会社員だった最後の日 3

 定時で現場をあがり、人のまばらなの上り列車へと乗り込む。

 あたりは日がすっかり落ちて外は暗くなっていた。

 下りの列車は帰路につく人々で賑わっている。

 普通なら帰宅をする時間だが、私は仕事をするために都心へと戻らなければいけない。


 これから残業というのはか流石に気が重い、見積もりの仕事らしいが、まだどのような内容かも把握していなかった。せめて時間のかからない作業だと助かるのだがどうだろうか……


 本社へと戻り、見積もりの資料をチェックする。どうやら小規模な会社の事務所のリフォームのようだ。

 しかしこれは少し手間がかかりそうだな、額面も少ないし利益もあまりなさそうだ。



 ところで社員の評価というものなかなか難しい。

 ただ仕事を真面目にやっても、会社側からみれば普通とみなされるので点数稼ぎにはつながらない。


 人の評価をするにあたって楽なのは数字をつかう事だ。

 しかし真面目度まじめどという風変わりな数字は存在しないので、他の分りやすい数字が使われる。

 それは金を多く稼ぐことであり、利益をより上げたものが評価される。


 簡単でわかりやすいしくみだとは思う。しかしそういう評価の方法では問題もでてくる。

 評価を上げるためには、利益の大きな仕事を選んでこなしていき、面倒で利益の少ない仕事は他人に押しつけてしまうのがよい。


 いま資料を手にしているこの物件は、まさしく利益の少ないそれであった。


「はいはい、やらせてもらいますよ」


 誰もいないオフィスの中で独り言をつぶやく。

 まあ、課長からしてみれば社員が誰もこの仕事に手を付けないので、こちらに回して仕事を処理せざるを得ないのだろう。

 私は、色々な事をあきらめて作業を開始する。



 対象の物件はなかなか古い事務所で、すでに築30年を超している。


「さてリフォームの見積もりを開始しますか」


 部屋の印象を新しくするには、壁紙をかえるのが良い。

 見た目がガラッと変わって、しかもあまりお金がかからない。

 少しばかり高くても、ここは良い物を使おう。


「床はまだタイル張りか、

これを床下配線にすれば実用面も見た目の面でも良い感触が得られるな」


「計算をしてみると…… このくらいか、まだ予算に余裕があるな」


「照明は流行のLEDにかえて、天井の化粧板も張り替えよう」


 計算をしてみよう……

 なんとか予算内には収まったものの、これでは利益があまり上がらない。

 これだと金にうるさい課長の審査を通らないだろう。経費を切り詰める必要がある。


 天井のLEDを蛍光灯に置き換え、ほかにも色々と切り詰める。

 壁紙は印象を大きくかえるので、あまり妥協したくはないのだが……


「しかたない壁紙も安くするか」


 再び計算をしなおすと、なんとか課長の審査に通りそうなモノができた。


 こうして見積書はできたのだが、できあがった書類は部材の物品コードで埋まっていて、施工主にはイメージとしては伝わらないだろう。


「やはりイラストは必要か、描いておくか」


 イラストを描くというと美的感覚が問われそうな作業だが、こういった部屋のイラストは、どちらかというと図面に近いものがあり、知識と経験があればそれなりに見えるものが描けるようになる。


 事務所の設計図をもとにして、線をひくこと小一時間こいちじかん。ようやっとイラストが完成する。


「さてと、ようやくできあがった」


 これで見積もりは完成だ、とっとと提出をして早く帰ろう。

 できあがった書類のファイルを、社内の共有ファイルサーバに置き、課長にメールで伝える。

 時計に目をやると時刻はもう10時半を過ぎようとしていた。


 エレベーターに乗り、廊下を通ってセキュリティーゲートを抜ける。

 だれもいないオフィスビルはひどく不安をあおる。なかでもロビーにおいてあるぐにゃぐにゃとしたオブジェは夜中に見ると心臓に悪い。そそくさと小走りで逃げる様に帰宅をした。



 コンビニで買っためしを食べ、風呂に入るともう12時ちかい。

 仕事しかしていないが、もう日付がかわりそうだ……


 タバコに火を付けゆっくりとふかす。


 今日の出来事を思い返す、しかし参ってしまった。

 評価のあまり上がらない残業に加え、朝の反省文の件だ。


「踏んだり蹴ったりだったな。 そういや反省文の内容はなんだっけ?」


 またもや独り言をつぶやく、最近は愚痴も多くなってきた。

 たしか内容は『小学生からやり直したい』みたいな感じだったな。


 そういえば小学生の頃は何をやっていたのだろう。

 考えても遊んでいた事しか思い出せない。


「でも今の知識を持ったまま、小学生からやり直せるとしたらどうだろう?」

「また遊び回るのだろうか?」

「それとも何か変われるだろうか?」


 いろいろと考えがよぎるが、そんな事は起こるわけもなく現実的ではない。


「馬鹿なことを考えてないで、とっとと寝るか」


 下らない思考を押さえ込む。


 いつも通りにベットに入り布団をかぶる。

 ひんやりとした布団は夏ならばここちよいが、秋も深まる今の季節では、ほんのりと暖かい方が居心地がいい。

 昔はおふくろが干していてくれていたが、独り身では干すことはままならない、雨が恐ろしすぎるのだ。

 暖かい布団というささやかな贅沢品は、なかなかに入手が難しい。


 疲れが溜まっていたのだろうか、そんな冷たい布団のなかでもすぐに意識が溶けていき眠りにつくことができた。

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