第1話 5章
22
およそ不幸というものは、たった一つしかない――自分に対する好感を失うことである。自分が自分に気に入らなくなる、それが不幸というものなのである。
トーマス・マン『道化者』
「私は不幸である」何度、繰り返し叫んだだろう。
紅露りぼんは、自分のことを好きになれなかった。彼女は、生まれつき特殊な人間だった。彼女は、他者に対する観察力が異常なほどに優れていた。他人の表情から「怒っている」「笑っている」だけではなく、それ以上のことが読み取れた。その表情に隠された感情も、ぼんやりと知ることができるのだ。自信満々に目標を掲げる人間の表情から、虚栄心と焦りを読み取ることができた。他人に強く当り散らす人の表情から、自己嫌悪を読み取ることができた。
その感情を有した相手への対応の仕方も、幼いころより身についていた。それがあまりにも自然に、こなせてしまったのだ。
その恵まれた才能をもってしても、彼女が自分を好きになることはなかった。彼女は容姿にも恵まれていたが、それも好きになれなかった。身体のほうは丈夫ではなく、病気に罹りがちだったが、それについて認識すると、どことなく安心することができたのだ。
全ての始まりは、りぼんが小学生4年生のときだった。彼女はいじめの対象となった。
このころの少年少女は、大人っぽくなりたいと願い、子供らしさからの脱却を試みる時期である。幼稚さが残るが、淡い恋心が芽生える時期でもあった。
りぼんの愛らしい容姿や、愛想の良さは、そんなクラスの男子を惹きつけた。彼女にとって不運だったのは、ある男子に好かれ、告白されたことであった。その男子には何の問題もなかった。りぼんも、彼のことを嫌ってはいなかった。ただ、その男子は、クラスで一番発言力のある女子が片思いしていた男子だったのだ。それだけが問題だったのである。
りぼんは恋愛沙汰には興味がなかったので、彼の告白をやんわりと拒否した。近日、別の男子から好意を寄せられた。ませた男子は、ラブレターを書いて告白したのだった。最初の男子と同じように、りぼんは彼を傷つけないように拒否した。『友達として仲良くしたい』と、そう伝えたのだ。そして、彼もまた、学校カースト上位の女子が片思いしている男子だった。これらの出来事の重なりが、りぼんにとっての不幸の始まりだった。女子から見れば、りぼんはクラスの男子を侍らせているようにしか見えなかったのだ。当然のことながら、りぼんは嫉妬の対象となった。クラスの女子が結託して彼女を責める度に男子が挙って庇いにくるので、火に油を注ぐように女子の嫉妬の炎はますます燃え盛った。
一度、こうなってしまえば、りぼんがどれほど人間の機微を察する能力があっても何の意味をなさなかった。
執拗な嫌がらせと罵詈雑言が彼女の心を酷く傷つけた。その原因が自分の整った顔であると思うと自分の容姿すら好きになれなかった。原因分析の結果『モテすぎて嫌われる』という結論を出してしまう、自分の性格を嫌味ったらしく思い、自分の心すら卑下するようになった。表情から人の心が読み取れてしまう不思議な才能も、醜いものを見せつけられるだけであり、ますます彼女の精神を磨り減らした。精神も弱っていき、もともと体が丈夫でない彼女は、ますます学校を休みがちになった。
一人の勇気ある少女が、りぼんの人生を変えた。その少女は、男子のグループからも女子のグループからも相手にされていなかった。容姿が醜かったからである。
りぼんは愛されやすい故に一部から嫉妬されていたのだが、逆に、彼女の場合は、『醜い』という、嫌われやすい性質を生まれつき背負っていたのだ。りぼんへのいじめは、進級によるクラス替えがあっても、執拗に続いていた。しかし、彼女と同じクラスに編成されたことは、りぼんにとって救いとなった。
「やめなさい!」凛とした声が教室に響いた。りぼんに嫌味を言っていた女子が、気圧されて縮こまった。「先生に言うからね!」りぼんを庇うように、容姿の醜い少女は、いじめっこたちを睨み付けた。あまりの剣幕に、言い返すことのできる女子は、一人もいなかった。
変化が生じた。表立ってりぼんをいじめる少女たちは減っていったが、その代わりに、少女たちによるいじめ行為は、身元がバレないような陰湿なものになった。もうひとつ変わったことは、いじめの対象が二人に増えたことだった。りぼんを助けたその少女も、嫌がらせの対象に加えられたのだった。彼女は、何も被害を受けていないかのように振る舞い、りぼんを励まし続けた。
