第2話 1章①
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2036年 中国 中南海 共産党本部
「―――で、あるからして、我々の目標のためには、日本での精密な調査が必要となる」
一目で高価であるとわかるスーツを着た男は、椅子に座った一人の少女を見つめながら、今回の作戦の意義を唱えていた。少女は、まだ15、16歳ぐらいの小柄な娘であり、明らかにこの場に似つかわしくなかった。幼くも整った顔立ち、艶やかな長めの髪を持ち、そして理知的な雰囲気を醸す彼女は、将来は傾国になるだろうと言われたことがあった。今となっては『傾国』とは、なんとも皮肉な言葉ではあるが。
少女はため息をついた。この痩せた男は、以前から前口上が長く、なかなか本題に入らない。自分たちの成すことがどれだけ国益をもたらすかを大げさに謳い、それに酔っているナルシストだ。彼女はそう思っていた。
今回の任務は、今までの中で最も滑稽な内容なので、彼も箔をつけるに苦労しているのだろう。どう美化してもごまかせないほどに滑稽なのだ。エリートとして生きてきた彼は、こんな作戦を伝えている自分が恥ずかしくて仕方がないのだろう。しかし、最も滑稽であっても、国家を優勢にするには最も重要な作戦かもしれないのだ。今回、秘密裏に行われる、国家プロジェクト『アイドル育成』は……
「数ヶ月の訓練のあと、日本に渡ってもらう。そこで、ファイターとしての素質を高めると同時に、日本の芸能界事情と他のファイターの様子を探るのだ!」
優秀なスパイである彼女が、何故アイドルなどにならねばならないのか。スパイ組織の間でも、そのような不満の声はあったが、年齢からしても、その美貌からしても、また日本語が堪能であることからしても彼女が適任だった。
2033年の大規模なデモ活動。7人の若い女性たちが中心となり、中国政府を相手にチベット独立を訴えた。後に『7人のジャンヌ・ダルク』と呼ばれる彼女たちを民衆は迎合した。どうせすぐ鎮まるだろうとタカを括っていた中国政府は、痛い目を見ることになる。
政府が予想した以上にデモ運動は大きく広まった。政府の工作は全て裏目に出て、少女たちに賛同する民衆が一人、また一人と増えていき、いつの間にか全世界が注目するほどの出来事となった。
対岸の火事であると少女たちをデフォルメ化して、ネットにイラストを拡散させたのは日本人だった。政府を快く思わない中国人もそれに乗じた。若い革命家たちがアイドルのような扱いをされたのは、文字通り『絵になる人物』であるというのが一番の理由だった。
世界中から「彼女たちを応援したくなる」という声が湧き出たころ、信じられないことが起きた。彼女たちの身体からオーラが湧き出ていたのだ。その様子はネットで拡散された動画に、しっかりと映っていた。後に闘波と呼ばれる不思議な能力である。
「そうか! 彼女たちは神仙だったのだ!」「彼女は天女だったのだ!」と、多くの者が熱狂した。
柳小風は、このとき、たった13歳の少女であったが、同業者が一目置く、冷徹なスパイであった。彼女のカンフーと暗殺技術は、天才そのものだった。
小風は政府の命で革命家たちの暗殺を命じられたが、実行することはできなかった。少女たちの一人でも暗殺されるようなことがあれば、残された者の結束が高まり、ますます政府に対する風当たりが強くなると判断したからだ。革命は鎮まるどころか、火に油を注ぐ結果になっただろう。仮に小風が革命家少女と戦ったとしても、倒せていたかどうかも怪しかった。世界中からの声援を受けた革命家たちの身体には、計り知れない力が備わっていた。彼女たちの身体能力は神仙の域に達していたのだ。
チベットは国家として樹立するにはいたらなかったが、独立を勝ち得ることとなる。チベットは日本や東南アジア諸国との交流を盛んに進め、ますます中国の肩身は狭くなった。
全てのカラクリを知った中国政府は怒りに震えた。彼女たちの扇動力は禁忌の魔術の賜物であったと誰が予想できただろうか。常日頃から国民をコントロールしやすくするよう、全体主義傾向を植えつけてきた政府は、皮肉にも、その傾向を利用されてしまったのだ。その結果、自分たちを窮地に追いやってしまった。
