第2話 6章

 31


 いつも明るくムードメーカーな美月も、黄昏を背景にすればしおらしく見える。マネージャーは、失礼だとは思いながらもそのような感想を抱いた。彼女は、蟻ほど小さく見える人の群れを見ながら呟いた。

 「私、観覧車を乗るのは、これで二回目」

 「へえ」と、そっけなく相槌を打った。マネージャーは、観覧車に乗るのは何回目だったか忘れたが、一緒に乗った人物は覚えていた。父と母と弟である。そして、おそらく美月も、同じだろうと思った。

 「あの頃を思い出すな……」切ない表情で、美月は呟いた。

 マネージャーは、しみじみと聞いていた。

美月は、詩鶴たちが乗っている一つ先のキャビンを見上げた。彼女たちの姿は確認できなかった。

 「……やっぱり、このままじゃ駄目だよね。ちゃんと話そうと思う」美月は、覚悟を決めた。「私の家族のこと……私の罪のこと。聞いてくれる?」

 「懺悔室にしては、ロマンチックなところだな」と、マネージャーは言った。

 美月は静かに笑った。


 32

 

 友人の家で遊んだ、一人称視点のシューティングゲームが、サバゲー好きになるきっかけだった。敵に見つからないように行動し、仲間と協力する。己の能力を頼りに、持っている武器を駆使しながら任務を遂行する。激しい銃撃戦やトラップ。全てが興味をそそるものだった。

 当時は、宿題の時間も遊ぶ時間も決められており、親の許可がなければゲームソフトを買ってはならない約束があった。それにも関わらず勝手に買って遊んでしまった。もちろん、すぐ親にバレて酷く叱られた。これは、私、芒崎美月が小学4年生のときの話だ。


 勝手にゲームソフトを買ったことは叱られても仕方がなかったけど、私が傷ついたのは、怒られた理由が、それだけではなかったことだ。

 「女の子なのに、こんな野蛮なことをして!」

 母は有名な日本舞踊の家元だった。常に厳しくヒステリックで、そして古風な考え方の持ち主だった。私は、舞踊の何が良いのか全くわからなかったから、それを学ぶことはしなかった。継承する気もなかった。母とのわだかまりは幼い頃からあった。そんな私を弁護してくれたのが父だった。

 父は地主で、様々な人との関わりを持ち、物分りがよかった。

 「お前。いまどき、男だから女だからって言い方は理不尽だよ。誰がそんなこと定めたんだ?」

 父は、そう言って母をたしなめた。父は私のヒーローで、母は悪人だった。母は、水鉄砲一つあるだけで、それを戦争と結びつけるような思考回路の持ち主で、あらゆる暴力行為を嫌い、あらゆる差別的なことを憎んでいた。それにも関わらず、私の趣味を否定したのだった。友人の男の子は、このゲームを存分に楽しめるというのに、私は女の子だというだけの理由で、このゲームを禁じられたのだった。どちらか暴力的で差別的な人間だろうと、幼心に思っていた。母との確執は深まり、父に対する尊敬の念は増すばかりだった。


 私が本格的にサバゲーを趣味にし、あらゆる世界の銃器のモデルガンを手に入れる度、母は不機嫌になった。父は「女の子だって逞しくならなければ」と、私を肯定してくれた。父は、快濶な人柄で、私の一つ下の、やんちゃ坊主だった弟ともウマが合った。

 母は、なんとか私の性格を矯正しようと試みた。母は、私にアイドルのライブ映像を見せたことがあった。これは母の趣味にも合わなかっただろう。しかし、アイドルは年頃の女の子なら、誰でも夢みる職業だ。母の策略にまんまと嵌ったようで悔しかったが、確かに彼女たちは魅力的だった。こういうものも悪くないと思った。可愛い女の子が、可愛いフリフリの服を着て歌い、踊り、それが大勢の人々に受け入れられているというのが、私を惹きつけた。


 厳格な母と自由奔放な父の間に生まれた私は、泥臭くスリリングなサバゲーと、華やかなアイドルという、正反対とも言える趣味を持っていた。私は『本当の私』はどんなものだろうと疑問を持った。嫌いながらも、母親から一部の性格を受けついでいることは認めなければならなかったし、父譲りの性格もあった。

 私は様々なものに興味を持って、とりあえず面白そうなものは片っ端から趣味にできるかどうかを試みた。趣味になったものには一貫性がなく、私は、いったいどういう性格で、どんな嗜好なのか、私自身が答えることができなかった。


