3/歌を忘れたカナリヤは -3

「──面白くない」

 苦虫を噛み潰したような表情で、コトラが言った。

「なんだかんだ言って、結局、女子高生にほだされてるじゃないかい」

「言うな……」

「あー嘆かわしい! あーやだやだ! 男って生き物は、みーんな女子高生に弱いんだもんねえ! どーせ? 私みたいな? 二十九のオバサンには? 醸し出せないピチピチの魅力に溢れてるんでしょうねえ! ねー親園! ねえ! ピチピチしやがって! このほっぺたか! このほっぺたか! ぷにぷにだなこのやろう!」

「ふ、ふいまふぇん! ふいまひぇん!」

「窓海に当たるなよ」

「当たってまーせーんー!」

 コトラの手を振り払い、窓海を背中にかばう。

「宗八ぃ……」

「こら、コトラ! いい加減にしなさい!」

「ふしゃー!」

「ま、惑ヰ先輩! 惑ヰ先輩も、コトラを止めてください! 可愛い後輩の危機ですよ!」

「──…………」

「……惑ヰ先輩?」

「女子高生、かあ……。ソウだね、ソウなんだ。ドウセ自分なんか、到底、いくら着飾ったトコロで……所詮……気持ちのワルい──」

 あ、自虐スイッチ入ってる。

「宗八、なんとかしてえ……」

「窓海は窓海で抱きつくな! コトラを刺激するな!」

「あ! わーるいんだ、わーるいんだ! せーんせーにー言ってやろ!」

「お前が先生だろ!」

「星滸塾学園で不純異性交遊は厳罰さね! あることないこと上申して、大問題にしてやーろおーっと!」

「かんべんしてえ……」

「……ドウセ自分なんて、どうしようも……ソウ、さみちゃんだって呆れてイルに──」

「だーもー!」

 保健室の飾り天井を見上げながら、おれは頭を抱えたのだった。



「──皆さんが落ち着くまで、五分かかりました。話を進めてよろしいですか?」

「はい」

「ウン」

「……はい」

「特にコトラ。……特にコトラ!」

「に、二回も言わなくたっていいじゃないかい! 悪ノリが過ぎたよ。ごめんなさい、反省してます」

「謝る相手が違うんじゃないか」

「う。……その、親園、悪かったね。最初は冗談のつもりだったんだけど、なんか、熱が入ってきちまってさ」

「あ、はい……」

「ほっぺた、大丈夫かい?」

「あ、はい……」

 微妙に距離を感じさせる受け答えだった。

「問題に移ろう。ささみの転校を防ぐために、どうすればいいか。どんな些細なことでもいい。思いつく端から言っていこうか」

「──…………」

 全員がこくりと頷く。

「えーと、クラスみんなで直談判に行く!」

 直談判。たしかに、三十数名からなるクラスメイト全員が押し掛ければ、出羽崎氏も考えを改めざるを得ないだろう。

 しかし──

「クラスの星寮生全員を外に連れ出すのは、あまり現実的じゃないな。ひとりの星寮生が半日外に出るだけで、十数枚の書類と保護者の同意書が必要になると聞いている。発想としては悪くないが、まず不可能だろう」

