第2話 4章①

19

  

 大学から帰る途中、詩鶴はメールを受け取った。亜子からだった。


 『今度の土曜日に会えないか?』


 何か情報を得たのだろうか? だとしたら、内容をメールで知らせてくれても良さそうなものだが……その日は特に予定はなかったので、詩鶴は了承した。

 クリンゲルさんは真面目すぎるよ……詩鶴は、そう思っていた。彼女は、鹿島紅葉が失踪したのは自分の責任であると思っている。それは間違いではないにしろ、自責の念からか、組織への忠誠のためか、彼女はいつも身を粉にしている。働きすぎる彼女を見ていると、こちらも心苦しいのだ。もう少し、肩の力を抜いても罰は当たらないだろうに……



 「亜子・クリンゲルと詩鶴が、秘密裏に会う約束をしている?」


 詩鶴の携帯に組み込まれたスパイソフトによって、小風はその情報を受け取った。

 「貴方は何者なの? 詩鶴……」

 詩鶴が、あの伝説となったアイドル鹿島紅葉と、都の高校生空手大会の決勝で戦った間柄ということは知っている。だから、彼女が鹿島紅葉の失踪を追う理由は十分にあった。しかし、亜子・クリンゲルが、どうしてそれに関わっているのだろうか?

 何にせよ、日本企業を傀儡にし、裏から『アイドルファイト』に関与しようとするドイツ企業バトルラインと、彼女は何らかの繋がりがあると見て間違いなかった。


 小風は、彼女たちが普通の人間だったらよかったのに……と思った。それは彼女たちが中国政府の敵になり得る厄介な存在だからではなかった。単に心の底から信頼できる、友好的な関係を築きたいと願っているからなのだ。

 いや……それよりも、自分が――国籍が中国か日本に関わらず――ごく普通の、ただアイドルや格闘家に憧れを持つ少女だったらよかったのに……


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 「まずいことになった!」

 彼女たちが都内のアイドルイベントに参加してる中、詩鶴の携帯が鳴った。電話の送り主は、詩鶴との因縁がある高校生、鳳だった。

 「鳳? どうしたの?」

 「松野さん! 聞いてよ。うちのクラスのね!」

 「うん」

 「香澄かすみさんが、停学処分を受けて……」

 「いや、知らないし、その人」

 「なんでも、学校に内緒でバイトやってたのがバレたらしくて……本人は、『趣味の範囲内で、たまたまテレビに呼ばれただけ』って言ってるんだけど」

 「テレビに呼ばれた?」

 「うん。風邪って嘘ついて学校サボったのが、担任を怒らせた理由なんだけどね。うちの担任、芸能界にいい印象を持ってないようなんだ。だから、私も頼みづらくなって……」

 「まだ頼んでなかったんだ」

 「……うん。言い出しづらくって」

 「まあ、変に隠そうとしなくて正直に喋るべきだと思うよ」詩鶴は全うなアドバイスをした。「とりあえず、道端でスカウトされたって話をでっち上げることね。バイトのこととかは隠してね」

 「それはわかってる。ネットにあった過去の写真は、できるだけ処分したし、証拠はないはず」

 「ネット? ああ、そういやネットアイドルで闘波を得たんだったよね。ほんと……ネットってのは、芸能界以上のポテンシャルを秘めてるんだね」

 「まあ、香澄さんには及ばないけどね。種田香澄って名前なんだけど、聞いたことあるかな? ネットの一部ではすごい有名な人で"種っち"って名前で活動してるんだけど……」

 「ええ!?」

 「ね! びっくりでしょ。私も彼女が『あすもでうす』の種っちとか全然気づかなかった」 

 「私もびっくりしたよ。世界ってのは狭いんだって」


 21

 

 

