1章(01):ウルフハウンド
<モーダナ工場跡地Dブロック:競争エリア>
薄暗いコックピットの中、一人の男がレーダーを凝視する。
レーダーには、自機を中心として三重ほどの円が表示されている。狭い探知範囲に、目的の敵影は映っていなかった。
静寂が程良い緊迫感を生み、集中力が次第に高まっていく。
「わるい、わるい、狼わうー♪ ひどい、ひどい、狼わうー♪」
そんな折り、いびつな歌声が響いた。幼い女の子の歌声だ。
男は肩の力を抜いて、浅いため息を吐いた。
「うるさいぞ、わん子。暇だからって歌うな」
「きのうは、羊を3頭たいらげたー♪ きのうは、羊を3頭たいらげたー♪」
「おい」
「ハンターはどこー♪ 猟銃はどこー♪ わうー、わうー♪」
「……もういい。勝手に歌ってろ」
幼い歌声をBGMにして、男はレーダーから目を離す。
視線の先に、メインモニターに映る巨大建築物がある。
メインモニターは、モーダナ工場で最も大きいプラントに固定されていた。半球状の巨大プラントからは無数のパイプが伸び、まるで球根のように見える。
膨大な資金と歳月をつぎ込んで作り上げられた巨大プラントだが、今では歯車一つでさえ動いていない。
軍事工場として稼働していたモーダナ工場は、敵軍に発見されるやいなや即座に破棄された。情報漏洩を防ぐために、工場のほとんどは爆破処理され、建物の残骸がささくれのように並んでいる。
巨大プラントも、爆破処理の例外ではない。天井には大穴が開き、根のように伸びるパイプ群も先を辿れば、そのほとんどが折れていた。
すでに役割を負え、人の手から離れた巨大プラントだが、男には絶好の『狩り場』だった。
「わうー♪ わうーう♪」
歌声を聞きながら、レーダーを確認する。
三重の円の隅に敵影――反応あり。
「そろそろだな」
二人の部下が、奇襲をかける時分だ。
男の予想通り、施設内で小規模の爆発が連続して起きる。
ピピピッと電子音が鳴り、『ボード』と呼ばれるマルチフレームが、モニターの隅に起動する。
ボードには、枠いっぱいに黒人の男の顔が表示され、彼の白い歯がキラリと光った。
『HELLO!! コチラ、NINJAダヨー!』
快活な声と共に、NINJAは笑みを濃くする。
「NINJA、首尾は?」
『YEAH!! 絶好調ダヨー! 相手ノ、
さらに、別のボードが起動する。次に映し出されるのは、赤髪の少年だった。NINJAとは異なり、口は一文字に結ばれている。
「千明、残った敵の
『残りの一体は、重量級のVAN。武装からして、近中距離に特化してる。部隊長だけあって結構動けるね。油断すると、狩られるよ?」
千晶と呼ばれた少年は、淡々と告げる。
「ハッ、誰に言ってんだ?」
『あんた以外に誰が居るのさ』
軽口を叩き、互いに威勢をぶつけ合う。
『僕もNINJAさんもダメージを受けすぎて、追撃は出来ないから。あと、任せたよ――ウルフハウンド』
「おうよ!」
男――ウルフハウンドは、NINJAと千晶の通信を切り、従戦機のメインエンジンに火を灯す。
薄暗い空間が彩られる。サブモニターが完全起動し、220度の風景が視界一面に広がった。
世界が拡張する。
蔦が這う外壁、巨木の根にえぐられたコンクリートの道路、春や夏とは異なる清々しい空。
色彩豊かなの映像は、もぐら状態だったウルフハウンドには少々眩しい。
搬入口付近の外壁に、男――ウルフハウンドの従戦機は待機する。
「狼が、来るぞー♪ 狼は、どこだー♪ わー♪ うー♪ わー♪ うー♪」
「わん子! いつまでも歌ってないで働け!」
「わうわうー♪ マスターに、言われたくないわうー♪」
