第2話 7章

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 「時間を貰えないかな? 大事な話があるんだ」

 テーマパークで遊んだ次の日に、詩鶴と小風は、プロデューサーにそう頼み込んだ。小風は自分の正体を告げるつもりだった。

 運よくスケジュールに余裕があったので、すぐに予定が埋まった。自分だけでなく社長にも出席願いたいというので、プロデューサーは、いったい何事かと訊ねた。

 「闘波に関する、世界規模の話です」小風は答えた。嘘偽りはなかった。


 当日、五光プロダクションのファイター三人と、社長、プロデューサー、そしてマネージャーの6人が、こじんまりとした会議室に座った。

 小風は、証拠を見せながら、自分は中国政府から日本に送られたスパイであることを白状した。当然ながら、社長やプロデューサーは驚きを隠せなかった。それを聞いた美月は、小風がこんなことを言うからには、事務所から去るつもりなのではないかと心配でならなかった。詩鶴は美月の顔色を察し、目配せで「安心しろ」と伝えた。モールス信号やジェスチャーではないが、意思の疎通は成功した。


 次に、詩鶴が闘波の持つ力について説明した。

 闘波には、偶像崇拝を促す力があり、その者のみならず、その者が所属している組織全体が崇拝の対象となる。中国が闘波に目を付け、日本にスパイを送るようになったのは、そのためであると説明した。

 「でも、私は、中国政府のためには働きません」小風が毅然とした態度で言った。「私は国賊になろうとも構いません。もっと大事なものがあると気づきましたから」

 「大事なもの?」美月が訊ねた。

 「はい。私には家族がいません。家族の愛も知りません。でも、それをここで見つけたような気がするのです」小風は目を輝かせた。「詩鶴と美月と、プロデューサー……それにマネージャーと、一緒にいて活動するのが、すごく楽しくて……私、ずっと欲しかったものが、ここでなら手に入るって思ったんです」

 これを聞いたときの、美月の喜びようは想像に難くなかった。

 「私は、皆とアイドルを……ファイターをやっていきたいです。絶対に迷惑をかけないと誓います。お願いします! 続けさせてください!」

 「私からもお願いします社長」と詩鶴が言った。「小風は、私たちの大事な仲間です。パートナーです」

 「私も、同じ気持ちです」美月が続いた。


 社長は、自分に火の粉が降りかからないうちに小風を解雇することもできた。彼女を日本政府に引き渡すこともできただろう。しかし、そのようなことは考えもしなかった。彼は静かに頷いた。

 「どう思うね? 藤宮プロデューサー?」

 「はい。……私の親の世代、まあ、社長ぐらいの世代はね。『会社は家族』という風潮が強かった。ですよね社長?」

 「まあ、そうだな。私が新米だったときは、業種も違う小さな中小企業だったが、そんな風潮が残ってたな」

 「ええ。しかし、それは日本の悪いところだと言われてたんだよ。そういう関係は、サービス残業とかを発生させやすいからね」

 「それから「会社は労働を提供する場であって、従業員に多くを求めてはならない」とか「会社は会社、個人は個人」と線引きされるようになった。それは正しいと思う」プロデューサーの言葉を受け、社長が意見を述べた。

 「もちろん、私もそれが健全だと思ってる」プロデューサーが言った。「仕事は大事だが、家族には変えられない。君たちは大事な仕事仲間で信頼してるが、妻や娘には変えられない。社長の前でこんなことを言うのも憚られるが、やることをやってくれれば『生活のために』と割り切って、アイドルをしてくれても一向に構わないと思ってる」

 この言葉に、社長は苦笑した。

 「あっ笑いましたね。社長。でも、それは合ってるでしょう? だから、事務所の仲間に多くを求めすぎるのは危険だし、そもそも家族のようになれるかもわからない」

 プロデューサーの言葉に、皆が顔を曇らせた。特に、小風は一段と落ち込んだ。やはり、夢物語だったのだろうか?