 以前、収録した『アイドルファイト』の放送日になった。リングで戦うのではなく、3階建ての建物を舞台にチームバトルを行うのは前代未聞であり、世間の注目が集まっていた。これに白羽の矢がたった私たちは本当に運がいいと、五光プロのファイターたちは思っていた。プロデューサーは、ここぞと言うときに、いい仕事を持ってきてくれる。それだけでなく、対戦相手がネット界隈のカリスマであるのも運が良かった。これならテレビを見ない層にも、自分たちの名を知らしめることができる。あわよくば、ファンになってくれる人もいるだろう。


 テレビとネットは、長年に渡り、客を奪い合うライバル関係にあった。しかし時は流れ、敵対よりも共存。潰し合いより持ちつ持たれつの関係を築きたいという考えが今回の企画を可能にした。それでも未だにテレビに対する不信感、テレビ会社が行うコード化、情報フィルターを訝しく思うネット支持者の数は多かった。


 詩鶴はテレビではなく、ネットの生放送で試合を見ることにした。コメントが書き込めることや、『あすもでうす』の三人がコメントで解説してくれるのが、その理由だった。動画に書き込まれるコメントは、全て『あすもでうす』のファンによるものであることが、アウェイな感じがして、少し心細かったが。

 詩鶴は、寮のパソコンを立ち上げ、ニヤニヤ動画の生放送ページを開いた。

 「すごいね。一気に有名になるよ」詩鶴の同居人のくくるが言った。

 「どうかな? ファンが増えると嬉しいんだけど」詩鶴が言った。ネット住民のモラルは、年々悪くなっていると言われているが、本当のところはどうだろうか? 私たちが『あすもでうす』に勝ったという理由だけで、逆恨みされたりしないだろうか? 評判を落とすような噂や、悪質なコラ画像とか作る不届き者は出てこないだろうか? 詩鶴は、それが気がかりだった。



 「どうして、二人とも帰らないんだ?」マネージャーは仕事を終えても事務所にたむろする美月と小風に、呆れた口調で訊ねた。

 「だって、皆で観たほうが面白そうじゃん」

 「マネージャーも、一緒に観ましょうよ。ほら、隣あいてるよ」小風はソファに座り、隣のスペースをぽんぽんと叩いた。マネージャーは、その誘いを断った。

 「俺は、まだ仕事が残ってるの。それに美月はともかく、小風さんは18歳で合ってたっけ?」

 「少し前に18になりました。でも、まだ若い乙女ですよ」

 「なら……まあいいか。もし18歳未満だったら、10時までに家に帰さないと法律違反だったからね。そうであっても、夜中に一人は心配だよ」

 「大丈夫ですよ。マンションはここと近いんですから」小風は、マネージャーに子供扱いされたことが、少し不愉快だった。確かに8歳差は大きいかもしれないが、少しぐらいレディとして扱ってくれてもいいのに……

 「まあ、それなら良いけど……」と、マネージャーは言い、再びパソコン画面を見つめた。

 マネージャーは、ソファに座らなかった。その代わりに、美月がさりげなく小風の隣に座った。


 『アイドルファイト』の放送が始まった。テレビ越しにもわかる対戦相手の闘波は、やはり強大だった。

 「この人たちも、本格的にファイターになれば、いい線いくんじゃない?」美月が感想を漏らした。

 「それで彼女たちの人気が落ちなければね」マネージャーが言った。「ネットは、昔からテレビのアンチテーゼとして機能していた部分がある。人気ある素人投稿者がプロの世界に入った途端、手のひら返して非難する人もいるからね」

 「どうして?」

 「どうしてと言われてもね……まあ、俺からしてみれば馬鹿らしい理由なんだけど、金儲けすることに対する僻みかな? 趣味による集まりで知名度を得たにも関わらず、それを商売にしてしまうことに裏切りを感じる人がいるってことだよ。少なからずね。ファンの交流を目的とした同人誌即売会で、流行モノばかり出してると拝金主義を疑われて叩かれるのと同じだね」