中国政府は、闘波の正体を突き止めようとした。各国にスパイを送り、探りをいれた。スパイ組織の一部は、チベットにて、あるドイツの秘密結社の存在を知った。そして、彼らが持っていた情報を盗み取った。そこには、闘波が持つ本当の力について書かれていた。身体の強化など、序の口だったのだ。
闘波を宿す者――すなわち、偶像としての人気を得た闘波使いを国家に配属させることこそが、国家を立て直す最高の方法であると、政府は判断した。
首の皮一枚で繋がっている中国政府の苦肉の策は、ファイターの育成だった。彼女たちを抱えることがプロパガンダよりも有効なのだ。そのためにも、優秀なファイターが集まる日本の芸能界調査は必要不可欠だった。
中国政府の睨んだとおり、スパイの一人、柳小風はアイドルとして申し分ないし、気功の専門家によると、闘波の素質もあると思われた。
政府は、彼女の経歴を捏造した。中国ではインターネットの規制が厳しく、いくつかのワードで検索してもヒットしないことも多々ある。ジャンヌ・ダルクたちに関するワードは、いくつも規制がかけられており、多くのサイトは削除されていた。デモが鎮まってから一年以上経つとネット規制が緩くなった。検索するだけで、当時のデモ活動の様子が見られるようになった。喜ばしいことに柳小風に関する記事も多く見つけることができた。残念なのは、彼女の活躍について書かれた、その記事の全てが捏造だったということである。
現在の中国において、カリスマ性を持ち、大人気のヒーローとなる人物は、革命的な市民に限られた。巨大な敵に戦いを挑む一般的な民衆というものは、いつの時代にも絵になるものなのだ。
『柳小風は先のデモにおいて、自由のために戦った若者の一人であり、そこでジャンヌ・ダルクたちのような闘波使いに憧れ、芸能界へ足を踏み入れた』……という筋書きだった。もちろん、彼女が実際にデモ活動をしていたことを知る民衆などいない。実際に、していなかったどころか、逆にデモを鎮圧するために暗躍していたのだから。しかしながら、彼女の私生活を知る民衆も存在しないのだ。そもそも、彼女の存在自体、民衆の誰一人として知らないのだから捏造が暴かれる心配はなかった。サイトに書かれている日付は、個人では変更不可能の動かぬ証拠だったし、アクセス数は申し分なかったために、誰も彼もが「私は彼女のことを知らなかったが、他の人たちには支持されているのだ」と考えた。ここにきて彼女が人口に膾炙することになったのは、ネット規制が緩んだせいなのだろうと、民衆は都合の良い解釈をした。政府の目論見どおりだった。
民衆へのアピールに最も有効な手段は『反政府であること』だった。政府がその事実を認め、そのように捏造しなければならないことは、とても皮肉なことだと小風は思った。
政府高官と強い繋がりもある芸能事務所に、小風は所属した。彼女は厳しいトレーニングに耐え、アイドルに必要な技術を学んだ。アイドル養成学校で歌やダンス、トーク術を会得した彼女は、事務所と政府のゴリ推しもあって知名度を上げていった。彼女の周囲の人々が予想した通り、小風は闘波の素質を持ち合わせていた。
あるとき、小風が蹴りの練習をしていると、体が軽くなっていくのを感じた。精神を集中させ、カンフーの蹴り技を2、3繰り出すと、白いオーラを脚に纏っているのが見えた。
「これが、一部の女性だけに与えられる人を超えた力……」小風は嬉しくなり、感動すら覚えた。世界の常識を覆させたこの力を、私も使えるようになったのだ。中国政府に育てられて、つまらない仕事ばかりをしていたが、その中で得た最上の旨みだった。それ以上の旨みは、日本に行くことで味わえるだろうか? と、彼女は思った。
計画の第一段階は完了した。同僚のスパイが入手した情報によれば、チベットの秘宝――ドイツの組織の間では『シャングリラの光』と呼ばれている――は何者かによって盗まれ、今も行方知らずのようだ。この秘宝は闘波の源であり、偶像崇拝を促す魔力を宿している。それを知っている何者かによって、奪取されたのだろう。
一番怪しいのは、現在、ノリにノって、どの国よりも支持を集めている東南アジア諸国だろう。中でも怪しいのは、エリートのみが住むことが許される海上都市の連中だ。それはドイツの組織から盗んだ情報とも、アメリカで入手した情報とも符号する。さらに高名な導師の証言とも一致した。気功の達人であるその導師が指し示した方角は、東南アジアの方角を指していた。
