8話

 徹は教室で立ち尽くしていた。机の上に花が置かれていた。

 いつもの事だ。周りで見ているクラスメイトはそう思うかも知れない。だけど、これを置いた四人は、文字通り、死者に手向けるための花を置いたのだろう。


 やり過ぎだろ


 誰かが言った。だけど、言っただけで徹を助けてくれようとはしない。此処にいる全員がそうだ。口でなんと言おうとも、誰も徹に手を差し伸べる者はいなかった。所詮は人ごと、自分じゃないなら良いとでも思っているのだろう。徹がターゲットになっている限り、自分は安全圏にいられるからだ。

 お前達はみんな同罪だ。裁かれるべき人間達だ。

 心の中は澄み切っていた。これから起こるであろう惨事を想像すると、笑いさえ込み上げてくる。その余裕な表情が、どのように歪むのか、今から楽しみでならない。だが、順番がある。順番を守らなければ。

「…………」

 徹は花瓶を手に取ると、それをしげしげと見つめた。

 手にしただけで分かる。もろい花瓶だ。少しでも力を込めれば、粉々に砕け散ってしまう。

 これをどうすべきか。

 逡巡したが、結論は出なかった。花を捨てるのはゴミ箱で良い。だが、花瓶はどうする? これは、学校の備品なのか、それとも、誰かの私物だろうか。

 まあ、どうでも良い。これから起こることに比べたら、花瓶の一つや二つ、どうでも良いことだ。

 窓を見る。グランドがよく見えた。スポーツ部も朝練を切り上げ、そこには誰もいなかった。徹の席は廊下側なので、目測で一〇メートルほど離れているだろうか。やおら振りかぶると、躊躇うことなく窓の外に向けて花瓶を投げた。

 短い悲鳴が上がる。

 花瓶はもの凄い勢いで、開いている窓から外へ飛んでいき、グランドの中程で落ちて粉々に砕け散った。

「フフ……」

 思わず笑いが零れた。

 この感覚だ。破壊する感覚。なんて気持ちいいのだろう。

 今まで、徹は破壊される側だった。体を壊され、心を壊された。最期には、命さえも。今度は、徹が壊す番だ。どのようにして、壊してやろうか。

 何事もなかったかのように、椅子に座った徹。クラスメイト達は、遠巻きに徹を見ていたが、チャイムが鳴り各々の席に戻った。

 視線を感じ、徹は廊下を見た。そこに立っていたのは、ひょろりと背の高い佐木平治だった。彼はこちらを見て信じられないとばかりに目を見張っていた。

 徹は唇の端を上げた。ターゲットが目の前に現れた。

「(コ ロ シ テ ヤ ル)」

 声に出さず、口だけを動かし佐木に告げた。

 佐木は怒りに眉間に皺を寄せ、睨み付ける様にして教室へ戻っていった。

「殺してやる、殺してやる」

 小さな声で徹は呟いた。隣のクラスメイトが怖がるようにこちらを見るが、気にしなかった。

 いつの間にか、吃音が治っていた。

 一限目の授業の終わりを告げるチャイムが鳴ると、徹は立ち上がった。

 二限目はプールだったが、出席する気は無かった。

 腹が減っていた。無性に腹が減っていた。朝食は取ってきたが、空腹が満たされることはなかった。途中、神社でつまみ食いをしてきたが、それでも空腹は満たされなかった。

 売店へ向かおうとしたとき、目の前に一人の人物が目に止まった。

「下田久志」

 彼がトイレから出てきた所だった。下田は徹を見ると、一瞬驚いた表情を浮かべたが、すぐに意地の悪い笑みを浮かべた。手を拭きながら、彼は近づいてくる。

「おう、生きてたか。思ったよりもずっと頑丈だな。一瞬、死んだのかとビビったぜ」

 言いながら、下田は徹の足を蹴飛ばしてきた。

「や、止めてよ……」

 大きな体を小さくして、徹は怯えたように見せた。

 それを見て、下田がいつものように徹の尻を蹴り上げてくる。

「い、い、痛い、痛いよ」

 震えてみせると、下田は上機嫌に蹴る力を強くしてくる。

「や、や、止めてよ――!」

 徹は優しく、子供と遊ぶように優しく下田の胸を押す。

「おっ……!」

 ゴロンと、下田は無様に転がった。

「あっあっあっ……! ザマアミロ」

 悠然と見下ろした徹は、逃げるようにしてその場を後にした。

「おい! デブ!」

 下田が怒鳴りながら追いかけてくる。

 徹は誘導するように、階段を上がった。この先にあるのは屋上だ。屋上に行けば、邪魔は入らないだろう。

 屋上へ通じる鉄扉は閉まっていた。

 徹はドアノブを握り、二三回ドアノブを回す。


 カチャッ――


 小さな音を立て解錠された。

「待て!」

 下田の声が近づいてくる。

「こっちだよ」

 徹はそう言って、屋上へ出た。

 さあ、復讐の始まりだ。

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