ウルフハウンドは、レーダーから相手の脱出経路を推測する。
敵は一直線にウルフハウンドを目指している。
こちらのメインエンジンが点火されたことで、敵側のレーダーにもウルフハウンドの位置が分かっているはずだ。それでも相手は愚直にも近づいてくる。
「流石に、バレてるか……。なら、好都合だ」
敵の選択は、焦りから来るものではない。初めから、ウルフハウンドを狙っているのだ。
ウルフハウンドは、搬入口付近から距離を取って、敵の来訪を待つ。
数秒後には、錆び付いた鉄の扉が、紙吹雪のように吹き飛んだ。
爆発の硝煙から、一体の従戦機が姿を現す。
悪趣味な髑髏のフェイスパーツに、仰々しい鉤爪。だるまのようにずんぐりとした体型は、ウルフハウンドの従戦機よりも二回りも大きい。
『やっぱ、おめぇか、ハイエナ野郎!!』
髑髏の従戦機は、ウルフハウンドを指さすなり、スピーカーで怒鳴り散らした。
「よう、デスクロワッサン。俺の部下が世話になったんで、その仕返しに来てやったぜ」
『デスクローだぁ!』
髑髏ことデスクローは田舎特有の訛りがあるせいか、イントネーションが尻上がりになる。
『ハイエナ! おめぇ、奇襲とは卑怯な手、使いよってからに! 正々堂々、戦え!』
「奇襲だって、戦術の一つだぜ? 丹誠込めて、奇襲の準備してやったんだから、感謝の一言くらい、よこせよ」
生半可な奇襲は、不要な損害を被る可能性が高い。
ウルフハウンドは事前に、デスクローの動向を探り、モーダナ工場跡地にトラップを仕掛けておいたのだ。
『偉そうなこと言いやがってよぉ! 結局は、卑怯な手を使わねぇと勝てねぇんだろ!? はぁー、情けねっ! 弱っちぃヘッポコは、これだから始末に負えねっ!』
「なに?」
『まともに勝負もできねヘッポコに、用はねぇ!』
ウルフハウンドの表情に余裕が消える。
「訂正しろ」
『いんや! 男に二言はねぇっ! おめぇも男なら、正面から戦ってみぃ! オラに勝ったら、訂正してやっからな! まあ、おめぇみてぇなヘッポコはそんな勇気もねぇだろうがなっ!』
「この俺を本気にさせたこと、後悔させてやる」
「わうーわうー♪ マスター、顔真っ赤♪ マスター、顔真っ赤っか♪」
ウルフハウンドは、従戦機の突撃銃【カテラ】を破棄する。60mmの銃弾を射出するアサルトライフルは、デスクローの厚い装甲を貫く唯一の武器だった。
代わりに、光束剣【シグナス】を装備。柄だけしかなかった筒から、収束された光が白刃として出力される。
『一対一で、オラに勝てたヤツはいねぇんだ! この【デスクロー】で、おめぇの軟弱な従戦機をズタズタに引き裂いてやっからな!』
機動力では中量級重戦機のウルフハウンドが優っているが、接近戦では装甲の厚さと機体出力が物を言う。人とヒグマが正面から相撲を取るようなものだ。
ウルフハウンドは、相手を挑発するように手招きをする。
「そのオンボロ従戦機……スクラップにしてやるぜ」
『スクラップになるのは、おめぇだぁ!』
デスクローの激情に連動して、AURブーストから藍色の炎が噴射される。
巨体は一直線に接近。
ウルフハウンドは、シグナスを正面に構えて待つ。
ぶつかり合えば、鍔迫り合いさえ起こらず、ウルフハウンドは吹き飛ばされるだろう。
『くたばれぇええええええええええ!!』
敵は目前。すでに、回避も間に合わない。
「大きな狼が来るわうー♪ 間抜けな狼が来るわうー♪ マスター、悪人面で笑ってる♪ わうわうー♪」
ガチン。
『……がちん?』
磁石にでも吸い寄せられるように、デスクローの従戦機は急停止した。
