第2話 エピローグ
エピローグ
今日は、五光プロダクションに、新たな仲間がやってくる日だった。以前、知り合った高校生、小桐鳳が来るのだ。ただ、『仲間』と呼べるかどうかは、認められれば……だが。
鳳は、自分の担任教師に、芸能活動を認めてくれるよう頼み込んでいた。ところが、その担任教師は芸能界を胡散臭く思っており、簡単に首を縦に振らなかった。その教師は、事務所の責任者と話し合い、それで納得できれば彼女の芸能活動を認めると約束した。
「私の大事な生徒を、薄汚れた世界に送るわけにはいかないわ!」美しき女教師は、奮い立った。
彼女は、鳳の芸能活動を認めるつもりはなかった。既に決定事項だった。
この教師からしてみれば、どれだけ清潔感を装っていても、アイドルは異性に媚びる仕事であり、格闘技はルールが定められた殴り合いでしかなかった。鳳がミステリアスで強大な力、闘波の素質を持っている可能性があるとしても、認めるわけにはいかなかった。
五光プロダクションを訪れた、鳳と彼女の担任教師の2人を、詩鶴と小風、そしてプロデューサーの3人が招き入れた。
「わざわざ、お越しいただきありがとうございます。私、プロデューサーの藤宮と申します」
「ありがとうございます」クールな声で教師は応えた。彼女は名刺を受け取ると、胸ポケットにしまった。促されてソファに座ると、いきなり本題に入った。
美月が外出中で助かった。詩鶴はそう思った。美月は改心したものの、女たらしな性格は元からのようで、問題児であることは変わりなかった。むしろ、自分の気持ちに素直になった結果、女たらしが悪化していたのだ。
美月がここにいたら、美人教師に鼻の下を伸ばして、禄でもないことをしでかすかもしれなかった。気品を備えた教師の美貌は、アイドルである詩鶴たちに負けていなかった。プロデューサーが妻一筋の愛妻家でなければ、彼女の魅惑的な胸に釘付けになっていただろうと、詩鶴は思った。
説得は芳しくなかった。プロデューサーは、なんとしてでも、闘波の素質のある現役女子高生を迎えたいと思っていたが、教師は難色を示すばかりだった。『学生の本分は勉強である』という言葉に対抗できる術を、プロデューサーは持ち合わせていなかった。
これは相手が悪かった。残念ながら諦めるしかない。鳳が卒業するまで我慢するしかない。詩鶴がそう思っていると、空気も読まず、能天気な「ただいま」という声が事務所に響いた。美月とマネージャーが帰ってきたのだ。詩鶴は頭を抱えた。鳳がファイターになれる確率が遠のいた。
「ああ、おかえりなさい。今、お客様がいらっしゃるから静かにね」と、プロデューサーが言った。彼は口には出さなかったが、「お客様に変なことをするな」と目で訴えかけていた。
教師はソファに座りながら、振り返って会釈をした。しかし、何故だか、教師はそのまま蛇に睨まれた蛙のように固まってしまった。不自然なほどに。
「この前言ってた、鳳ちゃんの件?」美月はそう訊ねた。何故か声が震えていた。詩鶴は、美月のリアクションが思ってたより大人しくて安心した。いや、それにしては、少し様子がおかしくはないだろうか? マネージャーも美月の態度を不審に思った。教師のほうも、少し様子が変だった。先ほどまで凛としていた彼女の目が泳いでいるのだ。
「それで、どんな調子で?」美月は緊張しながらも、図々しく会話に乗り込んできた。
「私としては、是非とも事務所に招き入れたいんだが、こちらの担任の先生がね。残念ながら、芸能界を警戒してらっしゃるようで……」プロデューサーが言った。
「そりゃ、そうでしょうね!」美月は大きな声で賛同した。「なんたって聖職者ですから! 芸能界に胡散臭いイメージを持たれても無理はないでしょう!」
どうして美月はこんなことを……しかもやけに芝居がかった様に言うのか、詩鶴には理解できなかった。