 中学生のときだった。私は、追いかけていたアイドルの映像を観ていた。ふと、カメラが映した短いスカートと、白い太ももに目を奪われた。そのアイドルが俯いたときの胸元に視線が吸い寄せられた。ああ、あの子を背後から抱きしめ、その柔らかい躯の感触を楽しみ、首筋に舌を這わせられたのなら……ふと、そのような劣情を抱いた。当時は、ほんの気の迷いだと思っていた。でも、あれは私の本心だった。それからは野太い男の声が耳障りに思え、可愛らしい少女ばかり見るようになっていた。


 完全に、私が女性が好きなんだと理解したのは、高校生のときだった。私は、ある少女に恋をした。クラスメイトはイケメンの男子のことばかり話題にしてたが、私は眼中になかった。私は、その長い髪の、物静かでほっそりとした体型の少女に情熱を注いだ。純愛な感情とは言い難く、お互いに服を脱いで……と、邪な妄想をしたこともあった。

 父親が身長180cmのせいか、それとも弟の分まで吸い取ってしまったせいか、私は高校一年生にして、身長が170cmもあったから、とても目立った。おまけに趣味のサバゲーと体力作りのおかげで筋肉質だったから、女性人気は男子に引けを取らなかった。私が自分の容姿に一番感謝したのは、このときだった。

 私が恋した少女は早々に彼氏を作ってしまったけど、失恋したわりには、大してショックは受けなかった。大多数の女性は男が好きなんだと諦めていたし、私にとって大事なのは誰かに愛されることではなく、誰かを愛することだったからだ。むしろ、失恋したことで、同性に対し無謀な恋愛をした自分が、誇らしく思えたほどだった。


 明らかに私に好意を寄せていることが丸わかりの同級生に、アプローチしたことがあった。心のどこかで、初恋の少女を諦めきれないところがあったのだろう。この世全ての男性に対する対抗意識もあったんだと思う。魔が差したのだ。私を酷い人間だと蔑む人がいると思う。そのとおりだ。刹那主義でふしだらな人間だと自覚してる。

 その可愛い子を、誰もいない教室に連れ込み、物陰に隠れて貪るようにキスをした。それから私は有頂天になって、陽気に彼女のシャツのボタンを一つ、また一つと外していき、あとは時間が許すまで、私が持っている性知識を総動員させ、できる限りのことをして、快楽を味わった。あれが私にとっても”初めて”だったけど、彼女の名前は思い出せないし、今では顔もうろ覚えである。私は本来、こういうタイプのダメ人間なのだ。

 

 高校二年生になると、違うクラスメイトの女子と仲良くなった。彼女とは健全な付き合いだった。ある日、彼女に相談を持ちかけられた。彼女は自分が同性愛者だということに悩んでいると、私に打ち明けた。それは私に対して恋愛感情を持っているという意味ではなかったけど、私にとって衝撃的だった。私の場合、そのマイノリティな性向を、誇りとしている面があったから、逆にコンプレックスを感じる人がいるというのが新鮮だったのだ。

 自分の性格や趣味の一貫性の無さ、ちぐはぐさにどこか違和感があった私は、いつも『本当の私』を模索していた。可愛らしい女性を愛したいという欲求、その情熱は紛れも無く私自身の本能からくるものであり、男らしくもなく、女らしくもなく、性差を超越して、私自身が自分らしさを実感できるものだった。マイノリティな性向は、特別の証であり、私の独自性を表すものだった。

 私が女たらしであるということは、クラスでも噂になっていたし、私も否定することはなかった。彼女が悩みを打ち明けてくれた理由もそこにあった。悪行も人の為になるんだと思ったものだ。

 私は「何も恥じることはない」と彼女に伝えた。男だから……女だから……という化石みたいな考え方で、自分の気持ちを曲げなければならないなど、そんな馬鹿な話があるわけない。父の言葉の受け売りだった。

 いつしか、彼女は私に好意を寄せてくれて、私も、そんな彼女が好きになった。今までの肉欲に塗れた関係とは違い、プラトニックな関係を彼女に求めていた。彼女と付き合うようになって、私も自制を覚えた。欲望を抑え清らかに生きようと思った。それから他の女子にちょっかいをかけることはなくなった。