小風に与えられた任務は、大きく3つあった。
一つ目は、彼女自身がファイターとして成長することで、中国のサイコパワーを高めること。
二つ目は、ファイター先進国である日本の芸能業界を調べ、その実態を報告すること。
そして最後に、闘波の源『シャングリラの光』の行方を調査することだった。
「くれぐれも『日本の経済回して、はい終了!』なんてことにならぬようにな」と、彼女の上司は言ったが、小風は日本の経済どころか、中国の経済がどうなろうと知ったことではなかった。
彼女は、国家に対する忠誠心を持っていなかった。最初は、『国家のために私が存在する』と思っていた頃もあった。しかし、いつの日からか……淡々と与えられた仕事をこなすうちに、国家に対する忠誠心が薄れていったのだ。仕事内容の大半が政府の尻拭いであったからだ。
この時点において、小風の愛国精神はほぼ消え失せていた。幼少時から、洗脳のように愛国精神を植えつけられていたにも関わらず、彼女は自分が生きるためだけに任務をこなしていたのだ。つまらないと思いながらも、彼女は国家の犬として生きる以外の方法を知らなかった。普通の少女として生きたことはなかった。それは望んではならぬものであり、望んだところでどうしようもないことだった。
「どうして、君は弱小企業の五光プロダクションを選んだのかね?」小風の上司は訝しく思い、単刀直入に小風に尋ねた。
「有名になりすぎるのも、調査の邪魔となります。そこそこの事務所を検討した結果、五光プロが妥当と判断しました」
小風の上司は、納得できないようだったが、しぶしぶ受け入れた。今は毛ほどの闘波しか纏えないとしても、戦闘力だけならば、彼女は組織で一番のエージェントになってしまったのだ。この戦闘兵器が祖国に反旗を翻すことのないよう、ご機嫌を取らなければならなかった。
小風が移籍する事務所を念入りに検討したのは本当のことだった。五光プロダクションのファイターはたった二人しかいないが、俳優とアイドルは、そこそこ中堅どころが揃っていた。その中の一つ、美少年4人組によるアイドルユニット『レイン』がいたことが、最大の決定理由だった。
国を離れて日本人の『おままごと』に付き合ってやらねばならないのだ。少しぐらい、イイ男と楽しく戯れたってバチは当たらないだろう。そう企んでいる彼女は、一度も男性と戯れた経験はないのではあるが。
会社の拡大に伴い、五光プロダクションのファイター事業部が別の建物に移動になったこと。それによって、レインを含めた同事務所のアイドル達と顔を合わす機会が滅多に無くなったことを知ったのは、小風が日本についてすぐのことだった。彼女は、これ以上ないほどに落胆した。
「でも……このマネージャーさん、結構、私のタイプね……」小風は自分を慰めるようにそう呟いた。
2
『日本のアイドルなどタカが知れている』と、小風は思っていた。修羅場を潜り抜け、殺人すら淡々とこなす私からしてみればガキ同然だった。悪さをするにしても、せいぜい、麻薬に手を出すのが関の山だろう。そのような自信が、まったくの誤りだったことを小風は知ることになる。彼女にとって五光プロダクションの光景は、とてもショッキングだった。
「ようこそ、日本へ。君のような可愛い子には、チャイナドレス着せて、いちゃつきた……ぐふぅ!」
「ごめんなさい。この変態女のことは無視していいから」
いきなり、不愉快なナンパをしてきた長身の女性と、そんな彼女のわき腹に、容赦ない肘打ちを喰らわした女性。この二人が五光プロダクションのファイターだった。
小風の独自調査によれば、この二人は特に人気があるわけでもなく、至って平凡だった。闘波を扱うことができ、格闘技にも心得があるというだけのファイターだった。
「隠れ蓑にするにはもってこいだ」と、小風は思っていた。これなら、余計なトラブルに巻き込まれそうにない。小風は安心した。しかし……それは予想はずれだった。
「アイドルに恋愛は御法度だと、何回も言ってるだろ!」
「だから恋愛じゃないって! 体だけの関係だよ!」
「なお悪いわ!」
美月とマネージャーの口論。どうやら、美月が、ネットの怪しげなサイトで知り合った女性をホテルに連れ込んだのがバレたらしい。美月の首筋には、くっきりとキスマークの跡が残っており、激しい一夜を過ごしたことを物語っていた。
彼女は、会ったばかりの私さえ口説いてきたぐらいだから、相当、女癖が悪いらしい。それがわかって、小風はため息をついた。まあ、私も男性を口説こうとしているから同じ穴の狢かもしれないが。とにかく、彼女に近づくことはトラブルの元だろうと思った。
小風が来日してから一週間が過ぎた。小風が借りたアパートには、スパイに必要な機材が持ち込まれていた。こんな借アパートの一室が中国政府のアジトになるなんて、誰が予想するだろうかと、彼女は思った。
この一週間の間で、小風が見たものは全て新鮮に映った。まず自分の歓迎会に驚いた。歓迎されるということが、こんなにも嬉しいものだとは知らなかった。自分が冷徹であることは誇りであったが、それが揺らいでいることを認めずにはいられなかった。
詩鶴や美月と世間話をするとき、小風は捏造された内容をマニュアルどおりに語ることしかできないことが苦痛だった。中国でテレビに出ていたときも似たようなことをしていたが、そのときはこんな寂しい気持ちにならなかった。……私は、どうしてしまったのだろうか。
彼女が日本に来て、何よりも、魅力的に思えたのは男性だった。彼女は相手から情報を引き出すために、男性を口説き落とすテクニックを一通り学んでいた。それが実践で役に立ったことはなかったが、まさか私欲のために、それを使うことができる機会があるとは思ってもいなかった。少し自由を感じた。
マネージャーは、痩せ型で、どこか気弱に見えるが、ハンサムで小風の趣味に合った。小風は事あるごとに彼を誘惑してみせたが、仕事に忠実なマネージャーには効かなかった。
小風は、つい最近、18歳になったばかりだった。日本の法律では女性は16歳で結婚が可能だということは知っていた。もし、私が日本国籍を得れば、すぐに家族を持つことができるのだと気づいた。『家族』……その言葉を思い浮かべると、小風の胸は苦しくなった。
「まったくウチのアイドルは……」マネージャーは嘆いた。「小風さんは男に色目を使ってばかりだし、美月は女にだらしないし、もっとアイドルとして自覚を持つべきだよ」
「まあまあ大物ならともかく、私らの知名度じゃあ誰も気づかないって!」マネージャーの小言を蔑ろにし、美月は自虐的に笑った。
「私だって、我慢してたんですけど……仕事先に素敵な男性が多くて……」小風は言った。
小風は、日本に来て以来、若い男性と知り合う機会が増え、持ち前の冷徹さを失っていた。本国で仕事していたときの出会う連中は、ぶくぶく太った中年親父ばかりだったのだ。
「バランス取れてていいじゃない。極度の女好きと極度の男好きがいてさ……」
「美月……悪びれないな、お前は」
「マネージャーも、少しは色事に興じてみたらいかがですか? 今夜、空いてますよ」小風は茶化した。
「小風さん。その媚は、ファンに向けてください。……いいですか、昔の過ちが大物になってから痛手になることはよくあるんですよ。高校時代、男性とのツーショットがネットに上がっただけで、酷く炎上したこともあったんですから」
「そういうのって、本当のことなんですか?」小風は純粋に疑問を口にした。
「中国では信じられないことかもしれませんが、そんな馬鹿馬鹿しいことに対し、本気で怒り狂うような連中が多いんですよ。この業界のファンは」
「どの業界にも、狂った奴はいるもんよ」美月が容喙した。「そういう倫理観も常識もないようなアホに限って、社会的立場が上だったりするから、嫌なもんだよ」
美月の言葉に、小風は中国政府の高官を思い浮かべて心の中で賛同した。
「手当たり次第、少女を捕まえるお前から『倫理』なんて言葉が出てくるとは思わなかったよ」マネージャーは皮肉を言った。
「失礼な! 私だって選り好みするよ。それに、少女ばかりじゃないし! この前のネットで知り合った人は、私より4歳も年上でした!」美月は、変なポイントで怒った。
「そこはどうでもいいよ。とにかく怪しい出会い系サイトは使うなよ・・・・・・」
「まあ逆に、こういう爛れた経験が、後々役に立つこともあるでしょう」
「いったい何の役に立つんだよ」マネージャーはため息をついた。『芸の肥やし』とは、都合のいい言い訳だと思った。
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