 「……しかし小風さん。もし、君が今までの人生で得られなかったものを、ここで得られると思うのなら、私は、ぜひとも協力したいと思ってる。会社の仲間に家族を求める『義理』がないだけで、求めてはならないわけではないからね」

 「私も同感だ」社長が同意した。「何よりも、君たちの幸せを願ってる。無理をせず、堅実に、信頼し合える関係を築いていこう。ここでの君たちの繋がりは、将来、大きな宝となるだろうから……」

 社長とプロデューサーの言葉に、三人のファイターは、顔をほころばせた。

 「あ、ありがとうございます!」小風は深く頭を下げた。

 「よかったね」詩鶴が小風に微笑みかけた。

 「うん!」

 プロデューサーも、とても朗らかな笑顔で笑いかけた。「ちょうど、いいタイミングだから、朗報を伝えよう。随分、遅くなってしまったがね……この三人でユニットソングを出すことにした」

 「本当ですか!」三人は目を輝かせた。

 「ああ。そもそもアイドルなのに、今まで一曲も持ち歌がないのがおかしかったんだよ。格闘技畑のファイターである二人はともかく、美月くんに関しては、当初からアイドルやってたんだからな。これからはそっちの活動も大事になる」

 「君たちなら大丈夫だ。私は、そう確信してるよ」社長が太鼓判を押した。



 意外なほどに、あっさりと社長の了解を得た小風は。緊張の糸が切れた。安堵した状態で湧いてくるのは、厚い情だった。

 「ありがとう。詩鶴」小風は泣きながら詩鶴に抱きついた。そんな二人を見て、美月は、大きく息を吸い込んだ。気合をいれて、二人に向き合った。ちゃんと伝えるんだ。私の気持ちを……

 「ねえ。詩鶴、小風」美月が声をかけた。彼女の顔も、今にも泣きそうだった。

 「私もちゃんと自分の言葉で伝えたいんだ。……いままでさ、ふざけてたり、気取ってたりしてたけど、私は、本当に二人が好きなんだ。冗談じゃなくて。私……変わりたいんだ。私の気持ち……聞いてくれる?」


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 「ありがとう。ハンス」亜子は、テーブルの向かいに座る男に例を言った。『小風は害ではないとわかったから、彼女のことは私に一任してくれないか?』亜子は上司にそう頼み込んでいたのだ。

 「当然の結果だ。柳小風を裁いていたならば、彼女の代わりに別のスパイが送られるだろうからな。むしろ、中国の掴んだ情報が、全てこちらに渡るからありがたいぐらいだ」

 「小風には二重スパイをさせることになりましたが」

 「その危険は、彼女が招いた種だろう」と、男は冷たく言った。

 「ええ。そうですね。自分が欲して行動したからには、その責は自分が負わなくてはならない」亜子は、自分に言い聞かせるように呟いた。

 

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 「それにしても驚いたよ。小風さんが中国のスパイだったなんて」マネージャーが言った。自分に色仕掛けを仕掛けてくるアイドルが、まさかそんな人物だなんて、夢にも思わなかった。

 「私も最初は驚いたよ」詩鶴は頷いた。人間は、どんな経歴を持っているかわからないものだ。「それにしても、美月にも、あんな過去があったなんて知らなかったよ。……父親の葬式の中、何を考えてたんだろうね?」

 「さあね? 『世間体のためだけに』ってわざわざアピールしてたけど、やっぱり悲しかったんだと思うよ。死んだからじゃなくて、最後まで分かり合えなかったことが」

 「たしかに……そうかもね」

 両親だろうと人間である。完璧とは限らない。美月の父は、美月の期待に応えられないまま、この世を去った。何かの間違いだったらどれだけよかっただろうか。彼女の父に、深い考えでもあったら、美月も少しは救われただろう。しかし、実際はそんなことはなかった。深い意図も、複雑な事情もなく、彼は同性愛者に対する偏見を持って娘を傷つけた。ただ、それだけの話だった。改心するでもなく、理解を示すでもなく、かつて美月のヒーローだった男は、彼女を裏切ったまま、彼女に憎しみを抱かせたままに、遠いところへ行ってしまったのだ。

 詩鶴にとっても、自分の両親の存在は大きかった。両親のどちらにも似ていないが故に苦しみ、愛しながらも、どこかで憎んでいる時期があったことも認めなければならなかった。


