7話

 G県H市。山に囲まれた静かな場所だった。市の中心部に行けばそれなりに商業施設もあるが、車で三〇分も走れば緑溢れる山に突き当たる。

 市外にある御立(おたて)町は山間部にある静かな田舎町だった。小学校も中学校も一つ、高校も近くに一つしか無く、良くも悪くも全てがこの町一つで完結してしまっている。

 川上塔子は御立町の中心を流れる御朗川を臨みながら御立高校に向かっていた。

 健やかな朝だった。雲一つ無い青空と、新緑のコントラストが溜息が出るほど美しい。御朗川の清流の上を滑る風は冷たく、学生服のスカートと長い髪を揺らす。

「塔子!」

 塔子は背後から呼び止められて振り返った。そこにいたのは、友人の升さき江だった。さき江は眼鏡のフレームを朝日に輝かせながら、その輝きにも勝るとも劣らない笑顔で塔子の横にならんだ。

 さき江は塔子の親友だった。家も近所で、保育園の頃からずっと一緒だ。土日になると、お互いの家に泊まりあい、朝まで盛り上がることもある。

「今日から水泳よね。水、まだ冷たいわよね」

 さき江は水泳バックを叩きながら、御朗川の水面を見つめた。御朗川の清流は身を切る冷たさだろうが、プールの水はまだ少しは暖かいだろう。

「どうだろう。久しぶりだから、緊張しちゃうな……」

 塔子は胸を見下ろす。去年の秋頃から、急に胸が大きくなった。冬服ならそれほど目立たなかったが、夏服はブラウスの為、いやでも胸の膨らみが目立ってしまう。仕草によってはブラのラインが見えてしまうときもあるため、近頃では男子生徒の視線がちょっとしたストレスになっていた。

「私達の最期の夏休みだものね。楽しみたいね」

「楽しみたいけど、実際は勉強よね。さき江は、県外の大学目指すんでしょう?」

「塔子は地元の専門学校?」

「うん。看護学校に行こうかと思ってるの。やっぱり、地元を離れるのも寂しいしね」

「塔子らしい」

 さき江はニコリと笑ったが、その笑顔は何処か寂しそうだった。

 塔子もさき江のように県外の大学に行きたかったが、塔子はさき江のように勉強が出来るわけではなかった。塔子の我が儘で、県外の大学にいく資金を両親に捻出させる事も忍びなかったし、塔子は人助けを出来る仕事に就きたかったため、看護師を目指すことにした。

「あっ」

 さき江が足を止めた。見上げた先にあるのは、御朗神社だ。小山の山頂にある御朗神社は、昔からこの地域にある神社だ。小学生の頃、遠足で神社に行ったが、昼間でも薄暗く、どこからともなく冷気が漂ってくるような薄気味の悪い場所だった。

 山頂へと続く石段は、苔むして朽ちている部分も多く、手入れされていない木々は伸び放題で石段を覆い隠さんばかりだった。そのため、下からでは社を望むことは叶わなかった。他の地域と同じく、御立町も人口減少が激しく、神社やお寺など、手入れが行き届かない場所が目立ってきた。

「見て」

 さき江の指す方を見ると、階段から誰かが降りてくる所だった。制服を着ている男子生徒、塔子とさき江は、その人物が誰かすぐに分かった。

「片瀬徹だ」

 さき江は言った。近所に住んでいる同級生だ。小さい頃はよく遊んだが、中学校からは時折顔を合わせるだけで、話す機会は殆ど無かった。高校に入ってからは、大人しく引っ込み思案な性格からか、イジメの対象になっているようだ。徹は、見ているだけで痛々しい感じする。

「ちょっと、様子おかしくない?」

 さき江が不安そうな声を出す。

 階段から降りてきた徹は、塔子達の正面で足を止めた。

 生気の無い表情。土気色の顔色は、とても健康そうには見えなかった。しかし、普段のオドオドした雰囲気は、いまの徹からは感じられなかった。

「なに?」

 不安を感じたさき江が、後ずさりながら尋ねた。

「いや……」

 首を回した徹は、右を見て、左を見て、空を見て、さき江、塔子の順に視線を動かした。

「いや……」

 徹の粘り着くような視線が、塔子の胸の上で止められた。まるで、服を透視しているかのような眼差しに、塔子は手で胸元を隠してしまった。

「イヤ……何でもない。何でもない」

 ペロリと舌なめずりをした徹は足をずるようにして学校の方へ向かった。

 しばらく徹の姿を見送っていたさき江は、「なにあれ?」と、気持ち悪そうに呟いた。

「見た? 口の中、真っ赤だった。血を飲んだみたいに赤かった」

「嘘! 私気づかなかった。徹、どうしたんだろう? イメチェンにしては、随分と方向性が違う気がするけど」

 さき江は、徹の背中と、彼が降りてきた石段を交互に見た。

「分からない……」

 嫌な感じがした。見たことのない雰囲気の徹。彼に一体何があったのだろうか。

 一陣の風が塔子の髪を揺らした。身震いしたのは、川からの風が冷たいからだだけではないだろう。あの、塔子の体を値踏みするような視線。他の男子生徒から向けられる視線とは異質な、危険な眼差しだった。

 徹の異変を更に感じたのは、それからすぐ、学校に着いてからだった。

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