 「遠くに行ったみたいに感じちゃうってのもあるんじゃないかな?」美月は言った。

 「それはあるね。ネットは一方通行じゃなくて会話もできるからね。それとテレビは『コード化』されるから嫌う人も多いんだろうね」

 「コード化って?」

 「コード化ってのは、マス・メディアが伝えたい内容、大衆に植え付けたいイデオロギー……要するにメッセージを与えるためにする行為だ。つまり収録したものの編集することだね。逆に『脱コード化』ってのがあって、そのメッセージの送り手の意思をそのままに受け取らないで解釈することだ。この概念はスチュアート・ホールが提唱したもので、彼はマルクス主義者のルイ・アルチュセールのイデオロギー論を基に……」

 マネージャーが小難しいことを語りだしたが、美月は内容が頭に入ってこなかった。その代わり小風は興味深く聞いていた。

 小風は中国でスパイ活動をしていたときに、ある中国人を監禁するよう命じられたことがあった。小風は、その必要性を問うた。依頼主の政府は応えなかった。「お前は言われたことを忠実に実行するだけでよい」と、小風の問いを退けた。

 小風は与えられた情報をそのまま受け取ることはしなかった。「これは国家のためだ」と教えられても、その理由を突き止めなければならないような気がした。

 『中国政府が存在しなければ、彼女は生まれなかった。だからこそ、柳小風は永遠に中国に尽くすだろう。』中国政府はそう考えていたが、それは誤りだった。彼女は賢くなるために、様々な知識を脳に詰め込まれたが、イデオロギーだけは鵜呑みにすることはなく、国家の操り人形になることを免れた。彼女は、与えられたイデオロギーを悉く脱コード化するかのようにして、その精神は国家と決別していったのだ。


 テレビ画面に戦う自分たちの姿が映っていた。戦闘不能になり、小風に覆いかぶさるようにして倒れる美月。テレビでは、そのシーンはほんのわずか流れただけで、闘波をモールス信号の代わりにする美月もカットされていた。

 「美月がヤラしいから、カットされたんだよ」小風は嫌味を言った。

 「いやあ、それほどでも」美月は、嫌味に対しそう答えた。

 「あながち、間違いでもないかな? 生放送では、美月の上手くいかなかったモールス信号が流れてるから」パソコン画面を眺めながら、マネージャーが言った。

 「マネージャー、パソコンで見てるの?」

 「ああ、俺はニヤニヤ動画のプレミアム会員だからな。それはそうと、美月バレてるぞ」

 「何が?」

 「小風さんと絡むシーンが『ガチっぽい』だとさ」

 「やっぱ、わかる人にはわかるんだね」

 「感心するのか……まあ、別に隠すようなことでもないし、こういうの好きなのもいるからなー。俺も嫌いじゃないし」

 「なんか言った?」

 「いや、まあ、完全にアウェイだけど、ネット勢の評価も悪くなくてよかったよ」

 「ほかにはどんなコメント?」美月はソファを離れた。テレビそっちのけで、マネージャーのパソコンを覗いた。

 「おっ! 小風ちゃんもあるよ。『まんざらでもなさそう』だって!」

 「なっ! 違う! 私は男が好きなんです! 男の子が大好きなんです!」と小風は赤面しながら言った。

 「事務所以外では、そういう発言は控えてくれよ」マネージャーが苦笑した。五光のファイター達が思った以上にネットの住人たちに受け入れられたようで、彼は、ほ安心した。


 チベットの独立、東南アジア勢力の拡大によって、日本における中国の評価は著しく低くなっていた。もともと政治的にも良好な関係を築けていなかったが、ここにきて両者の関係は悪化していた。先ほどまでは、小風が中国人であるという理由だけで罵詈雑言のコメントが流れることもあり、マネージャーは心を痛めていた。彼女はチベット独立のデモにおいて活躍した若者の一人で、むしろ反中国政府側の人間であることを、彼らは知らないのだ。調べようともしないのだ。

 しかし、放送も中盤となり、彼女が見事なパフォーマンスを魅せると、心無いコメントはなくなっていった。単に馬鹿な発言をする輩が運営から追い出されただけなのかもしれないが、彼女が活き活きと魅せる戦い方をしており、それが認められたのが一番の理由だっただろう。

 