地面から伸びる鎖付きトラバサミが、デスクローの右臀部――AURブーストの噴射機――に噛みついている。
拘束系トラップ【アリゲーター】、通称わんわん。設置したトラップの上を通過すると、強制的に移動不能のバットステータスを与える。
『ありゃあ? ん? んん? 動けねっぞ……? ど、どうなってんだ!?』
あたふたとするデスクローをよそに、ウルフハウンドはシグナスを格納。背負っていた擲弾銃【ラングレイ】を取り出す。
しゅぽん。
気の抜けた音と共に、ラングレイから射出された榴弾は緩い弧を描く。行く先は、デスクローではなく、柱のように立つ大口径パイプの根本。
榴弾が爆発すると、パイプは意図も容易く傾いていき、
『おほ?』
ずずん。
「わうわう……ペチャンコわう」
パイプの隙間から、雑草のようにデスクローの腕が生えている。
「うひ……うひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃ!!」
気が狂ったように笑うのは、ウルフハウンドだった。
「バーカ! バァァァァカ!! 男女平等を馬鹿みたいに騒いでるご時世に、何が男らしくだぁ!? 頭ん中、カビでも生えてんじゃねぇの!? バァァァァァカ!」
「クズわう」
「勝ちゃあいいんだよ、勝ちゃあ! 昔の人は言った! 勝てば官軍、負ければ賊軍! 負けたら何の意味もないんだよ!」
再びウルフハウンドは高笑いを始めると、ボード通知音が割って入る。
『HEY! 隊長サン、狩ッタ!? ファッキンガイ、ゴートゥーヘル!?』
「おう、ぶっとばしてやったぜ」
『AMAZING! サスガダヨー! NINJAリスペクトダヨー!』
「誉めるな、誉めるな! 笑いたくなるだろ! フハハハハハハハハ!!」
トラップ連携が綺麗に決まり、高揚感と爽快感が相まって、鰻登りのテンションに歯止めが利かなくなった。
そんなところに、心配顔の千晶が話しかけてくる。
『いいのかよ、ウルフハウンド。そんなに、馬鹿笑いして……』
千晶の心配など気にも止めずに高々と笑い声を上げ、余韻に浸る――次の瞬間、工場跡地の光景が真っ黒にかき消えた。
暗幕が掛かったように、瞳には何も映らない。先程まで聞こえていたNINJAと千晶の声は、水を打ったかのように静かになっていた。
『Attention! VRヘッドギアとPCの接続が切れました。VRヘッドギアを外して――』
瞳に強烈な光が射し込む。
世界が一変した。
つい数秒前までウルフハウンドは、自然と錆で覆われたモーダナ工場跡地にいたはず。しかし、いま彼が腰掛けているのはコックピットではなく、薄汚い小部屋でギィギィとうるさい音を立てるオフィスチェアの上だった。
状況把握には多少の自信があったが、ウルフハウンドの理解が追いつく前に、事態は動いた。
横合いから伸びる細い手に、顔を挟み込まれるように捕まれる。
ぐいっと顔を引っ張られると、視線の先に、黒縁眼鏡をかけた女性が眉間にしわを寄せていた。
「かっくん、うるさい!!」
「あ、ごめん」
「あのね、この時間、お姉ちゃんはパソコンで友達と大切なお話をしてるの。そこに変な高笑いが聞こえてきたら、友達が通報しちゃうでしょ?」
諭すように言ってくる女性は、ウルフハウンドこと
仮想世界の幻想が、脳から引き剥がされていく。
このゴミが散乱した汚部屋は、克也の自室だ。鋼鉄に包まれたコックピットの面影は、一切合切かき消えている。
克也は、デスクの上に置かれたVRヘッドギアに目を向けた。
VRヘッドギアは、仮想現実という夢のような世界と、下らない現実を繋げる架け橋だ。これを被れば、鋼鉄の
「かっくん、聞いてる?」
