15千字の不可侵領域

いずくかける

無慮14時間前の乾坤一擲(リスキーベット)

 深い深い眠りに落ちてからどれだけの時間が経ったのだろうか。

 寝ぼけ眼で目を覚ました僕の視界に、机に置かれた一つのお守りがぼやけて映る。その隣には、10年間年中無休で時刻を刻み続けてきた目覚まし時計が置いてあった。時刻は丁度、午前六時を迎え、3本全ての針が天上天下に垂直になったところである。そこからひっきりなしに鳴り響く電子音が僕を現実へと連れ戻した犯人であった。


 いきなりだが、僕、市ヶ谷いちがやかけるは彼女いない歴16年だった。

 余談だが、更に細かく付け加えるならば、僕が彼女いない歴に終止符を打ったのは昨日の事である。

 つまりは今日と言う日は僕にとって記念すべき脱非リア充一日目であり、本来であれば生まれ変わったかの様に全てが輝いて見える朝になる、予定であった。

 ではなぜ僕が、まるで今日世界が滅亡するかのような気分で今日この朝を迎える事になったのかと言えば、それを伝えるには、少々気のりしないのだが、やはり昨日起きた出来事を語るしかない。



 僕に記念すべき初彼女が出来たのは今から14時間前の事である。

 名門、雲類鷲高校うるわしこうこうの入学式を終えた僕は、クラスに一人残っていた小学校からの同級生である凛々しき神林かんばやしあやかに二度目の告白をし、結論から言えば遂に愛する神林あやかの彼氏を名乗る事を許された。

 『告白』と言う単語は、白を告げると書くように、心の中にそっとしまってある隠していた本心を自分以外の誰かに打ち明ける行為の事を指す。故に、一度目の告白で僕の本心をすでに知っていた崇高すべき神林あやかに、再度同じ話をする事が告白と呼べるのかどうかは定かではないが、とにかく、僕は昨日再び告白をしたのである。


 同じ相手に諦めが付かず、何度も愛を囁くのは女々しいだとか、しつこいだとかキモいだとか色々と思われる事もあるかもしれない。だが元々、二度目の告白をする事は互いに承知の上であった。なぜならば、一度目の告白時にある約束を交わしていたからだ。

 その約束を交わしたのは僕たちが中学二年生の時である。お互い家が近く、しょっちゅう顔を合わせ、学校でも会話こそしていたが、それ以下に落ちる事も、逆にそれ以上に発展する事もなく、何年間煮込んでも一向に火が通らないこの関係にもやもやしていた僕は遂に決心をした。つむじから足の小指まで体中のありとあらゆるところからありったけの勇気を振り絞り、そして遂に愛しい神林あやかに告白する事に成功したのだが、その口から返された答えは僕の淡い期待を裏切るものだった。


「ねえ、かける。気持ちは嬉しいんだけどお互いそろそろ受験でしょ? 私、雲類鷲高校を受けようと思うんだ」


 雲類鷲高校と言えば地域で一番の偏差値を誇る高校である。当時の僕の学力から言えばそこに入る事を許されるのはおよそ文化祭の時だけであり、また、文化祭であったとしても入場すれば場違いな空気に完全に浮いた存在になっていただろう。

 つまり、この台詞から尊敬すべき神林あやかが僕に伝えたかったことを推測するとすれば、雲類鷲高校に合格するために勉強がしたい。つまり僕と遊んでいる暇はないので僕と付き合うことは出来ない。もしくは、授業の五割以上を睡眠に費やす僕の様な学力の低い人間は眼中にない。雲類鷲高校に入り、そこで高学歴の男子をゲットする。であるからして、やはり僕と付き合うことは出来ない。のどちらかが挙げられるだろうが、知的な神林あやかの性格を考えると恐らく前者が正しかったのだろう。

 だが、それを聞いた瞬間に僕の脳裏に想い浮かんだのは、雲類鷲高校の制服を着た高学歴イケメン男子の姿と、その畜生と楽しそうに会話をする麗しき神林あやかの姿であった。確かに顔だちもスタイルも突出した完璧な神林あやかにはそのような男子こそが相応しいのだろうが、気付けば僕は爪の跡が手のひらに残るほど力強く握りこぶしを握り、頭で考えるより先に叫んでいた。