 私は、家族に彼女のことを紹介したくなった。ある日、私が心から愛する大事な恋人のことを聞くと、父は喜んでくれた。でも……恋人が女性だったと知ったときの、あのときの父の顔は忘れられない。父の顔は引き攣って、無理にでも笑顔を作ろうとしているのがわかった。それが私にはショックだった。母は露骨に嫌そうな顔をしており――これは予想した態度だった――少しでも彼女の素行が悪ければ、小言を言ったに違いなかった。


 「わたし……あまり歓迎されてないのかな?」と彼女は言った。

 「そんなことないよ」明らかに嘘とわかる励ましの言葉をかけ、彼女を自室のベッドに押し倒した。そこで初めて彼女といちゃついたが、頭の中は父の態度のことばかりが浮かんだ。

 私が男らしい趣味を持っていたとしても、父はそれを認めてくれた。柄に合わないアイドルに憧れたときも、笑うことなく、文句一つも言わなかった。でも今回は違った。文句こそ言わなかったが、明らかに拒否を示していたのだ。家元の娘が……地主の娘が……マイノリティな性向をしているのは認められないのだろうか。家系を絶やそうとしているのが気に食わないのだろうか。今まで私の趣味を認めてくれたのは何だったんだろうか。あれは寛大さのアピールに過ぎなかったんだろうか。認められる範囲内で、良い父をアピールしていただけなんだろか。そう思うと、父に対する憎しみが満ち溢れてきた。


 夕飯は、彼女も同席したが、明らかに歓迎されていなかった。父は特に私たちの関係に踏み込むことはせずに、触れたくないという素振りをしていた。母は「まさか同性だとは」と繰り返していて、それ以外の言葉を知らないのかとさえ思ったほどだ。何の偏見も持たず、間を繋いでくれたのが弟だった。彼だけが救いだった。弟は軽口を叩きながらも、私たちを祝福してくれた。


 それ以来、私と両親の間には溝ができていた。父には尊敬の念があったが、それは憎悪へと変わっていった。あれから父は顔が広いことをいいことに、近い年頃の男性を家に呼び、私と鉢合わせるように計らった。明らかに私と良い関係を作ろうとしていたのが丸分かりだった。父が人柄の良い男性を招いたり、子供ができる喜びを語るたびに私の憎悪が増した。


 弟が高校二年生のとき、彼は彼女を連れて来た。私と同じように……である。両親は、とても朗らかな笑顔で、弟の彼女を歓迎した。もし、弟が連れて来たのが男だったとしたら、しかめっ面をするに違いないと思い、私は弟の彼女に挨拶をしないまま自室に引きこもった。一人になったら、自然と涙が出てきて、目の前にあったスタンドライトを拳で叩き割った。右手は血まみれになったけど、痛みよりも怒りが込み上げてきた。この家を燃やしてやろうとさえ思った。あいつらを絶対に許すものか! 私は呻いた。


 私は弟の彼女に強引に迫った。彼女から弟との仲が、どこまで進展したかを訊き出した。

 「弟とはキスしたの?」

 彼女は何も言わないまま、怯えた表情で私を見つめた。私はその表情に興奮してしまった。彼女の手首を掴み、乱暴に自分の部屋に連れ去った。その後は……


 私は、無我夢中で家族に復讐することだけを考えていた。そして、家族にダメージを与えることには成功した。その代わり、私も大きな代償を払うことになった。

 弟の彼女を快楽の虜にしたとき、私はこの上ない愉悦を味わった。満たされた気分だった。女性を喜ばせるテクニックには自信があった。こんなに単純に、こんなに下品に、こんなにあっけなく、人間関係など壊してしまえるのだ。

 彼女は、艶やかな声で喘ぎ、私をいっそう興奮させた。彼女は、明らかに私を求めていた。幸せそうな顔をして、私を見つめた。

 「お姉さん、私……もう、限界です」彼女が大きな声で叫んだ。

 突然姿を消した弟の彼女を探していた父は、その声を聞いて、ノックもせずに私の部屋に入り込んだ。ほぼ全裸で抱き合う私たちを見た父は、その場に崩れ落ちた。父が絶望した顔を見るのは、あのときが最初で最後だった。父は最大限の侮蔑を込めて私を睨んだ。対する私は余裕たっぷりに、笑みを浮かべて睨み返した。「これが私という人間なんだ!」と言ってやった。弟だけを認めて私を認めないのがいけなかったんだ。だから、これは報いなのだと、心の中で嘲笑った。