 詩鶴にとっては、家族や血縁というものは、大して意味を持っていなかった。家族とは、便宜上、法によって決められているだけの関係であり、最終的にものをいうのは法ではなく意思であると考えていたからだった。詩鶴も、同性であるくくるに特別な感情を抱いていた。しかし、日本では同性による結婚は認められていないために、法的に彼女と結ばれることはないのだ。しかし、それがどうしたというのであろう? 詩鶴はそう思っていた。そうであるならば、法というものは、大したものではないのだ。私と彼女が、法によって家族になれないからと言って、私のこの気持ちが偽りになるわけではないのだから。私は彼女と同居するまで漕ぎ着けたじゃないか。

 その反面、法律上の家族、血のつながり、家名に縛り付けられ、翻弄される人もいる。両親と分かり合うことができなかった美月や、家族を持たずに生まれた小風がそうだった。小学生のとき、温厚で思慮深い両親とは似ずに、そのことをコンプレックスに思っていた詩鶴も、その一人だった。両親の存在は呪縛となる。両親の不在は怨恨となる。そこから抜け出すには、やはり強い意志が必要とされるのだろう。

 

 マネージャーは美月のことを「フェードルのようだ」と言った。それを聞いた小風は「むしろマックス・ヴェーバーじゃないかな?」と言った。

 マックス・ヴェーバーとは、ドイツの政治哲学者である。小風は彼について語った。

 ヴェーバーは、精神病を患っていた。彼の精神病の原因は、家父長主義的な父親の性格類型と、プロテスタントな母親の性格類型の相違に由来するという、見方もある。

 ヴェーバーにとって、母親は重荷だった。普通の母親ならば、病に罹った息子を心配し、回復を願うだろう。しかし、彼の母ヘレーネはそのような人間ではなかった。ヘレーネは熱心なプロテスタントだった。彼女は、息子の精神病を「信仰が足りてないからだ」と叱咤した。キリスト教への信仰心さえあれば病が治る。如何なる苦難も、宗教的信念を喚起することによって克服できる。本気でそう考え、息子に苛立ち、彼を意志薄弱であると非難した。ヴェーバーは、その母の考えを受け入れることなく、逆にプロテスタントの精神と対峙し、とことん分析し、研究した。彼が成した偉業は、母との闘いで勝ち得たものであったと言ってもよいだろう。

 そんな小風の言葉を受け、詩鶴は疑問に思った。両親と決別し、戦った美月も、その中で何か偉大なものを勝ち得たのだろうか? 


 「小風さんも小風さんだよ」とマネージャーが言った。「小風さんにとっては国家が両親だったようなものだろ? よく、そこから抜け出すことができたね」

 「確かにね……」小風は不思議に思った。あれだけ偏った情報を与えられて、よく私は洗脳されずに済んだものだ。以前、マネージャーがマス・メディアの話をしたときにも思ったが、『脱コード化』のようなことが、どうして私には可能だったのだろうか? 知能指数の高い人間の遺伝子を受け継いだからだろうか? それとも……


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 美月は外の空気を吸っていた。晴れ晴れとした気分なのは、天気だけが原因ではなかった。小風も、私と同じ境遇だったことがわかって嬉しかったのだ。小風は、自分が今までに犯した罪の意識に耐えながらも、己の幸せを掴んでいきたいと言っていた。今まで「私は罪人だから」「私は怪物だから」と自虐し、開き直って、罪の痛みを回避していた私にとって、耳が痛い話だった。私も、彼女のように……彼女と共に幸せを求めていこう。美月は、そう誓った。時に、とてもつらい気持ちになることもあるだろうけど、彼女たちとならば、耐えていけるだろう。


 携帯が鳴った。美月は画面を見た。知らない番号から着信があった。いったい誰だろうか?

 「……もしもし」

 「あっ! よかった。ねえちゃんだ」懐かしい声だった。

 「みのる! どうして、番号知ってるの?」電話の送り主は、弟の実だった。

 「探すの苦労したんだよ。どうしても話したくて。父さんの葬式以来だね」


 美月は、弟の恋人を奪った日から、彼とまともに話すことができなかった。彼と目を合わせることすらできなかった。己が犯した罪の重さに耐えられなかったのだ。相手が許しても、自分が許せない罪の重さ。弟のことを思うと、己のしでかした罪と、怪物性を思い出すのだ。

 「それで……何の用?」美月はおそるおそる訊ねた。

 「用じゃないけど、久々に話したくなってさ。この前、ネットで活躍してるのを見たから……」

 「あのニヤニヤ動画の生放送?」

 「そう! それ! すごく格好良かったから、そのことを伝えたかったんだ。それにしても、ほら、カンフーアクションの凄い中国人の柳さん? やけにベタベタしてたけど今は、あの人狙ってるの?」