「全員が無理なら、署名を集めて、少人数で行くのはどうかなあ」

「なるほど」

「……イヤ、駄目カト思う。今日は土曜日。さみちゃんが出て行ってシマウのは、明日、日曜日の朝だから、ドウやっても、登校生のぶんの署名は確保できない……」

「じゃ、もう、なんにも考えずに、四人でトッカンしちゃうとか……」

「上手く行くと思うかい?」

「思わない、です……」

 窓海がしょぼんと肩を落とす。

「あ、いや、親園! みんなで文句ばっか言ってごめんね! 悪いアイディアではないよ。もしかすると、それであっさり解決するかもしれないんだからね」

「……ソウ、だね、たぶん、最終的には、そのカタチになる。いまのウチに、自分も、外出申請をしておこう。夜までには、万全を期しておきたいトコロだね……」

 万全を期す、か。そのために必要なものは、いったいなんだろう。

「──ああ、そうだ。そうだった。説得すべきは出羽崎氏だけじゃなかったな」

「だれ?」

「ささみだよ。ささみ自身が望まない限り、転校という未来は揺るがない」

 ささみが引きこもっているのは、誰にも迷惑を掛けたくないからだ。誰かに助けを求めたい自分を心の奥底に仕舞いこんで、たったひとりで理不尽に耐え抜こうとしている。

 いじらしい。

 だが、愚かだった。

 ささみは自分の価値を知らない。

 自分が皆にどれほど好かれているか、考えたこともないに違いない。

 そんなささみだからこそ、助けたいと思う。幸せになるべきだと願う。

 事ここに至り、ようやく、コトラの気持ちの半分くらいを理解できた気がした。

「──……バイク」

 窓海が、呟くように口を開いた。

「宗八が、ささみをバイクに乗せて、外の世界を見せてあげたらどうかなあ。あの子、バイク大好きだから、きっと、〈鳥かご〉じゃ満足できなくなる。おじさんに反抗しようって気持ちも湧くかもしれないし」

「いや、さすがにそれは──」

 窓海の言葉を否定しかけたとき、


 ──不意に、脳裏で鳳仙花がはじけた。


「……それ、いいかもしれない」

「えっ!」

 当の窓海が素っ頓狂な声を上げた。

「今日一日でどうにかしようとするから間に合わないんだ。出羽崎氏のことだ。手続きはとっくに済ませているだろう。だから、いまさらそれを防ぐことはできない。恐らく既に後手なんだ」

「じゃあ、助けられないってこと……?」

「そうは言ってない。先手を打たれたのなら、後の先を取ればいい。防ぐことができなかったのなら、撤回させればいいだけの話だ。つまり──」

 一拍置き、告げた。

「明日の朝、ささみが正門を出たところで拉致し、出羽崎氏との交渉を強行する」

「拉致⁉」

「拉致──は、さすがに人聞きが悪いか。どうにかしてささみを連れ出し、時間を稼ぐんだ。黙って見送ってしまえば、出羽崎氏との話し合いなんて、たぶん、実現しないと思う。この役どころは、バイクの免許を持っているおれにしかできない。おれがささみを説得する。だから、コトラ、窓海、惑ヰ先輩の三人は、そのあいだに出羽崎氏のほうをなんとかしてほしい」

「……ふむ」

「んー、大丈夫かなあ……」

「自分は、ワルくない案だと思うのだけど……」

 三者三様の反応を見せる。

「代案がないのなら、このまま進めよう。ささみを拉致すると簡単に言ったけれど、相手だってまったくの無警戒じゃない。だが、やりようはある。場合によっては手を貸してもらうことになると思う」

 運命の時刻まで、残り一日を切っている。

 考えなくては。

 自動的に選び取ってきた〈最善の結末〉ではなく、誰しもが笑い合えるような〈最高の結末〉を、自身の手で掴むために。

「──材料は揃った。あとはまかせてくれ」

 ソファから腰を上げ、軽く伸びをする。

「えっ」

 窓海が声を漏らす。

「ささみを連れ出す方法も、出羽崎氏を説得するための糸口も、全部こちらで用意する。皆を過小評価しているわけじゃない。ただ、出羽崎氏と会話をするには、子供ではなく、大人の言葉が必要だ」

「オトナの言葉……」

「だから、ひとりにしてほしい。集中したい。詳細は後ほどメールで送る。大丈夫、きっと上手くやれるはずだ。約束するよ。……おれは嘘つきだが、約束は破らないことにしてるんだ。信じられないかもしれないが、本当だぜ」

 そう言って、苦笑してみせる。

「皆は、覚悟だけしておいてほしい。出羽崎氏に言いたいことなんて、それこそいくらだってあるだろう。だが、そのすべてを吐き出すべきじゃない。それは、相手の態度をかたくなにするだけだ。だから、言うべき言葉より、言うべきじゃない言葉について、よく考えておいてくれ」