「たしかに! 聖職者から見れば!」美月のトークは続いた。「芸能界など、肉体関係だけが目的の出会い系サイトと大差ないのかもしれませんが!?」
美月の言葉に、教師は咳き込んだ。彼女は一息いれて、差し出された緑茶を飲み干した。
「だ……大丈夫ですかな? もし暑いようでしたら、クーラーの温度をもう少し……」
「い……いえ、お気遣いなく……しかし、芸能界というのは、恐ろしい世界だと聞きます。ましてや殴る蹴るの行為を、高校生にやらせるなど……」
「花嵐高校では、去年、空手の大会で良い成績を収めたようですね」プロデューサーが言った。「もし、ボクシング部があれば、あなただって頑張る生徒を応援したことでしょう。新参の格闘技だからと、野蛮なものと思われては困りますよ」
「……ええ、失礼いたしました。言葉が過ぎましたね。訂正いたしますわ。しかし、貴方たちの業界のモラルはどうなのでしょうか? 一般の企業に比べると、いささか、悪い噂を聞きますが」
「それなら、ご安心ください」と、美月が横槍をいれた。「私は4年もアイドル活動してますが、枕営業なんて一度も強要されませんでしたし、同僚がそれをしたって話一つありませんでした。怒りっぽい人は、そりゃいますけど、暴力があれば即クビになります」
「彼女の言うとおりです」とプロデューサーが念を入れた。
「まあ、確かに!」美月が付け加えた。調子に乗って余計なことを言うのではないかと、事務所にいる皆が怯えた。そろそろコイツの口を塞ぐべきだろうか?
「聖職者である先生ならば、そんな邪な感情は持ち合わせていないのでしょう。例えば……そう例えばの話ですが」美月は、ここを強調して言った。「とても好みで、味わってみたいと思う可愛い女性徒が4人いたとしても、グッと堪えて、欲望を制御する忍耐をお持ちなのだと思います」
この『4人』という人数が、いったいどこから来たのか? 皆が首を傾げた。それに美月が結局何を伝えたかったのか理解できなかった。しかし、この言葉を聞いた美人教師は、そのクールな表情を崩し、取り乱していた。
「いったい……なんの……ことかしら?」
美月は、うろたえる教師の耳元に顔を寄せて、小さな声で何かを囁いた。教師の隣に座っていた鳳は、地獄耳だったこともあり、その言葉を聞き取ってしまった。
『その中の一人に、鳳ちゃんは含まれてるんですか?』
教師の顔が真っ赤になった。
「こらこら」プロデューサーが窘めた。「美月くん。いったい、先生に何を吹き込んだんだね?」
「いえ……特に何も……」美月はとぼけた。
「もしかして!」いままで黙っていた鳳が口を開いた。「美月さんと先生って、知り合いなんですか!」
「いえ! 初対面です!」教師は全力で拒否した。
「つれないなあ、ルナちゃん」
「ルナちゃん? って、誰ですか?」鳳が訊ねた。それは教師の名前ではなかった。
「そっか、そうだよね。本名なワケないよね」と、美月は意味ありげな発言した。
なるほど。そういうことか。マネージャーは全てを察したが、この空間に割り込むことができず、ただクーラーの温度を下げることしかできなかった。
「まあ、前向きな検討をお願いしますよ」美月はいきなり本題に戻した。そして、また教師の耳元に口を近づけた。「そうでないと、先生が私生活でどんなことしてるか、学校に知ってもらわなければなりませんから」
「い! いい加減にしてくだしゃい!」教師は、震えながら美月に怒りをぶつけた。「そんな、脅すような真似! 貴方だって、アイドル活動に支障が出るんじゃないですか!」
「あいにく、私は清純キャラで売ってないんでダメージは少ないですよ。それに女性人気のほうも高いので」
美月と教師のやり取りに、周りの人間は呆然としていた。プロデューサーも二人の喧嘩を止めたかったが、彼は、未だに何が原因でこの二人が言い争っているのかを理解できなかった。