 「そんな……ことは……」

 「朗報があるよ。うちの大学、姉ちゃんのファンって人がいるよ。女性で、すごい美人の!」

 「……そう」 

 「俺も、その弟だってことで、その子と話すチャンスができたし」

 美月は無言だった。彼と交わす言葉が浮かばないのだ。

 「ねえちゃん? どうしたの?」

 「実……わたし、今、すごく楽しいの。この仕事をやってよかったと思ってる。でも、これでいいのかな?」

 「なんか問題でもあるの?」

 「そうだよね。問題なんかないよね。ごめんね。変なこと訊いて」

 「……ねえちゃん」

 「何?」

 「ねえちゃんが家や性別のことで、苦しんでたってことは知ってる。でも、俺は……ねえちゃんには幸せになってほしいし、ねえちゃんの弟だってことを、俺は嬉しく思ってるよ」

 「……ありがとう。実。私も……そう思ってもいいのなら……実が弟で良かった。……ありがとう」


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 小風が部屋に戻ると、顔なじみの先輩がいた。もしかしたら、五光プロに寝返ったことがバレたのだろうか? 任務に失敗した私を……国を裏切った私を消しにきたのだろうか?


 「どうしたの? 張さん」

 「柳小風……だいたいのことは把握した」

 小風は身構えた。一瞬でも隙を見せたら、殺されてしまう。身の危険を感じ、闘波を宿した。

 「安心しろ。本国には何も伝えてない。何もしないよ」

小風は警戒を解かないまま、先輩の話に耳を傾けた。

 「私は、別の用事ができた。本国に帰還しなければならない。しばらくは、お前の独断場ってことだ。好きにするといい」男はそう言うと、彼女を横切り、部屋を出ようとした。

 「小風……いい家族を持ったな」ドアの前で、男はそう言った。

 「え?」

 「私はね……いや、私たちはね……皆、望んでたんだ。お前が我々の元から離れ、自分で幸せを見つけ出せるようにと」男は淡々と語りだした。

 「試験管に入れられた胚細胞を見て……これが、血も涙もない国家の奴隷になるのだろうかと思った。体外受精でお前を生んだ女は……約束の金を受け取ると、ニタニタ笑って、その場を去った。生んだばかりのお前の姿を、振り返って見ることもなしに……」

 「……そう」

 「そのとき、私は思ったんだ。この女の子は家族を知らずに生きていくのだろうか? 私たちが家族の代わりになれないだろうか? でも、そんなのは無理だ。私たちは汚れ物で、国に拾われた存在だ。金や刑期の免除と引き換えに国に奉仕しなければならない、ならず者の集まりだった。私たちは、既に人間として生きることは諦めていた。人間として生きることは認められてなかった。だからお前にスパイの技術を教えるほかに、できることは何もなかった」男はしみじみ語った。「でもいつか……お前が普通の女の子として、幸福になることを願ってたんだ。我々の元を離れて……」


 小風は昔を思い出した。自分が国に染まらず、洗脳されずに済んだのは、彼らのおかげじゃなかっただろうか? 『日本人の特性を知るには、流行を知るのが一番だ』そう言って、日本のドラマを見せてくれたのは彼だった。『敵を知ることが大事だ』と彼は言ったが、本当に伝えたかったことは、別にあったのではないだろうか。

 私にカンフーを教えた師匠は、カンフー映画を見せてくれた。戦闘シーンだけでなく、映画全編である。思い返して見れば、一般的な中国国民の家庭の様子が描かれているものが、やけに多いように思えた。私は、映画を見ながらも、横目で師匠の顔色を窺った。一般家庭のシーンを、懐かしむように……既に手に入らないものを羨むように見ていたのを覚えている。そして、私自身も、その映画の家族像に強い憧れを感じたのだった。


 「幸せにな。小風」男はそれだけ言うと、ドアを開けて出ていった。

 「ありがとう……皆……師父シーフー……私、愛されてたんだね」小風の頬に涙が伝った。愛はわかりやすい形で与えられるとは限らない。小風はそれを知った。

 「私……ここで……皆と一緒に幸せになってみせるよ……謝謝シェイシェイ

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