青をさがして

水守 うた

第1話

「結局のところ、わたしって何者なのだろう」


 終点まであと二駅。隣の席のエイミー・リンが、独り言のように呟いた。

 すみれは曖昧に首をかしげて、それきり何も言わなかった。

 電車は傾き始めた太陽を背負いながら、田んぼの隙間を駆けてゆく。エイミー・リンの肩に乗せたすみれの頭が弾むとき、車両はがたんがたんと音を立てる。そのほかには、何も聞こえない。

 すみれは窓の外を眺めるふりをして、窓に映った車内の風景を覗き見た。ひとはみんな自分の殻に閉じこもって、まるでここには誰もいないみたいだった。スマホ片手にそれぞれの世界へと引きこもる高校生、居眠りするくたびれたサラリーマン……。それらすべてを呑みこんだ空気の中で、エイミー・リンは異端だった。

 エイミー・リンはいつだって他の誰とも違っていた。ライ麦色の金髪と深い青の瞳は、この小さな街で彼女を目立たせるのに充分だった。その上勉強もスポーツも完璧。彼女はいつだって皆の憧れの的だったけれど、いつだって教室の隅に座っていた。自分からは誰とも関わろうとせず、特に親しくしているのはすみれだけだった。すみれはそれがエイミー・リンのキャラなのだと思って気にしなかったし、むしろ自分だけのトクベツに優越感さえ感じていた。

停車を知らせるアナウンスが鳴り、車体は息つくように運動を止める。

「じゃあね、すみれ。リンちゃんもバイバイ」

 終点まであと一駅。二人と同じ制服を着た少女が、車両を出て行った。

「また明日ね」と返したのはすみれで、エイミー・リンは無言で手を振っていた。たったそれだけの光景でさえ、まるで映画のワンシーンのように様になる。

 乗客はみんな降りてしまって、車内にはエイミー・リンとすみれの二人だけが取り残された。ドアが閉まると、電車はまた走り出す。

『リンちゃん』と呼ばれることを彼女は好んだ。一度、すみれはその理由を尋ねたことがある。

「そっちの方が、みんなと同じっぽいじゃん」とエイミー・リンはいつもの無表情で言った。みんなと同じなんて、とすみれは思った。

 すみれはどこにでもいる普通の女の子だった。美容室で似合うと勧められたショートボブは、クラスの女の子たち四人と被っている。スマホのケースは雑誌でモデルが紹介していたものだし、先週買ったCDは今大流行のロックバンドのもの。「皆」のひとりである自分が存在する意味は、いつもわからない。明日自分がいなくなったとして、きっと数日後にはその穴を埋める存在が現れて、一年、二年と経った頃には、きっと初めから存在しなかったみたいになる、そういう存在。

 エイミー・リンはすみれの欲しいトクベツを持っていた。エイミー・リンの隣にいるだけで、この世界にいていいよと言われているような気さえした。だからこそ、どうして彼女が皆と同じを求めるのか、全くもってわからなかった。

 アナウンスが終点を告げ、二人は見慣れた無人駅へと降り立った。乗客を運び終えた電車は、さっさと車庫へと帰って行く。

 世界の終わりみたいな色をした夕焼けに、蝉がうるさく鳴いていた。

 本当に世界の終わりが来たら。すみれは考える。おとうさん、おかあさん、角の立たないクラスメイトに、特別をくれる友人ひとり。満たされているはずなのに空っぽの心。それをリセットしてくれるのなら、別に明日が来なくとも惜しくない、かもしれない。

「――すみれ、何してんの。帰ろうよ」

 気づけばエイミー・リンはもう、改札の向こう側に立っていた。

「ごめん。なんでもないよ、エイミー」

 自分だけが呼ぶことを許された名を口にした。小さな優越感がまた、心臓をくすぐる。

 コンクリート舗装のあぜ道を、二人で歩いて帰った。夕陽を背にしているせいで、目の前の長い影はもう一本の細い道みたいに伸びている。脚の長いエイミー・リンは歩くのが速くて、いつもすみれの少し前を歩く。

 赤く染まった稲穂の海は、まるで波打つように揺れている。風にさらわれた黒髪が、時折視界を遮った。

 あぜ道を抜けると、小さな住宅街に差し掛かる。すみれはふと足を止めた。

 そこはすみれとエイミー・リンが通っていた小学校だった。フェンスの向こうのプールが、今日は水で満たされていた。昨日までは空っぽだったのに。水面は光の粒を撒きながらゆらゆらと揺れている。

 すみれは三歩前にいるエイミー・リンのほうを向いた。エイミー・リンもすみれを見ていた。その木陰を映した左目に、エイミー・リンと初めて会った日が重なった。

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