「だいたい、貴方みたいにイジワルな人がいる事務所に、うちの大事な生徒を預けるわけにはいきません!」教師は完全に取り乱して、美月を訴えた。
「へえ? 『可愛い子には意地悪したくなる』って言ったら、喜んで喘いでいたのはどこの誰でしたっけ?」
「私は『やめて!』って言いました!」
「それは年上の面目を保つためじゃないんですか? 『大人の余裕を見せてあげる』って、言っておきながら結局、ヘタレたくせに!」
「ヘタレてません!」
「余裕なかったのは確かですよね!? 『首にキスマークを付けないでほしい』って、ちゃんと伝えたはずなのに、思いっきり吸ってきましたよね? 私、あの後、それがバレてマネージャーに叱られんですけど!?」
「貴方がニートだって言ったから、それぐらい大丈夫だろうと思ったのよ!」
「職業を偽るのは当然でしょう? そっちこそ何がOLですか。何が『未成年のバイトに、好みの女の娘が4人もいるのよ』ですか。高校の教師だった癖に!」
下品な会話が繰り広げられた。お互い、不満をぶつけ合うと、事務所全体がシーンと静まり返った。
「あの……先生?」鳳は困惑した。
「おい……美月?」マネージャーも困惑した。
「まあ、体の相性は最高に良かったのは確かだけど?」美月はいやらしく、囁いた。
「それは……私も、こんな逞しい年下の子に抱かれたら……」
「先生!」鳳の声が事務所に響き、二人の口喧嘩が中断された。「……先生が……厳しくて生徒想いの先生が……そんな人だとは思いませんでした……」
我に返った教師は、自分の過ちに気づいた。今からでも逃げ出したい気分だった。いっそのこと、あそこの窓から飛び降りてやろうかと思ったほどだった。
「さ……小桐さん。そ、そのね。これは違うの! 誤解なの! いや、その……ごめんなさい!」教師は土下座した。もう誤魔化せるはずがなかった。
「いや、何もそこまですることは……ソファの上だし!」いきなり謝られ、鳳はさらに困惑した。
「魔が差したのよ! うちの学校、いい出会いが無かったし! 私、ビアンだし! 春日先生も岡本先生も男性教諭と結婚しちゃったし!」
「いや、そこまで聞いてな……」
「お願い! 皆には……学校には内緒にして!」
「私、この事務所に入っていい?」
「いいわ! 全力で応援する。校長にも話を付けておくから!」
嵐が過ぎ去ったあとのようだ。まさか、こんな展開になるだろうと誰が予想しただろうか。何はともあれ、念願のファイターが、また一人。五光プロダクションに誕生した。
「じゃあ、約束通り! あのときのケリをつけましょうか。詩鶴先輩!」
鳳は、戦いたくて仕方がないようだった。闘波を使いたくて仕方がないのだ。
「よし来た! トレーニングルームに行こうか?」詩鶴も同じ気持ちだった。『先輩』……いい響きだ。
「また、やんちゃなファイターだな」マネージャーは呟いた。ちゃんと制御できるか不安だった。それでいて、これからが楽しみでならなかった。
「ね? マネージャー? 私、この前言ったよね?」美月が言った。
「何を?」
「『このような爛れた経験が、いつか役に立つことがある』ってね」
「……ああ。全く、そのとおりになるとは思わなかったな」
まったく、これが苦笑いせずにはいられるものか。
「小風ちゃんもほら、二人の戦いを見に行こうよ」
「うん」
「じゃあ、それが終わったら、歌と踊りのレッスンな。それから鳳さんの歓迎会でもいたしますか」
「賛成!」
結束を固め、新たな仲間、小桐鳳を仲間に加えた五光プロダクションは、今日も賑やかだった。
第2話『贖罪』 完
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