「わかった! 入学式が終わったら教室に残ってろよ! 絶対僕も雲類鷲の制服を着てもう一度告白しに行くからな!!」


 賢明な神林あやかが僕を選ばなかったとしたら仕方がない。

 だが、それ以前に僕はなにもすることもせずに愛おしい神林あやかが他の誰かに触られる事が絶対に許せなかった。


 あの告白から一年間。約束を果たすべく僕は死に物狂いで勉強をした。

 好きだったゲームは全て中古ショップに売りさばいて小銭にし、その金で本棚に並んでいた漫画を参考書へと差し変えた。友人からの遊びの誘いは全て断わり、自室で一人、学と言う学を無心で頭に詰め込み続けた。サッカー部も辞め、筋力こそ衰えはしたものの、代わりに学力は飛躍的に向上し続けた。元々勉強と言う行為をロクにしてこなかった僕の脳は、乾ききったスポンジの様に触れた知識を吸収し続けたのである。

 その結果、紐に繋がれ低空飛行を続けていた僕の学力は紐から解き放たれた風船の様に急上昇し、奇跡の雲類鷲高校入学と言う快挙を成し遂げた。


 雲類鷲高校の合格者発表で自分の受験番号を見つけた時には生まれて初めて声にならない叫び声を挙げた。今までの努力が報われた嬉しさよりも、親戚までもが我が家に集まり僕の偉業を祝福してくれた驚きよりも、もう一度美しい神林あやかに告白できるチャンスが作れた事に僕は安堵し、そして約束の卒業式後に律儀な神林あやかがクラスに残っていてくれた事で、生まれて初めて勉強して良かったと心から思えた。


 緊張して良く覚えてはいないが、僕は勉強は必死にしたが相変わらず勉強は嫌いなままで、今でも良い高校に入る事などどうでも良いという事と、好きなゲームや漫画を絶ってでも、嫌いな勉強を続けてでも、ずっと優しい神林あやかとこれからも一緒にいたい、と、そんな内容を打ち明けたのが今から14時間前の事であり、その結果、僕と可憐な神林あやかは10年以上の友達関係にとうとう終止符を打ち、そしてめでたく恋人関係に昇格したのである。


 容姿端麗な神林あやかとは子供の頃からの付き合いではあったが、いざ付き合うとなるとやはり少々気恥ずかしい。それは僕だけではなく、やはり清純な神林あやかも同じだったようだ。告白後は頬に軽く紅が差し、なかなか目を合わせてはもらえなかった。

 嬉しさと、気恥ずかしさと、そしてこれから迎えるバラ色の学園生活への期待。いろいろな感情が入り混じり、まるで汚職を起こした国会議員の謝罪会見くらいはっきりしない頭の中であったが、どうしていいかわからないといった表情を見せるいじらしい神林あやかを見た僕は、両の手で自分の頬に活を入れる。


「そろそろ帰ろっか。あやか」


 初デートはどこに行こう。一緒に学食を食べれたらいいな。そうだ、これからは勉強を教えてもらおう。きっと勉強も楽しくなる。高校生って事は、いずれは僕とあやかもキス……したりするのかな……。


 キス。

 その行為を映画やドラマで見かけはするが、自分自身が異性としている所を想像すると心臓がはちきれてしまいそうになる。ましてやその相手が神聖な神林あやかときたら……。彼女と下校を共にしながら、本人の隣でそんな淫らな姿を想像してしまい、耳の先を真っ赤にした僕であったが、そんな妄想はするだけ無駄であった。


 ここまでただの自慢話のようになってしまって本当にすまないと思っている。見返せば、ただ僕に彼女が出来たと言うそれだけの、ありふれた高校生ののろけ話しかしていない気がする。独り身の人間がこれだけ話されたらさぞかし不快だっただろう。


 だが、天国から地獄へ。最高潮からどん底へ。

 この後僕は絶望の闇に落とされる。

 今から13時間前の出来事だった。

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