「大丈夫。私が一人にさせないから」りぼんは、彼女の表情から、優越感でも憐れみでもない、純粋な優しさを読み取った。彼女の『大丈夫!』という言葉は、力強い自信に溢れたものだった。
「救われた」
りぼんは心の奥底からそう思った。陰湿ないじめをもろともしない少女の堂々とした態度に、いじめの数は減っていった。ある日、りぼんは少女に訊ねた。
「どうして、そんなに強くいられるの?」返ってきた答えは、想像を絶するものだった。
「嫌われるのには慣れてるから。それが私の武器なの」
これがたった11歳の少女の口から出る言葉だろうか。この言葉にどんな意味が詰まっているのか、りぼんにはまだわからなかったが、ただただ悲しくなり、涙を流した。
りぼんが人生に絶望しないでいられたのは、間違いなく、その少女のおかげだった。自分のことは、相変わらず好きになれなかったが、彼女と共にいれば、救われ続けると思っていた。しかし、さらなる不幸が彼女を襲った。お互い中学生になってすぐのことである。その少女は交通事故にあった。一命は取り留めたものの重症だった。治ったとしても一生、車椅子に頼ることになると診断された。
この残酷な運命を、本人以上に嘆いたのがりぼんだった。どうして、何の罪もない度重なる不幸が彼女を襲うのだろう。もし、身代わりというものが通用するなら、喜んでその身を差し出しただろう。りぼんはそう嘆いた。病室で見た風景は、今も忘れられなかった。顔は包帯でぐるぐる巻きにされ、ミイラのようだった。りぼんは、少女の表情が読み取れなかった。周りから「ブス!」と馬鹿にされ続けたその顔も、私にしてみれば、幸せそのものだった。毎日、その顔を確認するだけで、安心して学校生活を送れたのだ……
少女が、彼女に言った言葉は、意外なものだった。
「私ね。障碍者には、障碍者にしかできないことがあると思うの。このことで何かの役に立つことを考えたい」
「どうして……」りぼんは、泣きながら訊ねた。「どうして、そんなに強くいられるの」
「私ね」と少女は語りだした。「自分が大嫌いだったの。誰からも相手にされないし……かといって、相手にされたくて人の機嫌を取るのもできなかった。変にプライドが高くて、そんなこともできなかったし……」少女は、遠くを見つめた。りぼんは、少女の言葉に耳を傾けていた。
「でも、誰からも認められなかったとしても、自分だけは自分を認めたいと思ったの。だから、自分を好きになるには、どうしたらいいか考えたの。そしたら……」包帯を巻いた少女は、そこで言葉を止め、りぼんを見つめた。りぼんには、少ししか彼女の表情が
「私、りぼんのことを利用してたんじゃないかって……思うことがあるの。ううん。今も思ってる」
「利用?」
「うん。自分を好きになるためには、自分の本質を知って、それを納得できる形で活かすことが必要だって……これが私が悩みぬいて出した結論だった。私の本質は『嫌われる』ことだった」
りぼんは『そんなことない』と言ってやりたかったが、声が出なかった。彼女は、その容姿から嫌われ続けたのだから。私が何を言っても、空虚になるだろうと思ったのだ。少女は語り続けた。
「『嫌われる』のが私の本質なら、それを逆に活かして、何かしてやろうと思ったの。皆はグループから孤立するのを恐れても私は恐れない。『孤独を恐れない』って、すごい利点じゃない? その利点を活かそうと思ったら、私、いつの間にかりぼんを庇ってたの。ほんと酷いでしょ?」
「酷い? どうして?」
「自分をとにかく肯定したくて、貴方を利用してたんだから。手っ取り早く、正義のヒーロー気取ってたんだもん。幻滅したでしょ?」
「……するわけないじゃん」りぼんは知っていた。彼女が私を元気つけてくれたときの表情からは、同情も優越感も読み取れなかったのだ。「私も生き抜くから、貴方も生き抜いて欲しい」と、彼女の目は語っていたのだ。だから、私は今日まで生きていたのだ。
「ありがとう。……でもね。私はりぼんを助けたことで、私自身は確かに救われたの。大嫌いだった自分が、少し好きになれたんだから」
「救われたのは私のほうだよ! どんな動機だったとしても、私は助けられたんだから。私は貴方が好き」
りぼんは、少女の言葉を聞いて道が開けたような気がした。彼女が私を守った理由が、他の動機であったとしたら、私はどう思ったのだろうか。
仮に「悪を見過ごすことができなかったから」だとしたら?