 後から弟がやってきた。弟もその光景にショックを受け、泣き崩れた。泣いている弟を目の前にしても、弟の彼女は、無我夢中で私に抱きついて、体をこすり合わせていた。

 「どうして……ねえちゃん」振り絞るように声を出して、弟は訴えた。

 『お前だけが許されるからだ!』という言葉が浮かんだが、声がでなかった。私は復讐心に取り付かれて、とんでもないことをしてしまったのだと気づいた。泣き崩れた弟の姿を見て、私も涙がこぼれた。胸が張りさかれるかと思うほど苦しくなった。

 父と母が私を認めなくても、弟だけは認めてくれた。家族の中で唯一の仲間であった彼を、私が苦しめたのだ。一緒に手を繋いで送迎バスを待った幼稚園時代、ゲームで勝敗を競い合った小学生時代、中学生になっても高校生になっても、お互い仲のよい姉弟だった。その関係を私が断ち切ってしまったのだった。私は本当に大事なものを失ってしまった。取り返しのつかない罪を犯してしまった。


 私と両親との亀裂は修復不可能なほどに深まった。もう、父は私のことを娘だとは思わないだろうし、私のほうもアレを父と呼ぶことはしたくなかった。そもそも、父に完璧に嫌われるために、あんなことをしたのだ。私は家を去り、貯金していた金で安いアパートを借りると、残り少ない学生生活を過ごし、高校卒業後は適当に働くつもりだった。


 結局、弟はあれから彼女と別れてしまった。原因は、もちろん私だった。いずれは結婚してもおかしくなかったというのに、私が破滅に導いてしまったのだ。

 私自身も、当時、愛し合ってた恋人と別れてしまった。罪人となった私は、彼女に対しても愛情を注ぐ気にはなれなかった。どうして罪もない弟の恋を終わらせた私が、清らかで美しい恋人と一緒に愛を語っていられるだろうか。

 自暴自棄になって、手当たり次第、女生徒を口説いているのがバレてしまったのだ。どうせ、私に純愛などガラでなかったのだから、これでよかった。私は罪人で、獣で、怪物のように醜いのだから、快楽を求めて関係を迫るのが性にあってる。そもそも、私は元から、そういうタイプのダメ人間だったじゃないか。そう自分に言い聞かせた。


 弟との関係も修復できなかった。私が拒んだのだ。酷いことをしたのに関わらず、彼は私のことを慮ってくれた。

 「ねえちゃんも苦しかったんだってわかってるよ。悔しかったんだよね。憎かったんだろう? 同性ってだけで、拒絶していた父さんと母さんに……」

 弟の言葉には、何一つ間違いがなかった。弟は全てを水に流す。また一緒に暮らそうと言ってくれたけど、私は頷かなかった。

 罪人の刻印は一生消えない。私は一生両親を恨み続けるだろう。化石のような母を軽蔑し、結局は性別を理由に差別をする父を見損ない、お前らのせいで、こんな禄でもない罪人が生まれたんだと嘲笑し続けるのだろう。

 弟がどれだけ許したとしても、私があなたと培ってきた、あの微笑ましい姉弟関係を断ち切ってしまった事実は変わらない。私は、それを常に心痛めながら過ごしていくのだ。いや、そうさせてほしいのだ。


 33


 「これが、私の罪」美月は、マネージャーに全てを語りきり笑った。「なんかスッキリした。やっぱり、知ってもらうって大切だね」

 「誰だって理解者は必要だよ。大人になったって、それは変わらない」マネージャーは言った。

 「わかった? 私の、このメンドクサイ性格……」美月は自虐的に笑った。

 「なるほどね」マネージャーは呟いた。「まあ、それでいつも、ろくでもないことしてたわけか」

 「そう……なのかな?」

 「美月って、同性愛者をアピールする割りには、いかにも同性愛者の評価を落とすような発言ばかりしてるからね。行動もだけど」

 「そんなこと思ってたの? まあ、それは演技じゃなくて本性だと思うけど」

 「そうかな? まあ、とんだフェードルだね」マネージャーは言った。美月は眉をひそめた。

 「前にも言ってたけど、そのフェードルって何?」

 「フランスの詩人ラシーヌって人の韻文だよ。『フェードル』は、その主人公でもある。ギリシャ神話ではパイドラーって言うんだけど」

 「いんぶん? その人が私だって言うの?」

 「……かもね。フェードルの両親は、厳格な父ミノス王と放埓なパシファエ――ここは美月の両親とは逆だけど――で、彼女は、その遺伝のために矛盾した存在となる。俺が前に美月をフェードルに喩えたのは、こういう意味合いだったんだけどね」

