13話
二階堂健は、学校を休んでいた。
寝ることもできないし、食事も喉を通らない。
どうして、こんなことになってしまったのだろう。
何処で間違え、人殺しになってしまったのだろう。
罪悪感に押し潰されそうな二階堂は、ベッドの上で丸くなっていた。
片瀬徹と知り合ったのは、一〇年以上前。保育園に通っていたときからの付き合いだった。
綺麗なお母さん、羨ましいな。
それが、二階堂が徹に抱いた第一印象かもしれない。
家も近かったこともあって、二階堂は徹とよく遊んだ。
徹は、人よりも少し鈍かった。体が大きい分、動きが鈍い。鬼ごっこをすると、いつも徹が鬼だった。彼が走って、二階堂達は笑いながら手を叩く。顔を真っ赤にして追いかけてくる徹が面白かった。そして、最期にはいつも泣きべそをかく。泣いてしまったら鬼ごっこはおしまい。二階堂は徹を慰めながら、彼を家へと送った。
「いつも遊んでくれてありがとうね」
徹を家に送っていくと、エプロンをしたお母さんがいつも出迎えてくれた。
綺麗で笑っているが、どこか可愛そうな人。子供心に二階堂は思っていた。
年齢と共に、活動と交友関係も広がっていく。中学生になると、二階堂は徹と遊ばなくなった。二階堂は友人の誘いでサッカー部へ、運動の苦手だった徹は天体観測部へ。同じクラスになったが、余り話すことはなかった。吃音の彼は余り人と話そうとはせず、二階堂も孤立している徹と話そうとしなかった。
元来、二階堂は主体性がなく、流されやすいタイプだった。
ここは小さな街だ。中学、高校の付き合いは一生の付き合いになる。二階堂は、活発なグループを選んだ。そのグループというのが、佐木平治の率いるグループだった。彼らは、弱い人物に狙いを付けると、トコトンまで追い込む悪質なイジメを繰り返していた。
最初は、佐木のやり方に抵抗を憶えていた二階堂だったが、このグループから抜けたら自分がターゲットになると思い、我慢していた。しかし、いつしか二階堂本人も、虐めることにある種の快感を覚えていた。
人よりも、自分が優位に立てる。何もかもが思い通りになる。時間を掛け、築き上げてきた物を破壊する喜び。それは、どんなゲームにも勝る娯楽だった。
中学、高校と遊び(・・)はエスカレートした。男子、女子、構わずターゲットにした。二階堂達がイジメを始めると、周囲もそれに迎合する。誰もが、次のターゲットになりたくないからだ。その様子が、表情から見て取れた。それが、また快感だった。
自分が強くなった気がした。自分ならば何をしても許される。このグループにいれば、バラ色の学生生活が待っている。
そう思っていた。実際、そうだった。昨日までは……。
これからも徹をお願いね
高校の入学式だっただろうか、徹の母は自分に向かってそう言った。その時から、すでに徹がターゲットにされる兆候は出ていた。吃音というハンデを持ち、馴染めない彼はクラスでも笑いの対象だった。実際、自分も徹を馬鹿にしていた。
彼女は知らなかったのだろうか。それとも、知っていて二階堂に頼んだのだろうか。
あの時は、「はい」と軽く応えていたが、今思うと、自分はなんて愚かなのだろう思う。
今頃、彼女は息子が帰ってこないことを心配しているかも知れない。あの線の細い、美しい女性が声を殺して泣いているかも知れない。
ああ、自分は馬鹿だ。誰だって一人じゃない。誰だって必ず愛されている。それを、考えていなかった。愛する者が虐げられていて、嬉しい者はいないだろう。
徹はジッと耐えていた。時には小さく笑いながら、自分たちの『イジり』に耐えていた。
二階堂だったら耐えられただろうか。母親に泣きつくかも知れない。学校に行かなくなるかも知れない。
だけど、徹は違った。必ず学校に来ていた。『イジり』がエスカレートして『イジメ』になっても、彼は学校に来ていた。何も感じていなかったからじゃない。母親を心配させてなかったからだ。
二階堂は徹の身の上を知っていた。知った上で、彼を追い詰め、ついには殺してしまった。
あの音、匂い、到底忘れることは出来ない。全身の力が、魂が抜けた気がした。人が死ぬ瞬間を初めて見た。恐ろしかった、それが自分のせいだと思うと、罪の重さで潰されそうだった。
こからどうなる?
学校は?
将来は?
家族は?
どうなる? どうなる? どうなる? どうなる?
どうなる? どうなる? どうなる? どうなる?
どうなる? どうなる? どうなる? どうなる?
どうなる? どうなる? どうなる? どうなる?
どうなる? どうなる? どうなる? どうなる?
どうなる? どうなる? どうなる? どうなる?
どうなる? どうなる? どうなる? どうすればいい?
分からない。
罪の意識と恐怖が二階堂を押し潰していたとき、コンッと乾いた音が窓から聞こえた。
コンッ! カッ コロコロ……
二階堂君
健君
何かが窓に当たって、屋根の上を転がっている。
二階堂を顔を上げ、窓の外を見た。誰かに呼ばれた気がした。
何故かは分からない。
すがるような思いで、二階堂は窓に這うようにしていった。
健君、僕はね、生きているんだよ
道路に徹が立っていた。
彼はこっちを見て笑った。
「と、と、徹……!」
二階堂は絶句した。
だが、不思議と怖くなかった。
むしろ、安心した。
徹は生きていた。
そう思えるだけで、二階堂は救われた。
降りてきてよ、健君
君に、お願いがあるんだ
徹の言葉には抗えなかった。
今度は彼を助けなければ。
徹を助けること、それが二階堂の贖罪だった。
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