16話

 塔子は体を震わせた。


 朝から妙な気分だった。


 学校の敷地にないに入った瞬間、悪寒が足下から上がってくるように感じた。


 寒いわけでも、体調が悪いわけでもない。


 冷気が漂っている。


 有り体に言えば、そういうことなのかも知れない。温かい部屋にいるのに、何処からか冷たい隙間風が吹き込み、体を直接冷やす。そんな感じだ。


 朝のホームルームが始まる前の教室は、普段は五月蠅いくらいなのだが、今日は静かだ。席に座りぼんやりしている生徒もいれば、教室を出てトイレに駆け込んでいる生徒もいる。


 今日の学校は、異様な空間だった。


 更に、異様な事が続く。


 始業のチャイムが鳴っても、担任の教師がホームルームに現れなかった。


 最初の二三分は、皆席に着き静かにしていたが、五分、十分と経つにつれ、ざわめきが広がっていく。


 皆がざわめき始めるが、それ以上に、教室の空気はおかしかった。冷気はより強くなり、女子生徒が席を立ち、保健室に向かった。


「大丈夫?」


 塔子は席を立ち、女子生徒に駆け寄る。


「うん……、気分が悪くて……。塔子ちゃんは平気?」


「私? 少し寒気がするくらいだけど……」


 言って、塔子は女子生徒が座っていた席を見る。


 丁度、彼女席の隣に座る片瀬徹と目が合った。


 死人のように青い顔をしているが、ギラつく瞳はまるで狼のよう。


 ここ数日、徹の雰囲気は一変していた。彼の身に、何かあったのだろうか。


 なにか用か?


 徹の声が、耳元で聞こえてきたようだった。


 そんなことは、有り得ない。徹の席は離れているし、彼は腕を組んで一歩も動いていないし、口も動かしていない。ただ、黙ってこちらを見つめているだけだ。


 もしかすると、徹がこの悪寒の原因なのでは? そう思った矢先、徹の回りにいた生徒達が一斉に立ち上がった。


「トイレに……」


 青白い顔をした男子生徒は、口を押さえて教室を出ようとするが、ドアに辿り着く前に嘔吐してしまった。


 吐瀉物が床に広がり、近くにいた女子生徒の悲鳴が上がる。


 それを契機にして、皆一斉に席を立つと、逃げるように教室から出て行ってしまった。


「塔子ちゃん、私も……」


 女子生徒はふらつきながら、教室から出て行ってしまった。


「何が起こってるの?」


 理解できなかった。異常は、異変は塔子だけではなく、教室全体に及んでいた。もしかすると、学校全体に及んでいるかも知れない。


 その中心人物は、片瀬徹。


 彼は、口元にうっすらと笑みを浮かべながら、腕を組んでこちらを見つめていた。


 何かがおかしい。言葉には出来ないが、塔子の感覚が、徹は異質なモノと判断していた。


「川上、お前、俺が分かるのか?」


「え?」


 ゆっくりと、徹が立ち上がった。塔子を見つめながら、徹は近づいて来た。


 大きい。元々、身長は高かった方だが、徹はこんなにも大きかっただろうか。


「片瀬、何……?」


 塔子は下がろうとしたが、背後には黒板があってこれ以上下がれなかった。


「お前、良いもの持ってるな」


 黒板を背にした塔子は、射すくめられたようにその場に立ち尽くした。見えない鎖で縛られたかのように、体が動かなかった。


 肉が腐ったような、腐敗臭にも似た匂いが、徹から漂ってくる。


 思わず、塔子は顔を背けた。しかし、伸びてきた指先が顎の下に入り込み、正面を向かせる。


「ッ!」


 目の前に徹の顔が迫っていた。ギラつく眼差しは、こちらを値踏みしているよう。もし、彼の眼鏡に適わなかったら。


「いい女だな、お前」


「何を言ってるの?」


 ゆっくりと、徹の口が開いた。


 血を流し入れたような、赤い口。以前、さき江が言っていた。血を飲んだかのように真っ赤な口内だったと。あの時は、馬鹿なことだと一蹴したが、実際、目にする徹の口内は文字通り深紅だった。


「片瀬、止めて……」


 消え入りそうな声が絞り出されただけだ。

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