第2話 1章②

 3


 「やっと、見つけた……松野詩鶴!」

 五光プロダクションの前に、一人の少女が仁王立ちしていた。事務所に帰る途中だった詩鶴たちの前に立ちはだかったのだ。詩鶴は謎の少女を観察した。彼女の制服から、近くの花嵐高校の女子生徒であることがわかった。少し頭が弱そうではあるが、快濶で可愛げのある少女だった。童顔なのに体の発育はよく、アイドルになったら人気が出そうだと思った。

 詩鶴は、その少女に見覚えがあった。以前、戦闘とスリルを求めて、入りびたっていた裏の世界の賭博場。そこで戦った少女だった。

 「あのときの!」詩鶴はやけに嬉しそうに言った。「よかった。あそこ、警察に見つかったらしいから、あんたも捕まっちゃったかと思ったよ!」


 台東区の、とある建物の地下で行われていた賭博場。そこにはプロレスのリングがあり、殴り合いが行われていた。皆は挙って、どちらが勝つか賭けていたのだ。男性も女性も、腕に自信のある破落戸ごろつきが参加し、テレビでは味わうことのできない死闘が繰り広げていた。

 その女性部門のトーナメントに出場し、決勝で争ったのが詩鶴と、この少女だった。結果は少女の不戦勝。詩鶴は試合中、美月に連れ出されて退場したのだ。

 

 「……ってことは、認めるんですね? あの覆面レスラーが貴方だってことを」

 「あっ! しまった!」なんて、うっかりしてたんだろう。口を滑らせて自分の罪を認めることになろうとは……芸能事務所に所属していない闘波使いに再会できた喜びで、舞い上がってしまった。


 「別に、警察に突き出したりしませんよ」

 「そ、それは助かる。でも、どうしてここに?」

 「そうですね。じゃあ、私の話を聞いてくれますか?」

 「なんなら、事務所でどうだい?」詩鶴と一緒にいながら、いままで傍観していたプロデューサーが割り込んだ。

 「立ち話もなんだし、面白いことになりそうじゃないか。お茶ぐらい出すよ」

 「ありがとうございます」少女は一礼した。「あっ。申し遅れました。わたし、小桐鳳さきりあげはと言います。花嵐高校の2年生です」

 詩鶴は、あまり自分の悪事をプロデューサーに知られたくなかった。会社の上司であるだけでなく、特別な感情を寄せる幼馴染の父親だからだった。


 三人が中に入ると、美月、小風、マネージャーの三人が出迎えた。

プロデューサーはマネージャーに人数分のお茶を持ってくるように頼んだ。マネージャーは、お茶とコーヒーどちらがいいか訊ね、返答を受け取ると洗い場に向かった。

 「美月!」詩鶴は相棒に呼びかけた。「言っとくけど、同性だろうと18歳未満に手を出せば犯罪だからね」

 「お前は、私を何だと思ってるんだ?」


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 小桐鳳は一般的な女子高生だった。難があるとすれば、物事を深く考えようとしないところだった。

 ある日、鳳は、軽い気持ちで仲の良いクラスメイトの誘いに乗って、メイド喫茶でバイトをすることになる。それが全ての始まりだった。始めはただの接客だった。しかし、彼女はすぐに人気者になった。仕事内容はウェイトレスだけではなくなった。店内で歌を歌わされたりもした。店長の提案から、喫茶店業務を離れて地下アイドルとして活躍することにもなった。その一環でネットアイドルとしても活動し、ネット界隈でも一部で人気を博していたのだ。

 そんなとき、彼女は地下アイドルの総合ライブに参加することになった。それなりに収入が得られるというので、彼女は喜んで参加した。しかし、彼女は住所を間違えてしまっただけでなく、あろうことか非合法の格闘大会にエントリーしてしまったのだった。「間違えました」と言いたかったが、サングラスをかけた厳つい大男に、その言葉を伝える勇気はなかった。とりあえず試合には出場して、適当に負けて帰ってしまおうと考えた。さらなる誤算は、試合に勝ってしまったことだった。痛い思いをしたくないと抵抗しているうちに、相手の体を締め付けていたのだ。見事なチョークスリーパーが決まり、対戦相手はギブアップしていた。2回戦の相手は、一回戦のときに負った傷から、すでに戦えるような状態ではなかったので不戦勝。そのまま決勝に進んでしまった。そこで戦った相手が、覆面を被った詩鶴だった。『ここまできたら、優勝してやる』という謎の気持ちが彼女に芽生えた。そして詩鶴と戦っている最中に信じられないことが起きた。闘波の目覚めである。日々、メイド喫茶での仕事や、地下アイドルとしての活動で偶像的な人気を得ていたために、鳳は闘波をその身に宿していたのだった。