姉の
「相手は、男?」
「イヤミ!? お姉ちゃんの恋人は、お仕事だけなの!」
外見の偏差値は平均以上だろうが、亜麻音は恋愛するよりも仕事をしていた方が楽しくて仕方ないらしい。
「社畜の何が楽しいんだが……」
「それは、まあ……やりたかったことだし」
亜麻音は気まずそうに言葉を濁す。
根っからの奴隷根性を見せつけられ、克也は呆れて、返す言葉が思い浮かばなかった。
「そんなことよりも、かっくん? もう一年経ったけど……学校行かないの? お姉ちゃんとしては、高校くらいは卒業してほしいのよ」
「学校なんか行かなくても金は稼げるし」
「えっと……あのバケットタウンの大会のこと? 優勝しなきゃ、お金は貰えないんでしょ?」
「
二ヶ月後にはバレットダウンの世界大会予選が開かれる。まだサービス開始から一年しか経っていないが、バレットダウンは世界規模でユーザーを多く獲得している。
世界大会の予選と言えど、国の代表プレイヤーを選出する国内最大級の戦争だ。生半可な気持ちで挑んでも、勝てはしない。
「賞金の150万は、亜麻姉にくれてやるから安心しろって」
「でも、それって三人一組でしょ? 一人あたり50万って……お姉ちゃんの三ヶ月分より低いよ……」
「円じゃなくて、グローバルなドルだからな?」
途端に、亜麻音の目は金色に輝く。
「かっくん、勝ちなさい!! やるからには絶対に勝ち取りなさい!!」
「なら、学校なんか行かなくてもいいだろ?」
「ダメデス」
腕をクロスさせて、亜麻音はロボットのような口調で否定する。
「ハッ! あんなツマンネェところ、絶対ぇ行かねぇし!」
「そんなこと言わないの。学校でしか学べないことだってあるのよ?」
「学ばなくたって、生きていける」
「もう……。お姉ちゃんは諦めないからね? なめくじのようにネチネチと、かっくんに言い続けるよ」
「なめくじなら塩で一発だろ」
「揚げ足を取らないの」
亜麻音は、まともに相手にされていないことを悟り、浅く吐息する。一度、克也から視線を外したところで、何かに気づいたように目を大きく開いた。
「……そうだ、かっくん。今日は、寝るまでにお部屋のお掃除をしなさい」
「明日やる」
「そう言ってから、もう一週間も経ってるの! お姉ちゃん、ばっちぃのは絶対に許しませんからね!」
部屋の散らかり用は酷いものだ。克也自身も、それは自覚しているものの、掃除をしようかと思う度に倦怠感が邪魔をする。
「……亜麻姉やってよ」
「イヤよ。お姉ちゃんは、これからお友達とお話をするの。明日、部屋が汚かったら、夜までご飯は抜きにするからね」
話を切り上げようと、亜麻音は背を向けて部屋から出て行こうとする。
「児童相談所に電話してやる」
「お姉ちゃん想いのかっくんは、そんなことしないよ」
悪意を善意で返してくるあたり、口論では亜麻音の方が一枚上手だった。
「それでは、かっくん軍曹。清掃任務、頑張ってくれたまえー」
「あ、ちょっと待て! 俺はやらね――」
パタン、と扉は閉められ、話は打ち切られてしまった。
「チッ! めんどくせ……誰がするか」
相手の言いなりは腹立たしく感じて、克也はベッドに横になる。ケータイを弄り、しばしネットニュースを眺めていた。
「……」
しかし、気持ちが落ち着かない。
目はケータイの画面に向けられているものの、散らかった部屋から意識が離れなかった。
「やりゃあいいんだろ。やりゃあ……」
誰に言い聞かせるように独り言を呟きながら、克也は立ち上がった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます