第2話 5章
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詩鶴は腹をくくって、ある計画を企てた。計画と言っても、「皆が休みの日に一緒に遊ぼう」と話を持ちかけただけであったが。とにかく大事な話をする時間を設けたかったのだ。
自分だけ年がかけ離れていることと、家族サービスを優先させたいという理由から、プロデューサーに断られたのが残念だったが、マネージャーは承諾してくれた。
10年前にリニューアルオープンした千葉県のテーマパークは、未だに盛況であり、休日になると、カップルや親子連れで賑わっていた。詩鶴が、いつか、くくると二人きりで行きたいと考えていた場所だった。彼女は部外者だから、連れて行くことはできなかったが、今日のメンバーは彼女に負けず劣らずの、大事なパートナーだった。
「それで、なんでシャツにネクタイなの?」詩鶴は呆れ顔で言った。「マネージャー……遊びに行くって言ったよね?」
「そんなに私服持ってなくて……」マネージャーはバツが悪そうに答えた。彼の格好は、どう見てもビジネスマンであり、ご丁寧にネクタイまで、しっかり付けているのだ。
「それに、恋人って誤解されたら、色々と困るだろ? 写真でも撮られて拡散されたらファンは一気に減るだろうし。その点、これなら仕事だって思われる」
マネージャーは「そもそも仕事とプライベートは分けるべきで……」と、プロデューサーからの受け売りを語っていたが、詩鶴は別のことを考えていた。恋人ができれば、一気にファンが減るということは、少なくとも自分がそういう目で見られる立場にあるということを意味しているのだ。
ファイターという職業を『役者のような格闘家』と捉えていた彼女にとって、真新しさがあった。評判を悪くするような行為や男女交際は禁止であると伝えられ、彼女は、「そりゃ当然だろう」と、普通に受け入れていた。しかし、それは『恋人にしたいと思われるような女性を目指しなさい』という命令でもあるのだ。もちろん、詩鶴は、そのことが全く念頭になかったわけではないが、改めて考えるとむずがゆいような気がした。『種っち』の、崇拝さながらのラブコールを画面越しに受け取ったときでさえ恥ずかしかったのだ。果たして、これからアイドル活動を続けていくうえで、その恥ずかしさと向き合っていけるのだろうか?
詩鶴は、ため息をついて気持ちを入れ替えた。考えるべきは今日のことだ。それ以上に、人一倍『愛されたい』と願い、救いを求める小風のためにも、私が取持ち役にならねばならないのだ。
「それにしても」マネージャーが言った。「若い女性3人と男性1人でテーマパークなんて、ほかの人から見れば、羨ましがられるんだろうな」
「そのことだけどね。女性は4人になったから」
「え?」
「皆には言ってないけど、紹介したい人がいるの」ちょうどそのとき、お目当ての人物が現れて、詩鶴はホッとした。これで説明が捗る。
「詩鶴。理由も話さず、呼び出してどういうつもりなの?」
詩鶴は、女性の腕を強引に引き寄せて、マネージャーと対面させた。
「マネージャーにも紹介します。私の友達、亜子・クリンゲルさんです」
思わぬ出来事に亜子は戸惑い、とりあえず流されるままに、彼女のマネージャーに挨拶をするしかなかった。
「えっ……ああ、どうもはじめまして。松野のマネージャーの坂月です」マネージャーは名刺を取り出した。いきなり大手ライバル企業のファイターの登場に、マネージャーは驚いてしまった。
「それで、どういうことなのかな? 詩鶴?」
「どういうことなんだ? 詩鶴さん?」
亜子とマネージャーの二人から問い質されつつも、詩鶴は平然と、マネージャーに亜子との関係を説明しだした。
「私と亜子さんは、あの失踪したファイター、鹿島紅葉さんの友人です。私が彼女の行方を突き止めるためにこの業界に入ったことは話したと思いますが、彼女も目的は同じなんです」
「ちょっと詩鶴!」亜子は、詩鶴を止めに入った。
「大丈夫。闘波のことは隠すから」と、詩鶴は亜子の耳元でささやいた。
「まあ、そういうこと……です」と、亜子は詩鶴と話を合わせた。
「……嘘じゃなかったんだな。それ。でも、なんでわざわざ芸能界に? 警察とかじゃなくて?」
「まあ、それはいいじゃないの」
「それは……」詩鶴は有耶無耶にして誤魔化そうとしたが、亜子が口を挟んだ。 「あの失踪には、芸能界の暗部が関係してると判断したからです。知人の芸能関係者から情報を集めた結果、ファイターとして立ち回ることが何よりも効率的だと判断したんです。それより……」亜子は、ここで話を変えた。
「今日は、何しに? 『動きやすい服装で』って言われたけど、いったいどこに?」
「遊びに行くんだよ。仲良くね」
「遊び!?」寝耳に水だった。わざわざ、そんなことのために呼び出されたのか。
「クリンゲルさんって、芸能界入ってから遊んでないでしょ?」
図星だった。亜子は、日本の芸能界に入ってからは、ずっと技を磨いており、『遊び』と言えるようなことは、いままで一度もしていなかった。それ以前に、鹿島紅葉が失踪した日から、責任を感じ、組織のために、日夜、尽力していたのだ。
「今日は、その息抜きをするの」詩鶴は言った。その口調は命令しているようにも聞こえた。亜子は、断ろうにも断れなかった。
小風は、逃げ出したくて仕方がなかった。『事務所の皆と遊び、親睦を深めれば、気分も楽になる』詩鶴にそう言われ、誘われて来てみれば、不倶戴天の亜子がいるではないか!
しかし既に、詩鶴、亜子だけでなくマネージャーにも姿を見せてしまった以上、踵を返すわけにもいかなかった。
「今日は、クリンゲルさんも一緒だからね」と詩鶴は小風に言った。
「この二人も知り合いだったのか」マネージャーが訊いた。
「ええ、まあ」と、亜子はそっけなく答え、小風もそれに倣った。できることなら、知り合いたくなかった間柄だった。
「お待たせ!」集合時間ギリギリに美月がやってきた。「全員、揃ってるね……って、なんだこの金髪美人さんは!」美月は、目を輝かせた。
「相変わらずだね」と詩鶴は言ったが、マネージャーは、彼女の演技を見抜いていた。小心者で仲間たちに嫌われることを恐れているのに、こんな調子で、自分がだらしない人間であることをアピールしている。美月も、今日の一日で少しは素直になれたらいいのにと、彼は思った。
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「それで、どうして私を呼んだの?」電車に揺られながら、亜子は、隣に座る詩鶴に問い質した。「遊んでいる余裕なんてないことぐらいわかるでしょ?」
「だからだよ」と詩鶴は答えた。「その余裕って、精神的な余裕のことでしょ?」
そのとおりだったので、亜子はただ頷いた。
「言っとくけど……クリンゲルさんは、この前、私を囮に使って危険な目に合わせてるの。つまり、現在、私のアナタへの友好度と信頼度はダダ下がりなこと、わかりますよね?」詩鶴はあえて他人行儀な口調で言った。
「たしかに、あれは悪かったと思ってるけど……」確かに、詩鶴には危険な橋を渡らせたかもしれない。亜子はそう思った。小風の監視、通信傍受と電波妨害の処置は万全だったのだが、もし、それを掻い潜られていたならば、詩鶴が中国政府の監視対象になる可能性もあったのだ。
亜子は、今も小風を怪しんでいたが、彼女の言葉が真実で、彼女は本当に自由を求めているだけなのではないかと思うこともあった。それは、彼女は詩鶴の携帯のメールフォルダの内容を盗み見たにも関わらず、どこにもその情報を漏らしていないというのが、その理由だった。
「だったら……」詩鶴の口調が、少し柔らかくなった。「その信頼を回復するために一緒に遊んでくれたっていいんじゃない? それに……」詩鶴は、窓の風景を眺めている小風を見つめた。彼女も詩鶴の目線に気づいた。
「ちゃんと、小風の話を聞いてほしくて。決して、彼女は貴方たちの敵になる存在じゃないってわかるはずだから」
詩鶴が亜子に対して好感度が下がっていることは事実だった。手錠に繋がれた小風に暴行を加えた光景はトラウマになるかもしれなかった。しかし、彼女の残虐性も、その冷酷さも理由があるのだ。詩鶴は、できることなら、その理由を明らかにして、亜子を好きになりたかった。彼女に対する嫌悪感を払拭したかったのだ。
テーマパークに入園してからは、さすがの小風も心が躍った。中国では、このようなところで遊ぶことはできなかったのだ。マネージャーは、アイドルたちが誰かに見つかるんじゃないかと心配でならなかった。小風と美月はサングラスと帽子で顔を隠していたが、詩鶴は種っちの放送で一躍有名になったし、綺麗な金髪が目立つ亜子は、他の事務所のアイドルである。こんなところでファンに囲まれるのも面倒くさいし、週刊誌のネタになるのは以ての外だ。厄介ごとは御免だった。
「小風ちゃん、あのアトラクション、一緒にどうかな?」美月は、やや控えめに小風を誘っていた。
「……うん」と、小風はぎこちなく頷いた。「皆もどうかな?」
亜子は、この場に相応しくなく、一人浮かない顔をしていた。
「楽しめないの?」と、詩鶴が顔を覗き込んで言った。
「まあね」亜子は正直に答えた。
「楽しむことに後ろめたさがあるんじゃないの?」
「後ろめたさ? たしかに任務の最中にこんなことを……」
「そうじゃなくてさ。鹿島さんのことでしょ」
詩鶴の指摘に、亜子は口を噤んだ。また図星だった。心を見透かされたようで、どこか悔しかった。
待ち時間の最中、小風の寂しげな顔を見た美月は、率直に例のことを訊ねた。
「ねえ、小風ちゃん」
「何?」
「この前さ」
「前?」
「うん。自分がアイドル辞めたらどうするって、聞いたよね」
「うん」
「どうして、そんなこと言ったの? この仕事、合わなかった?」
「そんなこと……ないよ。ただ、私、このままでいいのかなって、思ったの」
「確かに、この業界は厳しいよ。未来が保障されてるわけじゃない。私だって4年ぐらい続けててるけど、まだ知名度は低いもん。闘波がこの世に存在してなかったり、私に闘波の素質がなかったら、ファイターにもなれなかったわけで……私は、生き残ってなかっただろうね」
その闘波のおかげで、私はあなた達と出会うことができたのだと、小風は思った。
「でもね。小風ちゃん。私、あの3対3のバトルのとき……いい、コンビネーションができたでしょ? あれで確信したの。私たち、今までで一番のパートナーになれるんじゃないかって」
「本当に?」
「本当! だからね。小風ちゃんが辞めたら、私はとても悲しいよ。もちろん詩鶴もね」
「私も二人といると安心するよ。でも、そんなに幸せでいいのかな?」
小風の問いは、案内の「次の方どうぞ!」という声によってかき消された。
「さあ、乗ろうか。これは面白いって評判だよ」
水しぶきがかかるコースターや、玩具の銃を使いながらレールを進む乗り物を楽しみながら、詩鶴は最後の仕上げに取り掛かった。楽しい時間はすぐに過ぎると思いながらも、その短い間に、変化が見られたことに詩鶴は喜びを感じた。あまり乗り気でなかった亜子も、少しばかり表情が柔らかくなったし、小風も、賑やかな光景に目を輝かせていた。保護者のように付いてきたマネージャーも、地図とにらめっこして、次は何で遊ぶか悩んでいた。
「あと1時間ぐらいかな?」と、マネージャーが言った。
「待ち時間的に……あれは、どうかな?」詩鶴は観覧車を指差した。
「いいんじゃないか? でも4人乗りか……」
「俺は待ってるから、4人で乗ってきたらどうだ?」マネージャーが言った。
「何、部外者面してんの」
「そうそう。一緒にね」美月がマネージャーの背中を押した。
「でもグループはどうする? 俺、一人で寂しく乗るのは嫌だよ」
「私とクリンゲルさんと、小風でどうかな? マネージャーと一番仲がいいのは美月でしょ?」
「ええー。私も女の園に混ざりたいー!」美月が顔を膨らませた。
「はいはい。帰りの電車なら一緒になってあげるから」
「まあ、いっか。でも観覧車は可愛い彼女と二人きりで乗りたかったな」
私だって、くくると二人きりで乗りたかったよ! と、詩鶴は心の中で呟いた。
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待ち時間の間、亜子は思った。詩鶴が何かを企んでいる。
大方、私と小風の仲を取り持つつもりなのだろう。しかし、小風は強襲をかけ倒した後、手錠を掛けて尋問を行った相手である。そんな彼女と仲良くできるものだろうか。少なくとも、私が相手だったならば、御免被るだろう。
順番がやってきた。最初に、詩鶴、亜子、小風の三人が乗り込んだ。
「それで、このメンバーにした理由は、何かあるんでしょう? 詩鶴?」
「話が早いね。ここなら誰も逃げ出さないから、腹割って話せると思ってね」
「そう。いい返事を聞かせてもらえるんでしょうね?」亜子は小風を睨み付けて言った。
「まず、今日の感想を聞きたいな、クリンゲルさんに」
「私に?」思わぬ詩鶴の発言に、亜子は驚いた。
「うん。どうだった?」
「楽しかったわよ」と、お世辞を言った。
「小風、今の感情があったと思う?」
「え……うーん、特にそうは聞こえなかったけど」
「そう。クリンゲルさんはね。責任感が強すぎるの。だから、一度、罪を背負ったら、ずっと苦しみ続けてる」
「ちょっと、詩鶴? 何を言ってるの?」
「クリンゲルさんはね。優れたファイターを探さなければならなかった。『アイドルファイト』の大会で優勝できるほどの実力者をね。東南アジア海上都市のVIPゾーンに潜り込ませるために必要だったの。そんな彼女がスカウトしたのが鹿島紅葉。去年、失踪したカリスマアイドルね。彼女が失踪したのは、自分のせいだとクリンゲルさんは思ってる」
例えば……そう、例えばの話である。詩鶴は、以前、このような思考実験を行ったことがあった。
交通事故などで、見知らぬ誰かの命を奪ってしまったとしよう。その人は、賠償金を払ったり、刑務所に入り刑期を終えることで、法的な罪からは開放されるだろう。 しかし、人命を奪ったこと、その人と関わる人々の運命を大きく変えてしまったことに対する罪悪感は、法的な罰を受けるだけでは償いきれないだろう。
その人は、自分自身の幸せを追求することができるのだろうか。ゲームをする度に……テレビのバラエティ番組を見るたびに……自然と笑みが零れるときに……殺してしまった相手の顔が脳裏に浮かぶのではないだろうか。泣き崩れる遺族の姿が浮かぶのではないだろうか。
「私は、あの人の人生を終わらせてしまったのだ!
遺族たちの心に、一生消えない傷を刻み込んでしまったのだ!
なのに、どうして、自分自身の人生を豊かにしようと考えることができるだろうか!?」
この自責の念が常に付きまとうだろう。テレビの電源を入れることさえ躊躇われるのではないだろうか? 少し豪華な食事を取ることさえ躊躇われるのではないだろうか?
加害者の心理は、こんな感じになるのだろうと、詩鶴は思っていた。
もし、その殺された人が、自分の両親や愛する人であったのならば、加害者は、生涯喜びを感じることなく、罪の意識に苛まれながら苦しんで生き続けるがよいと、詩鶴は思っていた。
しかし、亜子・クリンゲルの生き方を見ていると、詩鶴は、とても心苦しくなった。彼女は、罪悪感を感じ、苦しみながら生き続けている。鹿島紅葉が失踪してから全ての時間を、任務や鍛錬に費やしているようだった。一刻でも早く、鹿島紅葉の行方を突き止めなければならないと尽力しているのだ。あらゆる娯楽を断ち、自分を責め続ける彼女の姿は、見るに耐えないものだった。亜子には、そこまで責任を負わず、一人の人間として、喜びを求めて生きて欲しい。詩鶴は、まったくのダブル・スタンダードであると自覚しながらも、そう願わずにはいられなかったのだ。
「鹿島さんは、確かにクリンゲルさんに目を付けられた。それが人生の分岐点だったと思う。でも、それは鹿島さんが意思したことなんだし、クリンゲルさん一人がそこまで気に病むことはないと思う」
「気持ちはありがたいけど、ドイツ人は義理堅くてね」
「それは日本人だってそうだよ」と、詩鶴が言い返した。
「中国人は、どうだか知らないけどね」と、亜子は小風に視線を向けた。
「小風さんも、同じだよ」と、詩鶴が代わりに答えた。
観覧車は、ちょうど天辺まで上った。詩鶴は、視線を外に向けた。
「綺麗」夕日の美しさに、思わず呟いた。
「小風はね。少し前に言ってたの。『私は幸せになっていいのか?』って」詩鶴が言った。
「幸せ?」
「そう。彼女は、確かに中国スパイで、日本に送り込まれてきた。でも、彼女自身が別に望んでいたものがあった。それが普通の少女になること。中国では得られなかった家族のような関係を、ここで築きたかった。ある日、突然に恋して、それが成就することもある環境。そういうものが、ここにならあるんじゃないかって……」
「でも、私はそれを求めちゃだめなんだよ……」今まで沈黙していた小風が口を開いた。
「……だって、私は……罪深い……人殺しだから」
国益のための殺しは、全て正当化された。謀略の成功は誇りだった。