 「結局、そこのお姉さんが警察の真似して乱入したせいで」鳳は美月を見ながら言った。「レフェリーとか関係者は逃げまくる。真剣勝負は中断されちゃったわけ」

 「でも、私の闘波をモロに受けてたから、どのみちアンタは戦える状態じゃなかったと思うんだけど」詩鶴は勝ち誇ったように言った。

 「うう……とにかく、私はアンタと再戦するために、あの会場に足繁く通った。でも会えなかった」

 「あれ以来、行ってないからね」

 「それと、闘波について色々と調べたの。信じられないことだけど、私にその素質があるなんて思わなかった。それから私は、とにかく体力作りにも励んだんだ。クラスの男子にレスリングの練習相手をしてもらったりして」

 「クラスの男子が羨ましいぜ!」美月がポツリと呟いて、詩鶴とマネージャーが冷たい視線を向けた。

 「そんな中、テレビの『アイドルファイト』があったから、それを見たの。そしたらアンタが映ってた。私はすぐわかったわ。あのときの覆面ファイターと同じだって。戦闘スタイルと闘波の色も……それに声が一緒だったから」

 「それで大当たりってわけね」詩鶴が言った。「要するに、今日、私に会いに来た目的ってのは、真剣勝負してほしいってことでしょ?」詩鶴は、にやりと笑って、肩を鳴らした。

 「話が早いですね」

 「まあまあ、一つ提案いいですか?」詩鶴と鳳が火花を散らしている中、容喙したのはプロデューサーだった。「小桐さん。闘波を扱えるというのは、本当に運がいいね」

 「そうなんですか?」

 「ああ。所謂『格闘技畑のファイター』というものは、一つの賭けだ。格闘技術があるからと言って、芸能人として人気が出るわけではない。人気が出たからといって、闘波の素質がある体質であるかはわからない。関門がいくつかあるんだ」

 「大変なんですね」

 「そうだ。だから、ファイターの養成は、こうやって行う。まず、多くの格闘経験者の候補者から芸能に向いてそう人たちを絞って、彼女たちにアイドル活動をさせる。そうして闘波に目覚めた一握りの少女たちを『ファイター』と認め、売り出すんだ。わかるかね? アイドルに向いていなかった少女たちや、闘波に目覚めなかった少女たちは、他にセールスポイントがなければ、泣かず飛ばずだ。もちろん、辞めてしまう人も多い」

 「そんな厳しい世界だったんですか」

 「だからプロデューサーというのは、責任が重大なんだよ。その人に闘波の素質があるかどうかなんて、第六感で判断するしかないしね」

 「私も『格闘技畑のファイター』だけどね」詩鶴が言った。「闘波に目覚めなかったら、他の人生を歩まなきゃいけなかったんだよ」

 「他の皆さんも?」

 「私は違うね」美月が言った。「私は『アイドル畑のファイター』だからね。もともとアイドルとして活動してて、偶然にも闘波の素質があったから、そっち方面もやってみようと思ったんだ。歌のほうは、イマイチ、ぱっとしなかったからね」

 「私の場合は、そういうのを見抜ける人がいてね」小風が言った。

 「アイドルの素質?」

 「そっちじゃなくて、気の流れを読み取る人ね。闘波は『気』の一種だから、道教に精通している人は、闘波の素質がある人間を感じ取ることができるの」

 「それは初耳だな」と、プロデューサーが言った。「そんな人がいるなら、日本では歓迎されるだろうな。・・・・・・本当の話ならば」


 詩鶴は、芸能事務所RSFのアイドル、亜子・クリンゲルのことを思い出した。彼女もチベットで、そのような感受性を身に着けたと言っていた。私が素質を持っていることを、彼女は見抜いていたっけ……

 「闘波を認識できるかどうかでも個人差があるのですから、そのような人がいても、おかしくないでしょう」マネージャーは小風の言葉を信じた。マネージャーがファイター事業部を担当することになったのは、闘波を鮮明に見ることができたからだった。彼は、昔から自分の神経質な性格にコンプレックスを抱いていたが、それが闘波の認識に一躍買っているのだとしたら悪くはないと思っていた。

