第2話

     *


「ガイジンがプールに連れてかれた!」

 お調子者の男子が、変声前の甲高い声で叫んだ。

 ざわつく四年三組の教室で、仲良しだった女子がすみれに話しかけた。

「やっぱり、目ェ付けられちゃったんだね」

その言葉には不安というより、むしろ期待のほうが多く滲んでいた。すみれは胃に泥を詰められたような思いがした。

 エイミー・リン・スコットは、一か月前にアメリカからやって来た転校生だった。田舎の小学校に外国人の転校生なんてとても珍しいことだった。子どもたちは他意も無くエイミー・リンを「ガイジン」と呼んだし、最初は物珍しさから彼女の周りを取り囲む子どもが絶えなかった。

「ごはんって、いつもハンバーガーなの?」

「英語喋ってみせてよ!」

 彼女に投げられる質問は、いつも同じものばかりだった。すみれはその様子を、時々横目で見ているだけだった。

 数日経ってエイミー・リンが全く日本語を話せないことがわかると、子どもたちは徐々にエイミー・リンから離れて行った。それでも、他のクラスや学年からわざわざ彼女を見物に来る子どもたちは絶えなかった。

 その人気を、面白く思わない子もいたらしい。それが初めて形を現したのが、その『ダイビング事件』の日だった。

 『ダイビング』は、その小学校の悪しき伝統のひとつ。夏になると、いじめられっ子は先生に内緒で教室から連れ出され、制服のままプールに突き落とされる。もちろん先生は知っていた。けれど止めようとする人なんて、誰もいなかった。

 すみれはお祭り騒ぎにも似たそのイベントが、大嫌いだった。

「ばかみたい」

「ちょっと、すみれちゃん。どこ行くの!」

 ブラウスの裾を掴んだ手を振り払い、ひとり教室を飛び出した。


「ねぇ、もしかして飛ばないつもりー?」

「外国人って泳ぐの速いんでしょ、見せてみてよ」

 数人の女子に囲まれて、エイミー・リンは制服のままスタート台に立っていた。焼けつくような太陽に照らされた水面は、皮肉なくらい、きらめいていた。

「もしかして何言ってるかわかんない?」

「ジャンプだよ、ジャーンプ!」

 女子たちはエイミー・リンの背中を押してきゃあきゃあ笑う。エイミー・リンはふらっと前につんのめったけれど、なんとか踏みとどまった。

「何してんの」

 すみれは少女たちに詰め寄った。

「ガイジンさんがさ、泳ぐとこ見せてくれるんだって」

「あ、もしかして神永さんも泳ぎたかった?」

 女子たちはまた、奇妙なくらい楽しそうに笑う。泥が詰まったすみれの胃は今にも破裂しそうだった。

 すみれは突然、リーダー格の女子の腕を掴んだ。

「ちょっと、何――」

 そのまま、すみれのつま先はプールサイドの縁を蹴った。飛沫が二つ、高く上がる。

 視界が透明な青に包まれる。視界の端で、ぎらぎら光る髪飾りが水底へと沈んでいった。

 水中から顔を出すと、酸素と同時に蝉の声が身体に流れ込んできた。プールサイドに立ちつくすいじめっ子たちは何が起きたのか分からないという風に、揃って呆然と立ち尽くしている。水の中から少し遅れて顔を覗かせた女子は、すみれをきつく睨んだ。すみれはそれを無視して、エイミー・リンに笑いかけた。エイミー・リンは、少しだけ笑った。


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青をさがして 水守 うた @uta_minamori

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