第10話
男は、目の前の光景が理解できなかった。
何故、妻と娘が倒れている?
何故、妻と娘は裸なのだ?
何故、目の前の男は平然と食事を続けている?
何故、何故、何故。
脳内を埋め尽くす疑問の数々。
だが、一つだけ分かっていることがあった。
――――この状況を作った者が、目の前の男……ヴァイスの仕業だということを。
「お前えええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!」
喉が張り裂けんばかりに叫び、優雅に食事を続けるヴァイスへと飛び掛かる男。
しかし、それは無残にも止められた。
「ガアッ!?」
男は目の前の光景に気を取られ、気付いていなかった。
家の中には、巨体のオークが扉を挟むようにして控えていたことに。
本来、こんな街中に魔物が平然といること自体異常な状況だが、それ以上の惨劇が目の前にあるため、男はそんなことを考える余裕すらなかった。
しかも、控えていたオークはただのオークではない。
本来のオークであれば、D級クラスであり、一般の兵士でも十分に相手できる存在だった。
だが、このオークは、皮膚は通常のオークが緑色であるのに対して浅黒く、赤いラインが走っており、とても禍々しい。
このオークたちは、ヴァイスの忠実な僕である、B級の『カオス・オーク』だった。
そのオークたちに呆気なく身動きを封じられた男は、そんなことも気にせず叫ぶ。
「殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺してやるうううううううううううう!」
「おいおい、祝いの席で何物騒なこと言ってんだよ。ほら、せっかくの料理が冷めちまうだろ? こっちに来て食えよ」
ヴァイスは心底可哀想な目を男に向けながら、テーブルの上に並べられた料理を口に運んだ。
「まあ、味はクソだけどな」
そして、口に含んだ料理を、そのまま近くに転がっていた男の妻に目掛けて吐きかけた。
「俺が来たんだ。何家畜の餌を用意してやがる? なあ?」
「ぅ……ぁ……」
他の料理の皿を手にしたヴァイスは、そのまま皿を逆さにすると、すべてが女の体へと零れ落ちていった。
「自分の体で掃除しとけよ、雑巾」
「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
妻を汚され、さらに汚していくヴァイスを前に、血の涙を流し、暴れる男。
だが、男を取り押さえているオークの力は強く、びくともしない。
「何なんだよ何なんだよお前えええええええええええええええええええええ!」
「お前が気に留めるほどの存在じゃないさ。所詮、忘れられる程度の人間だよ」
愉快そうに笑うヴァイスは、女を容赦なく踏んで移動し、地面に押さえつけられている男の前にしゃがみ込む。
「ご馳走様。いや、馳走って言うには粗末極まりなかったがな。料理も粗末なら女も粗末。楽しめたことって言やあ、何も知らねぇお前の娘を貪りつくしたことくらいか? あはははは」
「――――」
声にならない叫びをあげ、今にもヴァイス目掛けて殴りかかろうとする男。
しかし、男には指一つ動かすことができなかった。
そんな男を楽しそうに見つめていたヴァイスだが、あることに気付いた。
「ああ、そうだそうだ。今日はお前の娘の誕生日なんだって? ほら、おめでとうって言ってやれよ。なあ? お父さん?」
「ぁ……」
ヴァイスは自身の手で蹂躙した男の娘の髪を掴むと、そのまま男の前に引きずり出す。
あまりにも変わり果てた娘の姿を前に、男はただ怒りによって、顔をぐちゃぐちゃにしていた。
すると、娘は虚ろだった瞳にわずかに光が戻った。
「……ぉ……と……さ……」
「あ、ああ、ああああああああああああああああああ」
慟哭する男に、懸命に手を伸ばそうとする娘。
だが、身動きを封じられている男に、娘の手を握ってやることはできない。
何もできないのだ。
そして、娘の手が男の顔に触れそうなその瞬間――――娘の額を、剣が貫いた。
「え」
娘は一瞬にして体の力が抜けると、男に触れる間もなく痙攣を始め、様々な体液が床を汚していく。
何が起きたのか、まるで分からなかった。
男の娘は、呆気なく殺されたのだ。
そして、殺した張本人であるヴァイスは、明るい口調で謝る。
「悪い悪い、すっかり忘れてたぜ。お前まだ食前酒も飲んでなかったな? そりゃあ食事をする気にもなれねぇか」
「え、あ」
訳も分からないまま、男が呆然としていると、娘の頭が切り落とされる。
そして、まだ微かに動いていた心臓の余韻か、切り落とされた首から血が噴き出した。
そんな娘の体を男に近づけると、ヴァイスは笑みを浮かべる。
「ほら、これで口を潤せよ。娘の血だぜ? よかったな!」
「――――」
全身全霊で抵抗する男だったが、ヴァイスに顔を掴まれ、そのまま口に血を流し込まれた。
「お……おえええええええええええええええええええええええええええ」
「おいおい、吐くなよ。最愛の娘だぜ? 可哀想だろ? ほらぁ、飲み干せよ」
咎めるような視線を向けつつ、ヴァイスは嬉々として血を飲ませていく。
男は必死にそれを吐きだそうとするも、注ぎ込まれる血の多さに溺れていった。
