夢を見た。

水守 うた

第1話 ノスタルジア

また、同じ夢を見ている。




鈴の音が聞こえていた。

行列が一歩を踏む度に、しゃらん、しゃらん、と夜闇に融ける。

地を這うような男の唄声が、その間隙で流れ続ける。



私は、そっと目を開く。



陽はとっくに沈んだあとだった。

一本まっすぐに伸びた石畳の道脇に並んだ、提灯と松明の群れが足下を照らす。

目の前には、二人の巫女の背中。手には神楽鈴が握られていて、踊るように私たちを導いていく。

ゆうに50人は居ようかという行列。皆、神主みたいな和服を着て、私の後ろを粛々と歩いていた。私はというと、雪のような白無垢を纏っている。地上には炎の外に明かりはなくて、純白の衣装は月と星の光を集めて輝いている。


闇に紛れてよく見えないけれど、辺りは山に囲まれた、渓谷の隠れ里のような村。

まるで時間の流れから取り残されているみたいだ。

古びた日本家屋群の向こうで、何層にも重なった棚田の稲がざわざわ揺れる。初めて見たはずの風景が、何故か懐かしかった。


ふと、提灯の後ろに人影があるのに気付く。明かりの数だけ人がいるらしい。

草履を履く子どもたちの足はぜんぶ泥で汚れていた。それが今朝まで降っていた雨が残した水たまりのせいだと、なぜだか私は知っていた。


歩きながら、薄明かりに浮かぶ人の顔に目を凝らしてみる。私はあっと声を上げそうになった。


顔を見れば、誰が誰だかすぐにわかる。

あれは斜向かいの家の女の子。テツジのおじちゃんに、鎌じいに、水川のおばちゃん。小学校の悪ガキ5人組。あれは仲良しのミッちゃん、ユッコちゃん、ミエちゃん――。


それなのに、不思議と彼らは全員、私の知らない人だった。



行列は石段の麓までやってきた。

私は巫女の肩の間から前を覗いた。小高い丘の中腹に、闇に紛れて鳥居がそびえている。その朱色はまだ新しかった。


あれをくぐれば、もう戻れない。


なぜかそんな気がして、今まで勝手に歩いていたはずの足が、その場に縛り付けられたように動かなくなる。

二人の巫女は躊躇なく石段を登っていく。私も行かなきゃ。でも――。


――キヨ!


名前を呼ぶ声が聞こえた。

それは私の名じゃなかったのに、私の身体は振り向いた。


石畳の道は坂になっていて、先頭からは行列が一望できる。

その一番後ろにひとり、私と同じくらいの男の子がいた。



あの人を、知ってる。



行列は、私を置いて進み続ける。私は人の流れに逆らって駆け出した。


あの人の名前を呼ぼうと、口を開く。

なのに。



あの人の名前がわからない。



着物の裾をからげて、必死で走っているはずなのに、人影はどんどん薄れて行く。


思い出せない。


あの人の、名前は――。






   *     *     *     *     *






「――咲和」


誰かが私を呼んでいた。だれ、と訊こうとしても、うまく声にならない。

瞼の隙間から、光が流れ込んでくる。

ここはどこだろう。眩しくて何も見えない。目を、開けたくない――。


「おい咲和!」


息をのんで反射的に飛び起きた。よく晴れた朝から雷のような怒鳴り声。

霞んだ目を擦って、景色を捉えようとする。


真っ白な壁、7時丁度を指す時計、ハンガーにかけた制服。

日本、兵庫県、神戸市。小さな一軒家の二階の端の、見慣れた私の部屋だった。


「メシ!」


さっきと同じ怒鳴り声がまた響く。

半分ほど開いたドアの向こうにいたのは、弟の昴。長い前髪の分け目からガンを飛ばすように私を見ている。制服の着こなし方も相まって、なかなか迫力がある。知らない人が見たらどこの不良かと訝るだろう。


「……今行く」


私は乾いた声で言う。昴はふんと鼻を鳴らして、ドアをぴしゃりと閉めていった。

ひとりになった部屋。深呼吸して大きく伸びをすると、さっき見た夢がまた、遠ざかった気がした。


ベッドから起き上がって、埃を被った全身鏡の前で、パジャマを脱ぎ捨ててみる。



今日から17歳だというのに、映ったのは、昨日と何も変わらない私の身体。



おっぱいも、おしりも、完成しているようでまだ未熟な、青いにおいのしそうな身体。これが誰かのものになるなんて、まだ到底考えられない。



まるでそれを隠すように、退屈な学校の、退屈な制服を纏っていく。ワイシャツ、スカート、リボンそしてブレザー。そうやって完成するのが、ひとりの退屈な女子高生。



仕上げに無個性を誤魔化すみたいに、前髪をお母さんからもらった髪留めで飾った。



一階のリビングには、もう誰も居なかった。昴はもう学校に行ったはずだ。お姉ちゃんは仕事で、おばあちゃんも泊まりで数日出掛けている。お父さんはずっといない。食卓には私の分の朝ごはんと、いつもの置き手紙があった。


【咲和へ

  お誕生日おめでとう。お皿は自分で洗っておいてね。

          お姉ちゃんより】


今日はいつもと文面が違っていて、『おはよう』の部分が『お誕生日おめでとう』になっている。こんなメモを、お姉ちゃんは毎日書いてくれる。素っ気ないけれどマメなところがお姉ちゃんらしい。


よく見ると文字の隙間に点々とインクの跡がある。


【おめでとー】


気になって裏返してみれば、殴り書きのような字でもう一つメッセージがあった。昴が照れ隠しにわざと汚い字で書いたのだろうと思うと、何だか可笑しくて誰もいない部屋でひとり笑ってしまった。


ふと時計を見れば、あと30分で電車の時間。


「やば……」


慌ててサンドイッチを胃に押し込んで、お皿を適当に洗って、鞄を引っ掴んで和室に駆け込んだ。


「お母さん、今日も行ってきます」


おりんを鳴らして、仏壇に手を合わせる。写真の中のお母さんは、今日も若いまま微笑んでいた。

私がずっと小さい頃に居なくなったお母さん。一緒に過ごした記憶はほとんど無いけれど、毎日仏壇に手を合わせることは、私たち姉弟みんなの習慣になっていた。


「行ってきまぁす」


誰もいない家にそう言い残して、鍵を閉めた。

電車の時間まであと15分。少し急げば、間に合うはずだ。

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