第2話 約束

電子音が鳴り響き、手探りでその原因を探し回る。

頭元で騒ぐスマホをわし摑み、指先の記憶でアラームを止めてから、俺は気だるく頭を上げる。


ブルーライトが寝起きの網膜を刺激する。画面には『6:00』の文字。今日もどうにか寝坊は回避したらしい。

時刻のすぐ下に、何件かLINEの通知が表示されていた。


今日は、俺の誕生日だ。


寝ている間に受け取った「おめでとう」のメッセージに、寝ぼけ眼で短い返事を送っていく。

学校で会う前に返さないと気まずいし、かといってわざわざ長文を送っても、どうせあと数時間で会うことになるのだから、見たという証明程度でいい。


一通り返し終えて、俺は立ち上がってカーテンを開く。

長野の山々は朝日を浴びて鮮やかに輝いていた。

蝉の声に紛れて、じいちゃんと父さんの声が聞こえる。境内から帰ってきたのだろう。なら、もうすぐ朝食の時間だ。


アイロンのかかったワイシャツは日差しに温められていて、袖を通すと汗がにじむ。着たばかりの制服をもう脱ぎ捨ててしまいたい衝動に駆られる。

取り敢えず第一ボタンを開くことで妥協案とした。きっと街に降りればもっと暑いだろう。






「おはよう」


居間に降りた頃には、じいちゃんと父さんは料理の並んだちゃぶ台を囲んでいた。母さんとばあちゃんはまだ台所に居るんだろう。


「ああ、渓。おはよう。今日から17だな」


新聞から目を外して、父さんが眼鏡の奥でにこりと笑う。


「早いもんだな。こない産まれたばかりだと思ったのに」


隣に座った俺の背中を、じいちゃんが軽く叩いて笑う。


「あら渓ちゃんおはよう、今日お誕生日ね」


「おめでとう、渓」


母さんとばあちゃんもすぐに台所から戻ってきて、席に着いた。

俺はなんだか照れくさくて、ありがとう、と小声でつぶやきながら母さんの差し出す弁当の包みを受け取った。






「渓、今日は早く帰って来るんだぞ」


出かける前に、父さんに念を押された。


「ああ、わかってる」


行ってきます、と家を出て、俺は家の前の石段を登り始める。

俺の実家は代々続く神社で、その神社のある山の中腹に家がある。学校に行くためには石段を下りないといけないのだが、俺の中ではいつからか、出かける前に石段の頂上の神社へ寄るのが日課になっていた。

とん、とん、とん、とスニーカーが石を叩くたび、朱塗りの鳥居が近づいてくる。毎日登っているせいで、たどり着いても少しも息は乱れていない。


朝の神社には、まだ誰もいなかった。

ほとんど朽ちかけた木の社が、青々とした森の木の中に鎮座している。蝉の声しか聞こえない境内は、まるで現実世界から切り離されているみたいだ。

俺はポケットから5円玉を取り出して、賽銭箱に放り込んだ。

何を願うわけでもなく、ただ黙って手を合わせる。


「やあ、来たね」


突然、声が降ってきた。

弾かれたように振り返ると、そこには見慣れた人影。


「ヤツキ……」


驚かすなよ、と言えば、ごめん、と笑った。


「毎日毎日、熱心だね」


「お前こそ、毎日飽きずにここにいる」


「僕はここを離れられないからね」


そう言って飄々と手を振るヤツキはいつも、ずっとこんな調子だ。いや、調子だけじゃなく、容姿も。今でこそ俺と同い年くらいの少年に見えるが、ヤツキは俺が小さい頃からこうだった、気がする。


「今日も学校かい」


ヤツキはいつも着ている古臭い衣装、平安時代かと突っ込みたくなるような衣装を翻してみせた。


「ああ、そうだよ」


「そうかい。じゃあ学校が終わったら僕のところに来てよ。君に話したいことがある」


珍しいことを言うものだと、少し驚いた。

ヤツキが俺に約束を持ちかけたのは、少なくとも俺の記憶の限りでは初めてだった。


「いいけど、俺今日からここの仕事手伝うことになるから、遅くなるよ。」


「知っているよ。今日で君が生まれて17年だ……。仕事の後でいい、僕は拝殿の奥で待っているから」


「お前、俺の誕生日知ってたっけ」


「僕はなんでも知っているよ、君たちのことはね」


こえーよ、と軽口を叩くと、ヤツキはさも愉快そうに笑う。


「……それより渓、君は行かなくていいのかい」


はっとして腕時計を覗き込む。短針は7を少し通り過ぎていた。


「やば、またタケ兄に置いて行かれる」


「ああ、あの大きいのだね。気をつけて行くんだよ」


「わかってる! また後でな!」


袖を振るヤツキを背に、俺は滑るように石段を駆け下りた。

タケ兄の車が出るまであと30分。少し急げば、間に合うはずだ。

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