「おえっ……げぇ……がはっ……」
「あーあ、こんなに零しちゃって。もったいねぇなぁ。雑巾、後で拭いとけよ?」
ヴァイスは転がる女を蹴飛ばし、そう言った。
そして、ヴァイスは一つ伸びをすると、そのまま玄関に向かって行く。
「さて、もうここは飽きたし、次行くか」
ここまで蹂躙したヴァイスは、もはや男に微塵も興味を示しておらず、そのまま去って行こうとする。
そして、出ていく直前に軽く振り返ると、男の体を漆黒の顎が包み込んだ。それは、ヴァイスの天賜である【強欲の顎】だった。
だが、顎が消えた後、男の様子に目立った変化はない。
とはいえ、そんなことを気にする余裕もなく、娘の血で溺れかけたことで必死に空気を求めていた男に対し、ヴァイスは邪悪な笑みを浮かべた。
「そうそう、今お前から『発狂』も『絶望』も『自殺』も奪ったからさ。残りの人生、ぜひ楽しんでくれ。それと……おい、雑巾。せっかくの祝いの日なんだからよ。ソイツをもてなしてやれよ? ハハハッ」
それだけ言うと、ヴァイスはオークたちを引き連れて去って行った。
家に取り残されたのは、人間としての尊厳をすべて蹂躙された男の妻と、動かなくなった娘の亡骸。
そして、たった一瞬の、訳も分からないまますべてを奪われた男、ただ一人だった。
もうオークの拘束がない男だったが、娘の血で死にかけたことで、体に力が入らない。
それでも、必死に体を動かし、汚された妻へと近づいた。
「アリナ……アリナ……!」
男は、この理不尽な状況に、どす黒い感情が沸き上がるのを止められなかった。
「殺してやる……これ以上の絶望を与えてやる……!」
血の涙を流し、そう決意する男。
だが――――。
「――――アナタ」
「!? あ、アリナ――――」
その瞬間、何かが肉を貫く音が、部屋に響いた。
「……ぇ?」
汚され、倒れていた男の妻は、手にしたフォークを、男の陰部に突き立てていたのだ。
「あ。ああ。ああああああああああああああああああああああああ」
絶叫を上げ、転げる男。
すると、さっきまで虫の息といった状態で転がっていた男の妻が、ゆらりと起き上がった。
「アナタ……いえ、お前」
「あ、アリナぁ!?」
口調と雰囲気の変わった自身の妻に、男は混乱する。
だが、男の妻はそんな男を無視し、暖炉の薪を得るために使っていた斧を持ち出すと、何のためらいもなく男の右足に振り下ろした。
「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
右足だけではない。
左足も、右腕も、左腕も、全部。
何度も何度も振り下ろし、男は動くことのできない体となった。
「な、なんでえええええええええええええええええええええええええええええ! アリナああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
「アンタなんかと結婚しなければよかった。どうせもう、アンタの粗末なモノなんて使わないんだし。使わないモノは捨てなきゃねぇ?」
男はまるで理解できなかった。
いつも自分を優しく支え、共に歩んできた妻が、今は男を見ていない。
男の妻だった女の目には、もはや一人しか映っていなかった。
「ああ……ヴァイス様……お許しを……! 貴方様に出会えるのであれば、こんな奴に身を捧げることもなく、貴方様にすべてを捧げたというのに……! それが……テメェのせいで……!」
「ぎゃっ! あが!」
身動きの取れない男を、女は何度も蹴りつける。
フォークの刺さった陰部すらも、容赦なく蹴りぬいた。
痛みや怒りで本来なら発狂してもおかしくない状況だというのに、男は何故か狂うことも、そして絶望することもできない。
――――そう、ヴァイスが言った通り、男にはもう、『絶望』も『発狂』も『自殺』すら、奪われてしまったのだ。
そのことに気付いた男は、発狂したいほど、そして死んでしまいたいほどの激情に襲われるも、そのどれもが許されず、ただその激情を受け止めるしかない。
すると、女は死んだ娘の亡骸を乱雑に拾い上げると、解体し始めた。
そして、その解体した物を女は男へ運んでいく。
「テメェのせいで生まれたゴミなんだから、全部テメェで処理しなさいよ!」
「おええぇっ! ごぼぉおお!」
全部、男の口に女は無理矢理詰め込んだ。
必死に吐きだそうとする男だが、それを女は許さず、力づくで食わせていく。
「ほら、ヴァイス様からもてなせって言われてんだから、ゴミ処理ついでに食うのよ。ほら、ほら……食えよ! 食ええええええええええええええ!」
「――――」
娘だったモノの塊で死にかける男。
だが、死ぬことはできない。
男はどれだけ復讐心を抱こうと、これから先一生それを実行することはできないのだ。
なんで、自分がこんな目に遭っているのか。
自分が一体何をしたのか。
そして、かつて自身が関与した『掃除』が関係しているなど、微塵も思わないのだ。
どれだけ男が叫んでも、それに答えてくれる者はいない。
――――【悪】はもう、動き出したのだから。
大罪の悪王 美紅(蒼) @soushi
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