半径15cmの不可侵領域(パーフェクトガード)

 あれは今より13時間前。

 晴れて付き合う事になった僕達は一緒に帰路についていた。憧れの一緒に下校ってやつである。しかも家が近いので最寄駅も当然同じだ。これからの学園生活、僕は彼女とほぼ毎日登下校を共にする事になるだろう。そんな事を想像しただけで僕はにやけ顔になってしまっていた。


「――かける。何だらしない顔してんのよ?」


「え? あ、悪い悪い」


 「まったく、もう」と呆れ顔で僕を見る最愛の人。そんな顔もとてつもなくかわいいものだから、僕はまたにやけ顔になってしまいそうになり、それをグッとこらえた。

 ビューティーな神林あやかは、彼氏だから、初恋の相手だから、幼馴染だから、と言う補正を除いてみても美人であると思う。アイドル事務所に所属していると言っても異議を申し立てる者は出ないだろうし、初対面の男であれば誰でもその豊満な胸部に目線を釘付けにされる事だろう。言ってしまえばそれはただのたんぱく質。つまりは脂肪のかたまりなわけだが、女性の胸部に付いていた場合は肥満とは言われない。どちらかと言えば彼女は瘦せ型だ。

 つまり何が言いたいかって言うと、辨天べんてんな神林あやかは完璧なルックスを天から与えられているって事。顔も、スタイルも抜群で、なおかつとても頭が良い。自分で言うのも悲しいが、僕とは不釣り合いな完璧な女性だって事。

 もっとわかりやすく言うと彼女はとてもおっぱいが大きいって事だ。恐らくF《faith!》かG《great!》はあるのではないだろうか。いやいや、もしかしたらHだって事も……。

 H……。僕とあやかも、いずれは一緒に大人の階段を歩むのだろうか……。


「――聞いてる!? ……かける!!」


 僕も思春期真っ盛りの健全な男子であるからして、そう言った妄想が気を抜くたびに脳裏を駆け巡ってしまうのは誰に責め立てられる事でもないだろうが、再び隣にいる清らかな神林あやかに話しかけられ僕は頭の中の淫らなイメージを払拭した。


「ごめんごめん。えっと、何の話だっけ!?」


「その……さ、私達……付き合ってるんだよね……?」


 もじもじと照れながら、顔を赤らめながらピュアな神林あやかがそんな事を言う物だから、僕の心臓はその外的刺激に耐えきれずキュンっと音を立てて完全に動作を停止しそうになった。


「も、勿論!! 僕にしてほしい事とかあったら何でも言ってくれ!!」


 僕がそう返すと、ツンデレな神林あやかはぷいっとそっぽを向き、そして右手を僕に差し伸べてきた。「……繋いでよ……」ボソッと呟やき耳まで真っ赤になる純一無雑な神林あやか。起動したパソコンから音が出ず、おかしいと思い音量を最大にしたらイヤホンが差しっぱなしになっており、微かにそこから音が聞こえる現象。僕が聞いた一言はそれほどにか細いものであったが、それでも確かに聞き取った。


――手、繋いでよ


 思えば親しき神林あやかとは子供の頃から共にいたが手なんか繋いだことがない。むしろ想像した事すら無かった。それが今、現実で実現されようとしている。緊張で手汗がぶわっと吹き出した気がしてそれを制服で拭いた後、差しのべられた右手に、僕はゆっくりと自身の左手を近づけた。透き通るような柔肌に触れる権利を得た僕は、緊張でのどがカラカラになる。ただ手を繋ぐという行為にこれほど口渇中枢を刺激する効果があったとは。


 手と手が触れるまであと30センチ。

 心臓がバクバクと高鳴り、まるで低音の聞いたスピーカーの様に世間様に音漏れをしていないか不安になる。


 手と手が触れるまであと25センチ。

 先ほど拭いた左手から再び手汗が噴き出た気がした。だが、それよりも、僕は一秒でも早くあやかの左手に触れ、恒温動物ならではの温もりを感じたかった。


 手と手が触れるまであと20センチ。

 神様、ありがとうございます。今この瞬間が僕の人生の頂点ピークなのかもしれないと、僕は生まれてきたことに盛大に感謝した。


 手と手が触れるまであと15


『ガキィイィィィィイイイイイイン!!』


 突如けたたましい音が鳴り響き、僕の左手はなにかに止められた。いや、止められたと言うよりは何かにぶつかった感触がある。硬く、冷たいその感触。

 冷静沈着な神林あやかもその音に驚いた様子で、目を丸くして僕の左手をジッと見ている。


「……かける? なに……これ?」


 僕の左手をよく見ると、小さな八角形の壁がまるでマトリョーシカの様に連なって展開されているのが見える。僕はこれをどこかで見たことがある。多分これを突破するには神の神器、『ロンギヌスの槍』が必要になってくるわけだが、物が有り触れた現代とは言えそんなものあるわけがない。僕は左手を引っ込め、代わりに右手を差し出した。


『ガキィイィィィィイイイイイイン!!』


 再び先程の壁が現れ僕の右手を拒絶した。


「なん……だよ……。これ……」


 今度は心配そうに見つめていた健気な神林あやかが僕の手を取ろうとする。だが、再びけたたましい音を立てて僕達の間に小さな壁が出来た。


 どれだけ力を入れても。


 早くても、遅くても。


 手でも、頭でも、脚でも。


 僕は穢れなき神林あやかに触れる事も、近づく事も出来なかった。


 何度も、何度も施行したが、僕はその柔肌に到達することなく、そして悟る。


 聖なる神林あやかの体の周りには半径15センチのバリアが常に展開されており、その不可侵領域は近づこうとするこの世全ての男性を拒絶していたのである。

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