 きびすを返し、後ろ手に別れの挨拶をする。

「じゃあ、明日──」

「待って!」

 ソファの背もたれから身を乗り出した窓海が、スーツの袖を引っ張った。

「どうかしたか、窓海」

「待って。まだ行かないで」

「ああ」

 窓海へと向き直る。

「……このままじゃ、駄目。このままじゃ、私たち、宗八におんぶにだっこだもん。お荷物でしかないなんて、嫌だよ。……宗八は、いろんなことをしてくれた。今回のことだけじゃなくって、もっと、もっと、いろんなこと」

「ウン……」

 惑ヰ先輩が頷く。

「そんなこと、気にする必要はない。いまはささみのことが先決だ。ささみが転校しなくて済むように、全員が全員、自分のすべきことに全力を尽くす。それが役割分担ってものだろう」

 コトラに視線を送る。おれたちは大人だ。おれはより多くの役目を担い、コトラは子供たちを間近で支える。そして、ふたりですべての責任を負う。そうでなくてはならない。

「でも」

「デモも杓子もない」

「まあまあ、宗八。この子たちだって、ささみのために何かしてやりたいんだ。何かしていないと、頭を働かせていないと、不安に押し潰されそうなんだ」

 もちろん、私もね。

 ちいさくそう付け加えて、コトラがそっと肩をすくめた。

「……何かもなにも、出羽崎氏を説き伏せるのはお前たちなんだぞ。いちばん大切な役回りだ。裏方仕事なんかより、出羽崎氏を説得するための決め台詞でも考えていたほうが、よほど有意義だと思うがな」

「ソウ、なんだケドね……」

 三人が顔を見合わせる。

「……もっと、いろんなことを考えたい。できることすべて、しておきたい。だから、手伝わせてほしいの。大したことできないってわかってるけど、足手まといなのかもしれないけど、もしかしたら、すこしくらい役に立てるかもしれないから」

「──…………」

 たしかに、ささみの拉致計画を思いついたのは、窓海のなにげない一言からだった。

 窓海たちの存在は、決して無意味ではない。まして、お荷物などでは絶対にない。おれひとりで作戦の立案を行うべきだと考えたのは、皆の負担を慮ってのことだった。

 窓海も、コトラも、惑ヰ先輩も、自分で思っている以上に憔悴している。ささみの苦痛を、懊悩を、自分のこと以上に感じている。

 この三人では、優しすぎる。だから、小賢しいおれが道を用意すべきだと思った。手段を問わぬあらゆる策を講じ、バトンを渡そうと思ったのだ。

「……わかった。思う存分話し合おう。それでいいだろう?」

「やた!」

「ただし、やるならとことんだ。全員が全員納得するまで帰らせないから、そのつもりでな」

「うん!」

「望むトコロ、だよ」

「……ありがとう、宗八。感謝するよ」

 礼はいらない。

 そうコトラに視線で告げ、口を開く。

「最も優先すべきは、出羽崎氏の説得だ。出羽崎氏は、なんとなくでささみを転校させようとしてるんじゃない。容易には揺るがない。覚悟しておいたほうがいい」

「……わかってる」

 真剣な表情を湛え、窓海が頷いた。

 窓海は、ささみと、互いの家を行き来する間柄である。

 出羽崎氏と対面した経験もあるだろう。

「飄々としてるが、あのサキサカの副社長だ。相当なやり手だよ。生半可な道理じゃ通らない。たぶん、べつの武器で勝負を仕掛けたほうがいい」

「ベツの武器、かア……」

「なんだろう……」

「若さとか、熱意とか、短慮とか、勢いとか、つまりはそういったものだよ。出羽崎氏にはないものだ。おれとコトラにも──いや、コトラにはすこしあるかもな」

「若さが?」

「短慮が」

「……否定できないのが、つらいところさね」

 コトラが、わざとらしく肩を落としてみせた。

「──…………」

 たかだか十数年しか生きていない子供が小利口に理屈を並べ立てたところで、相手にすらされない。泣き落としなんかどうだろう。脅迫なんて有効ではないか。そうしたいからそうしたいのだ、などという埒の明かないトートロジーを持ち出してくるのもひとつの手かもしれない。


 さあ、見つけ出そう。


 王様のもとから、お姫様を奪い返す方法を。

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