仮に「あまりにも惨めすぎたから、同情せずにはいられなかったから」だとしたら?
彼女は自分自身を肯定したいがために私を守り、道徳という評価システムによって、その目的を達成させた。それは打算的だろうか?
確かに打算的だろう。しかし、邪道だとは思えなかった。むしろ、正義心よりも同情心よりも、健全さを感じた。歯の浮くような台詞で語られる動機よりも、力強さを感じた。その健全さ、力強さは、私に欠けている精神なのだろう。
「私も、そんなふうに強くなりたい」りぼんは呟いた。
「強くなりたい?」
「うん!」りぼんは力強く答えた。自分がいつまでも幸せになれないのは、欠けてるものがあると思ったからだった。
「りぼんは、自分のこと好き?」
「……嫌い……かな」と、小さく答えた。
「私は羨ましいけどな。可愛いし、愛想もいいし」
「でも、体は弱いよ」
「今の私よりは丈夫でしょ?」
りぼんは、それを聞いてぞっとした。身体能力に関しては、今までは親友のほうが優秀だったが、いまや、その優劣すらも逆転してしまった。容姿、学力、身体能力、全てにおいて、私は彼女より恵まれているのにも関わらず、私は己を愛することができず、彼女は己を愛している。私は不幸で、彼女はこんな状態になっても幸せの方法を模索して、期待に胸を弾ませているのだ。
それどころか、私は今まで、欠点であった病弱な体質を、どこか『愛しい』と思っていなかっただろうか? 人より優れた部分をどこか卑しく思い、人より劣った部分に安心していた。
病弱な体質に関しては、周りの妬ましい視線を受けることがなく、それどころか敵意のない、余裕を持った表情で接してくれるので、気が楽だったのだ。よくよく考えれば、それはとんでもない誤謬だったのではないだろうか。
「私ね」と、少女が言った。「自分の生まれ持ったものを利用しないのって、よくないと思うの。ましてや否定するなんて……その才能が欲しくて欲しくて、たまらない人が大勢いるのに」
この言葉は、りぼんを窘めているようだった。
「……私だって、可愛く生まれたかったな。皆に愛されたかった。……りぼんがさ、自分のことを蔑み続けるんだったら、それは私も悲しいな」
道徳的に悪いことをしていないのに、悪意のある言葉をぶつけられた経験が少女にはあった。生まれながらの醜い容姿が、周囲を不快にさせるのだ。このとき、誰を恨めばいいのだろうか。親に文句を言えばいいのだろうか? テレビに映る女優やアイドルを見て、どうして私は彼女のように綺麗じゃないのかと恨み言を呟けば、それで解決するのだろうか? そんなことはないと彼女は知っていた。重要なのは己に対し「これでいい」と肯定することなのだと、彼女は学んでいた。だからこそ、美しい顔を持っていながら、常に自己嫌悪に陥って、悲しい顔をし続けているりぼんを放っておけなかったのだ。
「どうしたら、自分を好きになれるのかな?」りぼんは弱弱しく訊ねた。
「大丈夫。私みたいにマイナスなことすら愛せちゃう人すらいるんだから。私って強いでしょ?」
「うん。羨ましいな」
「私はりぼんが、今の自分をちゃんと認めてくれれば嬉しいな。そしたら、私も貴方をもっと好きになれるから」
りぼんの生き方は大きく変わった。彼女自身は、これを『改心』と呼んだ。まず、自分を認めることに努めた。そうすると、どこか心が軽くなった。自分の美貌に嫉妬してくる人間の恨みごとすら、ありがたく思えるほどだった。その言葉も、自分がこのような容姿だからこそ、聞くことのできる貴重な言葉なのだから。
りぼんは親友を参考に、道徳のシステムを利用した。生まれながらの才能として身についた洞察力を活かして、多くの人を幸せにできる方法を熟慮し、試行錯誤しながら実行してみると、面白いほどに、己の存在意義を高めることができた。このことを、恩人であり『幸せ』の大先輩である親友に報告すると、彼女は優しく笑った。りぼんは、大嫌いだった自分が少しずつ愛しいものになっていくことを実感した。
23
りぼんが高校に入学しても、二人の友好は続いた。
車椅子で散歩しながら少女は、とある話をした。それはりぼんにとっても、興味深い話だった。りぼんにとって、重要なエピソードの一つだった。
