11話

 足下に転がった下田は悶え苦しんでいた。

 息が出来ないのだろう、涙を流しながらヒューヒューと口からか細い音を出している。食べられた指からは出血が酷く、彼のワイシャツは血で赤く汚れていた。

 徹の空腹と渇きは癒やされない。足下で横たわる下田を見ると、口の奥から唾液が溢れてくる。

 さて、どこから食そうか。

 舐めるように下田を見る。

 恐怖に歪んだ汗まみれの顔。

 血を流す右手、まだ綺麗な左手。

 ズボンの下に隠れた下腹部。

 それとも、新鮮な内臓からか?

 野生動物は、まず栄養価の高い内臓から食すという。しかし、この場には徹の獲物を横取りする生物は存在していない。野生動物とは違い、徹には下田を糧にするよりも、可能な限り苦しめるという目的があった。

「足だな」

 下田は指一本と喉を失っただけだ。まだ、逃げる余力は残している。最高の恐怖を与えるには、逃げ道を無くすことだ。逃げ道を無くし、死と向かい合わせ、絶望を与える。それこそが、徹が求めていたものだ。

 下田はこちらを見ながら、何かを言おうとしているが、掠れた小さな声は聞こえない。

 徹は両手で左足を掴む。右手を太もも、左足を手首で固定する。骨が折れるような強力な力で締め付けられ、下田は声にならない叫びを上げた。

 大きな口を開け、徹はズボンの上から太ももに齧りついた。

 土埃と汗の匂いが口内に広がる。ゆっくりと、力強く学生服のズボンを咀嚼していく。ズボンごと肉を噛み千切り、飲み込んでいく。ズボンの切れ目を口にし、一気にズボンを引き裂き、露わになった太ももにこれまで以上の勢いで噛みつく。

 徹の頭に拳が何度も打ち付けられるが、徹は微動だにせず、ゆっくりと確実に下田の肉を削ぎ、嚥下していく。思ったよりも血の味はしない。どちらかというと、脂の味が濃かった。

 脂がのり弾力のある肉。その奧にある血管が良い歯ごたえだ。動脈を噛み切ったのだろう。ドクドクと血が噴き出してくる。

「ああ……もったいない……」

 溢れ出る血を目にするだけで、徹はある種の絶頂を感じてしまう。それは、性的興奮とは違う。感じたことのない幸福感。体の隅々に吸収した血が電流のように行き渡る。細胞一つ一つが踊り出し、生まれ変わるような感覚。

 動脈から流れ出る血を口を付けて啜った。少し粘度のある熱い液体。喉が痛くなるような鉄の味は、味わったこのあるものだ。溢れてくる量だけでは足りず、勢いよく血を吸い上げる。

 制服が深紅に染まるのも気にせず、徹は血を吸い続けた。


 キーンコーン カーンコーン


 場違いなチャイムが鳴り響いた。

 ハッとして顔を上げると、下田は青白い顔をしてこちらを虚ろな眼差しで見ていた。あまりの旨さに、血を一気に吸いすぎたようだ。

「俺の受けた苦痛は、こんなものじゃない」

 滴り落ちる血を袖で拭いながら、徹は下田の横ににじり寄る。

 下田は視線だけを動かしてこちらを見据えていた。濁った眼差しからは、もう生きる活力や希望の光は見て取れない。彼はすでに、絶望の縁に立っていた。後一押しで、絶望の谷底に、地獄へと行くだろう。

「メインディッシュだ」

 ワイシャツを引き千切り、むき出しになった腹を見る。血の気が失せた皮膚は白く、強い日差しを受けて輝くその様は、まるでマネキンのようだった。

 へそに中指を当て、押し込んでいく。

 ググッと、僅かな感触の後、指先が抵抗もなく入っていく。視界の隅で、下田の顔がしかめられた。ぐりぐりとドリルのように指先を回し、一本から二本、三本、四本と指を腹部へと入れていく。程なくして、手首までスッポリと腹部へと収まった。

 指先から生暖かい肉の感覚が伝わってくる。ヌルヌルとした水風船のような臓器群。その一つを握りしめると、外に取り出した。

 体液にまみれた赤とクリーム色の長い臓器。恐らく、腸だろう。それを、下田が見ている前で口に運ぶ。ムニュッと独特な触感。筋肉とは違う、生臭さが口と鼻孔に入り込んでくるが、嫌いな匂いではなかった。次々と、温かい腸を口の中、胃袋の中へと納めていく。

「………………」

 青い唇をピクピクと動かした下田は、目を見開いたまま動かなくなった。出血なのか、痛みなのか、どちらが死因か分からなかったが、十分に恐怖と絶望を下田に与えることが出来ただろう。

 彼の生体反応が消えたとしても、徹には取り分け特別な感情は芽生えなかった。部屋に入り込んできたハエを叩き潰した後のような感覚に近いだろう。なんの感慨もそこにはない。そこにあるのは、虫けらの『死』だけだ。

 後は、この肉を喰らい尽くす。徹の空腹は止まる所を知らない。

 そういえば、今日はプールの授業があるはずだった。耳を澄ませば、遠くから水の音と歓声が聞こえてくる。


 ああ……、もう夏か……


 降り注ぐ光。

 太陽を見上げた徹は目を細めた。

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