 美月は納得した。確かに自分は、正反対の性格を持つ両親によって、アイデンティティが上手く確立できなかった。しかし、マネージャーは、今は違う意味を持たせて、自分をフェードルに喩えていることを悟った。

 「それだけじゃないんでしょ?」

 「ああ。フェードルは情熱的であり、さらに自分の罪に溺れていたいという欲求を持っている。今の美月みたいにね」

 「自分の罪……」

 「そう。犯してもない罪を理由に自分を責めたり、たいしたこと無い罪さえ誇張して、自分の罪深さを自虐してそれに酔う。彼女は世界を憎み、最後には毒を仰いで死ぬ」

 「それが私だって言うの?」

 「少なくとも、罪に酔ってる点では一緒だよ。……でも、俺としてはどんな形であろうと、同じ結末を送って欲しくないけどね」マネージャーはそう言った。「さっきの話で、自分の彼女とも別れたって言ってただろ? その本当の理由は、なんだったの?」

 「だから、浮気がバレたからで……」

 「……そこが気になってたんだよ」マネージャーは顔をしかめた。「俺の予想だけど、彼女の存在が重荷だったんじゃないかな?」

 「重荷って……あの娘を迷惑だとは思って無かったよ」

 「そういう意味じゃなくてさ……そのときの美月は、彼女のことが救いだったんだと思う」

 「まあ……自分の支えではあったと……」

 「だから別れたんじゃないかな? 自分が救われていると感じることに絶えられなかった。だって、そのときの美月は……自分を罰して、罪深い存在だといい続けてたから。そうすることで自分を安心させていたんだから」

 「私でもわかんないよ。あのときは心が乱れてて、どうしてあんな行動をとったのか……」

 「人の人生を台無しにしておきながら、自分だけがちゃっかりと、そんな幸せを享受することが許せない」

 「そう……ああそうだ」美月は思い出したかのように言った。「確かにそうだった。どんどん、自分を嫌いになるべきだって……そう思い続けてきたんだ。だから、あんなに素敵な彼女にも離れて欲しかったんだ……」

」美月は、マネージャーはカウンセラーにもなれるのではないかと思った。いつも、この年上の男性をからかって遊んでいるが、今日は言われるままだった。

 「さっき、美月は『獣』って言ってたけど、そういう類の喜びばかりを求めてるよね? 逆に世間的に褒められるような健全さを拒否してしまうんだろう」

 「だって、そうでしょ? 本当の愛とか友情とか、そういうのを私なんかが求めるなんて、図々しいにもほどがあるよ」

 「だから性欲を満たすか、享楽のみ求めてるってわけか……でも、もう我慢の限界なんだと思う」

 「我慢?」

 「……フェードルはね。自分の中にある情熱を恐れてたんだ。抑えられない情熱が、破滅を招くと知っていたから。彼女は宿命に耐えれるほど強くはなかった。フェードルの恋心や嫉妬心は、悲劇の原因だった。彼女自身が矛盾に満ちた存在であり、不幸になる運命を背負ってる」

 美月はそれを聞いて、まるで自分のようだと思った。私は、罪のない弟を傷つけた。素敵な関係を壊してしまった。その罪の意識から、高尚だったり、偉大に思える関係を築くことを自ら禁じたのだ。私には、そのような関係を築く資格などないのだから。

 仮に、それが許されたとしても、恐れるあまりに感情を抑制してしまうのだ。情熱をコントロールできるほどに、自分は上等な人間ではないのだから。かつて私は、恋人を情熱的に愛するあまりに、彼女との繋がりを否定した両親を憎悪し、自我を失うほどに暴走してしまった。私は、自分では制御できないほどの感情を宿している。その感情が爆発するのが怖いのだ。今度は詩鶴を傷つけるかもしれない。小風を傷つけるかもしれない。それが恐ろしくて、ずっとシニカルな態度を貫いていたのだ。


