2話
「は? 悪いと思ってるなら、さっさと飛び降りろよ!」
褐色の肌に鋭い目つきの加持陽介が怒鳴った。体は小さいが、身に纏ってる剣呑な雰囲気は苦手だった。
徹は四人よりも頭一つ大きく、体重も倍近くある巨体だったが、子供の頃からの吃音が治らず、そのせいで皆から良くからかわれていた。幼少期の経験から、徹は気の弱い子に育ち、見た目とのギャップから余計周りか弄られるようになった。弄られることが、徐々に激しさを増して、高校に入ってからはイジメになってしまった。
「む、無理……」
「はぁ? 何言ってるかわからねーんだよ!」
下田久志がずいっと体を寄せてくる。中肉中背の下田は、すぐに大声を出すタイプだった。調子に乗りやすく、場所が何処でも暇を見つければ徹を攻撃してくる。もっとも質の悪いタイプと言える。
「さあ、飛び降りてみろ! できるんだよな? その無駄にデカイ体は飾りか? あ?」
加持が背伸びをして胸ぐらを掴んでくる。
「た、た、助けて……」
徹は一言も話さない二階堂健に助けを求めた。彼とは幼馴染みとも言える間柄だったが、他人に流されやすい彼は佐木に迎合してしまった。こちらに目を合わすことなく、「早く飛び降りろよ」と冷たく告げる。
「で、で、でも……」
徹は唾を飲み込む。この状況、逃げ場はない。
徹は拳を握りしめたが、それを振り上げることはできなかった。きつく握りしめ、歯を食いしばり、この理不尽な仕打ちを耐えるしか無い。
「ご、ご、御(ご)朗(ろう)様……御朗様……どうか、ど、どうか僕を、助けてください」
肩を振るわせ、徹は口の中で『御朗様』の名前を唱えた。
「は? お前、何言ってんだ?」
佐木が太ももにローッキックを放つ。一発、二発、三発と、左の太ももに鈍い痛みと衝撃が走る。
「や、止めて、佐木君、や、止めてください……!」
「止めねーよ! お前が飛び降りるまで止めねー!」
佐木の乾いた笑い声が夜空に吸い込まれる。
「ホラ! さっさと飛べ!」
加持が徹の鳩尾に拳をねじ込んできた。不意に急所を突かれた徹は蹲った。そこへ、もう一度佐木のローキックが飛んだ。
「あっ……」
徹の巨体が揺れた。
全てがスローモーションのようだった。
視界が反転し、夜空が目の前に広がった。
今まで生きてきた中で、感じたことのない長い浮遊感。
耳元で鳴り響く風を切る音。
落ちた、頭で理解したときには何もできなかった。
徹が自由落下を止める術を持っているわけもない。
「御朗様……!」
呟いたのと、後頭部に激しい衝撃が受けたのがほぼ同時だった。
血の味と匂いが口の中に広がる。頭の中が激しく痛み、視界が赤く染まった。空に浮かぶ月が、浸食されたように赤く染まっていく。
全てが、赤く染まっていく
ドクドクという、心臓の鼓動が耳元で聞こえる。五月蠅いくらいに、鼓動は早く打っていた。
廃病院の上から何か声が聞こえたようだったが、そんな事はどうでも良かった。
徹は怒っていた。
緩やかだが、確かな怒りが胸の奥からこみ上げてくる。
何故、自分がこんな目に遭うのだ。
吃音が、それほど悪い事なのか?
殺されるほど悪い事を、自分がしたのだろうか?
いや、悪は自分ではない。
悪は、彼奴らだ。
悪いのは、アイツ等だ。
自分の周りは敵だらけだ。
世界は、敵だらけだ。
徐々に呼吸が薄くなる。
あれほど五月蠅かった心臓の鼓動も、今は消えそうなほど弱々しくなっていた。
「ご……ろ……うさ……ま…………」
最後に、徹は御朗様を呼んだ。
この地方に伝わる神様で、悪い事をすると天罰を下すという神様だ。
悪い事をすると、御朗様に食われちゃうよ!
母親からそう言い聞かされて育ってきた。
悪い事をすれば、御朗様が天罰を与える。
このご時世、迷信だと言って一蹴することもできない。
だけど、天罰が下ったのは徹で、あのいじめっ子達には何の罰も下っていない。いや、徹が死ねば、それが事件となり、彼らが裁かれるのだろうか? それとも、徹は死んだことさえ認知されず、この世界から、人の記憶から消えていくのだろうか。
そこまで考え、徹の意識は途切れた。
この世界から、片瀬徹という一人の青年の命から今この瞬間消え去った。
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