっき自分で言ってたけど、あんたほんと面倒くさいね」

「ひどいなァ。まァ、きょうび異能者なんざ珍しいものじゃあないからね。この世界には超能力者も魔法使いも……どう名乗るかは個人によってまちまちだけど、ともかく異能力者が一定数存在してる。人生のうち何人かは確実に出会える程度にはね。そしてそんなことは皆知ってる。公然と人材の育成や確保に勤しむ企業や組織があるくらいだ」

「……おれが言ったのはわからないって意味。いちいち覚えてないよ、そんなこと」

「ふうん?」


 自分で尋ねておいて「ふうん」はないだろう。

 おまけにそれきり何かいうこともなく、女はふたたび美味そうに紫煙を燻らせ始めた。

 尖った鼻先に、白くふっくりした頬。その横顔は古いフィルムの中の女優さながら。

 日向ひむかい水蜜は掴みどころのない女であった。



 わからない、というのは本心だった。

 朱空の両親も、かつては首都圏に住んでいた。

 しかし、鮫島一家は件の災害の後処理による混乱を避けるため、地方都市への疎開を余議なくされたクチだった。


 それに、だ。幼い頃の自分がどのように暮らしていたのかを、朱空は殆ど覚えていない。

 数年前に両親と妹を事故で失い、そのショックからか記憶が一部飛んでしまったらしい。

 欠落した記憶を無理に思い出そうとすれば、激しい頭痛や吐き気に襲われる。

 凄惨な過去から自らを守るための自己防衛。かつて自分を診察した医者はそんなことを言っていた。

 家族を失った今、朱空は親戚の援助を受けながら、殆どひとりで暮らしている。

 殆どというのは、親戚の名義でアパートを借り、そこに一人暮らしをしているという意味合いからだ。年齢上必要なときだけ様子を見に来て、もろもろの手続きを済ませ、大人たちは帰っていく。

 朱空も自分がよく思われていないことはわかっている。要するに、体のいい厄介払いというやつだった。

 幸い、幼いころから両親が共働きだったために家事は得意だ。

 ひとりでも十分やっていける。そう思って日々を暮らしていた。朱空にとっての日常を。



 それなのに――――。



「さて、ね。鮫島くん」


 朱空を現実に引き戻したのはしかし、夢見がちで甘ったるい声だった。

 美しい女の姿をした非日常が自分の日常を壊しにやってくるなんて、思ってもみなかった。

 灰色の景色が輪郭を認識させる隙もなく車窓を流れてゆく。


「あらためて、きみがわたしを選んでくれてよかった。正直少し安心したところだよ」

「……ただの消去法。べつにあんたを選んだわけじゃない」

「おや、手厳しいこと」


 咄嗟の判断が正解だったかどうか、朱空にはわからない。

 これから先、永遠の謎になるか、そうでなければ後から間違いだったとわかるだけだ。


「で、勧誘ってなに? おれにどんな用がある」

「ふん。いい眼をするじゃないか、きみ。表情も体つきも尖ったナイフみたいで素敵だなァ」

「はぐらかさないで、言ってよ。でないと今すぐ降りる」

「走行中でも? それはさすがに致死的ね。まあいいか。わたしはね、異能者育成支援施策本部のスカウト担当なの。はい、名刺だよ」

「……これって、超能力者を集めた怪しい研究所みたいなやつがあるところ?」

「いやぁ、怪しげって。まあ、そう見えていても仕方ないけどさ。小さいし、比較的新しい部署だけど、一応内閣府に属する研究機関なんだよ。特別支援教育プログラムの一環として、カテゴリC以上の超能力をもつ子どもたちの教育支援を統括しているの」


 能力を発現した子どもは多くの場合、個別の学習プログラムを必要とする。

 自己の能力を制御し、磨き上げながら、いかにして社会に適応していくかが大抵の課題となるからだ。

 超能力はたしかに授かりものギフトではあるが、強烈な個性だ。ものによっては周囲も本人も扱いを持て余すことさえ少なくはない。

 周囲の阻害にあって不適応行動を起こし、うつやひきこもり、破壊行為などの二次的障害を引き起こさぬような環境を築きつつ、いかにして本人の資質を伸ばすか。

 そのような教育の場を考え、提供するのが国内随一のギフテッド・タレンテッド教育GATE機関である異能者育成支援施策本部付属研究院だ。

 超常災害以後、国内では新たに誕生した超能力者の監視及び研究・教育を行う特務機関の設立が急がれた。

 そうした背景を経て現存するいくつかの組織のひとつが、水蜜の所属する部署だという。

 しかし、朱空のような一般人にとっては、超能力研究に注力しているあやしげな組織という印象が圧倒的に強かった。

 超能力者や魔法使いを巡る血腥い歴史の暗部が、そういうイメージを否が応でも付き纏わせるのだ。

 実際上部の人間は能力を用いた対外情報活動にも従事しているらしい。そういうきな臭い噂も多々ある。

 眼前の女も本来は人間を介した情報収集HUMINT従事者、つまり立派な諜報員エージェントなのだろう。


「……ふうん。それが、どうしてわざわざおれのところに来たのさ」

「きみが希少で、そのうえ出来心で廃屋に放火しちゃうような、ちょっと危うい異能者だから。あとは資料の写真が好みのタイプだったから、わたしが直々に引き受けた」

「……気持ちわる」

「きみこそほっぺた赤くしないで。ほんの冗談だ」

「誰が赤くなんかっ!」

「ルームミラー越しに見えてるんだけどね? ちょっと、怒った顔しないでよ。そういう態度もキュートだけどさ、ほんとに取って食おうってワケじゃないんだから」


 朱空が機嫌を損ねないように――とはいっても既に十分におかしな心持ちになっているのだが――取り繕う形で言って、女は足元に手を伸ばす。


「さっきのも嘘じゃあないんだけどね、はい資料これ、本当は見せちゃいけないんだけど。きみは可愛いからトクベツなんだよ」

「そういうのいいから」


 言い終わる前に、水蜜はダッシュボードから黒いファイルを出して寄こした。








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