 遊びの関係や、趣味で集う仲間しか作れなくなった。私の本性は怪物だった。だから上等な人生は望まないでいよう。獣のように生きるべきなのだ。親友を作る資格なんてないし、作る勇気も持ち合わせていない。利害関係で繋がっていたほうが気が楽だ。趣味で繋がっている関係が心地いい。アイドルは「自分を偽る仕事である」と開き直れるから大好きで……そういう適当な生き方がいいと思ったのだ。そうすべきだと思ったのだ。


 美月は、フェードルに関することは何も知らなかったが、彼女が毒を仰いだ理由がわかったような気がした。己の罪深い情熱に耐えることができなかったのだ。それは自分にも当て嵌まった。自分は自殺を選ばなかったが、その代わりに『人間』であることを否定して生きているのだ。

  

 「でも、どうして俺に家族の話をしてくれたんだ?」マネージャーは尋ねた。

 「それは……」

 「それは?」

 「……さあ、どうしてだろうね。やっぱり我慢してたんだと思う。マネージャーの言うとおりだね」

 「ここ最近……美月を見てると、つらそうだった」

 「私……図々しいと思うけど、やっぱり、分かり合いたい人がいるんだ」

 「詩鶴さんたちか?」 

 「うん。……詩鶴ちゃんは、最初に会ったときから、どこか気になってたの。マネージャーも言ってたけど、私と似てるんだ。だから、もっと知りたくなったの」


 美月は、詩鶴が五光プロに入り、仲間になったときのことを思い出した。良き先輩でありたいと思っていたが、親しくすることを躊躇してしまった。とりあえず美人だったから口説いて、そのくせ、本気にはならず、茶化して距離をとった。詩鶴は詩鶴で闇を抱えていることに美月は気づいていた。結局、互いに深入りはしなかった。共にだらしのない点があったから、そこを突いて軽口を叩き合う悪友のような関係が築かれた。美月はそれが気楽だった。その一方で、たしかに寂しいとも思ったのだ。

 

 「小風も、私を強く惹きつけたんだ。本当に仲良くなりたいと思っちゃったの。……でも、私にはその資格がないって思ってた」


 『アイドルファイト』で共闘したとき……美月はなんとも言い難い喜びを感じた。小風と目だけで通じ合った。絶妙のコンビネーションで相手を倒した。趣味のサバゲーで、作戦成功したときとは違う喜びだった。「楽しい! こんなにも楽しいなんて!」彼女と協力できたことが、とてもうれしかった。


 強く願ってしまったのだ。「やっぱり……私は心から彼女たちとわかり合いたい」


 ガラじゃないと諦めていた願望。弟に対する罪悪感から望んではならないと思っていた願望。その願望が、はっきりと自分の中にあることに気づいてしまったのだ。もし、許されるのならば……いや、それは許されないのだ。


 許されない! 許されない! お前は獣だ! 怪物だ! 罪のない弟を傷つけ、関係を崩した! まともな人間を気取るな! 罪人のくせに、自分だけ幸せを求めるな! どうせ皆を傷つけるだろ! お前は、そんな高尚な生き物ではないのだ!

 

 非難の声が頭の中で鳴り響いた。


 「そんなときに、小風がアイドルを辞めるかも……みたいなこと言い出したから……それで私……」美月は口ごもった。

 あの試合では、偶然うまく連帯できていただけだ。普段は距離を取られていたことを美月は知っていた。親密になるのが怖くて、駄目で不誠実な人間を殊更にアピールしていたのだから当然だ。自分で撒いた種だ。彼女の支えに”なれない”よう自分で仕向けたんじゃないか。


 「ごめん……何言ってんだろうね。私」

 「……いや、大体わかったよ。自分の気持ちを整理したかったんだろ?」

 「うん」

 「美月の態度は、どうも不自然だったからなあ。闇を抱えてるとは思ってたよ」

 「マネージャーに見抜かれるなんて……」

 「言っとくけど、俺はお前より4歳年上なの。22歳なんてまだガキだし、心が弱くたって、それが普通だよ」

 「マネージャーは案外、強いんだね」

 「俺だって、まだ若造って言われる歳だよ。それで……どうだ? 自分に正直になって……今も、あの二人と本当に分かりあいたいと願ってるか」

 美月は深呼吸して、明瞭な声で答えた。「うん! 願ってる! ……でも」

 「でもじゃない。自分の罪に押しつぶされて、死にそうになっても、あいつらと一緒にいる覚悟があるかってことだよ」

 「……苦しすぎるよ」

 「ひとつ言っとくよ。小風さんは、付き合いも短いし、まだ俺もどんな子か計りきれてないけど……詩鶴さんは間違いなく、そんなお前に応えてくれる。あいつはそういうやつだし……俺も、美月には人間として生きて欲しいと願ってる」