「『我田引水』っていうのかしらね?」
「どういうこと?」りぼんは、いきなりの親友が放った言葉の意味を尋ねた。
「『我田引水』は、話し合いとかで自分の得意分野に話を引っ張るって意味だから、意味合いは違うんだけど、要するに、得意なフィールドでしか勝負しないっての? ちょっと思うところがあってさ」
「相変わらず、小難しいこと考えてるのね」りぼんは笑った。彼女のこういう話を聞くのは嫌いじゃなかった。少女は病室で有り余る時間を読書やネットサーフィンに当てていた。『幸福』は、哲学とも深い関わりを持つために、読む本は哲学書が多かった。
彼女だけでなく、りぼんも、中学生のときから色々な哲学書を読んでいた。他人の顔色で感情を把握してしまうりぼんは、特にレヴィナスの他者論がお気に入りだった。
「私が障害を持ってるっていうと 皆、まともに議論しないの」
「それって、障碍者だから相手にしてくれないってこと?」
「ううん。その逆で、すごく労わってくるの」
彼女は、パソコンのチャットで授業を受けており、趣味においても、もっぱらチャットで話し合いをすることが多かった。その中である、異変に気づいていた。
「私って、今まで嫌われ者だったじゃない? だから、ずっと嫌われ続けていくんだろうと思ってたの。それはともかく……私が好きな、議論し合うチャットのサイトあったでしょ? この間、そこで『人の幸福』っていうテーマでチャットしててね。討論になったの」
現実でもネットで、好き好んで、こういう議論をしたがるのは、クセの強い人が多いだろうから、毒舌な連中も多いだろうと、りぼんは思った。
「私の意見は、だいたい少数派になることが多いんだけど、そうなると、一旦、私は存在ごと否定されるのね」
「ネットでは、『多数派だから正しい』って単純思考のやつ多いからね」りぼんは、少し棘のある言い方をした。数を武器にする連中の一人ひとりは脆弱であることを小学生のころに学んでいた。
「まあね。だけど私が障害を持ってて、一生、車椅子生活をすることになるって教言ったり、過去に酷いいじめを受けていたって言ったりすると、皆、手のひらを返して、私を肯定してくるの。すごく不自然なフォローを入れたりね」
「うーん。なんか、わかるような気がする。要するに、その人たちの『義務感』のようなものを感じて、それが逆に嫌な気分になるんでしょ?」
「さすがね」少女はよくわかってるという感じで、要約したりぼんを褒めた。「『この人を嫌ってはいけない』という焦りのようなものを感じるのね。討論してるのよ? こちらは論敵なのに。……私としては、全力で意見をぶつけてくれたほうが嬉しいの。そのほうが相手の本当の気持ちがわかるから。……なのに、私の境遇を知った人たちは、私に対する扱いがデリケートになってきて……」
少女は、とてつもない違和感を覚えていた。
『この人は社会的弱者なのだから、傷つけるようなことをしてはならない』
チャットの言葉から、そのような気遣いを感じるのだ。それは有難くもなかった。傷つけるのがよくないと思っているのならば、こちらが障害をもっていようとなかろうと関係ないのだ。人を傷つけたらいけないと誰もが感じているのであれば、どうして私はいじめられ、それによって傷つけられなければならなかったのか。彼女がネット上で知り合う相手の多くは、本当の意味での『思いやり』の精神を持っているとは思えなかった。彼らの気遣いは、単に『社会』や『道徳』という圧力に平伏しているようにしか見えなかったのだった。
「でもね・・・・・・よくよく考えてみたら、私自身が、そういう圧力を利用してたんだって気づいたの。私が事故にあって一番最初に思ったのは『社会的弱者になったことによって、何かできることがある』ってことだった。そう言ったの覚えてる?」
りぼんは、初めて彼女のお見舞いに行ったときのことを思い出した。あのとき聞いた言葉で、彼女の力強さに、思わず泣き崩れてしまったのを覚えている。
「私の嫌われ者という性質が『武器』になると思ったみたいにね。だから思わず、自分の土俵に相手を引っ張り込んでしまったんだなーって思ったの」