 事務所のドアが開いた。

 「ただいま」プロデューサーが帰ってきた。「あれ……皆、まだ帰ってなかったのかね」

 「おかえりー! ちょうど私たちの番組が放送されてるから、皆で見ようとしてたの」美月が言った。

 「そうか。それはいいが、早く帰るんだぞ」

 「やっぱり、家族みたいだね」小風が小さな声で呟いた。誰にも聞き取れないように声を抑えていた。美月は家族仲がうまくいってないようなので、嫌な気分にさせたくなかったのだった。

 「じゃあ戸締りだけは、しっかりな。愛する妻が待ってるからな」プロデューサーはウキウキしながら言った。「去年までは娘も出迎えてくれたんだがな……」


 小風は、以前、詩鶴から聞いたことを思い出した。詩鶴は大学の寮暮らしであり、幼馴染と同居している。その幼馴染というのが、プロデューサーの一人娘である。美月が言うには、詩鶴はその同居人に惚れてて、惚気話ばかり聞かせてくるらしいが、小風は、それが本当のことかわからなかった。美月の同性愛傾向が、そのようにフィルターをかけて見せているんだろうと思っていた。たしかに同居人のことを話す詩鶴は、誰が見ても明らかに惚気ているので、真偽は判断に困るところだった。小風にとって詩鶴の性向がどうであろうと大したことではなかった。それより気になるのは、彼女の正体なのだから。

 

 22


 日曜日、小風は盗聴用の機材一式をバッグに詰め込み、例の待ち合わせ場所に向かった。詩鶴が怪しげなドイツ人と密会する。内容は失踪した鹿島紅葉のことだろうか、闘波の源、シャングリラの光のことだろうか。それとも……

 詩鶴はどう見ても、悪人には見えない。彼女の生い立ちを考えても、世界規模の機密に関わる存在ではないし、ライバル事務所のアイドルとつるんで、何かを企んでいるようにも思えない。だとしたら、鹿島紅葉のを見つけだすという名目のもと、あのドイツ人にいいように使われているだけではないだろうか?

 待ち合わせの場所は、上野公園の噴水。そこで合流して、どこかに向かうのだろう。小風は相手に姿を見られずに監視ができる場所を探した。待ち合わせの時間まであと1時間ある。小風は気分を落ち着かせた。

 張り切っているのは、中国のためではないことを彼女ははっきりと自覚していた。仮に重要な情報を得たとしても、本国にその情報を送ることはないだろう。これは自分の興味であり、詩鶴をもっと知りたい――もし騙されているのであれば、助け出したい――と思うからこその行動だった。

 後ろから物音がした。こんな茂みで待機していれば不審者に怪しまれても仕方がない。小風は、何事もなかったかのようにその場を立ち去ろうとしたが、何者かが両手で彼女の首を絞めた。咄嗟に、闘波を纏った蹴りを繰り出したが、相手は怯まずに、小風に襲い掛かった。

 「まさか、本人が来るとはね……抵抗するなよ。柳小風」


 「アンタは・・・・・・クリンゲル」

 小風に襲い掛かった人は、亜子・クリンゲルだった。彼女は、黒い闘波を全身に纏い、ゆっくりと小風に近づいていく。小風は考えた。どうしてバレてしまったのだろうか。相手は私が来ることがわかっていたような口ぶりだった。こちらが詩鶴の携帯に罠を仕掛けたのがバレてしまったのだろうか? 


 小風は青ざめた。だとしたら、詩鶴にも知られたことになる。いや、それよりも大変なのは今だ。この状況は……逃げても無駄だろう。既にこちらの姿を見せてしまった。だとしたら、戦うべきだろうか。彼女を殺めるべきなのだろうか? いや、彼女は単独で動いているわけではないだろう。一人殺したところで口封じにはならない。そもそも、戦って勝てる相手かどうかも……

 小風に迷いが生じ、動きが鈍った。一気に距離をつめた亜子は、小風の喉元を突いた。小風はよろけて、地面に倒れた。

 「怪しいと思ってたよ。君の経歴は全て嘘だったからね」

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