 「……ありがとう。……うん。そうだね」

 「だったら方法は一つだな」

 ガコンと室内に音が響いた。観覧車が一周し、元の場所に戻ってきた。


 「卑屈になることで、自分を慰めるのはもう終わりにしないとな」

 「……うん。わかったよマネージャー」

 「大丈夫だ。絶対に受け入れてくれるから……」


 34


 二人が観覧車を降りると、詩鶴、小風、亜子の三人が出迎えた。

 「デートはどうでした?」詩鶴がニヤニヤしながら冷やかした。

 「最高だったよ」美月はそう答えて、両手で詩鶴と小風を抱きしめた。


 「ちょっ! 苦しい! 苦しい」

 「会いたかったよ。二人とも」


 「いつも、あんな感じなんですか?」亜子がマネージャーに尋ねた。

 「まあね。うちの事務所は、温かいところだよ」とマネージャーは答えた。

『まるで、家族みたいだろ?』という言葉が喉まで出掛かったが、それを引っ込めた。家族というものは、温かいものとは限らないからだ。それはときに枷となり、人生を狂わせ、破滅に追いやることにもなりうるのだ。


 テーマパークを出たあと、皆が満足していた。詩鶴は、ちゃんと話し合える場を設けたのは正解だったと実感した。

 「詩鶴。今日は楽しかったよ」と亜子は言った。

 「それもお世辞?」

 「いや、本心。やっぱり、私は無理してたところあったみたい。それで心配かけちゃったのかな」

 「まあ、心配はしてたよ。あまりにストイックな人を見るとね」

 「鹿島さんの件は、詩鶴の言うとおりだよ。私が責任を感じてた。だから、遊んでいる時間なんてないって。彼女に謝罪するまで、私は幸せを感じる余裕なんてないって思ってたんだ。でも……普通に楽しいことしたいって欲求があったんだね。私は、やっぱり苦しかったんだ。詩鶴が肯定してくれて嬉しかった」

 「そう言ってくれると嬉しいよ。ところで組織の人たちは、クリンゲルさんに『少しは休め』とか言わなかったの?」

 「実をいうと……皆から言われてた。「彼女のことは残念だが、あんまり気を病むことはない」ってね。それでも、私がこの任務についたのは自分の意思なんだ」

 「そうなんだ」

 「うん。柳小風みたいに、そうするしかなかったわけじゃない。父さんも母さんは別の安全な人生を歩むべきだって言ってたけど、それでも私は父さんみたいになりたくて、自分から志願したの。だから責任を感じるのは当たり前でしょ」

 「そこは小風と逆なんだね。普通の少女になりたかった小風と、特別になりたかったクリンゲルさん。運命的だよ」

 「それを結びつけたのは貴方でしょう」亜子が笑った。「私は今日、普通の女性として久しぶりに楽しむことができた。感謝してるよ。やっぱり、鹿島さんと一緒で、詩鶴には特別な魅力があるね」

 「そうかな?」

 「そう。私も惹かれてるよ。ねぇ。せっかく仲良くなったんだから、私のこと亜子って呼んだらどうかな? 他人行儀に『クリンゲルさん』じゃなくて」

 「その格好いい外国の名前、気に入ってんだけどね。じゃあ、また会いましょう。亜子」

 「ええ。またね。詩鶴」

 亜子は詩鶴に顔を寄せ、頬に軽い口付けを落とした。詩鶴は、亜子の突然の行為に呆然としてしまった。

 「……では、皆さん、お先に失礼します。今日は楽しかったです」礼儀正しく、皆に声をかけると、小風に温かい目線を送り、亜子は去った。

 「じゃあね! 亜子ちゃん!」美月は馴れ馴れしく別れの挨拶をした。

 

 「じゃあ、皆帰るか」とマネージャーが残った3人のまとめ役になった。


 「何、ぼーっとしてるの。詩鶴」小風は、少し拗ねながら詩鶴の手を掴んだ。詩鶴は口付けの意味を考えるので、頭がいっぱいだった。

 「ちゃんと皆に話しましょうね。私たちのことを」小風の握る手が強くなった。

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