小風は当初、日本のアイドル連中を甘く見ていた。小風からして見れば、彼女たちなど甘えた環境に生きる人間だったからだ。17歳にして数々の修羅場を潜り抜けた彼女にとって、日本での生活は退屈極まりないものに違いないと思っていた。日本に着いたら、仕事仲間とは適当に話を合わせ、イイ男を誑かして、少しは刺激ある生活を享受してやろうと企んでいた。
五光プロダクションの事務所は、とても温かく、それは小風にとっては生ぬるいと表現すべきものであったが、それと同時に、とてつもないショッキングな光景だった。美月の不道徳を窘めるマネージャーが、兄と妹のような関係で、詩鶴と美月が悪友のような関係だった。仕事を拾ってくる、年の離れたプロデューサーは、皆の父親のように見えた。ただの仕事の同僚、上司と部下の関係でしかないのに、とても引き込まれたのだ。
これぐらい、普通に予想できる光景なのに……特に大したことではないはずなのに……しかし、実際に、自分の目で見ると、感情が高ぶってしまうのだ。
冷徹に人を殺せることが小風にとっての自信であったが、それが一転して重荷になった。男を誑かしたりして、悪人として享楽を得ようとする分には何とも思わないのに、詩鶴たちから優しく楽しい時間を受け取ると、とても心が苦しくなるのだ
……私がこの空間で過ごすには、殺した人間の命が重く圧し掛かりすぎる。
たとえ自分の意思で殺したわけでなくとも、この手が人の殺し方を知っているという事実は変わらない。小風は気づいていた。自分が普通の女の子に憧れていたこと、そして、そうなるには、自分はあまりにも罪深い存在であることを。
倫理を無視して生まれ、優れた諸々を享受した罪人。人を不幸にするために神々が作り、人に災いを招くために遣わされたパンドラの如く……
中国政府の任務に背くわけもいかず、かと言って、仕事仲間を裏切るわけにもいかず、どっちつかずの保留を続けていた結果、小風は亜子・クリンゲルの罠にかかった。
素性の全てを晒しても、詩鶴は「小風の仲間でありたい」と言ってくれた。小風はこれ以上にない幸せを感じた。詩鶴は救いだった。しかし、その幸せを無神経に享受してもいいとは思えなかった。小風は苦悩し続けていた。
「……悪人ばかりじゃない。罪のない人もいた。もちろん、家族もいたでしょう……でも私は……何の疑いも抱かずに……その人を殺したの」小風は、ぽつりぽつりと言葉を吐き出していった。
「そんな私が……何もなかったかのように、詩鶴と、美月と……幸福を感じながら、過ごしていいの?」
「だから! 私はそれでもいいって言ってるの!」詩鶴は声を大きくして言った。「私、勝手なこと言ってるって思うよ。被害者の気持ちも無視してる。でも小風には幸せになってほしいの! 私と一緒にいてほしい!」詩鶴は小風の手を強く握った。
「何もなかったかのように思えないんだったら、その罪を忘れないでいい。その上で、幸せになってほしいんだ。重荷は一緒に背負うよ……小風は絶対に見捨てないって誓ったんだから」
詩鶴の強い言葉に、小風は小さく頷いた。
「もちろん、クリンゲルさんも」詩鶴は、今度は亜子に顔を向けた。「今日みたいに一緒に遊べるような……そんな関係になりたい」
「私には、どうしていいかわからないよ」と亜子が言った。「でも……私は小風と、似てるのかもね」
「ありがとう詩鶴」小風は泣きながら言った。「私、償うこともできないし、どうしていいかわからない。だけど……詩鶴と美月と同じ道を歩みたい。だから、クリンゲルさんにも……認めてもらいたい」
「私からも頼むよ。クリンゲルさん。彼女は、貴方の組織に害をなさないし、私と協力してくれるって言ってる。だって『アイドルファイト』で優勝して、海上都市のVIPゾーンに入り込めるほどのファイターになるんだから」
しばらく沈黙が続いた。最初に沈黙を破ったのは亜子だった。
「なるほど。鹿島紅葉の行方を調べるという点では、この三人、協力関係ってわけだ」
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