 「まあ、私が言いたいことは」プロデューサーが話を戻した。「このまま彼女を放っておくのは勿体無いってことだ」

 「スカウトするってことですね」詩鶴は嬉しそうに言った。

 「そういうことだ」

 「……それは無理です」鳳は残念そうな顔で言った。

 「そうかね? 地下アイドルには抵抗がないのに?」

 「仕事の内容じゃないんです。少なくとも、高校生活が終わるまでは……ってことです」


 5


 「私は、美月とやっていけるか不安だよ」小風が冷たく言い放った。

 「同じ仲間じゃないか」詩鶴が言った。「何もかも分かり合う必要はないと思うよ。価値観なんて人それぞれだし」そう言ったが、自分自身も納得をしていなかった。自分と美月は悪友のような間柄ではあったが、さらに溝が深まったことを実感せずにはいられなかった。


 柳小風が事務所に来てから三週間が経った。その間に、色々な出来事があった。まず、鳳のことである。


 彼女が『アイドルになれない』と言った最大の理由は、校則だった。本来、彼女の高校では、無断でバイトをすることすら禁止されており、これが教師にバレたら停学も有り得たらしい。しかも、鳳がしていたのは、主に男性相手にマンツーマンの接客をするメイド喫茶の店員である。

 彼女は、その後、地下アイドルにもなったが、アンダーグラウンドで活動するアイドルもまた、聖職に就く者にとってイメージがよくないことは明らかだった。

 鳳は、闘波を使えるようになったことを家族にしか伝えていなかったのだが、それは、このようなアルバイトをしていたことが学校にバレることを恐れたためだった。それは懸命な判断であった。彼女の担任である教師は、見るからにお堅い人で、芸能活動に理解があるとは、到底思えなかった。

 「親の自営業を手伝うならともかく、在学中に職に就くのは、親と教師の許可がいるんです」鳳が言った。「両親は、私のやりたいことをやればいいって言ってくれてるけど、問題は担任の先生で……」鳳は塞ぎこんだ。

 鳳が闘波を扱えるということは、”そのような活動”をしていたことを意味する。彼女が闘波を扱えることを見込んで、五光プロがスカウトした……ということを正直に言うわけにはいかないのだ。口裏を合わせて学校を騙すことは可能だろうが、慎重にやらなければ、アルバイトしていたことがバレてしまう。その堅物の教師をどう説得するかが、鳳を仲間にする一番の問題だった。

 

 詩鶴は、鳳が自分と戦いたがっていることを好機とばかりに、条件を出した。「もし五光プロダクションのファイターになってくれるというのであれば、真剣勝負をしてもいいよ」

 詩鶴としては、彼女と戦うことはやぶさかでなかった。むしろ闘争本能が疼き、楽しみでならなかった。


 美月も鳳を歓迎した。「事務所に来るのが毎日楽しくなるね。この魅惑的なボディの女子高生がいてくれれば」と、スケベ親父のような軽口を叩いて詩鶴に肘打ちを喰らっていた。

 小風は、いつも能天気な美月の顔が一瞬曇ったことが気掛かりだった。それは鳳が『両親はやりたいことをやれば言いと言ってくれる』と話したときだった。あんな寂しそうな顔を見たのは初めてだった。



 詩鶴たちは、その一週間後に、長らく重病を患っていた美月の父親が他界したということを知った。

 美月は一応、葬式には出たものの、その理由を『世間体のため』と吐き捨てるように言った。詩鶴もマネージャーも、他所の家庭事情について詮索することは良くないと思い、深入りすることはなかったが、彼女との距離が遠ざかるのを感じた。

 さらに、不可解で、倫理的にも褒められたものではないことが判明した。父の葬儀が終わった後、美月はネットで知り合った女性と出会い、ホテルに泊まり、ふしだらな享楽に耽っていたのだ。さすがのこれには、小風も呆れてしまった。どうして、このようなことが平然と行えるのだろうかと、美月の人間性を疑った。もちろん、小風は、自分が『人間性』という言葉を使える立場ではないことは重々承知だったのだが、それでも、そう思わざるを得なかったのだ。

 詩鶴は、しかめっ面の小風をなだめた。儒教の影響もあり、古来より家族を重んじ、家庭での権力関係に厳しい中国人である。だから、父親を蔑ろにする美月を軽蔑しているのだろうと、詩鶴は思った。

 「詩鶴のお父さんは元気?」

 「うん。元気だよ」

 「……もし、死んじゃったら泣く?」

 「絶対泣くね。間違いない。人見知りだけど、優しくて素敵なんだもん。小風は?」

 「……え?」

 「父さんだよ。小風の父親って、どんな人なの?」

 小風が何も答えなかったので、詩鶴は焦った。まずい質問だったのか?