「土俵?」
「そう。自分が絶対に勝てるフィールドでしか勝負しないってこと。本当に、私が上辺だけの気遣いをしてほしくなかったんなら、最後まで自分が社会的弱者という立場を明かすことはなかったはずなのに。でも、議論で言い負かされたときに、それとなく知らせちゃったの。反省してみたら、私の頭の中に、そういう企みが確かにあったの。結局、その議論では『このような不幸な境遇の人でも、がんばっている』という判で押したような結論で締められて……一応、私の主張が通った形で終わったんだけど……すごく後悔したの。結局、『人の幸せ』について掘り下げて意見交流できなかったし、自分が卑怯者だとわかったんだから」
「卑怯だなんて……」
「いや、卑怯だよ。自分の負の立場を利用してたんだから。自分の意見が通らなくなりそうだったから……自分の勝てるフィールドに相手を引っ張り込んだの。本当に失敗だったと思ってる」
「つまり、自己嫌悪してるの?」と、りぼんはキツイ口調でいった。
「まあ、そうね」
「私、自分のこと蔑む人って、好きになれないな」昔、彼女に言われた言葉だった。少女は『これは、一本取られた』というジェスチャーをして、自虐的に笑った。
「確かに、下手を打ったってこともあるだろうけど、それでも、ちゃんと反省してるじゃない。世の中には、計画的に自分が弱者だとアピールすることで、必要以上に利益を貪ろうとする悪人がいるのに……私はね、そうやって、常に自分の性質から目を背けないで、強くあろうとしたり、正しくあろうとする人が好きだよ」
「ありがとう。りぼんはどうなの?」
「何が正しいかどうかなんて、まだわからないけど、自分から目を背けるのは辞めた。自分に何ができるか……どうすれば、自分を肯定できるかをずっと、考えてる」
二人はそれからも仲良く、同じときを過ごした。学校が終わると、りぼんは、彼女のもとに行き、車椅子を押しながら、楽しい会話をしながら散歩道を歩くのが日課だった。あるとき、りぼんは気づいた。日に日に、彼女の反応が遅くなっているということを。今までは、声をかけると、返事は、すぐ返ってきたが、いまや一秒ほど空白があった。医者が言うには、中枢神経が傷ついたときの後遺症とのことだ。もし、このまま返事をしてくれなくなったらどうしようかと、りぼんは不安になった。どうして彼女が、こんな運命を背負わなければならないのか。しかし、どんな境遇にあっても、彼女は自分に何ができるかを模索していた。だからこそ、彼女の境遇を、勝手に不幸だと決め付けて嘆くことは、彼女を愚弄することに他ならないと思ったのだ。嘆くことも、運命を呪うことも許されない。それなのに、目から涙が止まらなかった。車椅子を押しながら、泣いてることを悟られないように必死だった。
「……りぼん。どうしたの?」
「なんでもないよ……大丈夫。私は大丈夫だから」
りぼんがアイドルのスカウトを受けたのは、彼女が街中を歩いているときだった。
「君には光るものがあるよ。君ほどの逸材はいないさ」と、プロデューサーは泥の中から宝石を見つけ出したように言った。実際に彼女は宝石だったし、彼は本物の鑑定士だった。
「ありがとうございます。でも、私は病弱なんです。激しく歌って踊るなんてことできません」
「いや、試してみる価値はあるよ」と、プロデューサーの隣にいた女性が言った。りぼんは、その人をテレビで見たことがあった。有名なアイドルの一人だった。
「プロデューサー。私も感じるよ。彼女の素質を」
「素質?」
「ああ。『闘波』というオーラは、もちろん知っているよね? それを身に宿せば、体力だって、そこらへんの筋肉モリモリの男に負けないぐらいになる」
「……私にできるんですか?」
「君だからこそ、できるんだ」プロデューサーの言った、この一言が決め手となった。
「わ、わかりました! できるかどうかわかりませんが、詳しく教えてください」
『私ね、自分の生まれ持ったものを利用しないのって、よくないと思うの』
親友の言葉が思い出された。
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