 「ごめん。もしかして……もう……」

 「まあ、そんなもんかな。顔も覚えてないの」と小風は言った。嘘ではない。自分は父親だと呼ぶべきものがいないのだ。もちろん存在はするのだが、いないも同然だった。国家が父であり母であると教えられ、毛沢東の写真のほうが見る回数が多いというのに。もっとも、その毛沢東に対しても、何一つとして敬う気持ちは起きなかったのだが……

 小風は、美月に呆れたが、完全に嫌いになることはできなかった。どちらかといえば残念だと感じた。なぜならば、彼女は、自分によく似ていたからだ。風格や嗜好ではなく、周囲を騙して生きているということがである。小風は、すぐに、それを肌で感じ取った。自分が中国政府のスパイであることを隠し、偽って生きているように、美月も――スパイであるということはないだろうが――闇を抱えていることがわかるのだ。小風は、そんな美月にシンパシーを感じていた。しかし、彼女は倫理的に問題があり、飄々として、心のうちを頑なに見せようとしない。それは、こちらもお互い様だったが、明確な距離があり、近寄りがたい雰囲気を醸していることを、ただただ寂しく思った。


 6


 事務所では、マネージャーと美月がソファに座り話し込んでいた。倫理的によろしくない行為をしたかどで説教をしているのだが、マネージャーとしては、美月を一方的に叱り付けるのではなく、彼女の抱えている心の闇を取り払うことに努めていた。物陰から、その様子を詩鶴と小風が眺めてた。

 「そういや、マネージャーって、美月にだけは呼び捨てで呼ぶよね?」

 「たしかに、美月より年下の私たちには『さん』をつけてるね」

 「私は『ダーリンでもハニーでも可』って言ったのに」

 「それは一生呼ばんだろうね。まあ二人は、付き合いが長いからかな。いいコンビって感じだね」

 「美月って、異性に興味ないんでしょ?」

 「別に同性が好きだからって、異性が嫌いなわけじゃないよ。マネージャーは恋愛に発展しないってわかりきってるから、逆に安心してるって言ってた」

 「そうなんだ」それは男として複雑だろうと、小風は思った。

 「ほかにも、年下の『レイン』の連中も、いい玩具って具合にからかってたし」

 「『レイン』!? あの美少年アイドルの?」小風が目を輝かせた。

 「食いつくねぇ。事務所の場所が変わっちゃって、しばらく遭えてないけど。もしかしてファンだった?」

 「ええ。少し」

 『少し』なものか。そのために、この事務所を選んだんだ。小風は心の中で叫んだ。


 

 「美月に何があったのかは知らないよ」マネージャーが言った。「家族のことを聞くつもりもないし、知ったところで、どうにかなる問題だとも思わない。だけど、あいつらを遠ざけることはしないでくれ」

 「もちろん、それはわかってるけど……」美月はぶっきらぼうに、煮えたぎらない返事をした。

 「パートナーとの信頼が築けずに解散するのは、つらい経験だとわかっているはずだからね」

 「うん。マネージャー……詩鶴も小風も……私は大事な仲間だと思ってる……けど」

 「でも、態度として、表れてないじゃないか。恥ずかしくて照れているわけじゃないんだろ?」マネージャーは訝しく思った。前々から、美月は仲間意識は強いことが窺えるものの、そんな自分を拒否するかのように、彼女たちと距離を取るのだ。彼女たちをぞんざいに扱っているのではなく、自分自身を蔑ろにしているのだ。美月は自己評価が低く、とことん自虐的なのだ。

 例えば、美月は自分のことを「私はレズだから」と言ったことがあった。マネージャーは、『レズ』という言葉は、侮蔑的な意味合いで使われてた歴史があって、差別用語である。不快に思う人もいるだろうから、省略せず『レズビアン』や『ビアン』と言い換えたほうがいい。と忠告した。それに対し、美月は「自分に対して使う分にはいいでしょ?」と、気にしていないように答えた。彼女は自分に対しては、どれだけ侮蔑されたり、酷評されても構わないように振舞うのだ。むしろ、それを望んでいる節があるのだ。そんな人間とは、誰だって信頼関係を築くことはできないだろう。


 「皆、大事な仲間なんだ」マネージャーは言った。「チームプレイは大切だ。今度、美月たちに白羽の矢が立った『アイドルファイト』が特殊ルールってことは、前に話したけど、このチーム戦は美月の働きに掛かってるって、俺は思ってるんだ」

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